2月26日文京区民センターで 開かれた、月刊「創」という雑誌社主催の「検察と報道のあり方」というシンポジウムに参加しました。時間の関係で最後まではいられなかったのですが、後ほどユーチューブで当日の模様が配信されるそうです。
http://opinion.infoseek.co.jp/article/766
当日は開催時間になる前から入り口には長蛇の列、皆予約された方達だというのでインターネットの裾野の広さと人々の関心の高さを感じました。
パネリストは、三井環、鈴木宗男、安田好弘、上杉隆、元木昌彦、青木理の各氏で司会は篠田博之氏。
三井氏の「検察は裏金問題が表沙汰になろうとしていた時、当時の政権与党に働きかけて検察組織を守った。その時から検察は弱みを握られ、内閣に借りをつくった。これを私は、けもの道と言っている」という言葉は衝撃的でした。
また上杉氏の「世界のジャーナリスト達は権力の不正を暴こうとして時には命を落とす時もある、こんな毎日同じ事件報道ばかり乗せて、記者クラブ出入り禁止を恐れる日本のメディアは何なんだ」という言葉には会場から大きな拍手が起きていました。
安田好弘氏によれば「検事と弁護人は対等ではない。検事が家宅捜索などで押収した物は、弁護人や被告は閲覧することすら出来ない。押収物の全面可視化を訴えても証拠隠滅の恐れがあるという理由で裁判官は取り上げない」そうで、この理由からも取り調べの全面可視化は早急に望まれる所ではあります。
青木氏は「リークそのものを良くないというのは市民社会のインフラである情報が行き渡らないから私は賛成出来ない。リークがなくても報道が検察側の目線に立ち、報道してしまうことがある。大手の新聞テレビなどのメディアが検察批判をしない方が問題」と冷静な意見を述べていました。
鈴木宗男氏の「検察は手足を持っていない。自分達の思うような風を吹かせるためにリーク情報を流し、世論をつくる。今の日本で最高権力者は検察だ。これに対抗するには私1人ではどうにもならない。やはり多くの国民の声が必要だ」と言う言葉は、逮捕された人の持つリアルなものを感じました。
こうしてみると今回の「検察と報道の有り様」を「小沢対検察の権力闘争」という面にのみ目を奪われては見誤ると思いました。私達国民がこれを対岸の火事のように思っていたら、それはやがて自らの首を絞める事になるでしょう。
なにより私が恐いと思ったのは、シンポジウムの中で上杉氏の発言にもあったように、石川智弘氏の女性秘書を検察が取り調べた時の過程や人権問題にまでつながることを、大手の新聞、テレビが1行も1秒たりとも報道してはいない、ということです。
まだまだ現在の日本では、テレビ、新聞を主な情報源としている人も多いのです。その時の権力者が検察の弱みを握ったら、検察はとうてい権力の側にいる人間を逮捕したり、取り調べたりは出来ないでしょう。そして街には検察と一体になったメディアが流す情報が溢れかえり、検察や権力者にとって都合の悪い人間や事態は葬り去られるかも知れません。自分は検察から取り調べを受ける事なんかしていないから関係ない、などと思っていたら本当に恐ろしい事態を招いてしまいます。
「検察刷新会議」を開くこと、取り調べの全面可視化を早急に実現する事も大切ですが、要は私達一人一人が今回の「検察と報道のあり方」について考え、決して忘れずに、何か事件や世間を騒がす報道が起きて、皆が同じ方向へ行こうとするとき、大きな組織の情報だけを鵜呑みにしないで、自らの頭で考える事も必要なのです。
そして今、私達が手に入れたインターネットというツールが、どのような働きをして、私達に何をもたらすか、まだまだ未知数な部分はありますが、それを賢く活用することも欠かせません。
私は最後までいなかったので直接聞いたわけではないのですが、上杉氏が当日述べていたという「最初に記者会見場をオープンにしなかった鳩山内閣が今の事態を招き、自らの首を絞めることになる」という言葉が印象に残りました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
パンドラ
http://opinion.infoseek.co.jp/article/766
当日は開催時間になる前から入り口には長蛇の列、皆予約された方達だというのでインターネットの裾野の広さと人々の関心の高さを感じました。
パネリストは、三井環、鈴木宗男、安田好弘、上杉隆、元木昌彦、青木理の各氏で司会は篠田博之氏。
三井氏の「検察は裏金問題が表沙汰になろうとしていた時、当時の政権与党に働きかけて検察組織を守った。その時から検察は弱みを握られ、内閣に借りをつくった。これを私は、けもの道と言っている」という言葉は衝撃的でした。
また上杉氏の「世界のジャーナリスト達は権力の不正を暴こうとして時には命を落とす時もある、こんな毎日同じ事件報道ばかり乗せて、記者クラブ出入り禁止を恐れる日本のメディアは何なんだ」という言葉には会場から大きな拍手が起きていました。
安田好弘氏によれば「検事と弁護人は対等ではない。検事が家宅捜索などで押収した物は、弁護人や被告は閲覧することすら出来ない。押収物の全面可視化を訴えても証拠隠滅の恐れがあるという理由で裁判官は取り上げない」そうで、この理由からも取り調べの全面可視化は早急に望まれる所ではあります。
青木氏は「リークそのものを良くないというのは市民社会のインフラである情報が行き渡らないから私は賛成出来ない。リークがなくても報道が検察側の目線に立ち、報道してしまうことがある。大手の新聞テレビなどのメディアが検察批判をしない方が問題」と冷静な意見を述べていました。
鈴木宗男氏の「検察は手足を持っていない。自分達の思うような風を吹かせるためにリーク情報を流し、世論をつくる。今の日本で最高権力者は検察だ。これに対抗するには私1人ではどうにもならない。やはり多くの国民の声が必要だ」と言う言葉は、逮捕された人の持つリアルなものを感じました。
こうしてみると今回の「検察と報道の有り様」を「小沢対検察の権力闘争」という面にのみ目を奪われては見誤ると思いました。私達国民がこれを対岸の火事のように思っていたら、それはやがて自らの首を絞める事になるでしょう。
なにより私が恐いと思ったのは、シンポジウムの中で上杉氏の発言にもあったように、石川智弘氏の女性秘書を検察が取り調べた時の過程や人権問題にまでつながることを、大手の新聞、テレビが1行も1秒たりとも報道してはいない、ということです。
まだまだ現在の日本では、テレビ、新聞を主な情報源としている人も多いのです。その時の権力者が検察の弱みを握ったら、検察はとうてい権力の側にいる人間を逮捕したり、取り調べたりは出来ないでしょう。そして街には検察と一体になったメディアが流す情報が溢れかえり、検察や権力者にとって都合の悪い人間や事態は葬り去られるかも知れません。自分は検察から取り調べを受ける事なんかしていないから関係ない、などと思っていたら本当に恐ろしい事態を招いてしまいます。
「検察刷新会議」を開くこと、取り調べの全面可視化を早急に実現する事も大切ですが、要は私達一人一人が今回の「検察と報道のあり方」について考え、決して忘れずに、何か事件や世間を騒がす報道が起きて、皆が同じ方向へ行こうとするとき、大きな組織の情報だけを鵜呑みにしないで、自らの頭で考える事も必要なのです。
そして今、私達が手に入れたインターネットというツールが、どのような働きをして、私達に何をもたらすか、まだまだ未知数な部分はありますが、それを賢く活用することも欠かせません。
私は最後までいなかったので直接聞いたわけではないのですが、上杉氏が当日述べていたという「最初に記者会見場をオープンにしなかった鳩山内閣が今の事態を招き、自らの首を絞めることになる」という言葉が印象に残りました。
「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
パンドラ