昨日28日に、衝撃的な事が起こってしまった。若い母親が6才と8才の二人のこどもと列車に飛び込んでしまった。事情は問う必要はないだろう。事実だけを私達は受け入れれば良いと思う。冥福を祈るとともに、ただただ手を差し出すことが出来なかった不明を自身に問いかけ続ける姿勢を大切にしたいと思う。
一方、市民の多くが反対し、後々の不要な資産となる恐れを懸念した新陸上競技場の維持に毎年10億円掛かるとか、いや30億円は掛かるだろうという話が出ている。
防衛費を今後数年にわたり5兆円規模増額することを既成事実化してしまう閣議決定がなされてしまった。
古くは議員宿舎の建設費と家賃との関係の法外さ、が話題になったことがある。また付近の街並みを見下ろすが如き立派な市役所や県庁舎があちこちに建っている。そして省庁の外郭団体施設(木場にある特許庁の外郭団体施設が最近気になっている。10階建て程で1フロア500坪程ではないか?こんな大きさが本当に必要なのか? どこの政党だろうが調査権を行使したらと思う)の立派さ。
また江東区内の小名木川・仙台堀川・大横川等々に掛かる橋および川の改修を区は行っているが、最近橋のたもとにポンプを用意した水景設備が併設されているのを見かけた。探してみると他の場所にもかなり水景設備が一般化していることがわかる。例えば清澄公園にも、中央区の浜町公園にも、また浜町と人形町の境の緑道にもある。そしてそれら皆すべて、水が流れていない・使われていないのである。それぞれ立派なポンプを用意しているにも拘らずに。
因みにこのような水景設備を作り・数10年に亘り維持し、ポンプの定期検査作業やポンプ交換作業の費用を見積もると一基当たり小さいものでも最低2000万円以上、大きなものなら億に近い数千万を要する代物だろう。
オーバースペックという言葉がある。箱物を新たに計画する際に、必要を上回る不要な機能やスペース(大きさ)や部屋数や設備を計画に放り込むことだ。
パトリオットや新陸上競技場のように、そもそも前提となる必要性から問題にすべきものもあるが、その問題は置くとして、市民は本気でこのオーバースペックに文句を言う権利を行使する必要が今あると思う。そして無駄金をあぶり出す手段としよう。
片や、親がどれ程の資産を持っているかで、出発時点から、そもそもこどもの世代には格差が生じている現在がある。また学生時代の奨学金を、借金の形に背負わして若者を社会に送り出すシステムの現在がある。
この現在の姿が望ましい健全な世の中なのか?
考え方として、人生に踏み出す若者一人一人に対し、社会としてある金額の船出資金(資産)を、時期を設定し、祝い金として提供するシステムが世界的には構想されている。またベーシックインカムという方式も考えられている。
いずれも機会均等・機会平等という考え・思想を若い世代に提供して、若い世代が皆同じ教育環境のもと、能力をそれぞれ開花させ、若い世代の活力が世の中に100%真っ当に発揮されるシステムを作りたいという希望のもとの考え方である。
今のシステムが機会均等・機会平等という考え・思想が子供たちや若者らに届く社会に至っていない状況だという認識を市民が持ち、そのシステムの不備を埋める努力を進めると共に、いつも言う安定した職の提供作りをも進める努力が求められる必要がある。
弱者の切り捨ては必要悪と安易に看過し、競争社会を活力源とする世の中の側面だけを推進するのでなく、格差を減らす方向の動きや、社会人としてある金額の船出資金を提供するシステムも世の中に担保する方向が存在していれば、2人の子供には違った世の中が広がっていたことだろう。
冒頭の衝撃的な事が繰り返されることのない世の中作りを真摯に模索する努力が、3人から突き付けられたと思っている。
そのためにもオーバースペックに代表される無駄を見つけていく作業が非常に大切な作業としてあると思っている。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
一方、市民の多くが反対し、後々の不要な資産となる恐れを懸念した新陸上競技場の維持に毎年10億円掛かるとか、いや30億円は掛かるだろうという話が出ている。
防衛費を今後数年にわたり5兆円規模増額することを既成事実化してしまう閣議決定がなされてしまった。
古くは議員宿舎の建設費と家賃との関係の法外さ、が話題になったことがある。また付近の街並みを見下ろすが如き立派な市役所や県庁舎があちこちに建っている。そして省庁の外郭団体施設(木場にある特許庁の外郭団体施設が最近気になっている。10階建て程で1フロア500坪程ではないか?こんな大きさが本当に必要なのか? どこの政党だろうが調査権を行使したらと思う)の立派さ。
また江東区内の小名木川・仙台堀川・大横川等々に掛かる橋および川の改修を区は行っているが、最近橋のたもとにポンプを用意した水景設備が併設されているのを見かけた。探してみると他の場所にもかなり水景設備が一般化していることがわかる。例えば清澄公園にも、中央区の浜町公園にも、また浜町と人形町の境の緑道にもある。そしてそれら皆すべて、水が流れていない・使われていないのである。それぞれ立派なポンプを用意しているにも拘らずに。
因みにこのような水景設備を作り・数10年に亘り維持し、ポンプの定期検査作業やポンプ交換作業の費用を見積もると一基当たり小さいものでも最低2000万円以上、大きなものなら億に近い数千万を要する代物だろう。
オーバースペックという言葉がある。箱物を新たに計画する際に、必要を上回る不要な機能やスペース(大きさ)や部屋数や設備を計画に放り込むことだ。
パトリオットや新陸上競技場のように、そもそも前提となる必要性から問題にすべきものもあるが、その問題は置くとして、市民は本気でこのオーバースペックに文句を言う権利を行使する必要が今あると思う。そして無駄金をあぶり出す手段としよう。
片や、親がどれ程の資産を持っているかで、出発時点から、そもそもこどもの世代には格差が生じている現在がある。また学生時代の奨学金を、借金の形に背負わして若者を社会に送り出すシステムの現在がある。
この現在の姿が望ましい健全な世の中なのか?
考え方として、人生に踏み出す若者一人一人に対し、社会としてある金額の船出資金(資産)を、時期を設定し、祝い金として提供するシステムが世界的には構想されている。またベーシックインカムという方式も考えられている。
いずれも機会均等・機会平等という考え・思想を若い世代に提供して、若い世代が皆同じ教育環境のもと、能力をそれぞれ開花させ、若い世代の活力が世の中に100%真っ当に発揮されるシステムを作りたいという希望のもとの考え方である。
今のシステムが機会均等・機会平等という考え・思想が子供たちや若者らに届く社会に至っていない状況だという認識を市民が持ち、そのシステムの不備を埋める努力を進めると共に、いつも言う安定した職の提供作りをも進める努力が求められる必要がある。
弱者の切り捨ては必要悪と安易に看過し、競争社会を活力源とする世の中の側面だけを推進するのでなく、格差を減らす方向の動きや、社会人としてある金額の船出資金を提供するシステムも世の中に担保する方向が存在していれば、2人の子供には違った世の中が広がっていたことだろう。
冒頭の衝撃的な事が繰り返されることのない世の中作りを真摯に模索する努力が、3人から突き付けられたと思っている。
そのためにもオーバースペックに代表される無駄を見つけていく作業が非常に大切な作業としてあると思っている。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
