飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

社会と会社

2023年05月13日 10時30分35秒 | 教育論
稲盛和夫の言葉。

京セラ名物の「コンパ」で、中途入社組の一人がこう問いかけた。
「社長、おかしいじゃないですか、この会社は。
 朝礼はさせられるは、体操は無理矢理させられるわ。
 本来、自由な人間をつかまえて、なんですか、これは。」

コンパの席なので少々のことを言っても怒られないとはいえ、社長に直々に言うとは骨のある社員だ。
その社員対して稲盛氏はどう答えたか。
「あなたね、社会と企業を混同してますよ。
 社会というのはね、あんたが言うようにみんな自由だ。
 どんな主義主張を持とうがかまわないし、自由に振る舞える。
 そうでないと社会はおかしい。
 だけど企業ちゅうのはね、社員たち食べさせ、税金を払って国に貢献して、そして、会社を成長をさせて社員の将来まで保証せんといかん。
 そうしようと思ったらね、それなりの企業としての性質ちゅうか意志が要るんです。
 その意志に従って企業は成長していくんです。
 だから、企業と社会は別なんですよ。
 混同したらダメですよ。」

企業と社会をとは別。
混同したらダメ。

このことは、一般企業と公務員との違いはあるが、学校についても言える。

社会一般での在り方と、ある組織の中の在り方を混同してはならない。

自分も冷静になって考えてみる。
学校というところは、社会の縮図だと言われる。
したがって、社会のルールはそのまま学校のルールとなると疑問を考えることはなかった。
そうすると自由や平等を振りかざすあまりに、学校の平和や安全が脅かされ、教育の停滞を招くこともあった。
それでも、その要望は正当であり、対応しなければならないと考えていた。
しかし、この稲盛氏の考え方を知り、少し修正が必要だと感じる。

学校には使命があり、その使命とは、平和と安全に中で、子どもたちによりよい教育を行っていくことだ。
その使命のために、社会の自由とは異なるルールも存在する。
社会と画工は別なんだと考えることも必要ではないか。
問題のあるルールももちろんあるが、学校教育目標達成のための学校独自の在り方も現に存在することも事実なのだ。

saitani



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