飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

学級通信「Will」100号に寄せて

2024年09月06日 05時00分00秒 | 学級経営
1993年10月18日 6年1組学級通信より。

「Will」が100号になった。
授業日数118日。
ちょうど6年生の折返し地点である。
以前、努力を積み重ねることが大切だと書いた。
そして、その努力の一応の目安は100だと考えている。
努力は、毎日、階段を一歩一歩のぼるようにしなければならない。
しかし、すぐには結果には表れない。
結果は、努力したもんだけにある日突然、加速度的に訪れる。
その結果が、運動会の組体操「奇跡の惑星・地球」の演技であり、研究授業の討論だった。
修学旅行の態度も、春の史跡めぐりのときとは見違えるほど、成長のあとがみられた。
子供たちは、少しずつではあるが、伸びてきている。

しかし、物足りなさを感じる。
むろん、その原因の多くは私にある。
なぜか、もう一度考えてみる。

こんな言葉がある。

教育とは、ともに未来を語り、ともに夢を語ることだという。
計算のあれこれを学ぶことも無論大切なことだ。
それらの一つ一つは、君たちの未来にとって必要とされるからである。
しかし、それらの何百、何千を集めたことよりも大切なことが教育にはある。
それは人間が人であることである。
人間としての優しさ、あたたかさ、細やかさ、強さをもっていることである。
そうした人間らしさに、敏感なことである。
注意深いことである。
君たちは、どんな人間を真の友人として選ぶだろうか。
たとえ、遊びが下手で、勉強ができなくても、約束を守り、公平であり、陰日向のない人間を友人として選ぶと思うのだ。
人間と人間の間には、絆には、このように何よりも大切なものがある。
君たちが私に、平等であることを望むなら、私もまた君たちに平等であることを望む。
君たちが私に、あたたかさを望むなら、私もまた君たちにあたたかい心の持ち主であることを望む。
君たちが私に、努力する教師であることを望むなら、私もまた君たちに努力する人間であることを望む。
私は、再び君たちと、未来を語り、夢を語りたいと思っている。

担任である私が、残りの日々、どのように毎日を過ごしていきたいと思っているのかを理解してほしい。
そして、君たちとともにこれまでと同じように成長し、日々更新していける歴史を刻みたいと願っている。

saitani


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