昨年、わたしは、インパール作戦について書いた。
※「日本軍の敗戦の歴史に学ぶ(組織の腐敗)(1)(2)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/17e35d5a74a2143962b18f742acbf28d
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/400550174635f8a12a12cda3b6cb1173
その中で、日本軍の敗戦の大きな要因に、失敗を失敗として認めない組織の腐敗があると指摘した。
同時に、山本七平氏の指摘を引用して、一般的には、上意下達の組織と思われている軍隊が、逆に上が下に依存する組織(上依存下)だと言う事も指摘した。これが、日本型組織の【無責任体質】の根源にあるとも指摘した。
≪帝国陸軍では、本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」にすぎないのかは、解らないからである。
そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった。・・・・・(中略)
一体この実力とは何であろうか。これは階級には関係なかった。上官が下級者に心理的に依存して決定権を委ねれば、たとえ彼が一少佐参謀であろうと、実質的に一個師団を動かし得た。
戦後、帝国陸軍とは「下剋上の世界」だったとよく言われるが、われわれ内部のものが見ていると、「下が上を剋する」のでなく「上が下に依存」する世界、すなわち「上依存下」の世界があったとしか思えない。このことは日本軍の「命令」なるものの実体がよく示している。多くの命令は抽象的な数カ条で、それだけでは何をしてよいか部下部隊にはわからない。ただその最後に「細部ハ参謀長ヲシテ指示セシム」と書いてあるから、この指示を聞いてはじめて実際問題への指示の内容がわかるのである≫(『一下級将校の見た帝国陸軍』P319)・・・・・・
実は、日本の官僚組織の大半は、今も、この【上依存下】の組織である、といって過言ではない。山本氏が指摘しているように、一体誰が実力者なのか、という嗅ぎ分けこそ、官僚組織で生き抜く要諦だと言って過言ではない。
例えば、加藤厚労大臣が、多くの人がPCR検査を受けられないのは、“保健所などや国民の誤解が原因だ”という発言をして、大半の国民の顰蹙をかった。何故、そんな馬鹿な発言をしたのか。上の山本氏の指摘でおおよそ理解できる。
加藤厚労大臣は財務省出身。財務省では偉かったかもわからないが厚労省ではそんなものは通用しない。“コロナ問題”については、厚労省内部に権力者が存在している。厚労省内部の連中はその権力者の存在を嗅ぎ分け、忖度している。
加藤大臣など飾りに過ぎない。実際の政策は大臣のあずかり知らないところで決まっている。加藤氏の発言は、そういう組織の現状をありありと国民に見せている、と考えるべきだろう。
現在のコロナ騒動を毎日の感染者数の増減に一喜一憂することなく、冷静に観察していると、日本と言う国家が、戦前の日本陸軍や官僚組織と全く変わっていないと言う事がよく見える。
特に、コロナ騒動解消の最大の切り札であるPCR検査のありようにこの問題が集約している。
🔷日本で、PCR検査がなぜ増えないのか。
この問題については、様々な見解があるようだが、「そもそも総研」で玉川キャスターが調査した説が、一番当たっているかもしれない。
※「PCR検査が増えない原因の一つとして、PCR検査をして擬陽性が出た場合、その人を隔離すると人権侵害に当たるからと一部技官の強力な意見が反映されているのではないか」
これは、ハンセン氏病の隔離政策が、国による人権侵害と判決が下ったトラウマが根っこにあると思われる。コメンテーターの岡田教授は、裁判にかけられるのを恐れているのだ、と語っていた。
問題は人権侵害に対する配慮ではなく、擬陽性と診断した人を隔離したら、国家賠償訴訟にかけられ、敗北するのが怖い、という事である。
そもそも総研、PCR検査が拡充しないのは人権侵害の恐れがあるから説
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2020/07/post-29eb93.html
全ては、責任を取りたくない、と言う点に帰着する。
しかし、厚労省には、医療行政に対する大きな権力がある。感染症などに対する指揮監督権限も厚労省にある。特に感染症などの高度の専門性を必要とする問題については、医療系技監の権力は絶大。誰に権力の所在があるかを嗅ぎ分ける能力が官僚の性だとすれば、厚労省内でその事を知らない官僚はいないはずだ。
では厚労大臣はじめとする政治家たちはどうするのか。それこそ、【上依存下】にならざるを得ない。
専門家委員会はどうか。TVに出ているコメンテーター連中をよく見れば、大半は国立感染症研究所などを歴任した連中で、きわめて狭い分野のギルド組織である事が良く分かる。
原子力村を想起すれば、彼らが自分たちの村組織を外れて生きていくのはなかなか難しい。彼らが“村”組織の掟を破って発言するなどと考えない方が良い。
現在の政府や東京都、専門家連中のでたらめぶりは、太平洋戦争末期の東条内閣の無為無策ぶりと相似形。インパール作戦の牟田口中将や陸軍の幹部連中と同じで、失敗すると分かっていても、止めることができない。結果、死屍累々たる撤退戦を戦わざるを得なかった。
コロナ騒動も同じ。7/27付の朝日新聞デジタルの報じるところによれば、「政府が新型コロナウイルスの感染防止策として始めた布マスクの配布事業で、介護施設や保育所など向けの布マスクの発注と製造が続き、今後さらに約8千万枚を配る予定であることが厚生労働省などへの取材でわかった。全戸向けの配布は6月に終わり、すでに店頭でのマスク不足も解消されて久しい。配布はいつまで続くのだろうか。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/067dc44c7e681195be4815eaa1aedfd428dd397f
この頓珍漢ぶりは一体何なのか。一般庶民用のマスクは、今は十分供給できている。ただ医療用のN95というマスクは、今も逼迫しているようなので、政府がN95医療用マスクを充分に供給するのならそれなりに意味がある。それを誰も使わない布マスクを500億近い大金を投じて配布する意味がどこにあるのか。
安倍政権中枢連中は、この程度の判断すらできなくなっている。ガダルカナルにしろインパール作戦にしろ、失敗が明らかなのに、その作戦を中止する事が出来なかった。自らの間違いを認める事ができないので、失敗と分かっていても止めることができない。日本の統治機構の悪しき伝統だが、今も同じ轍を踏んでいる。現在のコロナ対策と“GoToトラベルキャンペーン”も同じだろう。
わたしは2月入院する前に、現在の安倍政権(右派政権)には緊急事態の“危機管理能力”はない、と書いた。
※危機管理の本質(コロナウイルス雑感)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/9f1b42b6f68ba438e81b2a8ea1ce8981
現在はこの認識は多くの人の共通するものになっている。こんな政府にコロナ対策などできるわけがない。米国やブラジル同様、多くの死者を出して終わる可能性が高い。しかも、国民は一体誰にこのコロナ撲滅の責任を問えば良いのか、良く分からない。この無責任体質も全く戦前と変わっていない。
責任者不在、まるで政権末期のでたらめぶり/政界地獄耳
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/444.html
🔷PCR検査の拡充だけが、弁証法的思考に耐えうる。
前の投稿で、正・反・合という弁証法的思考過程について説明した。問題は最後の【合】である。【合】の思考は、その前の正・反の思考とは次元が異なる。
コロナについて語れば、コロナ撲滅【正】と言う思考と経済を活性化する【反】という思考の次元で論争を重ねても正解は見つからない。この思考の次元を一段上げるための思考がアウフヘーベン(止揚)という考え方である。イメージ的に言うならば、らせん階段を想像してほしい。思考の水準をらせん階段のように深化させるのが止揚=アウフヘーベンという考え方である。
コロナ問題で考えると、PCR検査の徹底的な拡充は、コロナ撲滅という思考から考えれば、陽性者のあぶり出しを徹底的に行う事を意味する。陽性者が明確になれば、陽性者の隔離、濃厚接触者の追及、陽性者の治療という方向性が明確に見える。
次に付随的な目標(未症状者の宿泊施設、病院のベッドの確保、医者・看護師・医療資源の確保など)も明確に計算でき、その準備もできる。
経済の方から考えると、PCR検査の拡充は、陽性者のあぶり出しも意味するが、同時に、陰性者の確定も意味する。と言う事は、経済活動を担う人材は、「陰性者」が大半と言う状況を作り出すことができる。陰性者の確定は、経済活動を【安心】して行う状況を作り出すことができる。
景気は、文字通り【気=人々の精神的状況】に依拠する部分が非常に大きい。【安心】は【気】の最重要要素。PCR検査の拡充は、【安心】の最大の供給源になる。
◎つまり、PCR検査などの拡充こそが、コロナ撲滅と経済活動の維持という二律背反的命題を新たな次元に止揚(アウフヘーベン)できる唯一の手段である。
この発想で“GoToトラベルキャンペーン”を制度設計するなら、以下のようになる。
① “GoToトラベルキャンペーン”を経済活動の活性化という視点で考えるから、発想が柔軟性を欠く。コロナ撲滅活動のための“GoToトラベルキャンペーン”という視点で制度設計をする。
② ①の発想で考えれば、このキャンペーンに参加する企業・交通機関・宿泊施設などの従業員全員にPCR検査を義務化。⇒参加した従業員には、PCR検査陰性の証明書を出す。⇒参加する国民の安心感を醸成。PCR検査の拡充が容易にできる。
③ “GoToトラベル キャンペーン”を利用する国民すべてにPCR検査を義務化。PCR検査陰性者のみが、参加できる状況を創出。⇒参加する企業・交通機関・宿泊施設・国民すべてに【安心感】を醸成し、財布のひもをゆるめてもらう。
④ このような制度設計をすれば、PCR検査拡充の動機付けにもなり、“コロナ撲滅”という大目標にも合致し、その助けにもなる。
⑤ こうすれば、“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”という二律背反的命題の次元を止揚できる。(アウフヘーベンできる)つまり、らせん階段の一歩上に登る事ができる。
⑥ “コロナ撲滅”の手段としてのPCR検査と言う視点から、“経済活動活性化”のためのPCR検査という視点に転換する事により、検査拡充の動機付けが強化できる。
“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”のどちらに軸足を置けば、上記のような視点を獲得できるか。迷いなく“コロナ撲滅”と答えられる人間だけが、柔軟な発想を獲得できる。
単純な話だが、人間の命が最も大切だと心の底から考えている人間だけが、本当の意味での政策を立案・実践する事ができる。この事が政策の実現性の鍵になる。
発想の柔軟さと方向性を定めたらぶれない精神力と知性と感性と想像力を駆使した具体的な対策を実行してはじめてアウフヘーベン(止揚)という難しい課題をクリアーできる。
コロナ対策で成功したとされる台湾・韓国・ドイツ・中国(最初にコロナ渦に巻き込まれた国だが、抑え込みに成功)などを見れば、それぞれの国に卓越した対策の責任者が存在し、その責任者を信頼し全面的にその責任者を支える政治の指導者の存在がある。
韓国の責任者の女性など、記者会見するたびに、白髪が増えていた。記者たちが彼女の健康を気遣って“寝ているのか”と尋ねても、彼女は少し寝れば大丈夫。それよりなにより、コロナ撲滅が第一と答えていた。こういう彼女だからこそ、PCR検査でのドライブスルー方式とか世界の感染症対策をリードする様々な方策を生み出せたのである。
彼女のように本当に全身全霊を傾けてコロナ撲滅に立ち向かっている人間にだけ、“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”などという難題を解決できる荒業が可能。小手先の対策やまことしやかな言い訳などで、今回のような“国家の危機”を解決できるわけがない。
現在の日本政府の対応を見れば一目瞭然。あきれ果てて物も言えない、というのが実態。こういう危機の時、指導者を信用できない国民は不幸である。
こんな統治機構を見ていれば、悲惨な退却戦を戦わざるを得ない国民の姿が脳裏に蘇る。出来るなら、わたしの妄想に終われば良いのだが。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
※「日本軍の敗戦の歴史に学ぶ(組織の腐敗)(1)(2)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/17e35d5a74a2143962b18f742acbf28d
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/400550174635f8a12a12cda3b6cb1173
その中で、日本軍の敗戦の大きな要因に、失敗を失敗として認めない組織の腐敗があると指摘した。
同時に、山本七平氏の指摘を引用して、一般的には、上意下達の組織と思われている軍隊が、逆に上が下に依存する組織(上依存下)だと言う事も指摘した。これが、日本型組織の【無責任体質】の根源にあるとも指摘した。
≪帝国陸軍では、本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」にすぎないのかは、解らないからである。
そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった。・・・・・(中略)
一体この実力とは何であろうか。これは階級には関係なかった。上官が下級者に心理的に依存して決定権を委ねれば、たとえ彼が一少佐参謀であろうと、実質的に一個師団を動かし得た。
戦後、帝国陸軍とは「下剋上の世界」だったとよく言われるが、われわれ内部のものが見ていると、「下が上を剋する」のでなく「上が下に依存」する世界、すなわち「上依存下」の世界があったとしか思えない。このことは日本軍の「命令」なるものの実体がよく示している。多くの命令は抽象的な数カ条で、それだけでは何をしてよいか部下部隊にはわからない。ただその最後に「細部ハ参謀長ヲシテ指示セシム」と書いてあるから、この指示を聞いてはじめて実際問題への指示の内容がわかるのである≫(『一下級将校の見た帝国陸軍』P319)・・・・・・
実は、日本の官僚組織の大半は、今も、この【上依存下】の組織である、といって過言ではない。山本氏が指摘しているように、一体誰が実力者なのか、という嗅ぎ分けこそ、官僚組織で生き抜く要諦だと言って過言ではない。
例えば、加藤厚労大臣が、多くの人がPCR検査を受けられないのは、“保健所などや国民の誤解が原因だ”という発言をして、大半の国民の顰蹙をかった。何故、そんな馬鹿な発言をしたのか。上の山本氏の指摘でおおよそ理解できる。
加藤厚労大臣は財務省出身。財務省では偉かったかもわからないが厚労省ではそんなものは通用しない。“コロナ問題”については、厚労省内部に権力者が存在している。厚労省内部の連中はその権力者の存在を嗅ぎ分け、忖度している。
加藤大臣など飾りに過ぎない。実際の政策は大臣のあずかり知らないところで決まっている。加藤氏の発言は、そういう組織の現状をありありと国民に見せている、と考えるべきだろう。
現在のコロナ騒動を毎日の感染者数の増減に一喜一憂することなく、冷静に観察していると、日本と言う国家が、戦前の日本陸軍や官僚組織と全く変わっていないと言う事がよく見える。
特に、コロナ騒動解消の最大の切り札であるPCR検査のありようにこの問題が集約している。
🔷日本で、PCR検査がなぜ増えないのか。
この問題については、様々な見解があるようだが、「そもそも総研」で玉川キャスターが調査した説が、一番当たっているかもしれない。
※「PCR検査が増えない原因の一つとして、PCR検査をして擬陽性が出た場合、その人を隔離すると人権侵害に当たるからと一部技官の強力な意見が反映されているのではないか」
これは、ハンセン氏病の隔離政策が、国による人権侵害と判決が下ったトラウマが根っこにあると思われる。コメンテーターの岡田教授は、裁判にかけられるのを恐れているのだ、と語っていた。
問題は人権侵害に対する配慮ではなく、擬陽性と診断した人を隔離したら、国家賠償訴訟にかけられ、敗北するのが怖い、という事である。
そもそも総研、PCR検査が拡充しないのは人権侵害の恐れがあるから説
http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2020/07/post-29eb93.html
全ては、責任を取りたくない、と言う点に帰着する。
しかし、厚労省には、医療行政に対する大きな権力がある。感染症などに対する指揮監督権限も厚労省にある。特に感染症などの高度の専門性を必要とする問題については、医療系技監の権力は絶大。誰に権力の所在があるかを嗅ぎ分ける能力が官僚の性だとすれば、厚労省内でその事を知らない官僚はいないはずだ。
では厚労大臣はじめとする政治家たちはどうするのか。それこそ、【上依存下】にならざるを得ない。
専門家委員会はどうか。TVに出ているコメンテーター連中をよく見れば、大半は国立感染症研究所などを歴任した連中で、きわめて狭い分野のギルド組織である事が良く分かる。
原子力村を想起すれば、彼らが自分たちの村組織を外れて生きていくのはなかなか難しい。彼らが“村”組織の掟を破って発言するなどと考えない方が良い。
現在の政府や東京都、専門家連中のでたらめぶりは、太平洋戦争末期の東条内閣の無為無策ぶりと相似形。インパール作戦の牟田口中将や陸軍の幹部連中と同じで、失敗すると分かっていても、止めることができない。結果、死屍累々たる撤退戦を戦わざるを得なかった。
コロナ騒動も同じ。7/27付の朝日新聞デジタルの報じるところによれば、「政府が新型コロナウイルスの感染防止策として始めた布マスクの配布事業で、介護施設や保育所など向けの布マスクの発注と製造が続き、今後さらに約8千万枚を配る予定であることが厚生労働省などへの取材でわかった。全戸向けの配布は6月に終わり、すでに店頭でのマスク不足も解消されて久しい。配布はいつまで続くのだろうか。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/067dc44c7e681195be4815eaa1aedfd428dd397f
この頓珍漢ぶりは一体何なのか。一般庶民用のマスクは、今は十分供給できている。ただ医療用のN95というマスクは、今も逼迫しているようなので、政府がN95医療用マスクを充分に供給するのならそれなりに意味がある。それを誰も使わない布マスクを500億近い大金を投じて配布する意味がどこにあるのか。
安倍政権中枢連中は、この程度の判断すらできなくなっている。ガダルカナルにしろインパール作戦にしろ、失敗が明らかなのに、その作戦を中止する事が出来なかった。自らの間違いを認める事ができないので、失敗と分かっていても止めることができない。日本の統治機構の悪しき伝統だが、今も同じ轍を踏んでいる。現在のコロナ対策と“GoToトラベルキャンペーン”も同じだろう。
わたしは2月入院する前に、現在の安倍政権(右派政権)には緊急事態の“危機管理能力”はない、と書いた。
※危機管理の本質(コロナウイルス雑感)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/9f1b42b6f68ba438e81b2a8ea1ce8981
現在はこの認識は多くの人の共通するものになっている。こんな政府にコロナ対策などできるわけがない。米国やブラジル同様、多くの死者を出して終わる可能性が高い。しかも、国民は一体誰にこのコロナ撲滅の責任を問えば良いのか、良く分からない。この無責任体質も全く戦前と変わっていない。
責任者不在、まるで政権末期のでたらめぶり/政界地獄耳
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/444.html
🔷PCR検査の拡充だけが、弁証法的思考に耐えうる。
前の投稿で、正・反・合という弁証法的思考過程について説明した。問題は最後の【合】である。【合】の思考は、その前の正・反の思考とは次元が異なる。
コロナについて語れば、コロナ撲滅【正】と言う思考と経済を活性化する【反】という思考の次元で論争を重ねても正解は見つからない。この思考の次元を一段上げるための思考がアウフヘーベン(止揚)という考え方である。イメージ的に言うならば、らせん階段を想像してほしい。思考の水準をらせん階段のように深化させるのが止揚=アウフヘーベンという考え方である。
コロナ問題で考えると、PCR検査の徹底的な拡充は、コロナ撲滅という思考から考えれば、陽性者のあぶり出しを徹底的に行う事を意味する。陽性者が明確になれば、陽性者の隔離、濃厚接触者の追及、陽性者の治療という方向性が明確に見える。
次に付随的な目標(未症状者の宿泊施設、病院のベッドの確保、医者・看護師・医療資源の確保など)も明確に計算でき、その準備もできる。
経済の方から考えると、PCR検査の拡充は、陽性者のあぶり出しも意味するが、同時に、陰性者の確定も意味する。と言う事は、経済活動を担う人材は、「陰性者」が大半と言う状況を作り出すことができる。陰性者の確定は、経済活動を【安心】して行う状況を作り出すことができる。
景気は、文字通り【気=人々の精神的状況】に依拠する部分が非常に大きい。【安心】は【気】の最重要要素。PCR検査の拡充は、【安心】の最大の供給源になる。
◎つまり、PCR検査などの拡充こそが、コロナ撲滅と経済活動の維持という二律背反的命題を新たな次元に止揚(アウフヘーベン)できる唯一の手段である。
この発想で“GoToトラベルキャンペーン”を制度設計するなら、以下のようになる。
① “GoToトラベルキャンペーン”を経済活動の活性化という視点で考えるから、発想が柔軟性を欠く。コロナ撲滅活動のための“GoToトラベルキャンペーン”という視点で制度設計をする。
② ①の発想で考えれば、このキャンペーンに参加する企業・交通機関・宿泊施設などの従業員全員にPCR検査を義務化。⇒参加した従業員には、PCR検査陰性の証明書を出す。⇒参加する国民の安心感を醸成。PCR検査の拡充が容易にできる。
③ “GoToトラベル キャンペーン”を利用する国民すべてにPCR検査を義務化。PCR検査陰性者のみが、参加できる状況を創出。⇒参加する企業・交通機関・宿泊施設・国民すべてに【安心感】を醸成し、財布のひもをゆるめてもらう。
④ このような制度設計をすれば、PCR検査拡充の動機付けにもなり、“コロナ撲滅”という大目標にも合致し、その助けにもなる。
⑤ こうすれば、“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”という二律背反的命題の次元を止揚できる。(アウフヘーベンできる)つまり、らせん階段の一歩上に登る事ができる。
⑥ “コロナ撲滅”の手段としてのPCR検査と言う視点から、“経済活動活性化”のためのPCR検査という視点に転換する事により、検査拡充の動機付けが強化できる。
“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”のどちらに軸足を置けば、上記のような視点を獲得できるか。迷いなく“コロナ撲滅”と答えられる人間だけが、柔軟な発想を獲得できる。
単純な話だが、人間の命が最も大切だと心の底から考えている人間だけが、本当の意味での政策を立案・実践する事ができる。この事が政策の実現性の鍵になる。
発想の柔軟さと方向性を定めたらぶれない精神力と知性と感性と想像力を駆使した具体的な対策を実行してはじめてアウフヘーベン(止揚)という難しい課題をクリアーできる。
コロナ対策で成功したとされる台湾・韓国・ドイツ・中国(最初にコロナ渦に巻き込まれた国だが、抑え込みに成功)などを見れば、それぞれの国に卓越した対策の責任者が存在し、その責任者を信頼し全面的にその責任者を支える政治の指導者の存在がある。
韓国の責任者の女性など、記者会見するたびに、白髪が増えていた。記者たちが彼女の健康を気遣って“寝ているのか”と尋ねても、彼女は少し寝れば大丈夫。それよりなにより、コロナ撲滅が第一と答えていた。こういう彼女だからこそ、PCR検査でのドライブスルー方式とか世界の感染症対策をリードする様々な方策を生み出せたのである。
彼女のように本当に全身全霊を傾けてコロナ撲滅に立ち向かっている人間にだけ、“コロナ撲滅”と“経済活動の活性化”などという難題を解決できる荒業が可能。小手先の対策やまことしやかな言い訳などで、今回のような“国家の危機”を解決できるわけがない。
現在の日本政府の対応を見れば一目瞭然。あきれ果てて物も言えない、というのが実態。こういう危機の時、指導者を信用できない国民は不幸である。
こんな統治機構を見ていれば、悲惨な退却戦を戦わざるを得ない国民の姿が脳裏に蘇る。出来るなら、わたしの妄想に終われば良いのだが。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
