郵便不正事件で大阪地検特捜部前田主任検事の「見立て捜査」によるFD改竄疑惑が話題を集めている。朝日新聞の報道がきっかけだが、なぜ裁判が終わってから(村木元被告の無罪決定)この報道がなされたのか釈然としない。
そもそも、村木元被告の郵便不正疑惑関与報道をスクープしたのも朝日新聞。そして、前田主任検事の証拠改竄疑惑をスクープしたのも朝日新聞。当然、このようなスクープ報道は、検察内部情報を得たからできる。と言う事は、朝日新聞と検察関係者との間にきわめて近い関係があると推察できる。
朝日新聞は、自分たちの調査報道が村木厚子氏の逮捕に結びついたと2010年版会社案内P5で自慢。
http://www.asahi.com/shimbun/honsya/?ref=6
その事に何の反省も謝罪もなく、「村木氏無罪―特捜検察による冤罪だ」と主張。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100922.html
これが報道機関としてのあるべき姿なのかすこぶる疑問である。
ここからは推測でしかないが、郵便不正事件裁判で明らかになったあまりに杜撰な検察の捜査、供述メモの紛失(※裁判長が激怒した)、証人たちが次々明らかにした検察シナリオに添った自供を強要する強引な取り調べ。(※検察調書の大半が不採用)これでは、検察そのものの信頼が根底から崩壊しかねない。
これに危機感を抱いた検察首脳が、以前から分かっていた「証拠改竄」問題を朝日新聞にスクープさせ、検察の信頼を取り戻すため、一気に前田主任検事逮捕、大阪地検幹部の取り調べを強行。原因を前田主任検事、大阪地検の特殊性に収斂させて、問題終息を図ろうとしたのではないか。
しかし、メディア報道では慎重に言及を避けているが、そもそもこの郵便不正事件の本来の目的は、当時、小沢幹事長の側近とされた石井一議員の立件にあった。石井議員を立件して初めて検察のシナリオは完結する。その為には、一人の人間(村木厚子氏)の官僚人生を終わりにしても何の痛痒も感じない恐るべき人権感覚の麻痺が見える。
メディアでは、成果主義の弊害などと論評しているようだが、もっと本質的な「人権感覚の麻痺」まで論及しないと、この国を蝕んでいる病巣は摘出できない。この視点がないからこそメディアは、ここ数年、「推定無罪」の原則を放棄して、逮捕=有罪(推定有罪)の大合唱を繰り返した。
このメディアの「人権感覚の麻痺」が、冤罪事件を引き起こす温床になった。だから、検察リークによる世論操作が行われる。この社会的風潮の中で「政治的思惑」が絡んだら、大きく国の方向が変化する。
この郵便不正事件でも、どんな手段を弄しても、小沢一郎や民主党政権に打撃を与えたいと考える実効権力・既得権益グループの巨魁である旧自民党政権中枢大派閥と検察との癒着の影が見え隠れする。具体的に言えば、小泉元首相秘書飯島勲氏の関与が取りざたされている。
http://ameblo.jp/prostaff-db95/entry-10537096602.html
http://voicevoice.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-fb06.html/
http://blog.goo.ne.jp/capitarup0123/e/c476467990fea1c45ed894837eed74a5
さらに9月23日の東京新聞が書いているように、特捜部が扱った案件には、数々の冤罪事件がある。・・・・・
(1)1975年に新潟で発生したひき逃げ死亡事件では、被告とされた男性のトラック後輪に付着していた血痕が、検問時には存在せず2日後に警察署へ行ってから発見されたとして、最高裁は1、2審判決を破棄して逆転無罪判決を出した。
(2)1950年に発生した「財田川事件」では、ズボンの血痕を根拠に一旦は最高裁で死刑判決を言い渡された故・谷口繁義氏の再審(1980年)で、血痕は事件後に付着したと認定。さらには谷口氏に有利な証拠を「紛失した」と偽って検察が意図的に隠蔽したとまで指摘され、1984年に無罪が確定した。
(3)1955年に宮城県で起きた放火事件の再審でも、掛け布団に付着した血痕を「捜査当局が押収後に付着したと推測できる余地がある」との判断で、死刑が確定していた故・斎藤幸夫氏に再審無罪が言い渡された。
(4)1969年の鹿児島夫婦殺人事件では、警察が被告に任意提出させた陰毛が、いつの間にか「被害者の遺体から検出された陰毛」として鑑定に回されていたことが発覚。86年に福岡高裁での差し戻し審で無罪が言い渡される。
(5)さらに1981年の短大生殺人事件では、被告とされた男性はパーマの短髪だったが、DNA鑑定された犯人の毛髪が長い直毛だったことが後になって指摘された。単純な証拠の取り違えだが、故意なのかミスによるものなのかは分らない・・・
http://ch10670.seesaa.net/article/163442719.html
これらを勘案すると、今回の前田主任検事の証拠改竄疑惑は、上記のような多くの冤罪事件を生み出した検察の体質・捜査手法がその大きな要因だと言わざるを得ない。同時に、その背後にある大きな政治的影響力を考えざるを得ない。
さらに問題なのは、このような体質を持った検察組織が、ウォルフレンが指摘する非公式権力=実効権力組織の代表組織であると言う事である。「何が罪なのか」を決定する「裁量権」と強制捜査権、身柄拘束できる逮捕権と起訴できる権利(訴追権)を持った検察組織は、「国家権力」そのもの。これだけ強大な権力を持つ組織が、特定の政党・政治家・個人をターゲットにした場合、これから逃れるのはほとんど不可能だと言って良い。これがメディアと結びついたら、強烈な影響力を発揮する。
ウォルフレンは以下のように書く。・・「検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。民主的な手続きを経てその地位についた有権者の代表であっても、非公式な権力システムを円滑に運営する上で脅威となる危険性があるというわけだ。」
・・「さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。」・・カレル・ヴァン・ウォルフレン(日本政治再生を巡る権力闘争の謎・・中央公論)
実は、非公式権力=実効権力(官僚・財界・既得権益層など)は、今回の証拠改竄問題が、上記のような非公式権力システム全体の解体につながる危険性を持っている事に深刻な危機感を抱いているのだと考えられる。例えば、山本一太は、「今回の問題は、前田検事個人の問題と大阪地検の特殊な事例で、他の事件と関係ない」と力説していたが、彼や彼の属していた派閥(清和会)などが、これらの実効権力と深く結びついていた事を告白しているようなものである。
ここにきて、大林検事総長引責辞任の話がちらほら出始めている。この話もかなり疑ってかからなければならない。まず、今回の大阪地検特捜部の証拠改改竄事件と検事総長辞任の話とは、直線的には結び付かない。何故なら、今回の改竄問題は、前の樋渡検事総長の時に起きているからである。
さらに、大林検事総長は、「小沢氏を有罪とする証拠はない」と記者会見で明言したり、今回のFD改竄問題でも報道がなされたら即座に前田主任検事を逮捕、大阪地検幹部も事情聴取している。過去の検察捜査の常識からは考えられないスピードである。これから推測できる事は、相当以前から内偵を進めており、特捜部や検察のあり方を含めた確固とした方針のもとに捜査を進めているのではないかということである。
当然ながら、この背景には、小沢一郎の西松建設事件、陸山会事件の捜査手法などに対する批判があると考えられる。これを不都合と考える勢力が、早々と大林検事総長引責辞任を唱え、前田検事、大阪地検特捜部の特殊例外的事件として処理したいと主張していると考えられる。
最初に書いたように、非公式権力システムや検察当局の狙いは、問題を「前田検事や大阪地検特捜部の特殊例外的事例」として矮小化し、検察改革に結び付かせない点にある事は間違いないだろうが、大林検事総長自身は抜本的な検察改革を視野に入れているのではないかと思われる。これに危機感を抱いた勢力が、大林検事総長引責辞任で幕引きを図ろうとしているのではないか、という疑いが捨てきれない。
事ほど左様に、日本で起きる大事件の裏には、多くの政治的思惑がうごめいている。このような動きがある程度われわれの目に映るようになったのが、ネット社会のメリットであろうが、同時に自分自身の立ち位置を明確にしていないと、溢れかえる情報の渦に飲み込まれてしまう危険性が高い。何はともあれ、今回の前田検事の情報改竄事件の処理の仕方如何で検察の未来も決定される事は間違いない。
「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
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