越中おわら節(民謡)とおわら風の盆
素唄
素唄は平唄とも言い、踊りには素唄でないと合わないので、
踊りがつく時唄い手はほとんどこの素唄を唄います。
この素唄は、上句と下句)から成り、その文句の字数は26文字です。
例 上句=うたのまちだよ(7) やつおのまちは(7)
下句=うたでいととる(7) オワラ くわもつむ(5)
《素唄:例》
唄の街だよ 八尾の街は 歌で糸取る オワラ 桑も摘む
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五文字冠り
素唄の上句の頭(前に)5字の文句がつく、
5・7・7・7・5の31文字の歌詞です。下句は素唄と同じ7・5です。
例 上句=いろにさく(5) あやめきろとて(7) たもとをくわえ(7)
下句=ふみをおとすな(7) オワラ みずのうえ(5)
《五文字冠り:例》
色に咲く アヤメ切ろとて 袂を加え 文を落とすな オワラ 水の上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
字余り
上句下句を問わず、素唄よりも字句が多い歌詞で、とくに字数の制限はありません。
例 上句=三越路の 中の越路で 見せたいものは 黒部、立山、蜃気楼、ほたるいか
下句=よそで聞けないものは 本場八尾の おわらの オワラ 節のあや
《字余り:例》
三越路の 中の越路で 見せたいものは 黒部、立山、蜃気楼、ほたるいか
よそで聞けないものは 本場八尾の おわらの オワラ 節のあや
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《長囃子:例》
(おわら節はヨーイがウタワレヨーワシャハヤスー、そしてドンで唄が出ます。)
(唄われよー 私しゃ 囃すー)
越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ
見送りましょかよ 峠の茶屋まで 人目がなければ 貴女の部屋まで
おわらが終って時間も経つのですが、
心のどこかにその余韻がまだ残っています。
どうして魅力に盗り付かれるのか?
自分自身でも不思議に思う。
街自体が醸し出し坂の町八尾という地域、
おわらという独特の味がある民謡に
三味線や胡弓の音色なのだろう。
踊り手の顔は見えないが、
踊りに対する熱意が身体全体に
そして指先まで伝わってくる。
以前にあるHPで、もう5年程前になるが
以下のようなコメントが気になるメモとして
記録してありましたので、紹介しておきます。
『格子戸のある旅籠宿が、土蔵造りの民家が往時のたたずまいを偲ばせる越中八尾。
その町並みを吹き抜ける二百十日の大風をおさめ、五穀豊穣と永世の繁栄を祈るために、
かくも叙情豊かに、気品高く唄い踊り継がれる、おわら風の盆です。
ニュースでも紹介したようですが、それはそれは、聞きしに勝る人出でしたが、
物悲しい胡弓の音と静かな三味線の音が流れだすと、何となくあたりの騒音
も気になら無くなり、踊りに引き込まれて行く感じでした。
少しでも雨が降ると中止になりますし、何処で踊るのかも分かりません、
風のように現れて、さっと踊って、消えて行きます。人込みが有りますので
そちらの方かなと思って行って見ますと、拍手と共にもう終わっているのです。
運が良いと何時の間にか眼の前で始っている時もありました。時間を掛けて
東京から、ツアーで行きましても、運が悪いと一度も見れなかったと言う人も
居るそうです。
でも、一度は見たいと思っておりましたので、やっと念願が叶いました。
亡くなった主人がいつも退職して自由になったら沢山旅行をしようね
と申しておりましたが、退職の年に亡くなってしまいました。
7年経ちましたが、主人の写真を持って、「パパやっと、風の盆へ
来ることが出来ましたよ、どうですか?気に入りましたか?」と話し掛けます。
「風の盆」はそんな私にぴったりの旅でした。
“ 見たさ遇いたさ、思いが募る、
恋いの八尾は、おわら雪のなか ”
“ 唄われよう~ わしゃはやす~ ”
人人の波なのですが、あまりその事が気になら無くなる、不思議な
お祭りでした。』
素唄
素唄は平唄とも言い、踊りには素唄でないと合わないので、
踊りがつく時唄い手はほとんどこの素唄を唄います。
この素唄は、上句と下句)から成り、その文句の字数は26文字です。
例 上句=うたのまちだよ(7) やつおのまちは(7)
下句=うたでいととる(7) オワラ くわもつむ(5)
《素唄:例》
唄の街だよ 八尾の街は 歌で糸取る オワラ 桑も摘む
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五文字冠り
素唄の上句の頭(前に)5字の文句がつく、
5・7・7・7・5の31文字の歌詞です。下句は素唄と同じ7・5です。
例 上句=いろにさく(5) あやめきろとて(7) たもとをくわえ(7)
下句=ふみをおとすな(7) オワラ みずのうえ(5)
《五文字冠り:例》
色に咲く アヤメ切ろとて 袂を加え 文を落とすな オワラ 水の上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
字余り
上句下句を問わず、素唄よりも字句が多い歌詞で、とくに字数の制限はありません。
例 上句=三越路の 中の越路で 見せたいものは 黒部、立山、蜃気楼、ほたるいか
下句=よそで聞けないものは 本場八尾の おわらの オワラ 節のあや
《字余り:例》
三越路の 中の越路で 見せたいものは 黒部、立山、蜃気楼、ほたるいか
よそで聞けないものは 本場八尾の おわらの オワラ 節のあや
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《長囃子:例》
(おわら節はヨーイがウタワレヨーワシャハヤスー、そしてドンで唄が出ます。)
(唄われよー 私しゃ 囃すー)
越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ
見送りましょかよ 峠の茶屋まで 人目がなければ 貴女の部屋まで
おわらが終って時間も経つのですが、
心のどこかにその余韻がまだ残っています。
どうして魅力に盗り付かれるのか?
自分自身でも不思議に思う。
街自体が醸し出し坂の町八尾という地域、
おわらという独特の味がある民謡に
三味線や胡弓の音色なのだろう。
踊り手の顔は見えないが、
踊りに対する熱意が身体全体に
そして指先まで伝わってくる。
以前にあるHPで、もう5年程前になるが
以下のようなコメントが気になるメモとして
記録してありましたので、紹介しておきます。
『格子戸のある旅籠宿が、土蔵造りの民家が往時のたたずまいを偲ばせる越中八尾。
その町並みを吹き抜ける二百十日の大風をおさめ、五穀豊穣と永世の繁栄を祈るために、
かくも叙情豊かに、気品高く唄い踊り継がれる、おわら風の盆です。
ニュースでも紹介したようですが、それはそれは、聞きしに勝る人出でしたが、
物悲しい胡弓の音と静かな三味線の音が流れだすと、何となくあたりの騒音
も気になら無くなり、踊りに引き込まれて行く感じでした。
少しでも雨が降ると中止になりますし、何処で踊るのかも分かりません、
風のように現れて、さっと踊って、消えて行きます。人込みが有りますので
そちらの方かなと思って行って見ますと、拍手と共にもう終わっているのです。
運が良いと何時の間にか眼の前で始っている時もありました。時間を掛けて
東京から、ツアーで行きましても、運が悪いと一度も見れなかったと言う人も
居るそうです。
でも、一度は見たいと思っておりましたので、やっと念願が叶いました。
亡くなった主人がいつも退職して自由になったら沢山旅行をしようね
と申しておりましたが、退職の年に亡くなってしまいました。
7年経ちましたが、主人の写真を持って、「パパやっと、風の盆へ
来ることが出来ましたよ、どうですか?気に入りましたか?」と話し掛けます。
「風の盆」はそんな私にぴったりの旅でした。
“ 見たさ遇いたさ、思いが募る、
恋いの八尾は、おわら雪のなか ”
“ 唄われよう~ わしゃはやす~ ”
人人の波なのですが、あまりその事が気になら無くなる、不思議な
お祭りでした。』