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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

杉田水脈議員の「確信犯」的発言

2018-07-31 16:31:29 | 民主主義・人権
杉田水脈の「確信犯」的な発言には参りました。

LGBTの人たちには「生産性がない」から、この人たちに税金を使うのはやめた方がいい、と雑誌「新潮45」で堂々と発言。ネットで炎上(抗議が殺到)しているといいます。

「生産性がない」と言うと、(この政治家の評価では)障害のある人や 、高齢者、特に後期高齢者など「誰でも」当てはまることになりかねません。

杉田議員は安倍首相が自民党に引っ張ったという、なるほどです。安倍首相の心性をためらいもなく発言してくれるので都合がよろしいからですね。自民党もここまでやるかといういい見本です。

二階さん(御年77?)も「いろいろな意見の人がいていい」と弁護。自民党も「公認」している「意見」のようです。

いろいろといていいが(自民党にいろいろいるのかは大疑問であるが)、「生産性のない」人に税金を使うのは勿体ないという人は「いろいろ」には入りません。そういう主張は民主主義の社会では「いろいろ」ではなく、「偏見や差別」と言います。

自民党内で誰も反対していないから、杉田の意見は容認されているようです。ここまで来ると、ナチス的な思想もOKになっているようで「恐怖」です。

杉田議員は以前も「男女平等ということは幻想だ」とまで言っています。どんな女性なのだろうか?

「護憲+BBS」「どんぺりを飲みながら」より
名無しの探偵
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「憲法9条・国民投票」・・・(第6)の選択肢を提案したい

2018-07-30 21:03:53 | 憲法
映画「憲法9条・国民投票」参加報告の、下記の設問と回答結果を見ての感想ですが、この5択で国民投票をしたらどのような結果になるのか、まして憲法に関心の薄い、知識の少ない人の選択はどうなるものやら不安を感じます。

いずれにしろ現憲法の平和主義、国民主権、人権擁護への国民意識の水準が選択を左右するような気がします。それが低ければ、意外にも(3)自民党安倍案が国民に支持される可能性もあるでしょう。

また(1)以外は日米安保条約容認と見え、安倍内閣で集団的自衛権が解釈改憲された以上、時の政権次第によっては、(2)(3)(4)(5)ともに、すべて戦争は可能となり、平和、国民主権、人権擁護は危ういように思われます。

(1)は理想ですが、かつて日米安保闘争で敗れ、その後社会党も消滅し、実現は難しいと思われます。しかし国民の憲法に対する意識水準次第のようにも思われます。

≻与えられた選択肢は
≻(1) 9条護持、自衛隊を含めあらゆる戦力不保持
≻(2) 9条護持、自衛のための自衛隊は合憲
≻(3) 9条1条、2条を維持したまま、自衛隊を明記(現自民党案)
≻(4) 9条2項削除 自衛隊を明記(従来の自民党案)
≻(5) 護憲的改憲、個別的自衛権容認。9条に自衛隊の活動範囲を明記(市民案)
の五択。
≻14人の市民は、当初(1)2名、(2)1名、(3)2名、(4)1名、(5)3名、(未定)5名の分布でした。

しかしいずれも憲法9条の文言維持か改正にとらわれすぎて、真の恒久平和維持のためにはどのような根本思考が必要かという観点が欠けているように見えます。

このまま(1)から(5)案で、国民投票にした場合、一般国民には違いが分かりにくく、後からこんなはずではなかったとの後悔の声が出るような気がします。

そのような意味で、例えば憲法9条のどこかに、「永世中立国となり、自衛の為の自衛隊を保持し、恒久平和のために平和外交と核廃絶外交に徹する。」という文言を盛るような、(6)案が無いのは残念に思います。

永世中立の主旨には他国に侵略されない限り戦争放棄の意味と必然的にどの国とも安保条約、軍事同盟は締結しないとの意味も含まれ、恒久に平和を希求する為の憲法改正という、新生日本のイメージが国民に分かりやすく伝わる様に思う次第です。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
厚顔
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映画「憲法9条・国民投票」試写会7/25参加報告

2018-07-27 17:28:17 | 憲法
7月25日に参議院議員会館で行われた映画「憲法9条・国民投票」試写会に参加しました。

『札幌、東京、神戸など各地で働き暮らす市民14人の2日間にわたる議論を追ったドキュメンタリーをプロデュースしました。
「これが正解なんだ」と、観客・視聴者に向けて押し出すような作品ではありません。
意見、考えが異なる者同士が議論することの大切さを理解してほしい。そして観客席から議論する場に移り、主権者の一人として自身の答えを出してほしい。
そう考えて作った映画です。』(今井一さん)

集団的自衛権行使を認めた「安保法制」が成立し、安倍首相が「憲法改正」の意思を明確に示したのをきっかけに、市民の間でも「9条壊すな!総がかり」運動が大きな広がりを見せ、その一方で自衛隊の活動範囲の縛りを明記する「護憲的改憲論」も出るなど、憲法論議が活発化してきました。

そうした中、「国民投票」の意義について一貫して主張し、会合を積み重ねて来た今井一さんが、その集大成として、市民による徹底議論とその結果としての模擬国民投票の場を設定し、映画「第九条」の監督・宮本正樹氏がその模様を記録したのが、このドキュメンタリー映画です。

与えられた選択肢は
(1) 9条護持、自衛隊を含めあらゆる戦力不保持
(2) 9条護持、自衛のための自衛隊は合憲
(3) 9条1条、2条を維持したまま、自衛隊を明記(現自民党案)
(4) 9条2項削除 自衛隊を明記(従来の自民党案)
(5) 護憲的改憲。個別的自衛権容認、9条に自衛隊の活動範囲を明記(市民案)
の五択。

14人の市民は、当初(1)2名、(2)1名、(3)2名、(4)1名、(5)3名、(未定)5名の分布でした。

映画はまず、共産党・山添拓氏、立憲民主・杉尾秀哉氏、自民党・船田元氏、無所属・長島昭久氏、立憲民主・山尾しおり氏の5名の与野党議員と堀茂樹・慶應義塾大学名誉教授の主張が紹介され、その後市民が夫々の立場の表明と、異なった立場同士の質疑が交わされます。

2日間にわたる真剣な議論ののち、今回の最終的な投票結果は、(1)4名、(2)1名、(3)1名、(4)1名、(5)6名、(白票)1名となりました。

長時間にわたる議論というのは、当事者は勿論しんどいと思いますが、映画を見る側もかなり疲れます。それでも私自身、映画を見ながら自分とほぼ重なる意見に出会うと気持ちがスッキリし、異なる意見にはなぜそう考えるのかに興味がわいて、自分の考えを洗い直す良い機会になりました。

「諮問型国民投票」など、市民や野党の側から「市民案」を問う手段も、論理的にはあり得ますが、現実に間近に迫っている憲法改定の問題は、自民党が発議した改定案の可否を問うものになることを考えると、今回最も選択の多かった「9条に自衛隊の活動範囲を明記(市民案)」を選択した人たちは、実際の国民投票では自民党案にどういう立場を示すのか、再度自問する必要が出てくることになります。

しかし、今回のような原則論に沿って考える体験をした人たちは、きっと主権者の責任を自覚しながら、的確でより深い選択をすることになるでしょう。

「市民の抵抗」と「戦争」の違いの不明確さなど、若干議論に混乱があるとの課題も感じましたが、それは夫々が更に考えを整理していく中で、自民党案の本質も見えてくるのではないか、という気もしました。

決着のつかない「モリ・カケ問題」、次々に襲い掛かる自然災害、IR法案、働き方改革法案、公職選挙法改正法案などの強引な採決、「オウム事件犯」の死刑執行、自民党議員のトンデモ発言などなど、日々目まぐるしく変動する状況の中でも、安倍自民党政権は「改憲」発議のタイミングを虎視眈々と見計らっています。

そうであれば、私たちは、こうした変化に翻弄されながらも、自分の国の在り方を問う憲法について判断することは避けて通れないことを自覚し、しっかり向き合う必要があります。

この映画の評価は様々だと思いますが、「自分はどう思っているのか」を、主権者として真剣に考えるひとつのきっ掛けとして、多くの人に見て欲しいと思いました。

余談ですが、当日の試写会に、杉尾氏や山尾氏と共に、自民党の船田氏もあいさつに来られましたが、「参院定数増」に反対して戒告処分を受け、「目下謹慎中」と語る船田氏の、吹っ切れたような晴れやかな表情が印象的でした。

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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「心医」と「遠山の金さん」:日本で、現代版の時代劇は、いつになったら現れるのか

2018-07-24 17:06:29 | 民主主義・人権
ホジュン~伝説の心医~ |TVQ - 株式会社TVQ九州放送 
https://www.tvq.co.jp/drama/hojun_2018/
■解説
すべての人を救い、すべての人が彼を愛した。
軍官の父に憧れて育ったジュンは聡明な少年だったが、やがて身分の低い側室の母から生まれた庶子の自分が望み通りに生きるのは難しいと悟る。成長後、自暴自棄な生活をするジュンは密貿易に手を出して捕まり、父の配慮で遥か南の地・山陰(サヌム)へと逃げることに。
同じ頃、ジュンは、父が謀反の疑いをかけられて追われた両班の娘ダヒと運命的な出会いをしていた。ダヒと生きる決心をして共に旅立つが、途中彼女の身分回復を知らされ、身分違いの結婚はできないと彼女を置いて母と二人山陰にやってくる。
そこで名医と名高いユ・ウィテを知り、彼に弟子入りを志願。厳しい師の下で懸命に学ぶジュンは、ウィテの養女で医術を学んだイェジンになにかと助けられる。
イェジンに想いを寄せるウィテの息子ドジは、ウィテに目をかけられ腕を上げていくジュンを疎ましく思う。ウィテはドジに「心医」になってほしいと願うが、ドジは内医院に入って御医になるという出世欲を抱いていた。間もなく山陰まで追ってきたダヒと再会し結婚したジュンは、妻や母に支えられながら「心医」を目指して邁進していく。
その道は険しく、様々な苦難に満ちていた…。

心医とは… 『「世に知られた名医であれ、村の田舎医者であれ、人の命を扱う仕事はどの職業よりも高貴なものだ。しかし、最後の一つが欠ければ真の医員とは言えぬ。それが愛だ。病に苦しむ人々を憐れに思う心、真に病人を憐れむ心を持って初めて心医になれる。世の中が求める医員はただ一つ、心医だけだ」』(ホジュンの師匠ユ・ウィテの言葉)

現代に通ずる、或いは、現代版の価値観であろうか。ドラマを通じて。はてさて、こうした時代劇が、日本に普及するのは、いつのことになるだろうか?と思わせる。
 
例えば、“遠山の金さん”があるが、エンタメ、痛快劇ではあろう。好きな人にとっては。日本の時代劇、“大岡越前”“水戸黄門”etc. カタルシス、勧善懲悪については、共通していると思う。或いは、俳優が好きだから、好評の側面もあろう。母は、加藤剛が好きで、観ていた。
 
ただ、現代版、現代的価値で、脚色されているかというと、没価値的だ。典型がこの金さんで、お白州式で、奉行が実は遊び人、見て来た有無を言わさぬ証拠で、恐れ入りましたを導く。冤罪事件も多いのだが、名誉回復や、財産の回復など、とんとない。

勿論、現在では国家賠償法があり、一応冤罪と認められれば、名誉も、地位・財産も回復される。尤も、その手続き、面妖なことが少なくない。再審無罪に至っては、検察官、裁判所が、沽券に係わると謂わんばかりに、三審制を悪用して、徹底抗戦する場合が多く、極めて遺憾である。ご存知の通り。
 
日本の場合、現代版にしても、猶、不条理が罷り通っているのかもしれない。だから、現代版の時代劇が現れない?リメイクにしろ。現在、現代に問題が残っているからであろうか。民主主義、法の支配、国民主権に、実態、主権者の満足がないのか。
 
日本で、そうした中で現代版の時代劇は、いつになったら現れるのか?多分、主権者の腹の足しになる民主化を達成した後になろうかと思っている。今は、国民主権を実現するための三権分立すら怪しい。機能不全どころか、安倍独裁であるかのようである。誠に、実に、遺憾な有様である。

※許浚 (きょ しゅん、ホ・ジュン)- Wikipedia 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/許浚
 生涯
 父許碖(ホ・リュン)と母霊光金氏の間に庶子として生まれた。出生地は諸説あって定かではない。父と祖父の許琨(ホ・ゴン)はともに武官であった。宣祖の時、医科を受験して内医院に入り(雑科を受験せず推薦で内医院に入ったとする説もある)、王室の病気治療で功を立てた。1592年、壬辰倭乱(文禄の役)が勃発すると、御医(王の主治医)として義州にいたる逃避行に追従し、1604年、忠勤貞亮扈聖功臣3等の論功を受け、1606年には、陽平君(ヤンピョングン)に封じられた。1608年、宣祖の死の責任を取り、流刑に処されたが、翌年には光海君によって呼び戻された。1610年には、朝鮮第一の医書として名高い『東医宝鑑』を完成させている。
 著書には他に『辟疫神方』『新纂辟瘟方』『諺解救急方』『諺解痘瘡集要』『諺解胎産集要』『脈訣集成』『纂図方論脈訣集成』などがある。
 許浚の墓地は、京畿道坡州市津東面下浦里の臨津江を越えた非武装中立地帯内にあり、民間人の立入りが厳しく規制されている。1991年、アメリカ在住の古文献学者、李亮載らが軍部の協力のもと発見した。1992年6月5日、京畿道記念物第128号に指定された。

 小説・ドラマ
 詳細は「ホジュン 宮廷医官への道」を参照
 1976年、李恩成(イ・ウンソン)が許浚の生涯を題材としてシナリオを書いたMBC(韓国文化放送)の連続ドラマ『執念』、それを元にした李恩成による1990年の小説『小説 東医宝鑑』、さらに李恩成没後の1999年にそれをドラマ化した『ホジュン』が存在する。2013年3月より、1999年放送のドラマをリメイクした『ホジュン?伝説の心医』の放送が開始された。

※李氏朝鮮時代の身分制度・韓流時代劇が楽しめる豆知識 | アジア韓国歴 
 https://korea.sseikatsu.net/tyosenmibun/

※科挙 - Wikipedia 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/科挙
 外国への影響 
 朝鮮
 詳細は「朝鮮の科挙」および「李氏朝鮮の科挙制度」を参照
 朝鮮半島の高麗や李氏朝鮮でも、中国式の科挙が導入されていた。李氏朝鮮の科挙は、法的には特別な場合ではなければ全ての良民が受験可能だったが、実際では経済的理由で貴族層である両班ではなければ受験が難しかった。朝鮮後期には三代の間に科挙の及第者を出せなければ、両班と認められなかった。科挙の実施は礼曹が行い、及第者からの官僚への人選は文官は吏曹が、武官は兵曹が担当する。これは、唐以来の中国の制度を準用したものである。
 韓国では現在でも、科挙の名残として「高等考試」(日本の国家公務員一種試験に相当)がある。また、全国から受験者が集まるソウル特別市の公務員試験の様子を、かつて科挙受験のために漢陽(現在のソウル)に集まった状況に例えて、ニュース等で「現代版科挙」と言われる場合もある。民間でも、サムスングループの入社試験を、その難関さから科挙に例えられる場合がある[13]。
 日本
 日本でも、平安時代に科挙が導入され庶民から進士に合格し下級官人となり、最終的に貴族にまでなった人物として勇山文継が知られているが、日本独自の「蔭位の制」と呼ばれる例外規定が設けられ、高位の貴族の子弟には自動的に官位が与えられたため(世襲)、受験者の大半は下級貴族で、合格者が中級貴族に進める程度であった。このため、大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、当時の貴族政治を突き崩すまでには至らなかった。その後、律令制の崩壊とともに廃れ、院政期から官職の世襲制化が進み、基本的に江戸時代まで続く。科挙が日本の歴史に及ぼした影響は少なかった。

※遠山の金さん - Wikipedia 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/遠山の金さん
 江戸町奉行・遠山金四郎景元を主人公にした時代劇。
 基本的な構成
 「水戸黄門」「暴れん坊将軍」と同様、「気のいい町人」が最後に「実は権力者」の正体を明かして悪を征し、視聴者はカタルシスを得る。

※大岡越前 (テレビドラマ) - Wikipedia 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/大岡越前_(テレビドラマ)
 製作
 享保期の(江戸)南町奉行大岡忠相を主人公とした日本の時代劇である。
 
「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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小田川氾濫、真備町浸水は、完全な人災。行政の怠慢以外にない。

2018-07-18 20:54:06 | 社会問題
今回の小田川氾濫と真備町の水害は、調べれば調べるほど「政治の不作為による人災」としか思えない。ボランティアで真備町に入ったわたしの知人の話でも、真備町の住民の多くが、今回の水害は明確な「人災」だと心の底から怒っていたという話である。

小田川水源は、広島県神石高原にある(通称吉備高原)。そこから岡山県井原市(高校駅伝の優勝校 興譲館がある)に出る。そこから、矢掛町(山陽道の宿場町)を経て、真備町に注いでいる。真備町で一級河川の高梁川に合流する。

その中で真備町は距離も長く(7.9Km)勾配も大変緩やか。昔から、高梁川本川堤が決壊して高梁川からの水が流入したり、決壊しなくても合流点から本川の水が小田川に逆流して小田川が破堤、越水となることが頻繁に起こってきた。今回の水害も同様な原因で起こっている。

中でも有名なのが1893(明治26)年の大洪水。高梁川が決壊して小田川流域低地に氾濫水が流入し、小田川も何カ所かで破堤して、今回と同じ地域が浸水した。流出戸数216、全壊戸数189、半壊戸数287、浸水戸数776、溺死68という甚大な被害となった。

この水害の凄まじさは、わたしの祖母が経験していて何度もその話を聞いた。わたしの生家は、高梁川の支流成羽川上流にあった。その時の水害の凄まじさは、わたしの故郷ではかってないほどの規模だった。の過半数が水没。多くの死者がでたそうだ。わたしの故郷でもその凄まじさが語り続けられるほどの水害だったのだから、高梁川下流の水害の凄まじさは筆舌に尽くせないほどだった。その中でも、真備町川辺あたりは、県内でも一番の甚大な被害を被ったのである。

さすがにこの大洪水は多くの人々に治水の重要性を認識させ、国は、明治大正を通じて高梁川の河川改修を行った。この当時、高梁川は酒津のあたりで、東大川、西大川の二つに分かれていた。それを西大川一本にまとめ、東大川は埋め立てられた。わたしの勤務した学校の校庭を掘り起こすと、ほとんど砂地だったところがある。そこはかって東大川が流れていた場所だった。この一事をもってしても、いかに大工事だったかが分かる。

その結果、高梁川の堤防決壊はほとんどなくなったが、増水時の高梁川からの逆流や、小田川とその支川の地形要因に起因する洪水はなくならなかった。実際に1972年7月には梅雨前線の豪雨で小田川が破堤、氾濫し、1976年9月の台風17号による降雨でも再び破堤、氾濫している。

この問題を克服するために、小田川流域の住民は、水害予防組合をつくり、備えた。この水害予防組合というのは、水害常習地の市町村が主体となり、区域内の住民から組合費を徴収し、それを財源に水害防止活動をおこなうもので、戦前から戦後にかけて北海道を除く全国各地にあった。

組合の仕事は、堤防の保護・改築・修繕や排水路の浚渫、ため池の保護・改築などで、川の水位の観測方法や通報の手順、増水時の出動態勢、出動場所、堤防の防御方法、住民の避難場所・避難経路、減水時の対応などについて、具体的で詳細なとり決めをしていた。増水時には支川への逆流をくいとめるために、支川合流部にある樋門に板を差し込んで閉鎖することもやっていたという。

※小田川水系の水利問題については、岡山大学大学院教授内田和子氏が、「岡山県小田川流域における水害予防組合の活動」を『水利科学』№320(2011年)に掲載し、小田川の水害の危険性を明治以降の歴史に沿って警鐘を鳴らしていた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suirikagaku/55/3/55_40/_pdf
※小田川と高梁川の合流地点を4・6Kmずらす計画については、国土交通省が「小田川合流点変更による内水被害への効果」という文書を出している。
http://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/shouiinkai/kihonhoushin/070518/pdf/s1-1.pdf

このように多くの関係者、研究者などが、水害の危険性について指摘し、警鐘を鳴らしていたにも関わらず、現実には小田川と高梁川の合流点をずらす工事は行われていなかった。

国も県も倉敷市もただ手をこまねいていたわけではない。小田川の合流地点付け替え工事は2007年に基本方針が策定された。そして、今秋に工事に着工する計画になっている。

その前身となった計画は昭和にまでさかのぼる。あまり詳細に述べても煩雑なので、簡単に書くと以下のようになる。

1968年、旧建設省は柳井原堰(ダム)建設の構想発表。場所は今回の小田川付け替え工事完了後の合流部分に当たり、水害の相次ぐ小田川の治水と、水島コンビナートを中心に渇水にあえぐ下流地域の水源開発が目的。この建設予定地は倉敷市と船穂町(現倉敷市船穂町)にまたがっていた。

ところが、船穂町には大きなメリットがなく、柳井原堰の建設に猛反発した。
「反対理由」
① 治水の恩恵は上流の真備町(現倉敷市真備町)などの小田川流域
② 利水の恩恵⇒下流の倉敷市などの都市部が中心
③ さらに、船穂町は、前に書いた高梁川一本化工事で、船穂町の一部の集落が貯水池の底に沈むという過去の記憶
このため、交渉が難航。計画はたなざらし。

1995年⇒船穂町が強硬姿勢を一変。⇒建設省および岡山県との間で柳井原堰建設の覚書を締結。柳井原堰建設を1997年から開始することについても合意。2008年頃には竣工する計画だった。建設省の発表から27年、ダム建設計画はようやく日の目を見る予定だった。

ところが、2002年6月10日、石井正弘岡山県知事はダムの建設中止を突然表明した。倉敷市長や船穂町長でさえ「青天の霹靂(へきれき)だった」と言う突然の中止宣言。

政治経済情勢の変化、バブルの崩壊余波で岡山県の財政状況悪化などの理由。結局、関係自治体の間でダムがなくても安定して水を供給できるという結論に達し、2002年秋、柳井原堰の建設中止を中国地方整備局に正式に申し出る。

翌年の事業評価にて、中国地方整備局は「中止は確定した。高梁川ならびに小田川の治水対策を行う必要があるため、今後、早期に小田川合流点の付け替え処理等抜本的な治水対策を行う必要がある」と指摘したものの、小田川の治水対策は事実上振り出しに戻った。

これらの歴史を見ていると、国・県・関係自治体それぞれの事情があり、調整が難しいという側面は否めないが、あまりに洪水の危険性をないがしろにした議論に思えてならない。

先に紹介した内田氏の論文には、「水害予防組合」の話し合いが紹介されているが、政治的思惑に翻弄された国・県・市町村の話し合いよりはるかに実務的で具体性を持っていた。

以前、オランダの人々の「公共」重視の考え方は、海より低い土地のオランダが毎年悩む「水害の話し合い」の伝統に淵源があると書いた。実は、内田氏の論文にも同様な意図が感じられた。ところが、小田川が1967年に一級河川に昇格したため、小田川の改修は国の管轄になり、「水害予防組合」は解散した。これが話し合いがまとまらなかった一因でもある。

昔から、【治山治水】は、国の統治の基本であり、これをないがしろにした政権は民の恨みを買い、崩壊した。たとえ、他の事で多少の恨みを買っても、【治山治水】の目的のためなら実行すべきだった。

例えば、現在、新たな研究が進んでいる江戸の町作り(防火と水道など)を見ていると、このような都市インフラの整備が江戸300年の土台を作ったといって過言ではない。江戸のインフラ整備は、現在まで生き残っており、文字通り先見の明に富んでいたのである。

「先憂後楽」という言葉がある。
※范仲淹という人が、 岳陽楼記の中で書いた言葉。「士先二天下之憂一而憂、後二天下之楽一而楽」〕天下のことについて世の人に先んじて憂え、遅れて楽しむこと。常に天下の平安を心がけていること。

政治家の心構えとして古くから人口に膾炙した言葉である。そこから取った言葉で、岡山県にも「後楽園」という日本三大庭園があり、東京にも「後楽園球場」がある。わたしの家にも昔から犬養毅が揮毫した「先憂後楽」という額がかかっていた。

儒教的心構えで古い、という考え方もあるだろうが、現在の政治家たちの立ち居振る舞い、政策立案能力、時代の先を読む力などを見ていると、彼らに決定的に欠落しているのが「先憂後楽」の精神だと思う。

大方の批判を浴びた7月5日の赤坂自民党亭による宴会。民が何十年に一度の大水害に苦しんでいる最中、政治家たちが宴会で盛り上がっている。「先憂後楽」精神と真逆の「先楽後憂」の精神の発露ととられても仕方がない。安倍政権下の自民党政治家どもの精神的劣化は目を覆わんばかり。

広島の被災地で、石井国交大臣が、「スコップ一本もって、一軒でも良いから泥かきをしてみろ。そうすればどれだけしんどいか、どれだけ臭いか、身に染みて分かるだろう」と怒鳴られていたが、「先憂後楽」の精神の欠片もなく、博打法案成立に血道をあげている姿を見れば、怒鳴られて当然だろう。

真備町の水害を見れば、「政治・行政の不作為」が如何に甚大な被害を招くか、一目瞭然だろう。これだけの大被害を出さなければ、政治・行政は動かない、という日本の悪しき伝統は、そろそろ脱却しなければならない。

「治山治水」と「国民生活の安心」。これこそが政治の要諦。これらを忘れた政党や政治家はお払い箱にしなければならない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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安倍政権の即刻退陣を要求する7・19国会前大行動

2018-07-17 09:53:49 | イベント情報
■日時:7月19日(木)18:30~20:00
■場所:国会議事堂正門前を中心に(並木通り両側、南庭・北庭前歩道)
■内容:各立憲野党代表と市民の連帯挨拶(廣渡清吾氏、山城博治氏、木村真氏、など)
(パフォーマンス)数千本のキャンドルを掲げ、歌とコール、など

☆趣旨(概要)
森友・加計学園問題での公文書隠蔽・改ざん、防衛省による自衛隊の日報隠しの露呈、財務官僚のセクハラ事件、
その一方で、労働法制の改悪、カジノ法、TPP11、参院の選挙制度改悪、など悪法のごり押し、
また西日本の大水害に対する政府の対応の遅れなど、
安倍政権の政治運営には許容しがたいものがあります。

こうした安倍政権の政治責任を追及し、退陣を要求する声をみんなで挙げましょう!

☆主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会、他賛同団体多数
http://sogakari.com/?p=3639

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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抗議の「声」は聞こえているのか

2018-07-16 10:44:15 | 民主主義・人権
西日本での豪雨被害に関する報道を見ていると、予想通り被災地の状況把握と支援の初動が大幅に遅れたようで、困っている人はいないことにしてしまう現政権の姿勢がまたも明らかになってしまった。

災害に見舞われ日常を失った人々の様子は、日本で性犯罪の被害に遭ったのに日本の法や制度によって救われなかった人が、日本の外に出て正義を勝ち取るために必死にもがいた体験を語る状況と重なってくる。

現在はロンドンに拠点を置き、ジャーナリストとして活動する伊藤詩織さんが、イギリスの放送局BBCから取材を受け、昨年12月にはインタビューを元にしたラジオ番組が放送された。
https://www.bbc.co.uk/programmes/p05r58zm

今年の6月にはBBCのテレビの方でも、放送範囲がイギリス国内に限定されているものの、伊藤詩織さんが性犯罪被害を告発する前後を描いたドキュメンタリー番組が放映され、イギリス国内をはじめ、他の国や地域でも反響と共感を呼んでいる。
https://www.bbc.co.uk/programmes/b0b8cfcj
https://youtu.be/G0vpvcTjh0s

日本国内では、被害者が公の場で事実を述べただけで追い打ちをかけるように非難されてしまうが、国外では堂々とメディアに出演し意見を述べられるという状況を見ると、現時点で日本には基本的人権も何もあったものではない、憲法を護るという状態には程遠いのではないかと失望してしまう。

ハリウッド発の”Time’s Up”のキャンペーンに刺激され、音楽の世界では、第60回グラミー賞の授賞式に、レディ・ガガさんやリサ・ローブさんらが白いバラを身に着けて授賞式に出席していた。白いバラを着用することで、セクハラを撲滅するために連帯していることを示すものだ。

直前の第75回ゴールデングローブ賞授賞式では、「黒い服」が団結のシンボルとして使われていたことも報じられた。勇気ある告発とこれ以上被害に遭う人を増やしたくないという意思を受け止め、女性も男性もそれらに該当しない人も訴えに賛同し全力でサポートしたいという意思が伝わってくる行為である。

日本においても、ジェンダー平等教育や人権教育に懸命に取り組む人たちがいることもまた事実だ。こうした草の根の運動や小さな発信がいつか実を結び、誰もが人権を当たり前に尊重され保証されている社会になってほしいと、強く願っている。

「護憲+コラム」より
見習い期間
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オーム事件 麻原など七人死刑執行

2018-07-10 09:28:23 | 社会問題
一連のオーム事件の主犯とされた麻原彰晃他6人が死刑を執行された。事件からすでに25年近く、四半世紀近い歳月が過ぎている。わたしたちには、事件の記憶は鮮明に残っているが、若い人にはそれこそ歴史の範疇に入る事件だろう。「日本にもテロ事件があったんだね」程度の認識に違いない。

“時の流れ”というものは残酷なもので、その時を生きた人間にとっては今そこにある問題のように思えても、その全てを容赦なく歴史の彼方に押し流してしまう。オーム事件の被害者、関係者たちもこの時の流れの無残さを噛みしめているように思えて仕方がない。

しかし、今回の死刑執行は、そのような感傷を吹き飛ばすきわめて重大な問題をわたしたちに投げかけている。

まず、一度に7人という大量の死刑執行を行ったのは、明治以降では、【大逆事件】以来ない。戦後の日本の歴史ではない。(※米軍がA級戦犯を処刑した以外)

こんな歴史的で重大な決定を下した上川法務大臣には、歴史の審判に耐えうる覚悟はあるのだろうか。同時に一人の人間として7人の命を奪う事に対する良心の呵責はないのだろうか。現に死刑廃止を導入しているEU各国は、この死刑執行について厳重な抗議を行っている。

先日、BBCが特集を放映した伊藤詩織さんの準強姦事件(日本でのネット放映は即座に削除された)と並んで麻原彰晃などの死刑執行も大々的に放送されている。

日本は女性の人権など「人権感覚」のきわめて薄い国だという評価が定着し始めている。特に、伊藤詩織さんの事件に対して、自民党の若手女性議員が「伊藤さんの手落ち」を責める発言をしたのがBBCの放送で放映され、日本に住む外国人女性たちが日本でレイプされたら、女性の支援すら得られないと語り、日本及び日本人の人権感覚に重大な疑問符を突きつけている。

たしかにオーム事件の首謀者麻原彰晃たちの行った数々の犯罪は、テロと呼ぶにふさわしい卑劣な犯罪であり、彼らが法の裁きを受けるのは当然だ。しかし、どんな犯罪者でも一人の人間であることも厳然たる事実。それぞれの人間に親もいれば兄弟もいる。その人間の命を奪う決定を下すのである。わたしなら、夜も眠れないほど悩み苦しむ。

「本当に自分の判断は間違っていないのだろうか。」わたしなら、死刑の執行を下す人間の犯行を詳細に点検し判断する。それでも、一人の人間の命を奪う決定を下すまで思い悩み、苦しみぬくだろう。

「子連れ狼」の拝一刀は公儀介錯人。多くの咎人の首をはねた。彼は庭にお堂を立て、自分が介錯した咎人の位牌を飾り、供養を欠かさなかった。漫画の世界ではあるが、これが日本人の死者に対する姿勢。人間、死ねばみな仏。死んでまで悪魔の人間はいない。

わたしは教師だったので、問題児の処遇で、人には語れないほど悩み苦しんだ。どの処遇をすればこの子の将来に一番良い影響を齎すか。それこそ、眠れない夜が何日も続いた。

ましてや、人の命を奪う決定をするのである。それも一人ではない。7人である。その悩み、苦しみはわたしの苦しみの比ではない。わたしはそう考えていた。

ところが上川法相の記者会見を見ていたら、わたしには彼女の悩み苦しみが見えなかった。前夜、彼女はぐっすり眠れたのだろうか、と考えていたが、どうやらそれはわたしの杞憂だったようだ。

次のブログに掲載されている写真を見てほしい。7月5日夜、安倍首相はじめ上川法相などが、宴会をしている写真である。西日本を未曾有の大雨が襲うと報道された夜。そしてオームの7人が死刑を執行される前夜である。
http://www.asyura2.com/18/senkyo247/msg/431.html

宴会をするのが悪いのではない。何事にもTPOがある。西日本を襲った豪雨は、想像をはるかに超えた猛威を振るった。全国的に見ても災害の少ないわたしの県でも、何十年ぶりの大きな被害を受けた。特に倉敷市真備町の被害は甚大で、復興には大変な時間とお金と労力がかかるだろう。

・・余談ですが、TVではあまり紹介されない真備町の説明を多少すれば、この町は古代吉備王国の一翼を担った歴史の古い町で、「吉備真備」の生誕の地。真備町の名前も吉備真備から取っている。
 今回甚大な被害を受けている箭田地区には、箭田大塚古墳という有名な古墳があり、その横穴の大きさは、飛鳥地方の大古墳に匹敵する大きさを誇っています。わたしは近くの中学校で教鞭をとっていたので、自転車で子供たちを連れて見学に出かけたものです。
 それと、真備のタケノコと称されるタケノコの名産地でもあります。箭田という名前を見てもらえば分かるように、文字通り竹の前という意味です。古来からそれだけ竹が有名だったのです。エジソンが電球を造るのに、日本の竹を使用したのはよく知られていますが、京都の嵯峨野の竹と最後まで争ったのが真備の竹だったのです。
 以前は、長閑な田園地帯が広がった町でしたが、近年は、倉敷のベッドタウンとして急速に都市化が進んでおり、住民の数も増加しており、今回の被害住民の多さの一因でもあります。・・

このような歴史と伝統のある町が大変な被害にあった。多くの人々や住民の思いも長い歴史も奪われる大災害。為政者は、何はさておいても、問題の解決に全力で取り組むべきだろう。被災者の救出。被害規模の調査。復興計画の策定、実行。全国規模でやらなければならない事は山ほどある。やっと今日になって、政府は「激甚災害」の指定をしたようだ。

気象庁があれだけの予測を出し、国民に語り掛けたのである。行政の長である首相が、その発表のあった夜に宴会でオダを上げていては、しめしがつかない。まして、安倍内閣は、「国土強靭化計画」なる目玉政策を打ち出していたはず。なにはさておいても、このような大災害の場合に、陣頭指揮をとらなければ、国土強靭化の言葉が泣いている。

また翌日は、オーム事件の関係者7人の死刑執行するのである。たとえ格好だけでも法務大臣は私邸にこもり、自らが奪う命の重さに思いをはせるべきだろう。

ところが、この内閣は、そういう事に思いが及ばない。「人間性喪失」内閣と言われても仕方がない。

以前、「公」・「公共」・「私」の違いを書いた事がある。この中で【公共】という概念は、社会を成り立たせている常識(コモンセンス)という色合いが強いと書いた。イギリスには成文憲法はない。あるのは不文憲法である。イギリスでは、常識に沿って場合に応じて決定されるのである。それだけ、彼らは長い歴史の中で培われた自らの常識(コモンセンス)を信じている。
ウィキペディア「イギリスの憲法」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%86%B2%E6%B3%95

ところが、安倍内閣には、社会の【常識】(コモンセンス)という概念がないのではないか、と思える。彼らは歴史に対する敬意がない。多くの先人たちが積み重ねてきた【常識】(社会の常識だけでなく、議会の常識も)に対する尊敬の気持ちもない。彼らにあるのは、目の前に見える事柄だけであり、【今】しかなく、思考の原点は【公と私】だけ。ファッショ政権(独裁政権)特有の【私=公】という妄想で行動している。

・・8日午後6時現在、広島や愛媛、岡山など西日本を中心に全国で78人が死亡し、5人が心肺停止、安否不明者は70人に上っている。(毎日新聞)・・

これだけの大災害にも関わらず非常災害対策本部の立ち上げは、気象庁予測の3日後。その時の首相の台詞が、「災害は、時間との戦いで先手先手の対策をうつ」というのだから笑わせる。ちなみにその間の安倍首相の動静。

・・・安倍「時間との戦い、全力」
7/5 西日本豪雨
20:28 死刑前夜祭の宴会
21:38 自宅
7/6 劇場型死刑7名
7/7 10:01-10:16 大雨に関する閣僚会議
11:49 自宅
7/8 豪雨死者不明100名超
9:02-9:22 非常災害対策本部会議
9:48-10:42 米国務長官表敬
13:00-13:23 韓国外相表敬
14:29 自宅


7/11~7/18 外遊

まあ、首相の頭の中は、フランス革命記念日の軍事パレードをマクロン首相と特別席で見る事に占領されているのだろう。

・・・エマニュエル・マクロン大統領は #日仏交流160周年 を記念して、7月14日のフランス革命記念日にパリで行われる軍事パレードに日本を招待しました。安倍晋三 @AbeShinzo 首相はマクロン大統領と並んで特別席から観覧します。また日本の陸上自衛隊員も国を代表して行進します。
https://jp.ambafrance.org/article13300
「在日フランス大使館」16:20 - 2018年7月5日 ・・・・

●大方の批判を受けたせいだろう。どうやらこの外遊は取りやめたそうだ。

これらの事実をつなぎ合わせると、今回のオーム事件の死刑執行、西日本の豪雨災害のいずれも、安倍晋三内閣の宸襟を悩ます問題ではない、と言う事が類推できる。極端に言うと、犯罪者の命やそのあたりの国民の命などどうでもよいと考えている。彼らの命など「消耗品」で、いつでも替えが利く。それより俺たちの宴会の方がはるかに大切。この宴会は総裁選での一票獲得の大切な機会。これを逃してなるものか、というわけである。

オームの死刑執行で重要なのは、いかにこれを政治利用するか、という視点で、それ以上でもそれ以下でもない。ここで示されているのは、「政治の私物化」以外の何物でもない。一言で言うと、独裁者の姿勢。

わたしは今回のオーム事件の死刑執行を見ていて、ペルーの「日本大使館占拠事件」を思い出した。ペルー政府側が、大使館に強行突入し、犯人たちを殺害した。その後、大使館に入ったフジモリ大統領は、殺害されたテロリストたちの死体を階段の上から傲然と見下ろしていた。勝利者が敗者を見下ろすもので、その冷酷な表情に背筋がゾクッとしたのを思い出した。フジモリ大統領という人物は、骨の髄からの権力者だと言う事を思い知らされた。

「独裁的権力者」の象徴的姿がその時のフジモリ大統領の姿から読み取れる。つまり、自分に敵対する人間を徹底的に排除する、究極的には殺害してしまう、これが独裁的権力者の本質だと思う。

今回の7人に及ぶオーム事件死刑囚の死刑執行は、政治的敵対者の抹殺ではないが、社会的批判を一身に浴びた人間たちを政治利用して死刑執行をしても何ら精神的痛痒を感じないという点では見事に共通点がある。

以前にも書いたが、これは日本が【階級社会】に突入したことの証左でもある。支配階級が被支配階級を残酷に理不尽に支配するという「支配の論理」の貫徹が、このオーム死刑囚の死刑執行と西日本豪雨災害の対応に如実に示されている。

平成の時代が今年いっぱいで終わりを告げる。次の時代の始まりには、通常「恩赦」が行われる。オーム事件の犯人たちをこの「恩赦」にしたくない、という意味と、「平成」の事件は「平成」で終わらせる、という法務当局の意志の表れであろう。

法務当局の考える「法の支配」とは、弱者に対する法の適用の冷厳さである。あくまでも、彼らの考える社会の秩序維持の姿勢の誇示。ありとあらゆる人間的感情の彼方に「法の適用」があるという法務当局の考える「法の支配」の冷たくて揺るぎない意志が示されている。

西日本豪雨災害の対応の遅れは、安倍政権中枢幹部の脳裏に「国民の生活」などはないと言う事を意味している。彼らの発想からすれば、国民に対する施策は、国民に対する「施し」であり、恩恵であっても、義務ではない。「施し」なのだから、こちらの思い通りにして何が悪い。それを政府の義務だとか国民の権利などと主張する面倒な輩は、全て【赤】。戦前なら、「主義者=赤」として、全て逮捕。裁判などなしに刑務所送りして、拷問で痛めつけ、排除する。こうすれば、俺たちの思い通りの政治ができる、というわけである。

これが安倍首相の言う「美しい国」の正体である。

多くの心ある国民はこのような政治状況に苛立ちを隠せない。政治を見れば見るほど自らの無力感に苛まされる。一体どこに突破口があるのだと。このような状況を【時代の閉塞状況】と呼ぶ。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「三代目ギャン妻の物語」(田中紀子著)と「IR法案」

2018-07-09 22:29:26 | 社会問題
「三代目ギャン妻の物語」の著者田中紀子さんは、祖父、父、夫という3代のギャンブラーが身近にいる暮らしを続け、自らも一時ギャンブル依存症や買い物依存症で苦しんだ経験をもつ「ギャン妻(ギャンブラーの妻)」でした。

田中さんの夫は優秀なサラリーマンでしたが、空いた時間は全て競艇などのギャンブルに費やすギャンブラーでした。田中さんがそのことに気づいたのは、夫のサラ金からの多額の借金発覚によってでした。借金の尻拭いをし、借金を繰り返す夫を攻め、二人の関係が悪化して家庭がガタガタになると、田中さんは苦しみから逃れるために自らもギャンブルや買い物依存にはまっていきます。

そんな田中さんが変わるきっかけとなったのは、夫の「自分じゃ止められない。助けてくれ」の言葉でした。その言葉を聞いた田中さんは、夫と共に心療内科を受診することを決意。診療医の勧めでギャンブル依存症の家族が集う自助グループに参加することになります。

自助グループで、自分の体験をありのままに話し、他の人の話をただ聞くということを続けるうちに、「12ステッププログラム」という回復プログラムに出会い、最初のステップ「自分は(依存の対象に対し)無力であり、思い通りに生きていけなくなっていることを認める」ことが回復の第一歩であることを知ります。

さらに、自分の依存症の背景には、「明るいギャンブラー」だった祖父の存在、ギャンブルが原因で姿を消した父親の存在、さらに母子家庭の貧しさや、母親の期待と自分の個性とのギャップ、などによって生じた、「ギャンブルに対する抵抗感のなさ」と「自己肯定感のなさ」があると気づき、その事実を認めることによって、今までの思考・行動バターンから抜け出し、自尊心を取り戻します。

こうして、依存症から回復し、夫や母親との関係を再構築し、夫共々平穏な暮らしを取り戻した田中さんは、現在は「ギャンブル依存症問題を考える会」代表として、かつての自分同様に依存症に苦しむ本人や家族を助ける活動を続けています。

そんな田中さんは、自分の体験を通して気づいた日本社会のギャンブル依存の実態と、「IR法案(カジノ建設)」の問題点を、以下のように指摘します。
1. 日本で起きている様々な事件、(横領、保険金殺人、通り魔殺人、子供のネグレクト、パチンコ店駐車場での子供の熱中症死亡、等)はしばしばギャンブル依存症が背景に存在する。
2. ギャンブル依存症有病率は他国が0.5~2%台であるのに対し、日本は5.3%と突出して高い。
3. 日本はギャンブル事業運営者に依存症対策を義務付けていない、世界にまれな国である。
4. ギャンブル業界は広告やマスコミを使ってギャンブルに手を出す仕掛けを様々に作っていながら、依存症に対しては「自己責任」として知らんふりしている。
5. 日本では、子供への必要な予防教育が行われていない。
6. 新規顧客開拓のためギャンブル場に親子連れを呼び込む戦略が採用されているが、非常に危険である。
① 親はギャンブルに熱くなり不機嫌になる。>児童虐待に繋がる。
② 親がギャンブルに興じる姿を見て育つとギャンプルに対する敷居値が低くなり、将来依存症になる可能性が高まる。

著書の中で田中さんは、IR法案には賛成でも反対でもないと言っていますが、本を通して「IR法案」と、その前提として採択された「ギャンブル依存症対策法案」を見てみると、少なくとも以下のことに気づきます。
1. 「ギャンブル依存症対策法案」で、ギャンブル業界に一定の依存症対策を義務付ける条項を定めているのは、一歩前進といえるのではないか。
2. 一方、IR(統合型リゾート)について安倍首相は、「家族で楽しめる場」であることを積極的な評価として語っているが、それこそが田中さんが危惧する「子供をギャンブルの場に巻き込み、ギャンブル依存症の土壌を作ることになる」危険な側面への無知、あるいは無関心の象徴ではないだろうか。

実はこの本は、6月の「護憲+」月例会に講師として来てくださった大坂順子さんから紹介していただいたものですが、大坂さんや田中さんたちは長い間ギャンブル依存症の問題に取り組み、自ら解決策を導き出し実践を続けてこられ、その上で、社会が公的に関与すべき問題点については政治の場にキチンと提起するに至っており、その前向きな姿勢と尽力に、心からの敬意を表したいと思います。

今回は、大坂さんのお話やこの本によって、「ギャンブル依存症」について知ることができたと同時に、「民主主義」とは、自分たちの日常的な積み上げによって作られるものだということも、改めて学ぶことができました。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
笹井明子
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「憲法違反罪」を創ろう!

2018-07-09 10:16:00 | 憲法
公開掲示板「今日のトピックス」に、蔵龍隠士さんがいつも書いてくださいます。

“2003年6月に「政治に責任を持ち、これからはだまされないぞ、と自覚をもって集まろう」という、なだいなださんの呼びかけで誕生した「バーチャル政党・老人党」の中で、当時の自民党政権が、現行憲法を「改正」し、それに代わる、平和主義否定・国家主義の色彩が濃い「新憲法」を制定する方針を打ち出したことに危機感を抱いたメンバーが集って、2004年1月に「老人党リアルグループ『護憲+』」は発足。”

あれから15年。政権交代があり、大震災と福島原発メルトダウンが起き、自衛隊が海外派兵され、数々の首相・政治家・官僚が失言や失態で辞任・辞職しました。そして、イベントで講演いただいた品川正治さん。活動のパイオニアである、なだいなださん。お二人とも他界されました。

日本は法治国家なので、法律違反をすれば逮捕され罪に問われます。しかし、特権を持つ政治家・官僚は法律違反でなくとも、法律スレスレの悪事を週刊誌・新聞・TVメディア等から追及され、非難や批判を受ければ国民の信頼を失います。何とか裏事情・不祥事を暴けば、その地位と責任の重さから辞任・辞職する・・・と思っていました。

ところが、安倍政権は責任を取りません。麻生太郎、菅、二階・・・等々、「責任を感じる」「(悪く受け取られたら)遺憾だ、反省したい」「真摯に受け止める」けど、辞任・辞職しない。安倍晋三は「責任は私にある」「私や妻が“関係していたら”辞任・辞職する」と公言したのに、あろうことか公文書を捻じ曲げ、公務員を自殺に追いやりました。いわく、「忖度がわからない」。新聞など読まないと公言する男はナチスを引き合いに出したり「セクハラという罪はない」と小学生のような言い訳をしたり。

無責任で、誰も辞任・辞職しない、美しい日本。

さらには、憲法すら守れないのに「守れないような(現状に合わない)憲法がおかしい」から憲法改正だ、と叫びます。戦後、自衛隊は違憲だけど“例外”として運用を続けているのに、“合憲”扱いで一筆盛ろうとする。「一票の格差」、違憲。「空自イラク派遣」、違憲。「集団的自衛権の行使」、違憲。その他、“法の番人”裁判所が憲法判断を逃げる事案の数々。

過去を反省しない、責任をとらない、自分を律せない、憲法を守らない人が憲法改正を論じる、美しい日本。

忖度あり、ひいき(親友優遇)あり、公文書改竄あり、ご都合改憲あり・・・でも、法律違反はないから責任はとらない。こういうバカな権力者どもを逮捕すべく、「憲法違反罪」を創りましょう!裁判所はヒラメで腰抜けだから、裁くのは憲法を熟知・熟読した国民から選んだ100名の「護憲委員会」。いかがですか?

「護憲+コラム」より
猫家五六助
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