老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「パンケーキを毒見する」

2021-06-26 11:57:00 | 菅政権
映画のお知らせです。

「新聞記者」などの映画を作ったプロダクションが制作したドキュメンタリー映画です。
「パンケーキを毒見する」

7月30日公開で、敢えて東京オリンピック開催中にぶつけたそうですし、菅総理の人物に迫る内容で、前川喜平、石破茂、その他多彩なキャスト(?)が出演します。

早速この映画制作側のツイッターが一時凍結されたそうです。

私は右翼の街宣等で上映中止になる前に見に行こうかと思っています。

https://www.pancake-movie.com/

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
パンドラ
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スルースキルだけでは現状を打破できない

2021-05-17 10:15:57 | 菅政権
目の前に手ごわい敵が現れたとき、その敵をいないことにしてしまう、ないものと思いたくなるのは、生き物として当然のことである。そして、物理的に距離を置くことによって敵が自然消滅することも起こりうる。文字通り水に流して最初からなかったことにできる場合もあるだろう。

しかし、今、人類が立ち向かわないといけない敵はそう簡単に手を緩めてくれない。そうなると、いつまでもスルーを続けていても戦況は変わらないどころか悪化の一途をたどるばかりだ。

まさにスルーを続けた結果、危機的状況を迎えているのが現在の日本である。市民の行動変容に一任していれば公的な感染症対策はそれほど行わなくても流行は下火になるだろう、という見通しでこの一年を過ごしていたために、一年前よりも感染がより広範囲かつ速いスピードで拡大している。

国内にウィルスを流入させないための検疫や入国制限は最低限しか行わず、感染しても自覚症状がない人が半数近くを占める事実が判明しているにもかかわらず、感染者を特定するための検査を抑制してきた。

私たちの代表者たちは、病原体に対してだけではなく、自らの心身と生活を脅かされている市井にたいしても同様にスルーの姿勢を貫いている。今日に至るまでオリパラは必ず開催するというばかりで、具体的にどのような感染症対策を施すのか、感染者が出た際の対応などには具体的には答えず、記者に聞かれても毎回のようにスルーしている。国内での感染再拡大をスルーして、アメリカに行った際にも五輪に関する質問をスルーしてかわす姿勢は崩さなかった。

東アジアとオセアニア地域内では最悪レベルの流行であることも、医療崩壊がすでに起きてしまったことも無視し、検疫などの水際作戦も検査も強化せず、予防接種で集団免疫を獲得することも喫緊に必要であるとは考えてこなかったのだろう。他国は大量に検査を行い、無症状感染者をあぶり出して保護し、さらにはワクチン接種を急速に進めて感染症を下火にしているなかで、日本は現在も出口が見いだせないでいる。

政府が生活者たちをスルーしてきた結果として、現在では自国民から逆にスルーされるようになってしまったのではないか。五輪については日常生活ではもはや話題になることもなく、大規模な世論調査やアンケートにおいても今夏に開催すべきではないという意見が多数を占めるようになった。国外向けに「国民が望んでいるから五輪を開催したい」という主張はできず、それは明らかな誤りということになってしまう。

そして、その国外でも今夏の五輪開催は中止するという報道や、取りやめるべきという主旨の論説が、今年の年明け以降に相次いでいる。なにより日本国内同様に東京五輪については話題にもならないというのが現実だろう。報道だけではなく、すでに個人単位で出場を辞退する代表内定者や日本国内での事前合宿を取りやめるチームが相次いでいる。国外からも日本政府の姿勢はスルーされているのではないか。

仮に夏になるまで無視し続けていても、その後長きにわたって国際社会から信頼されなくなるだけだ。そして何より国民から支持されなくなるだろう。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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全ての道は五輪に通じる

2021-03-15 11:31:00 | 菅政権
(1)緊急事態宣言延長

やはりと言うか、当然と言うか。緊急事態宣言の解除が先送りになった。

まあ、東京都や神奈川、埼玉、千葉などの感染者数が減少するのは当然。理由は明白。PCR検査の母数を少なくするような姑息な制度変更を厚生省が行ったからだ。

保健所の逼迫を理由にして、濃厚接触者を追わないのだから、当然、PCR検査の母数は減少する。(民間の行うPCR検査は数値に入れない。)母数が減れば、感染者数は減少する。だから、全国的に感染者数は減った。
★こういう騙しの手口は日本の公的機関の得意技

※東京都の小池知事の強かさは、このまま緊急事態が解除されたら菅首相の思うつぼ。だから、東京都は濃厚接触者に対してPCR検査を復活させた。(緊急事態宣言が解除できない程度に感染者の数が下げ止まった。)結果、緊急事態宣言を、小池知事の思惑通り延長に持ち込んだ。

政府は、2週間の緊急事態宣言延長の期間に、3万の高齢者施設などのPCR検査を実施するなどと、如何にも新たな対策を講じるように語るが、徹底的なPCR検査の実施こそ感染防止の鍵などという議論は、昨年3月の第一波から指摘されていた。一体全体、この一年政府は、何の対策をやってきたのか。

日本の指導層は第二次大戦の壊滅的敗北の教訓を何も学んでいない。日本と言う国家は、一度決定したものは、失敗だと分かっていても決して止める事ができない。

インパール作戦で紹介したように、戦前の軍部を中心とした指導部は、どうしても勝てないと分かっている戦争を止める事が出来なかった。上司に対する忖度、仲間に対する配慮、失敗者の烙印を押される恐怖などなど、問題に正面から立ち向かい科学的・合理的・論理的判断を妨げる要因を排除できなかった。結果、下士官・兵などの膨大な犠牲を出す結果を招いた。

(2)コロナ対応の失敗

🔶対策の単純化(危機管理の要諦)

コロナの対応も同じ。感染症に対する科学的・合理的思考をするならば、
まず、①患者を見つける⇒検査の拡充以外ない 
②見つけた患者を【隔離】 
③隔離した患者を治療⇒治癒⇒社会に戻す
※絶対避けなければならない事⇒無症状の患者を野放しにして、感染拡大の要因を作り出す事。

この三点を如何にして実行し、最大の効果が上がるような政策を①立案②実践③検証するかが、政治の役割。これを何の忖度もなしに行わなければ、国民に対する責任は果たせない。

コロナのような国家的、社会的危機に対する対処の要諦は、何が無駄かを見分ける事にある。政策決定プロセスの可視化と単純化。政策実践主体の明確化。責任者の明確化。これこそが危機管理の要諦である。

🔶日本の政治と官僚制度の実態(余分な事の集積体)

しかし、現実の政府は、全く逆の事を行っている。

人間は余分な事を考え出す動物。日本の官僚制度は、ありとあらゆる【余分な事】を集積した制度の上に成り立っている。

政治家の顔を立て、経済界の要請に応え、労働界の要請にもいくばくかの配慮をし、【弱者切り捨て】の大方針は堅持しながら、「弱者」を配慮したふりができる福祉政策を立案している。それでいて、最後は自分たち(官僚たち)が得をする(損しない)ように配慮しなければならない。

このように、普通の時の国家運営は、「ありとあらゆる所に配慮した余分な事」が、嫌というほど詰め込まれている。

こういう組織や中に生きる人間たちは、思考の中心に【科学的・合理的・論理的】真実を置くことは不可能に近い。「科学的・合理的」真実を追求するために払わなければならない途方もない努力を考えると、努力する前に気力が萎えてしまう。これが実態に近いと思う。

しかし、国民や野党、メディアなどの批判の矛先が自分たちに向くことも避けたい。となると、とりあえず【科学的・合理的】真実を追求しているように見える形を取る。追及されても、自分たちはきちんと「実践」していると答える事が出来るように制度設計をする。しかし、その実態は骨抜きに近い。

これが戦後一貫して行われてきた日本の政治だと言って過言ではない。(「・・・等」と付け加えられている法律の条文などがその典型。)

政治家や官僚の答弁が何を言っているか即座に理解できないのは、上記に描いたような【余分な事】に配慮した含みの多い答弁をするため。この役割を担うのが東大法学部などを卒業した日本の頭脳と呼ばれる官僚集団。こういう答弁が、【東大文学】と呼ばれるのも無理はない。

(3)菅政権の腐敗堕落 

🔶【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出

公安関係を手駒にした菅政権の怖しさについては、以前にも書いた。

スキャンダルを極度に恐れる政治家や官僚たちが、菅政権に怯え、怖れ、イエスマンに堕するのも無理はない。菅義偉の統治の基本は、心の底が冷え込むような【恐怖】を土台にした支配であることは間違いない。

菅首相の【天領】と呼ばれた総務省の支配もこのようにして行われた。総務省の大半の官僚は、亀の子のように首をすくめ、怒りの矛先が自分に向かわないよう必死で勤務したに違いない。

しかし、こういうタイプの上司の下には、必ず上司の権力を笠に着て、権力を振るう人間が出てくる。理由は明白。全ての事を権力者一人が行う事は出来ない。必ず誰かに任せなければできない。その任された連中が権力を振るうのである。

絶対権力者のお気に入りと言う事は、絶対権力者の【権力】執行の代行をする事を意味する。通常、権力を執行すると言う事は、それに対する反発、目に見えない批判、不信などもろもろのマイナスを引き受ける事を意味する。

通常の権力執行でもかなりの跳ね返りがある。まして、誰もが理不尽と感じる権力執行の場合、その跳ね返りは深刻。その時だけの一過性の反発にとどまらない。時には、権力執行者の人間性否定まで考えなければならない。だから、通常、官僚は権力執行には、かなり慎重である。

官僚の権力執行はこのようにかなり慎重に行われる。しかし、菅絶対権力者支配下の総務省はそうではなかったのではないか。

通常の人事序列を無視した形で人事が行われれば、官僚たちはその人事執行の根源(誰が決めているか、誰がなぜその権力者に気に入られたか)を必死で探り、その人事に潜り込もうとする。その人事のポイントに権力者に対する絶対服従があるならば、当然、官僚たちはそれになびく。

このメカニズムから、「ひらめ」(目が上に付く)官僚が大量に生み出される。今回問題になった山田女史も次期事務次官確実と言われた谷脇氏、その他の総務官僚もそうだったに違いない。

しかし、こんな組織の中で出世した彼らに対する反発は大きかったに違いない。いわく「茶坊主・ごますり・色仕掛け」等々。

このように湿った形で示される反発は、出世した人間にとっては、あまり気持ちの良いものではない。この気持ち悪さが、彼らをさらに権力者に摺り寄せる動機になる。一言で言えば、【開き直り】。

彼らの権力行使は、絶対権力者の権力行使よりはるかに理不尽で強権的になる場合が多い。多くの場合、絶対権力者の意図をはるかに超えて行使される場合が多い。彼らの「権力行使」は、露骨になり、理不尽になる可能性が高い。

だから、今回の総務省接待問題は起きた、と言って良い。

虎の威を借りる事に慣れた官僚たちは、菅首相の息子の誘いなど断れるはずがない。同時に、自らの権力を誇示する事も忘れない。放送行政という【公】の職分と自らの出世(権力獲得)とが心の中で不可分に結びついたのが、今回の接待問題。

多くの「独裁国家」で同じことが行われ、人々の怨嗟の的になった事は、歴史が証明している。こういう組織は必ず腐敗する。

「科学的・合理的・論理的」に追及された【真実】が捻じ曲げられる現実を目の当たりにした人間はどうするか。真正面から批判し、警鐘を鳴らす人間は、大方の場合、人事で左遷され、排除される。人間は弱いもので、こういう現実を見たら誰もが委縮し、自分の意見は封印し、上司のイエスマンにならざるを得ない。何より、自分が生き延びる事を優先する。【大人の知恵】がはびこる組織にならざるを得ない。

人間の道徳観や倫理観、自らの自尊心すら、捨て去らなければ生きていけない組織になる。要するに、【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出である。

(4)菅政権危機脱出術

🔶とかげの尻尾切り

菅首相が総務大臣、官房長官時代からの子飼いの総務官僚である山田氏と谷脇氏などを切り捨て、この危機を乗り切ろう、というのが官邸の作戦。

ところが、接待漬けは政治家に飛び火した。通信事業の許認可に直接関わる総務大臣、副大臣、政務官、およびその経験者に狙いを定めたNTTの接待攻勢の話が文春で報道された。

さらに、現在の武田総務大臣や菅首相本人にまでこの接待攻勢疑惑は拡大している。その数、過去7年間で実に計15人、延べ41件。その接待場所が、東京・麻布の迎賓館KNOX。NTTの政府・政界工作の秘密の会員制施設。ここで歴代総務大臣から旧郵政官僚(現総務省官僚)たちがねんごろな接待を受けていた。言うまでもないが、NTTは旧電電公社。政府が30%以上の株を有する会社である。

当事者たちは、「接待ではなく、プライベートな会合という認識」(野田聖子元総務相)だとか、「完全割り勘を事前に伝えた」(高市早苗前総務相)などと、信じがたい弁明を繰り返している。

NTTの接待出席者を見ても、親会社の社長をはじめとする企業の幹部。菅首相の息子の勤務先は大会社ともいえない東北新社の子会社、本人はそこの一介の部長。この肩書で、総務省の官僚トップなどを接待できるわけがない。出席理由は明白。菅首相の息子だからだ。

自分の息子のみならず自分の子飼いの官僚たちの総汚染。「自分と息子は別人格」などという言い訳が通るはずがない。通常の神経の持ち主ならば、恥ずかしくて、そんな事が言えるはずがない。

しかし、菅首相には大丈夫という確信があるのだろう。それは、安倍首相が、桜問題などを始めとする一連のスキャンダルを、嘘八百を言い散らかして何とか乗り切ったのを見ているからだ。

この成功体験が、菅首相の精神状態を何とか保っているのだろうと思う。だから、下品な言い方をすれば、「面の皮が厚い」とか「カエルの面に小便」がぴったりくるような対処を繰り返している。

🔶五輪強行で国民の関心をそらす

さらに彼にはもう一つの秘策がある。東京オリンピック、パラリンピックの強行だ。

何が何でもオリンピックを開催し、日本選手の活躍でTVメディアを席捲。コロナも不祥事もメディアから消え去れば、その後の選挙で何とか酷い敗北だけは免れる。そうすれば、もう一期、首相が務められる。

そうなると、強権を発動して、気に入らないメディアは一掃。気に入らない党内勢力は干し上げる。菅首相の気質に合う「独裁的権力」を振るう事ができる、と考えているに違いない。

緊急事態宣言延長、解除、スキャンダルのもみ消し。彼の打つ政策自体が全て「東京オリンピック、パラリンピック」開催への布石だと考えて間違いない。

究極の「オリンピック」の政治利用である。

「護憲+コラム」より
流水
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暗いファッシズム政権の行方 (2)

2020-11-20 15:50:56 | 菅政権

2、所信表明演説の背後に隠されている黒い狙い(新自由主義的排除型社会の構築)

🔶日本を滅亡させる不健全な株価操作

先日朝日新聞の調査報道で株式市場の恐るべき実態が明らかになった。
※公的マネーが大株主 8割 東証1部 4年で倍増、1830社に GPIF・日銀 
http://www.asyura2.com/20/hasan134/msg/758.html

以前にも指摘したが、7年半にわたる安倍政権の経済政策(アベノミクス)の検証とアベノミクスの大転換なくして、日本経済の復興はない。

同志社大学の浜教授などが「アホノミクス」と酷評した経済政策によって現在の日本の株価がどうなっているかをこの記事は明らかにしている。それによれば、東証一部上場の大手企業株の8割を公的マネーが所有しているそうだ。
※公的マネー⇒国民年金基金と日銀のETF

11月8日、ジョー・バイデンが米大統領に当確したというニュースが流れるや、日本の株式がバブル以来の高値を付けたそうだ。

コロナ下の経済状況を考えれば、株価がバブル以来の高値を付ける条件はない。しかし、株価だけはこの不況下でも上がり続けている。米国も同様。もはや、株式市場がその国の経済状況を判断する指標ではない、という実態がこれ一事でも良く分かる。株式市場は実体経済とは無縁のマネーゲームの戦場であり、現在の株高は如何に株式が操作されているかを如実に示している。

アベノミクスとは、要するにこの株高操作につきる。国民の財産である年金と中央銀行の日銀が、財閥中心の大手企業の株を買い占め、異様な株高を演出している。完全な経済的手品と言って良い。

さらに罪深いのは、この実体経済と無縁の株高操作は、金持ち優遇策の最たるものだ、と言う事である。

企業株式の8割を年金基金と日銀のETFで買い支え、企業業績とかけ離れた株式相場を維持するということは、日本経済の上げ底化であり、国民に日本経済の本当の姿を隠すことになる。

さらにいえば、日本の企業株式を所有している株主(金持ち)は、濡れ手に粟で自らの資産を増やすことができる。

それだけではない。株高になると各企業は役員に特別手当を払う所が多いそうだ。企業経営者の経営努力によって企業業績を上げ、株高になる。そういう経営者に特別手当を払うのなら、納得がいく。

しかし、アベノミクス下の株高はそうではない。株高の要因は、日銀のETFや年金からの投資。それでいて、役員の懐に数億円が黙って転がり込む。文字通り濡れ手に粟。当然、そのおこぼれは大株主にも配当されるという仕組み。

企業実績なしの空中楼閣の株高とその株高に胡坐をかいた企業経営者たちの太った豚どもが、日本沈没に歯止めをかけられるわけがない。その空中楼閣を国民の年金と日銀資金で支えるのだから、損する危険なしの博打を打っているようなもの。人間こんな方法でお金が稼げれば、血を吐く思いで企業革新に取り組もうなどという【エネルギー】は生まれなくなる。

カルロス・ゴーンの強欲ぶりを非難する連中は多いが、それでもカルロス・ゴーンは日産を立て直した実績がある。濡れ手に粟で、億万長者になっている日本経営者の悪党どもとどちらが非難されるべきか。誰にでも分かる理屈である。

🔶露骨なメディア支配

安倍前首相退陣前後からTVの変わりようが激しい。

(1) TV局の編成が大幅に変わった。⇒最大の変更点は、コロナ報道が激減。コロナ問題を主導的にリードした感染症学者、医者などがほとんど姿を消した。(代表者が岡田教授 ※最近、コロナ第三波の拡大により、出演しはじめた)

(2) コメンテーターの顔ぶれに変化⇒多くの局に、橋下徹が出演。彼の異常な出方を見れば、背後にかなり力のある何かが蠢いていると想像できる。(※大阪都構想の背後に、電通とパソナに代表される大企業の目論みがある。維新はその代弁者だと考えてよい)

(3) 内閣支持率などの上げ底が露骨。菅内閣の支持率など酷すぎる。ある人が指摘していたが、ネット上の菅内閣の支持率は0.6%だそうだ。標本数5,000。まあ、ネットでの支持率もある種のバイアスがかかっている場合も多いので、そのまま鵜呑みにはできないが、TVや新聞の支持率60%超えなどは信じられる数字ではない。
⇒ここから言えることは、大衆操作が大っぴらに行われ始めた、と言う事である。いままでなら、多少遠慮気味に行われていた大衆操作(プロパガンダ)が白昼公然と行われ始めたと言う事である。

(4) TV局のプロパガンダ(スピン報道)⇒現在のTV報道を見れば一目瞭然。米国大統領選一色。誰も投票権もないのに朝から晩までよく飽きないものだ。属国が宗主国の大統領選に一喜一憂しているようなものである。

もう一つは、芸能人やスポーツ選手の不祥事を延々と報道する。芸能人が交通事故を起こし、逃げたからといって、執拗に報道する価値があるのか。要するに、大衆の目を他の出来事に引き付けるのが目的。

日本国内の出来事の方がはるかに国民にとって重要。それを何一つ報道しないようにするのがTV局の仕事。典型的【愚民化】報道である。

このように、大手メディアが電通と日本会議などの支配(バックに米支配の影)を隠さなくなりはじめているのが現在の状況。(橋下徹の露出の多さが象徴)

このメディアの後押しを受けて、70%超の上げ底支持率で順風満帆の船出をしたかに見えた菅内閣だが、好事魔多し。日本学術会議の任命拒否問題で「衣の下の鎧」を見せた。この問題で、あっという間に、菅義偉と言う人物の底が割れてしまった。「パンケーキ好きの気の良いおじさん」から「逆らったら何をされるか分からない」という底知れない恐怖を伴った不気味な権力者の顔へと変貌した。

下の記事を読めば、辺見庸が語る「特高顔の恐怖」の意味が分かる。
※菅首相に抵抗し飛ばされた元総務官僚・平嶋彰英がジブリの雑誌で青木理に語った恐怖支配の実態!「あそこまでひどい人はいない」
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_11345/

さらに、初めて国会答弁に臨んだ菅首相は、文字通り「スカスカ」の中身を露呈した。一問一答の論理的に詰めた議論には耐えられない、というお粗末さ。わたしもTVを見ていたが、「支離滅裂」の一言。これが日本の総理だと思うと恥ずかしく情けない。

では彼の目指している社会は何か。というより、彼を担いでいる黒幕たちの狙いは何か。

かって、自民党の派閥闘争が盛んだった時代、「担ぐ神輿は軽くて、パーが良い」というのがあった。要するに、担ぐ人間(黒幕)たちの狙いを唯々諾々と聞いてくれる人間ほど良い。生半可に自分を持っていて、正義感を振り回したり、依怙地なほど自分の信念に忠実な人間は、担ぐのに面倒だ、という意味。

その意味では、菅首相は、かなりやりやすいのではないか。理由は明快。自前の派閥は持っていない。自らの哲学に基づいた強い理想や信念はない。論理的整合性にこだわらない。(※別の言葉で言うと、実務型。さらに言えば、空気を読むことに長けている。⇒こういう人間ほど権力に固執する。権力行使に酔いしれる傾向がある)

これがTV報道の変化の大きな理由だと考える。メディアを使い、虚像を振りまき、スピン報道を多用して、国内政治の問題点を覆い隠す。権力を振るい、他者を支配するのが大好きな首相の感性を満足させるため、これから以降も次々と強権的ファッショ的政策を打ち出すに違いない。菅首相を支える黒幕たちの野望は広がるばかりだろう。(※竹中平蔵ののさばり方を見れば、この先の日本の運命が見える)

🔶新自由主義的排除型社会

辺見康が指摘するように、彼や彼らの目指している社会の形は、英国の社会学者ジャック・ヤング氏がいう【排除型社会】に近いと思われる。(毎日新聞)

【排除型社会】の対極に位置するのが、【包摂社会】。

20世紀後半、先進各国で起きた社会的変容は、農村共同体的社会の絆が急速にほどけた時代である。日本で言うならば、日本各地に工業地域が生まれ、農村から都市への急速な人口移動が起きた。この社会の変化は、当然ながら個人主義と社会的平等意識の高まりを生み出した。その背景にあるのが、市場経済の浸透であり、それに伴う社会生活の変容と国民意識の変化だった。

それに伴い、過去の安定的で同質な【包摂型社会】も変化せざるを得なくなった。日本で言うならば、農村共同体的生活や意識が崩壊し、地縁・血縁社会から、社縁社会へと変貌を遂げ始めた。それと同時に個人主義的発想が高まり、社会的平等意識も大きくなった。

しかし、市場の力が大きくなるにつれ、社会の内部にすこしずつ【差異】が目立ち始めた。政治や公共生活、職場、教室、家族などにじょじょにゆっくりそれでいて確実に浸透し始めた。

過去の安定的で同質な社会(包摂社会)⇒変動と分断を推し進める(排除型社会)へとの変質が始まったのである。

▼【排除進行の三局面】
(1) 労働市場からの経済的排除
(2) 市民社会で進行している【社会的排除】
(3) 刑事司法制度と個人プライバシー保護の両極で広がっている【排除的活動】

ここでは詳細に論じる事はできないが、20世紀後半から始まった【構造変動】はいまだに続いており、世界各国でその功罪が問題になり始めている。

日本でも顕著になったが、正規雇用の労働市場も、非正規雇用の労働市場も根底から変容した。女性の雇用形態も劇的に変化。経済構造に根ざす失業者が大量に生みだされた。コロナ下の現在、その変化がより顕著に目立ち始めている。農村型コミュニティーは崩壊し、多様な文化を包含するコミュニティーが生まれた。

個人主義が社会の隅々まで浸透し、社会のあらゆる領域で制度化され始めた。社会に残存している【包摂型社会】の歴史的制度が、個人主義を背景にした制度へと変更され始めた。

一例を挙げれば、保育所に集まる子供の声がうるさいといって保育所建設に反対する住民がいる。児童相談所を建設すると、周辺の地価が下がると猛反対する連中もいる。子供の泣き声がうるさいと怒鳴り散らす大人もいる。子供は社会の宝と考え、子供の施設は多少迷惑でも受け入れるという考え方が主流だった【包摂型社会】では、考えられない人々の出現である。

このような形での構造的な社会的・文化的変容が深く進行し、その変容が、反社会的行為や犯罪行為に深く結びついているのが現代社会。その為、現代社会は、現に存在している行動規範や基準を巡る論争を余儀なくされる。(
隣人トラブル、ゴミ屋敷など)

▼ 存在論的不安の時代
その意味で、現代社会を【生きる】と言う事は、加速度的に【困難】さが増している。わたしたちの生活は、かってのように「こうしておけば大丈夫」という生活上の安心感は消え失せている。

終身雇用が普通であった時代に比べて、仕事や人間関係が希薄になり、日常生活を営むこと自体が【恐怖】と【不安】に晒されている。(オレオレ詐欺や詐欺的商法の横行。中には家に押し込んでの強盗・尊属殺人の増加)

しかも、非正規雇用の常態化。年金の目減り。介護の不安などなど。物質的・金銭的不安と同時に、生きていること自体が【不安】であるという【存在論的不安】の時代に住んでいる。

🔶現代社会の差異の拡大⇒排除型社会の拡大

しかも、わたしたちの社会が抱え込んでいる【差異】は年々広がるばかり。規則の変容は年中行事。自分の属している集団の規則も複雑になるばかり。(例;電話料金や電気料金など。)だから、これらの規則の意味を論じているTVメディアへの依存度は高まるばかり。メディアで論じられる規範(浮気の功罪など)など、過去どの時代もこれほど細密に論じられた事はない。

現在の社会は、過去のどの時代よりも、【世間様にお詫びをする】という日本独自の風習が幅を利かせている時代。TVワイドショウーの報道の餌食になった政治家・経営者・スポーツ選手・芸能人などの「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げる姿こそ、日本社会の後進性の証明だという認識すらない。日本には、個人の自立を前提にし近代の『社会』という概念がないと言っても良い。

この姿こそ、いわゆる【排除型社会】の一つの典型。本来、芸能人の浮気など誰の迷惑でもない。芸能人の家族と浮気相手の間で解決すればよい。文字通り、個人の問題。しかし、現在は浮気がばれると、芸能の仕事から排除される。CMに出ていたら、イメージを毀損したとして損害賠償を請求される。

昔、「嵐 寛寿郎」という役者がいた。東映時代劇のスターで、「鞍馬天狗」が最大の当たり役だった。彼は他の大御所(片岡千恵蔵、市川歌右衛門など)が悠々自適の老後を送っているのに、最後まで映画に出続けた。理由は単純明快。女性関係が派手だった寛寿郎は、別れた女性(かなりの数)に、別れる度に、全財産を与え、身一つで家を出ていた。それが嵐寛寿郎の美学。彼は女性と別れた後は、無一文。だから、稼がねばならなかった。

わたしがその理由を知ったのは、彼の死後、嵐寛寿郎の評伝を読んだ時だった。撮影所では知らない人がいないくらい有名な話。それでも報道されなかった。

わたしから言わせれば、それで十分。彼の女性遍歴が何であれ、彼の映画人としての評価に何の影響もない。嵐寛寿郎が生きていた時代に比べれば、現代の役者たちはなんと不自由な時代に生きているのかと思う。【排除型社会】の生きにくさが良く分かる。

先日、坂上忍の番組で、西田敏行が委員長をしている日本俳優組合のアンケート調査が紹介されていた。その中で、仕事で悩み自殺を考えた俳優が3割強もいるそうだ。そう言えば、今年に入って、三浦春馬など数人の俳優の自殺が報道されていた。

何度か以前に指摘したが、最近のTV報道は、政治などで政府が批判される問題が浮上するたびに、俳優・スポーツ選手などの有名人のスキャンダル報道を執拗に行い、政治面などの重要な問題をスルーさせる(忘れさせる)いわゆるスピン報道が増えている。その為、彼らのほんの些細な問題を必要以上に執拗に追及し、無理やり謝罪に追い込む傾向がある。これが些細な【差異】を必要以上に大きく浮上させ、社会的【排除】を正当化させている。

自殺した俳優たちの理由は良く分からないが、いつ『社会的排除』の憂き目に遭うかもわからないという場で生きることの【困難】さは、想像を絶する精神的負荷がかかっているのだろう。

🔶排除型社会への対処が「排除」をさらに進行させる

【差異】の拡大と生きる事の【困難】さの増幅は、明らかに都市型社会の特徴であろう。

◎微温的生き方
このような社会を生き抜くためには、わたしたちは、きわめて用心深く、計算高く、世故長けて生きなければならない。できるだけ【困難】な問題は回避し、異質な人々との距離を取るのは常識。他者との関係は、自らの安全を脅かされない限りで行う。この種の用心こそ現代社会を生き抜くための常識と言って良い。

◎しかし、こういう社会では、上記のような微温的生き方(忖度こそ最大の美徳)に満足できない人の存在も無視できなくなる。どうしても、自らの正義(自分自身が道徳的に正しいと確信している)を主張しなければ我慢できない人も出てくる。それは以下のような形で進行する。

道徳主義的主張の過激化⇒他者の否定⇒排除型社会の拡大
物質的に不安定・存在論的不安⇒自分の感情を他者に投影(苛立ちをぶつける)⇒
▼正統化のため、過剰に道徳主義的になる。⇒非難の応酬 (自粛警察的行為)
  ↓
生活保護受給者・シングルマザー・高齢者・ホームレス・アンダークラス・黒人・麻薬常習者など弱い立場にある人々が、非難を浴びせられ、悪魔のように忌み嫌われるようになる。(日本もアメリカも同じ)
コロナ下のエッセンシャル・ワーカー(看護師など)への差別。

わたしの県では、罹患したある女性の家族は、地域から転出(周囲の陰口、陰湿な差別)。罹患した女性は自殺(職場でのいじめと言われている)のような悲劇が生まれている。おそらく、他府県でもあるだろう。第一波の時、東京で見られたような自粛警察の暴走。(戦前の隣組を彷彿とさせる)

ここで見られるのは、些細な【差異】を修復不可能な【差異】として排除する思想。これが社会的に定着すると、典型的な【差別社会】になる。オーウェルの「1984」の世界までの距離はほんのひと飛びである。

🔶菅内閣と黒幕たちの目指す社会

菅内閣の目指す社会は、この【排除型社会】のさらなる拡大に他ならない。

以前、わたしは、新自由主義型社会の実験場としての中南米特にチリやベネズエラ・アルゼンチンの経済政策について書いた。そして、それが如何に米国の武力と一体化した米資本主義の暴力的進出と結びついているかを論じた。
※ベネズエラで進行している米国によるあからさまな政府転覆計画

この新自由主義型資本主義の遅れた実験場と化している日本だが、この首謀者(理論的黒幕)が竹中平蔵。小泉内閣の時、竹中平蔵の下で竹中の政策の実現に汗を流したのが、菅義偉首相。竹中平蔵は菅義偉首相の経済のブレーン。菅内閣でも竹中平蔵は経済ブレーンとして重用されている。

と言う事は、これまでの【新自由主義的】社会のさらなる進展が、菅内閣の目標だろう。

この事は、日本が米資本主義と米国産軍複合体の草刈り場になると言う事を意味する。菅首相や竹中平蔵、橋下徹などが口を開けば、【改革】【改革】と叫んでいるが、これは、米資本が稼ぎやすいように日本の法制度を改革すると言う事を意味している。一言で言えば、【日本売り】政策のオンパレード。今国会で言えば、【種苗法改正法案】などが最たるもの。彼らの言う【改革】とは、日本国民から言えば、【改悪】そのものである。

早速、竹中平蔵は、「ベーシックインカム】の導入を叫んでいる。1人、1ヶ月7万の収入を保証するが、生活保護制度も国民年金も健康保険も廃止。7万円で全てまかなえ、という話である。

東京での生活を考えれば、どうやって生きて行けと言う話。家賃、電気代、水道代、食費、交通費、だけでも、生きてはいけないだろう。それに加えて、病院代は自前。救急車を呼べば、7万円自前で払わされる米国型医療システムの導入を考えているのだろう。

おまけに、東京都知事は国の任命制にするそうだ。全てを国の統治下に置こうというのだろう。地方分権など全否定するつもりなのだろう。明治時代に逆戻りするつもりなのか。要するに、民主主義の選挙などは認めない。戦前型ファッショ社会の再来を望んでいるのだろう。

まあ、パソナのように、非正規労働者の生き血を吸って肥え太っている会社の会長らしく、血も涙もない経済理論。この国で暮らしていかねばならない物言わぬ庶民の事など眼中にない。

ここではっきり見えるのは、1%の支配層と99%の被支配層の明確な分断と政府に抵抗する連中の【排除】だろう。

だから、理性と知性のある学術会議(学者など)が、邪魔で仕方がない。まともな経済政策など何一つ打ち出せないボンクラ経済学者(御用学者)のバカげた政策に乗って、歴史的使命をとっくに終えた周回遅れの「新自由主義」的経済政策をさらに推し進めるつもりだろう。

このままでは、日本は、【排除型社会】のさらなる進展になり、米国型分断社会が到来するに違いない。

もう一度書いておく。【米国の10年後は日本】。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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暗いファッシズム政権の行方(1)

2020-11-02 15:29:07 | 菅政権
作家辺見庸が毎日新聞で面白いことを言っていた。
※首相の「特高顔」が怖い(辺見庸 毎日新聞10/28日 この国はどこへ)
https://mainichi.jp/articles/20201028/dde/012/040/034000c
・・・
「菅さんていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出てくる特高はああいう顔ですよ」。冷たく容赦のない表情と言う事だ。「で、執念深い。今までの首相が踏み越えなかったところを踏み越える気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね」
 それを言うなら安倍さんだって同じではないだろうか。
 「そうなんだけど、安倍の方が育ちが良い分楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね」・・・・

※特高⇒特高警察とは特別高等警察の略称で、当時の天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察のことです。
 明治天皇の暗殺を計画したというデッチ上げによって全国の社会主義者などを弾圧した大逆事件(一九一〇年)を機に、翌一一年、警視庁に特別高等警察課として設置されたのが始まりです。天皇制に批判的なすべての思想と運動を「犯罪」とする治安維持法の制定にそなえて、その前年の二四年に大阪、京都などにも増設され、さらに二八年には全国に配置されました。
新聞赤旗
https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990308_faq.html

※特高の拷問などについては以下の記事に詳しい。
リテラ・・・  朝ドラ『まんぷく』への「憲兵を悪く描くな」攻撃は異常! 首絞め、逆さ吊るし…本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい
https://lite-ra.com/2018/11/post-4347_2.html

さすが辺見庸。わたしも全く同じことを感じている。これまで何度も、安倍内閣と菅内閣の公安関係偏重について書いた。菅首相の暗さは、公安的発想に淵源があるとも指摘した。

さらに、辺見庸が鋭いのは、菅首相の顔から「たたき上げ、言わばノンキャリアでさ。(情状の通じない)手に負えない怖さがある」と見ている点である。

多くの人は、「たたき上げ」と言うと、苦労しているから人情がある、とか田舎に対して思い入れがあるとか、そんな事をイメージするだろうが、それは違う。

わたしも何人か知っているが、「たたき上げ」の人間の中には、自分がしてきた苦労を他者に要求するタイプがいる。それも過剰に。それをしない人間には容赦しない。まして、自分よりエリートで、生まれも育ちも良い人間に対しては、自分に服従しない限り、徹底的に弾圧し、排除する。それも陰険で陰湿で手段を選ばない。

こういうタイプの人間は、権力に対して過剰な期待と怖れを持っている。だから、自分が権力を持つと過剰に行使する。(※権力を抑制的に行使するなどという発想は、権力を過剰に欲しない知性と理性の持ち主にしか生まれない。)

こういうタイプの人間の酷薄さは、生まれも育ちも良い人間には想像ができない。前にも書いたが、沖縄の翁長知事に対する彼の扱い方に典型的に現れていた。

翼賛メディアの合唱する【パンケーキ好きの可愛いおじさん】、とか【人の好い令和おじさん】などというキャッチフレーズなど信じられるものではない。

菅政権がようやく国会を開いた。首相になってから45日。これだけ国会を無視した首相は歴史上はじめて。よほど国会で答弁するのが厭なのだろう。

国会は国権の最高機関。ここで論議して初めて自らの首相としての考え方を国民に説明できる。同時に、最高権力者としての自分を国民に認知してもらう場所である。換言すれば、国会で語り、論議すると言う事は、日本国首相としてのレーゾンデートルなのである。国会を大切にすると言う事は、国民を大切にすると言う事と同義なのだ。

そもそも、「国民のために仕事する」などというキャッチフレーズ。馬鹿も休み休み言え!というレベル。内閣総理大臣が国民のために政治をするのはイロハのイ。そんなものをキャッチフレーズにすれば、今までの首相は国民のために政治をしていなかったのか、という話になる。中学校や高等学校の生徒会ではない。もう少し、ましなキャッチフレーズを考えたらどうだ。

しかも、充分過ぎるほどの時間的猶予があったにも関わらず、菅首相の所信表明演説の内容の無さ。日本政界の知的劣化に呆然とした。

一体全体、菅義偉という人物は、日本と言う国をどこに導こうとしているのか、彼の所信表明演説からは何も読み取れなかった。未来の日本の青写真らしきものは、2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標表明だ。しかも、それは、原子力発電を稼働させてその目標を達成する、という時代遅れの青写真だった。

欧州を中心として21世紀の主流になりつつある脱原発、脱炭素社会を構築するために、自然エネルギー・再生エネルギーを中心とした新たな文明の台頭に対する何のビジョンも示せなかった。ドイツのメルケル首相のような新たな文明に対する哲学など皆無と言って良い。

菅首相の所信表明演説は、蓮舫が評したように、典型的な短冊原稿(各省庁が短くまとめた政策要綱)。各省庁のやりたい政策をかき集めたつぎはぎだらけの所信表明演説に過ぎない。ハンコ廃止とか携帯料金の話だけ。肝心の年金や介護、新型コロナ対策、悪化する近隣諸国との外交などで具体策も一切ない。

日本国の内閣総理大臣になったのである。普通なら、自分自身の思いのたけを所信表明演説に盛り込みたいと考えるはずである。そうして初めて所信表明演説に魂がこもる。そのような演説だからこそ、野党の質問にも政治家としての魂が入る。この魂と魂のぶつかり合いがあって初めて国民たちはどちらの政策を選択するかを真剣に考える事ができる。

それを短冊作文でお茶を濁すなど、政治家としての存在価値を疑う。菅首相のスローガンは、自助・共助・公助だそうだが、国民に自助を要求する前に、自らの演説くらい自分で書けと言いたい。官僚におんぶにだっこで「自助」が聞いてあきれる。

以前、わたしは、「悲惨な退却戦を戦わざるを得ない安倍後の日本!(インパール作戦の二の舞)」の中で、「日本軍の敗戦の大きな要因に、失敗を失敗として認めない組織の腐敗がある」と指摘した。

同時に、山本七平氏の指摘を引用して、「一般的には、上意下達の組織と思われている軍隊が、逆に上が下に依存する組織(上依存下)だ」と言う事も指摘した。これが、日本型組織の【無責任体質】の根源にあるとも指摘した。

菅首相の所信表明演説は、見事に【上依存下】の典型だった。彼は文字通り日本型【無責任】体質を体現している。

それが証拠に、彼は日本学術会議の任命拒否について、何一つ語らなかった。自らの意志で拒否したのなら、その理由を語れるはずである。しかし、彼はそうしなかった。杉田官房副長官などの官僚に依存しているから語れない。インパール作戦を許可した東条英機のように、結局部下の暴走を黙認せざるを得ない。

これからも彼は、官僚作文の訳の分からない答弁を繰り返すだろう。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水
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逃げることを継承する

2020-11-02 10:00:47 | 菅政権
一週間前にようやく臨時国会が召集された。現在の日本は、一刻も早く防疫策と国民への追加支援策を集中して審議のうえ施行していかなければいけない状況にあるはずだ。しかし、新総理大臣は就任してからというもの、国民が一番に向き合ってほしいことには一切言及せず、相変わらず論点を逸らしてばかりいる。総理就任から所信表明演説を行うまでに、まさかこれほど時間がかかるとも思わなかった。

首相が国会を開きたがらないという点は、まさに前政権からの継承というべきだ。安倍政権で残された数多くの重大な課題、そしていつまでたっても収束に持ち込めない感染症の流行について、国会という公開の場で追及されることを恐れているのだろう。現総理大臣が面子を保つことに力を注ぐ様子は官房長官時代から明らかである。

日本学術会議の新会員候補6名を任命拒否した件では、まさに前政権から続く逃げる姿勢がはっきりと見て取れる。今でも菅総理大臣は候補者の推薦名簿を見ていない、などと言い訳を続けている。挙句の果てには、「学術会議のあり方を今後検討する」「構成員に多様性を持たせる」などと、「なぜ任命拒否をしたのか」という国民が説明してほしいと願うただ一点の問いから論点をすり替えて回答しない。話が脱線するが、メンバーに多様性を持たせるということであれば、むしろ現在の「5G(爺)内閣」のほうが年齢と性別に偏りがあり、その指摘が該当するのではないか。

言うまでもなく人間も生き物であり、生身のものである以上、常にハイレベルで的確な行動をとれるわけではない。むしろ、何かをするからこそミスや失敗というものも生まれるのだ。間違いを問いただされ、起こした行動が不発に終わることを恐れるがゆえに、国民を公衆衛生上の危機から守ることを放棄し、公助なしにこの危機が過ぎ去るのを待つ姿勢は断じて許されない。

他人から肯定的な評価をされないことは、たしかに快適ではない。避けたいことではある。そして、否定されることを避けるために何もしない選択をすることは、自分を守る目的においてはむしろ当然の行動なのかもしれない。

しかし、私たちの代表である人々が自らの責任を回避するために、問題と向き合うことなく、何も行動しなければ、国民からの信頼も得られず、事態が好転する可能性も下がるだろう。自分と側近の仲間だけが生き残ることにとらわれないでほしい。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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「お答えを差し控える国家」

2020-11-01 14:34:33 | 菅政権
このグラフはご覧になりましたでしょうか? クリックしてできれば拡大してみてください。
菅氏は以前から、「お答えを差し控える」とよく言うなぁと思ってはいましたが、これだけ増えているとはビックリ。

「お答えを差し控える国家」 https://twitter.com/sakuey/status/1321710667418644480?s=20

この言葉で逃げようとする答弁が、これだけ増えているということは、「お答えできない」または「お答えすると政府に都合が悪い」ということが、イコールこれだけ増えていることになります。

為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はないと菅首相は考えているのでしょう。

これは全く民主主義に反します。

つまり「由らしむべし、知らしむべからず」の態度で、封建時代のつもりらしい。
国民を馬鹿にして、なめてかかっているわけです。

マスコミはどこまで馬鹿にされたら気が済むのでしょう。
いや、国民は、どこまで馬鹿にされていることに気が付かないでいるのでしょうか。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
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官邸のヒムラ―;杉田和博官房副長官「公安を使った監視と圧力」!

2020-10-19 09:31:19 | 菅政権
🔶杉田和博という存在

今回の学術会議人事拒否問題は、公安、内調など警察・諜報関係に依拠した安倍・菅政権の統治体制の根幹をあぶりだしている。

杉田和博氏は、東大卒。警察庁出身(公安関係)。内閣情報局長などを歴任。
内閣官房副長官、内閣人事局長(幹部官僚人事を統括)
※杉田和博 ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%8D%9A

以前、安倍内閣の人事のポイントは、首相官邸に公安や内調などの諜報機関の出身者が4人いると書いた事があるが、杉田和博氏はその中心。文科次官だった前川氏の証言によれば、政府審議会のメンバー選定で政権に批判的な専門家を外せと言われたことがあるそうだ。

実はこの話、あまり表面には出てこないが、中央省庁だけでなく、地方官庁の人事などでもかなり日常的に行われている。例えば教職員の人事でも、20代にたった一度だけストに参加した事のある教師は、その経歴が教師を辞職するまでついて回る。そして,昇進人事や、異動人事ではたいてい不利益を被るようになっている。

人事担当者は、決してその人間の思想信条を裁いているのではなく、日ごろの実績で評価していると言う。それでいて、傍から見ている人間には、その人事がその人間の【思想信条】にある事が、理解できるようにしている。

こういう事例を見ている人間は、決して上司に逆らおうとはしない。首をすくめて、唯々諾々に上司に従う。これが、官庁の秩序というものである。

役所では人事が全て。人事を握ると言う事は、その人間の生殺与奪の権を握ると言う事を意味する。役人が忖度するのも無理はない。というより、【忖度】をするから、役人だと言っても良い。

それに加えて、杉田氏は、警察庁では一貫して【公安】畑を歩み、内閣情報局長などを歴任している。つまり、【情報収集】のプロ。

前川喜平氏の証言によれば、前川氏が出会い系バーに出かけた事(前川氏の調査研究対象)をメディアに出る半年前に杉田氏から言われたそうだ。

こういう情報を握って、人を支配するやり口は、公安の常套手段。これは、通常の人事担当者より、はるかに怖しい。一体全体どこまで私の事を知っているのだろうか、という恐怖心を抱かせる。

一説によれば、議会から三権のすべてと言論界、経済界にまでも、その内偵は行われている可能性が高い、というのである。個人情報など完全無視。羽鳥のモーニングショーで、羽鳥が玉川に「お互いにハニートラップに気をつけましょう」と語っていたが、TVに出ているMCやコメンテーターなどは間違いなくその対象だろう。

だから、役人たちにとって、杉田氏の存在は想像もできないほど怖しい存在だ、と考えてさほど間違いはない。逆に言えば、首相官邸にとって、これほど重宝な人材はいない。一つ間違えれば面倒な各省庁のエリート官僚を有無を言わさず従わせる力と存在感を持っている。

こんな人間はそんなにはいない。簡単には代わりが見つからない。杉田氏が79歳になってもいまだ現役である理由だろう。

もう一つ付け加えるなら、杉田氏は、日本においてヒトラーの手口を意図的に具体的に実践してきた第一人者ではないのか、という疑いを禁じえない。

※ヒムラ― ナチスの指導者
1929年ナチスの親衛隊長になって以来,ヒトラーの腹心となり,秘密警察部門を担当。1934年秘密国家警察(ゲシュタポ)長官となり,第二次世界大戦中はユダヤ人虐殺や反対派抑圧の責任者として恐れられた。戦争末期にイギリス軍に逮捕されて自殺。
旺文社世界史事典 三訂版の解説:
https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC-120846

🔶 江戸の杉田和博 水野為長と【よしの冊子】

歴史的に見れば、日本にも、杉田氏に酷似した人物がいた。

【寛政の改革】で有名な江戸幕府の老中松平定信の側近中の側近に水野為長という人物がいる。彼が定信を助けるために、役人たちの情報が記載された閻魔帳を作成した。これを【よしの冊子】という。
※よしの冊子を基にした本はこちらで見られる 
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E5%86%8A%E5%AD%90%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%81%BF%E3%82%8B%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%BD%B9%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A9%95%E5%88%A4-%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E8%A9%95%E4%BE%A1-%E6%96%B0%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E5%8D%9A%E6%96%87/dp/4046010363

為長は、お庭番などの密偵を使って、幕府役人や学者、医者などの行状や評判を採集。それだけでなく、諸大名や外国関係の風聞、朝廷の情報なども収集。それを「よしの冊子」にまとめている。書かれている人数は1万人程度と言われている。

【よしの】というのは、「何々の由」の「よし(由)」から取っている。簡単に言えば、そういう噂(話)でございます、程度の意味である。

この冊子に掲載されている有名人をあげれば、「鬼平犯科帳」で有名な長谷川平蔵なども記載されている。
※現代語訳 よしの冊子 http://chuukyuu.info/who/edo/2009/08/post-e5f4.html

実は「よしの冊子」を紹介したのには理由がある。松平定信というと、【寛政の改革】がすぐ出てくるが、わたしがその中で注目しているのが、【寛政異学の禁】である。

※寛政異学の禁⇒寛政異学の禁とは、寛政の改革のなかで行われた学問統制のこと。幕府が運営する聖堂学問所(昌平坂学問所)においては、朱子学だけを正しい学問として教えることとした。その他の学派は「異学」と位置づけ、教えることを禁じた。

※朱子学⇒明の朱熹が始めた学問。壮大な理論体系を持つ。特に、【上下の身分をはっきり区別することが重要である】と主張しているため、日本では徳川幕府によって奨励された。

しかし、江戸中期以降、朱子学の人気が衰える。理由は単純明快で、あまり「理」を強調しすぎのため、平和の世の中で面倒くさがられた。⇒そのため、古学(伊藤仁斎)などの新たな儒学が学ばれ始めた。

ばりばりの朱子学者だった松平定信は、朱子学の復興を考え、公認儒学スクールである湯島の聖堂学問所(湯島聖堂)においては、朱子学以外の学問を教えることを禁じたのである。

◆よしの冊子と寛政異学の禁(思想統制)と、現在の思想統制の類似性

ここで注目しなければならないのは、【思想統制】と【役人・学者などの情報収集】は表裏一体のものだ、と言う事である。これには時代の差はない。

江戸時代に行われた「情報収集」に基づいた思想統制と、令和の世で行われている「学問の自由」に対する思想統制が、相似形であると言う点に、菅政権や杉田副官房長を始めとする現在の政権体質の古さを見る。

菅政権の連中は、江戸時代と現代の区別もつかないほど劣化しているのだろうか。

自由主義とか民主主義の思想的価値は、他者の『自由』を尊重するところにその神髄はある。他者の『自由』を尊重するから、多様な学問や研究、文化的活動の豊かさが生まれ、人間の創造力が解放され、多種多様な科学的発見や豊かな芸術文化が花開く。

その意味からすると、近代とは、【自由】そのものだと言って良い。他者の【自由】を尊重する事により、近代を近代たらしめる科学的発見や文化的芸術的発展がもたらされた。

「寛政の改革」も、朱子学以外は学問として認めないような硬直した学問観や思想が、時代の趨勢に合わず、見事に失敗する。定信の改革は、かなり急進的であり、同時に正義を標榜する政治家にありがちなかなり厳しい取り締まりを強行し、人心を離反させる傾向があった。

前の田沼時代は、重商主義的政策に重点を置いていた。実は、田沼の政策は、時代の流れから言えば、必然の政策だった。

しかし、好事魔多し。宝暦・明和期は、大旱魃や洪水など天災が多発。江戸では、明和の大火があった。死者1万4千700人。行方不明者4千人を超えた。元号を安永に変えたが、その後も天変地変は止まず、天災・疫病、三原山・桜島・浅間山の大噴火、そして天明の大飢饉が起こった。

当然、全国的に、一揆や打ちこわしが頻発。当然、田沼政権は厳罰で臨んだが、なかなかうまくいかなかった。

このように、田沼時代は、家康以来の幕府の重農主義政策に重点を置いた幕藩体制の矛盾が天災を契機に噴出しつつあった。田沼の苦闘は、幕藩体制が曲がり角に来ていた事を象徴している。

これまでの定説(田沼時代と寛政の改革は全く違う)とは異なり、「寛政の改革」も田沼時代の政策をそのまま継続している部分も多かった。重農主義から重商主義政策への転換は、時代の流れであり、如何に定信といえども、重商主義的政策を完全に否定する事は出来なかった。

同時に「寛政の改革」は、飢饉や洪水、火山の噴火、大火事などの天災・人災で苦しむ民衆の救済を狙ういわゆる「社会福祉的」政策も行われている。
※囲い米。棄捐令(借金棒引き)。佃島人足寄せ場。(長谷川平蔵が主体的にかかわる)
この政策は、秩序回復や農民や都市窮民の不満を鎮静化させるためには不可避の政策であり、評価されるべきだろう。

こう見てくると、松平定信の改革の失敗は、一つは、現実的には重農主義的政策から重商主義政策に転換せざるを得ないのに、理念的には重農主義に固執せざるを得ない矛盾を抱え込まざるを得ない点にあった。

もう一つは、「白河の清きに魚は住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と落首に読まれたように、あまりの性急さと理念的潔癖さに人心が倦んだ点にあったと思われる。

翻って考えると、現在、政府や自民党、ネトウヨ丸出しの政権応援団連中の言説は、旧態依然とした「軍事優先」の言説であり、時代の趨勢からあまりにもかけ離れている。

学術会議の「軍事研究」をしないという姿勢に対する反発や、学術会議が中国の研究を助けているとかというフェイクニュースを、声高に主張している。日本の置かれている経済状況の深刻さや学術会議発足の歴史的経緯に無知で、単なるいちゃもんに過ぎない彼らの言説のレベルの低さは救いようがない。

フジTVの上級解説員の肩書を持つ平井某のように、学術会議に選ばれた学者は、学士院会員になり、年金250万円もらうなどというデマ(全く根拠なし)を垂れ流しておいて、謝罪もせず、TVから姿を隠して、人の噂も七十五日で忘れ去られるのを待つ卑怯な姿を見れば、彼らに何の理念もないことは明らかである。

たしかに水野為長は定信に「よしの冊子」を提示し、寛政の改革推進の手助けをした。しかし、それは排除の論理だけでなく、「寛政の改革」や「寛政異学の禁」を推進するための有能な人材発掘の側面もあった。敵対する人物や無能な人物、非道徳的人間などを排除するためにだけ使われたものではなかった。

その意味で、「よしの冊子」は、松平定信の【寛政の改革】推進の大きな助けになっていたのである。

しかし、菅政権の杉田和博氏の場合は、排除の側面が強すぎる。人事権が人に与える影響を知り抜いたうえで、支配の道具として人事権を利用しているとしか思えない。松平定信ほどの理念も学識もなく、ただ【人事権】を行使して、人に恐怖心を与え、他者を支配下に置く快感に酔っているとしか思えない愚挙である。

水野為長や松平定信が活躍したのが、18世紀末。200年以上後の権力者たちの振る舞いが、彼らより劣るというのは、歴史の皮肉と言うしかない。

「護憲+コラム」より
流水
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「鵺の鳴く世は恐ろしい」けれど…

2020-10-13 09:38:22 | 菅政権
「鵺」という名の妖怪をご存知だろうか。日本で伝承される妖怪だそうだ。

顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇という説もある。その鳴き声は不気味で、「ホーア ホーア ホーア」と鳴き渡り、その不気味な鳴き声が聞こえた土地は必ず災いに見舞われたという。

故にはっきりしない事柄、立ち回りは上手いがはっきりしない人物の事を「鵺のよう」と言うとか。

さて、令和の世に「菅(鵺)政権」が誕生した。安倍政権を継承するというが、これが鵺のようだ。

一つ分かった事は、総理の首をすげ替えても、「鵺」である政権は変わらないという事だ。菅政権になってから、正にその意思を明確にした。

自分の政策に異を唱えた官僚を左遷した。安倍政権の政策に反対したメンバーを任命拒否、拒否の理由も説明しない。

最近「学術会議の名簿は99人しか見ていない」(!)と言いだした。では誰が総理も知らない間に勝手に6人を削除したのだろう?真に奇怪な「鵺」のような話である。更にあろうことか学術会議の行革まで口にし始めた。

この様な権威を振りかざす問答無用なやり方は、あっという間に国民へと向けられるだろう。

一方では携帯電話の値下、判子を廃止してデジタル化を進める。目先の合理化、ちょっとしたお得感で国民の感心を得る。

以前現政権の閣僚の一人が、「ナチスの手口に学んだらどうか」と恐ろしい事を言ったが、それはもう、実行されて居るのかもしれない。

官僚の人事権を掌握し、マスコミを恫喝あるいは柔軟して、今度は学者を「逆らえば任命しない」と脅す。次は私達国民の番かもしれない。

恐れてばかりではいられない。これから選挙に向けてますますの恫喝と懐柔は進んでいくだろう。菅政権は銀行や役所の屋上で目を光らせる冷酷な管理局を想わせる。主である国民を蔑ろにして、自分に逆らった者は徹底的に潰す。

対抗するにはどうしたら良いか。

野党連合を更に進めるしかない。立憲、共産、社民、国民、れいわの各政党が纏まり自公政権を倒す。そのためには足の引っ張り合いはやめて欲しい。応援団の人たちも人格攻撃などツイッターで呟くのはやめて欲しい。100%良い政治家などいない。失望しても絶望しないで、投げ出さず、「政権交代」に向けて共に歩いて行こうではないか。

国民も、「鵺の鳴き声も可愛いわね」「パンケーキが好きな鵺なんて珍しいね」等と言っていたら、気付かぬ内に奴隷の路を歩む事になるだろう。

いつまでも鵺の鳴き声に怯えているわけにはいかない。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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菅戦前型ファッショ政権の正体!(国民には何も知らせる必要なし)

2020-10-11 10:41:18 | 菅政権
菅政権が、学術会議推薦人事を6人まで拒否した。安倍政権以降の言論弾圧がついにここまで来たのか、という驚きが広がっている。

戦前の日本の歴史を少しでも勉強した人間にとっては、今回の菅政権の学術会議推薦の人事拒否は、京大の滝川事件、美濃部達吉の天皇機関説を思い起こさせる重大事件である。

戦前の歴史をよく知る小沢一郎が「菅政権は怖ろしい」と語っているが、その通りだ。

10月8日のTV朝日の大下容子ワイドスクランブルで、コメンテーターの末延某が、「今回の学術会議推薦人事拒否問題は、この問題に反対の論陣を張るメディアと賛成のメディアの色分けを鮮明にするのが菅首相の狙い」だと語っていた。

末延某が語っているのは、【菅政権の意向に反するメディアは、排除する】というのが、官邸の意向だと言う事。【学術会議推薦人事の賛否】は、その踏み絵だと言っているに等しい。

この指摘が正しいならば、任命拒否は、菅の政治的立場の表明であり、任命拒否の相手は誰でも良い事になる。要は、問題を大きくして、反対者(メディア、学者、評論家)から、これ以降自分に敵対する連中や組織をあぶり出し、言論弾圧の対象にしようと言うわけだろう。

現に菅首相は、拒否された6人の名前を知らないと発言しているようだが、この問題について弁護士郷原氏も書いている。
・・・日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に・・郷原信郎
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20201010-00202356/

戦前の言論弾圧でもそうだったが、学問に対する弾圧が始まった時は、日本の言論状況は、ほとんど死に瀕していると考えなければならない。

映画監督の是枝氏などが、「言論の自由」が侵されているという事は、「表現の自由」が侵されていると同じだ、という危機感に溢れたコメントを発表していたが、その通りである。

その一つの証拠が、国境なき記者団が発表する【報道の自由度ランキング】の2020年度では、日本は66位。G7最下位。安倍晋三前首相が価値観を共有する外交などとほざいていたが、「報道の自由」などは民主主義国のイロハのイ。それが最下位なのだから、何の価値観を共有するのだと言う事だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/679e205708979174b0c8248f480d107be2fbe5a6

今回の問題でも、朝日・毎日・東京新聞などは、一面で扱い、問題の重大性に警鐘を鳴らしている。しかし、読売・産経・日経などは、扱いが小さく、あまり問題にしていない。

報道機関・学問などの言論に対する弾圧が強行されると言う事は、国民の言論状況はもはや死に瀕している、と考えなければならない。

例えば、小泉今日子さんに対するネット上での暴言などを見れば、戦前の隣組の監視体制とほとんど変わらない。コロナ騒ぎの時の「自粛警察の跋扈」は、その良い例である。今や社会が【物言えば唇寒し】の状況に陥っているという鋭い感性を持たなければ、この危機を感知する事はできない。

以前、丸山真男の話で紹介したことがあるが、ナチス・ドイツに抵抗できなかった理由について、マルティン・二―メラーは以下のように語る。(是枝氏らも声明の中で引用している)

・・ナチスがコミュニスト(共産主義者)を弾圧した時、私は不安に駆られたが、
自分はコミュニストではなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスはソーシャリスト(社会主義者、労働組合員)を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが、自分はソーシャリストではないので、何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人と、順次弾圧の輪を広げていき、
そのたびに私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。
そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが、その時は、すべてがあまりに遅過ぎた。・・・・
※マルティン・ニーメラーのことば   http://www.syuppan.net/kyoto/s2-kan-07.htm

「言論の自由」とはそういうものだ。

今回の学術会議任命拒否問題でも、日が経つにつれて、権力側が何年もかけ、如何に周到に準備し、計画的に進めているかが明らかになってきている。

安倍政権下で始まった言論弾圧の第一歩は、2013年8月の内閣府法制局長官人事。この人事で駐仏大使の小松一郎氏を任命。内閣法制局からの繰り上げ人事に風穴を開けた。小松氏は安全保障の考え方が安倍首相の考え方に近い、というだけの理由で、法制局長官に外務官僚がなるという前代未聞の人事を強行した。

小松氏が急逝したため、次の法制局長官には、横畠祐介氏。彼は法制局からの昇任人事だったが、彼の在任中の一番の仕事は【集団的自衛権の承認】だった。歴代の法制局長官が決して認めなかった【集団的自衛権の承認】をするというのが横畠氏の仕事だった。人事権を掌握して、戦後の憲法解釈を変更させたのである。

さらに日銀の人事に介入。黒田氏を登用。黒田バズーカと呼ばれる異次元の金融緩和やEPFによる株式購入、さらに国債を大量に購入。本来独立した機関であるべき日銀を政府方針で完全にコントロール。本来、株価が示す日本市場の羅針盤の役目を完全に放棄。今や、株式市場は、完全なマネーゲームの主戦場となった。

その他、NHK会長人事に介入。政権と関係の良い人物を会長に就任させる。NHK内部のリベラル派を一掃。NHKニュースの不偏不党は失われ、政権の広報誌化している。

また、TV朝日の報道ステーションから久米宏氏が降板。古舘伊知郎が登板。コメンテーター古賀正明氏の「I am not Abe」事件などがあり、古館氏が降板。というように、政府の圧力が顕在化。報道機関からリベラル派が放逐され続けており、報道機関の萎縮化が進み、今やほとんど「大政翼賛会」ではないかと思えるほどである。

霞が関官僚に対しては、官僚の人事権を掌握する事により、ヒラメ官僚・忖度官僚を大量輩出。骨のある有能な官僚がきわめて出にくい環境を作り出している。(※典型的な例が、財務官僚)

このように、「人事権」を梃子にメディアや官僚などを支配し続けたのが安倍政権。その中心人物が菅官房長官。彼は、人事権を人質にして支配する権力者の暗い満足感に酔いしれているのかもしれない。

菅首相が理解していないのは、「人事権は鋭い刃」だと言う意味。人事権で人を支配できるが、同時に多くの人を深く鋭く傷つける。人事権を振るい過ぎると、大量のヒラメ人間と闇に深く沈殿した多くの恨みを生み出す。

物言わぬ組織は生気を失い、ただただ上の命令だけを聞けば良いという澱んだ空気が支配する。一言で言えば、組織の人間の発言の『自由』が失われると、その組織の存在意義がなくなるのである。理非曲直をただすのでなくて、すべてが忖度で決定する。全ての人間と組織が腐臭を放ちだす。

何度も言うようだが、【権力は自制的に行使する】事は、権力者の理性と知性に依存する割合が大きい。知性も理性もない権力者を戴くと、際限のない【権力の行使】が行われる可能性が高い。こういう組織や国家は必ず滅亡する。安倍・菅政権が続くと、我が国は、歴史が教える組織や国が滅亡する道を確実に歩むだろう。

その一つの証拠が、今回の問題に対する外国の評価であろう。以下の記事を読めば、今回の問題に対する海外の評価が分かる。ネイチャー、サイエンス、ル・モンド、フィナシャルタイムズ、ロイターなどの記事はいずれも今回の問題を「政治の学問への介入であり学問の自由への脅威であると扱っており、その理由も自身が官房長官を務めていた安倍政権の政策への批判が原因と指摘」している。

※日本学術会議の任命拒否問題を世界最高の学術誌「サイエンス」「ネイチャー」が批判、海外の一流紙からも「非情な黒幕」「学問の自由への攻撃」など問題視する声
https://buzzap.jp/news/20201008-science-council-of-japan-overseas/

このまま強引に押し通せば、日本は学問の自由がない国と目されるだろう。

悪いことに、現在はノーベル賞ウィーク。学問に対する世界中の注目が集まっている時。菅政権が如何に井の中の蛙かと言う事が良く分かる話である。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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