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長崎「新天満市場」幕から,鹿児島「西駅朝市」を思い起こす-1

2020-12-23 17:58:13 | 鹿児島県

長崎「新天満市場」幕の記事から,鹿児島「西駅朝市」を思い起こす-1

 長崎市の新大工町商店街にある「新天満市場が年末で閉場」との,ネット記事を目にした。1953年から市民に親しまれ67年。かつて客であふれた市場だが,近年,大型商業施設が進出の影響で客足が減り,年を追うごとに空き店舗が増えた。さらに,鉄筋コンクリート5階建てのビル老朽化が追い打ち。雨漏りなどを修理して営業を続けてきたが限界。管理会社によると,建物は取り壊し,跡地の利用については検討中とのことである。

 この記事を読んでJR鹿児島中央駅からすぐの場所にあり,2018年に幕を閉じた「西駅朝市」(現在の鹿児島中央駅東口周辺)が頭に浮かんだ。鹿児島中央駅東口から市電の線路を横切り徒歩1~2分のバスターミナル(南国ビル)に隣接した場所にあり,地元の人や観光客で賑わっていた。

 この朝市は,第二次世界大戦後に鹿児島本線,指宿枕崎線,日豊本線の沿線の人たちが,農産物や海産物を持ち寄り,駅前やバスロータリーで販売したのが起源という。二つの大きなテント張りの共同店舗,一つの共同店舗,そして複数の店舗と露店で成り立っていた。
  
 鹿児島の朝市で目を引くいたのは切り花の多さだった。その品揃えの魅力は,鹿児島産の新鮮な青果物であった。特に本場サツマイモは,種類豊富で,さすが本場だけのことはあった。魚屋さんも活気あふれていた。

 飛騨高山に代表される観光「朝市」も趣があるが,主に地元の人たちのために生鮮品などを供給する役割を担ってきた「市」は,鹿児島の気風,暮らしぶりが肌で感じられ,興味深いものがあった。

 鹿児島朝市閉場の理由は,店主たちの高齢化と後継者の不足や不在。中央駅エリアの再開発計画などの影響など,複数要因があったようだ。

 私は50歳から70歳までの20年間,大学教員,経営コンサルタントとして多い年は年間100日近く,鹿児島に出向いていた。そんなとき,土産の多くは朝市で買い求めていた。食事も朝市界隈のお店でとることも多かった。
 鹿児島国際大学での「流通論」や「マーケティング」授業では,折に触れ市場見学したし,ゼミでは卒論テーマの一つとして取りあげてもきた。私にとって,「西駅朝市」は,様々な思いのこもる地である。

 長崎市の新大工町商店街の「新天満市場が年末で閉場」の記事を目にして,鹿児島朝市を,そして鹿児島のあたたかな風土を改めて思い起こし,懐かしんでいる次第である。


                             (この稿,続く)

 

 

 

 

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