老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

菅首相による「日本学術会議」の推薦者「任命拒否」問題に関して

2020-10-10 15:25:37 | 菅政権
1、任命拒否問題の経緯

最初に、私のこの問題に対する認識程度を示す必要を感じたので、そこから論述したい。

まず、この菅首相の「任命拒否」の問題に関しては、直ちに「不当」であることは理解できた。従来の首相で菅氏のような「任命拒否」を出した首相はいなかったという先例があるからである。

そして、法律(学術会議の法令)に基づいても、会員の任命は、日本学術会議の推薦により首相は形式的に「任命」することになっている、と解釈できるからである。つまり、首相には「拒否権」は存在しないということだ。この点は宇都宮弁護士が明確に述べているとおりである。

しかし、菅首相は当会議の推薦者105人のうち、安保法制などに反対表明をしていた6人の学者の任命を拒否した。そして、この任命拒否の菅首相の態度が「学問の自由」を侵害するとして、多くの大学人や団体が反対の声をあげている。こういう状況にあり、事態は紛糾している。

野党などが、「何故任命を拒否したのか」説明責任を果たせと批判しているが、菅首相と閣僚たちは説明する必要はないと突っ張ねている。また、日本学術会議も、任命拒否の説明を明らかにし、改めて6人を任命するように要望している。

こういう事態の経緯であるが、私自身の認識のレベルでは、この「任命拒否」の問題で最初から理解できていない問題点などがあり、そこから明らかにしたい。

まず、「日本学術会議」の立ち位置や、政府の特別機関であるとされるこの団体の法的な性格や設立の目的などが、全く周知の事柄ではなかったということである。

そして、何故に、任命拒否したことが直ちに「学問の自由」の侵害になると結論付けられるのかも、十分に認識できていたわけではない。

前者から疑問を解いていこう。日本学術会議は1949年に設立された政府への政策提言や科学者のネットワーク構築を目的とする政府機関である。日本学術会議はその設立以降、「学術研究を通じて平和を実現すること」を最大の使命として運営されてきた。それは戦前、軍事に使われることを前提に研究を進めたことへの反省があったからである。(以上の記述は立命館大学政策科学部教授の上久保正人氏の論文に依拠した。)

後者の問題であるが、菅首相が任命拒否権を行使したことが何故、直ちに「学問の自由」への侵害とされるのかである。日本学術会議が政府の機関である以上は、政府の任命拒否が直ちに任命拒否された学者の「学問の自由」を侵害することになるといえるのか、そういう疑問も当然に出てくるのではないか。そこが大きな問題点であると私には思える。その問題の納得できる説明は必要だろう。

大学のように、「政府の機関」ではなく、政府の予算を配分されているが全く「独立した」教育機関である場合には、政府は大学教員の採用に関して「介入」することはできない。なぜなら、学問の自由の内容として、大学の自治が保障され、その自治に介入することは憲法上禁止されているからである。(憲法23条の規定は大学の自治の歴史の中で形成された基本的人権である。)

しかし、大学(ここでは国立大学を指している)と異なり、日本学術会議にはそのような明確な法的な性格が付与されているとは、直ちに断言できないのでないだろうか。つまり、日本学術会議はどのような立ち位置であるか明らかで、また政府との関係において、その「独立機関」としてのアイデンティティーが憲法上も法律上も明確であり、そこの会員に当然に学術研究の自由は保障されていると言うのであれば、その法的な根拠と権利を国民に説明する責任があるのでなないだろうか。それが主権者である国民への義務ではないだろうか。

2、結論

マスメディアなどは菅首相の「任命拒否権」の行使がなんらの説明もなく、「学問の自由」の侵害であると結論付けているが、こうした報道や識者の説明がかなり大雑把な印象を免れていない。

日本学術会議という政府機関が存在していることは既知であったが、政府から「独立」している機関であり、会員には学問研究の「自由」が保障されていること、また、学術団体に「自治権」が保障され、推薦者名簿の通りに首相が任命することになっていること、そしてそれは義務であり、任命拒否権はないことなど、明確に説明することが必要ではないか。その説明を十分にした上で「学問の自由」の侵害になると言うべきなのである。

その手間暇を惜しんでいるうちは、「日本学術会議」の正体を知らない私たち普通の国民は、頭上で「論戦」が展開されていると呆気にとられているだけである。その説明責任を果たした後であるならば、菅首相の「任命拒否」が、安倍政権の政策を継承すると「豪語」する菅首相の「独断専行」だったのだと理解できるのである。

菅首相も任命拒否の説明義務(国民に対しての)を果たしていないが、日本学術会議の方も同じように「説明義務」を果たしていないような印象があり、この点も残念である。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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菅政権の誕生

2020-09-28 22:07:21 | 菅政権
9月16日、持病悪化を理由に総理の座を退いた安倍晋三氏の後を継いで、菅義偉氏が第99代内閣総理大臣に就任、菅内閣がスタートしました。

菅氏は「安倍政権の継承」を軸に、安倍政権末期のコロナ対策のもたつきへの反省を踏まえたのか、行政改革やデジタル化推進を目玉政策として打ち出してきました。

新政権スタート以来、政権基盤整備のために日々精力的に動いている菅総理の様子を見ると、コロナ禍の混乱のさ中にやる気を喪失した安倍前首相のなげやりな姿との対比で、国民の目には今度はまともに動いてくれるのではないかという期待も高まり、その期待がとりあえずの高支持率となって表れているのも頷けます。

しかし一方で、基本軸である「安倍政権の継承」が、多くの国民の目には政策の継続性というより、安倍政権の「身びいき」、「隠蔽」、「改ざん」など、数々の不祥事に蓋をし、安倍首相の名誉失墜を回避し、同時に官房長官として自身が深く関与していた自民党の驕り体質への批判を封じることが、一義的な目的となっているように見えるというのも否めません。

今回、好感度アップのイメージ戦略に使われた「“パンケーキの好きな”令和おじさん」の写真も、引きで見れば一緒に食べているのは公選法違反を問われている河井案里被告であり、案里被告の選挙に菅氏が深く関わっていることが見て取れます。

また、官房長官時代の記者会見では、記者の質問を「全く問題ない」「それは当たらない」「あなたに答える必要はない」などと言って説明責任を果たさないスタイルを押し通し、一方で、安倍政権を批判した元文部科学官僚・前川喜平氏に対しては「出会い系バー通い」を臭わせたり、「地位に恋々としがみついてきた」と言うなど、公然と人格攻撃をしてみせました。

またここにきて、菅氏が提唱した「ふるさと納税」に異論を唱えて左遷された総務省官僚の告発も明るみに出ており、総裁選での「政権の方針に従わない官僚は異動は当然」の言及と相まって、自分の意に添わない者を排除する彼の強権的な体質が、節々に表れています。

こうしたこれまでの言動と、総裁選での「自助、共助、公助」のスローガンを合わせて見ると、就任会見での「国民の安全な生活を取り戻す」の言葉も、にわかに信じることはできません。

IT推進にしても、行政の効率化にしても、国民の安全な生活の迅速な確保というよりも、コロナ禍のドサクサに乗じてマイナンバーカードを無理やり普及させ、国民からの税収の漏れ防止、更には国民の統合支配を諮ろうと目論んでいるのではないか、と疑心暗鬼になってしまいます。

今、街行く人たちの表情は総じて暗く、自殺のニュースも相次いでいます。年末にかけての失業、倒産、廃業の急増も危惧されています。そんな状況の中で、マキャベリズムを好むと公言する菅氏の政治手法に、私たちの命と暮らしを託して、果たして大丈夫でしょうか。

折しも旧立憲民主党、旧国民民主党が合流し、新たな立憲民主党が誕生。枝野代表は、「新自由主義」と「談合」の自民党政治にとって代わるものとして、「参加」と「再配分」を軸に、大きな政治勢力のかたまりを作ることを宣言しました。

これに応えて、人の命を大切にする政治、公正な政治を求める多くの若者が積極的な活動を開始し、また、小沢一郎氏や志位共産党委員長など、ベテラン政治家も、政権交代の後押しをすべく本気の姿勢を見せています。

日本に暮らす私たちの今と未来のために、自民党に代わる選択肢としての野党勢力の早急な確立と成熟を期待したいと思います。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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