1月26日付けのBangkokPost紙に、興味深い会合が、今月の12日から14日にかけてアセアン諸国の間であったことが紹介されている。興味深かったのでかいつまんで紹介したい。
地球温暖化抑制にアセアンに伝わる文化の思想が果たす役割があるのではないか?
地球環境に溢れる現在のストレスを緩和する上で、私達は技術を信用しきれるだろうか?
解は一つではない。複数の解を得る上で、過去の智恵を今に生かすことが、私達には必要なのではないか?
このような設問への解答を得るべく10カ国のアセアン諸国の科学者、活動家、学界、宗教指導者、建築家、作家や芸術家らからなるスピーカーが、バンコクで開かれたタイならびにアセアン文化遺産連合(the Siam Society and Southeast Asian Cultural Heritage Alliance:Seacha)主催の「気候変動への行動のための文化財からの智恵」会議に参加したという。そして最も活発だった発言者は、マイノリティ共同体からの参加者数名を含む16名の若い指導者らであったという。
東南アジアの人々は、昔から環境と折り合いをつけた生活を送ってきたことで高く評価されている。狩猟採集民は自然を切り開くことを生業とするものだが、彼らは尊敬と感謝の心で自然に相対してきた。ミャンマーやタイのKarene族のような焼畑農家(Swidden farmers)の民は20年~30年間隔で利用する土地を回転させ土壌の地味を再生させていた。漁民や農民は自然が決めるカレンダーに沿って働いており、これらの行動は話す言葉や信仰する宗教の違いに関わらず共通しており、その思想は、人・大地・自然・神と精霊たちはそれぞれが調和し、同じシステムの中でそれぞれが役割を果たすものだとする考えだった。同様の考え方が今も多くの共同体に残っており、独自の宗教性と精神性を保っているという。
インドネシアの回教徒の間では、mizanという言葉が「バランス」という意味を持つとともに、より普遍的な「宇宙の秩序」をも意味していると言う。タイの仏教徒の間では、thammachatという言葉が「自然」を指すものであるが、この「自然」という考えに両面があり、自然環境の意味と共に、絶えず変遷する世界の中に存在する「公正さ(right)」や「善(good)」をも意味するという。彼らの住まいかたも気候と調和した形になっており、川面に浮かぶ家は太陽をさえぎり、風を取り入れる工夫をしていた。都市部の家も、同じ工夫を取り入れて、家が密集する地域でも上手に日の光と熱気を避ける暮らし方をしていた。
しかし、これらの考えを保持する多くの伝統的共同体は今や時代に取り残され、原始的と低くみられ、今風の技術に立脚する生活へと誘導されている。コンクリートとエアコンを多用する建築家や建設会社は、旧来の方式を葬り去り、その結果都会はエネルギーをガブ飲みし、排気熱・排気CO2を撒き散らしている。
19世紀にはじまり20世紀を通して西欧仕様の「科学」に適った現代性が旧来の文化遺産を脇に追いやってしまった。
旧来の思想の生活と住まい方は今後可能なのだろうか?
希望はあるとして、一つの例として最近改築されたシンガポール国立大学建築学部のビルが紹介されている。この改築ビルは旧来の原理を採用したエアコンを使用しない多層階構造のビルに仕上がっているという。
会議出席者たちは、以前の先進技術仕様で作り上げられた現在の生活様式がもたらしているグローバルな温暖化問題に対処するため、世界は更なる新たな先進技術開発のみに集中している状況を懸念して、伝統的な考え方や伝統的な技術を国家規模の気候戦略行動に組み込むことを要請している。
昨年のエジプトにおける国連気候変動会議COP27で、気候変動の要因に「文化的側面」が指摘され、解決手段として「文化の活用」が要請されていたようだ。
タイ社会とSeachaの両団体は共同して、今年Dubaiで予定のCOP28において「文化」を議題とする会議の共同議長団体として活動する予定、とすることを今回のバンコク会議の結論としている。
こんな内容の記事です。
ここでアセアンの人々は、単眼的思考のみが支配する現代社会のシステムの延長線上に、果たして全てを解決する唯一の正解が隠されているのだろうか、という疑問を抱き、彼らは古くから伝わる「アセアンの伝統文化」を今の世の中に活用する思考法の延長線の中に別の正解があるのではないかと提言しているのだと思う。
かれらは今後、「文化の活用」をCOP等の国際的な運動の中につなげていくという。
彼らの運動の進展を注視していきたいと思います。
同じアジアの一員として、ここに述べられていることは、基本われわれも共有していると思う。
そして、技術にのみ重きを置き、都市部一極集中を進める一方で、過疎化の進行や格差の拡大を当然のこととする思考に慣らされている、バランスを欠いた我が国の状況は、もっと憂えるべきものだとも感じる。
東京駅前から始まり、もとは野村や西川があった日本橋界隈にかけて再開発と称して現在槌音高く土埃が舞っている。私達だけがSDGsの輝く未来を具現化するプレイヤーであり、先頭を走っているランナーですよ。市民の皆さんはギャラリーとして歩道に集まり、旗を振っていてくれさえすれば良い世の中になるのですよ、といった様相の時代になっているのが現在の我が国の状況と常々感じています。このままで本当に希望がもてる地球環境の維持・回復が出来るのだろうか?
グローバルな温暖化問題に対する解答を得る手段として、アセアンの人々は「伝統文化」をもう一つの別のモノサシとして活用することを提示している。
我々も、大声でこの状況のおかしさを訴え、もう一つ別のモノサシ・道の存在に光を当てる複眼的思考の重要性を声高に訴える必要があるのではないか?と思っている。
再開発・SDGs・カーボンフットプリントそしてカーボンオフセット・公金の問題の見える化といった話題を取り上げてみたいと思っています。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan
地球温暖化抑制にアセアンに伝わる文化の思想が果たす役割があるのではないか?
地球環境に溢れる現在のストレスを緩和する上で、私達は技術を信用しきれるだろうか?
解は一つではない。複数の解を得る上で、過去の智恵を今に生かすことが、私達には必要なのではないか?
このような設問への解答を得るべく10カ国のアセアン諸国の科学者、活動家、学界、宗教指導者、建築家、作家や芸術家らからなるスピーカーが、バンコクで開かれたタイならびにアセアン文化遺産連合(the Siam Society and Southeast Asian Cultural Heritage Alliance:Seacha)主催の「気候変動への行動のための文化財からの智恵」会議に参加したという。そして最も活発だった発言者は、マイノリティ共同体からの参加者数名を含む16名の若い指導者らであったという。
東南アジアの人々は、昔から環境と折り合いをつけた生活を送ってきたことで高く評価されている。狩猟採集民は自然を切り開くことを生業とするものだが、彼らは尊敬と感謝の心で自然に相対してきた。ミャンマーやタイのKarene族のような焼畑農家(Swidden farmers)の民は20年~30年間隔で利用する土地を回転させ土壌の地味を再生させていた。漁民や農民は自然が決めるカレンダーに沿って働いており、これらの行動は話す言葉や信仰する宗教の違いに関わらず共通しており、その思想は、人・大地・自然・神と精霊たちはそれぞれが調和し、同じシステムの中でそれぞれが役割を果たすものだとする考えだった。同様の考え方が今も多くの共同体に残っており、独自の宗教性と精神性を保っているという。
インドネシアの回教徒の間では、mizanという言葉が「バランス」という意味を持つとともに、より普遍的な「宇宙の秩序」をも意味していると言う。タイの仏教徒の間では、thammachatという言葉が「自然」を指すものであるが、この「自然」という考えに両面があり、自然環境の意味と共に、絶えず変遷する世界の中に存在する「公正さ(right)」や「善(good)」をも意味するという。彼らの住まいかたも気候と調和した形になっており、川面に浮かぶ家は太陽をさえぎり、風を取り入れる工夫をしていた。都市部の家も、同じ工夫を取り入れて、家が密集する地域でも上手に日の光と熱気を避ける暮らし方をしていた。
しかし、これらの考えを保持する多くの伝統的共同体は今や時代に取り残され、原始的と低くみられ、今風の技術に立脚する生活へと誘導されている。コンクリートとエアコンを多用する建築家や建設会社は、旧来の方式を葬り去り、その結果都会はエネルギーをガブ飲みし、排気熱・排気CO2を撒き散らしている。
19世紀にはじまり20世紀を通して西欧仕様の「科学」に適った現代性が旧来の文化遺産を脇に追いやってしまった。
旧来の思想の生活と住まい方は今後可能なのだろうか?
希望はあるとして、一つの例として最近改築されたシンガポール国立大学建築学部のビルが紹介されている。この改築ビルは旧来の原理を採用したエアコンを使用しない多層階構造のビルに仕上がっているという。
会議出席者たちは、以前の先進技術仕様で作り上げられた現在の生活様式がもたらしているグローバルな温暖化問題に対処するため、世界は更なる新たな先進技術開発のみに集中している状況を懸念して、伝統的な考え方や伝統的な技術を国家規模の気候戦略行動に組み込むことを要請している。
昨年のエジプトにおける国連気候変動会議COP27で、気候変動の要因に「文化的側面」が指摘され、解決手段として「文化の活用」が要請されていたようだ。
タイ社会とSeachaの両団体は共同して、今年Dubaiで予定のCOP28において「文化」を議題とする会議の共同議長団体として活動する予定、とすることを今回のバンコク会議の結論としている。
こんな内容の記事です。
ここでアセアンの人々は、単眼的思考のみが支配する現代社会のシステムの延長線上に、果たして全てを解決する唯一の正解が隠されているのだろうか、という疑問を抱き、彼らは古くから伝わる「アセアンの伝統文化」を今の世の中に活用する思考法の延長線の中に別の正解があるのではないかと提言しているのだと思う。
かれらは今後、「文化の活用」をCOP等の国際的な運動の中につなげていくという。
彼らの運動の進展を注視していきたいと思います。
同じアジアの一員として、ここに述べられていることは、基本われわれも共有していると思う。
そして、技術にのみ重きを置き、都市部一極集中を進める一方で、過疎化の進行や格差の拡大を当然のこととする思考に慣らされている、バランスを欠いた我が国の状況は、もっと憂えるべきものだとも感じる。
東京駅前から始まり、もとは野村や西川があった日本橋界隈にかけて再開発と称して現在槌音高く土埃が舞っている。私達だけがSDGsの輝く未来を具現化するプレイヤーであり、先頭を走っているランナーですよ。市民の皆さんはギャラリーとして歩道に集まり、旗を振っていてくれさえすれば良い世の中になるのですよ、といった様相の時代になっているのが現在の我が国の状況と常々感じています。このままで本当に希望がもてる地球環境の維持・回復が出来るのだろうか?
グローバルな温暖化問題に対する解答を得る手段として、アセアンの人々は「伝統文化」をもう一つの別のモノサシとして活用することを提示している。
我々も、大声でこの状況のおかしさを訴え、もう一つ別のモノサシ・道の存在に光を当てる複眼的思考の重要性を声高に訴える必要があるのではないか?と思っている。
再開発・SDGs・カーボンフットプリントそしてカーボンオフセット・公金の問題の見える化といった話題を取り上げてみたいと思っています。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
yo-chan