老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「在日特権」について考える

2024-03-25 20:38:23 | 政治
日本に「在日特権」はあるのでしょうか。

ネットなどでは声高に叫ぶ人達がいます。
一方「そんなものはある筈がない。一部の者達が煽っているだけだ」という人達もいます。

どちらが本当なのでしょうか。

実は2024年の現在、日本に「在日特権」はあるのです。最強にして最大の「在日特権」を有する組織があるのです。

それは、『米軍基地』。

沖縄では昔、日本人が米軍のトラックに轢かれても、日米地位協定が有り、米軍が調査した後でないと沖縄の警察は手を出す事も出来なかったのです。

最近も、東京の西部地区では、米軍基地から垂れ流された疑いのある物質により地下水が汚染され、発がん物質が見つかりました。

それだけではなく、米軍のオスプレイは2023年屋久島沖で墜落事故を起こし、その原因解明も詳細にされる事なく、日本の上空を飛び回ろうとしています。

これを「在日特権」と呼ばず何と呼ぶのでしょうか。

「米軍基地は日本を守ってくれているから仕方が無い」という人がいますが、本当にそうでしょうか。 
米軍が守っているのはアメリカの利益であって、日本の民の命ではないのです。

曾てアメリカ政府は日本を共産主義の防波堤にしようとしました。
今、アメリカ政府は戦争が始まる時に日本を防波堤にしょうとするかも知れません。

そのためには邪魔な「日本国憲法」を変えよと迫って来るでしょう。

今沖縄で起きている事は、日本の何処で起きても不思議ではありません。

ネトウヨの皆さん、もう一度「在日特権」について考えてみませんか。

「護憲+コラム」より
パンドラ
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「日本国憲法」のミステリーを追いかけて(ある著書に出会う)

2024-03-23 09:40:10 | 憲法
1.はじめに

最近、憲法の本を書き出しており、なぜ締め切りのあるコラムなのか、コラム投稿の任が少し負担になっている。
それはともかく、表題が上記のようなタイトルになった。
日本国憲法のミステリーは学生時代から不可思議なものだった。連合軍の占領下で成立した憲法である。学者は間違いを糾すこともないまま、アメリカの占領と発言している。(最近の岩波新書でも、そうなのである。)

確かに、GHQの最高司令官は米軍のトップ、マッカーサー元帥であり、憲法の起草も元帥の名前で呼ばれている。だが、憲法の最大の謎は、制定時はともかく、日本の為政者はGHQの批判を受けて占領軍の草案を少し訂正して、国会の審議を経て、現在の憲法典となっている。

だが、50年代に朝鮮戦争が勃発すると、占領軍はアメリカ主導で日本の再軍備を決行した。そして、あろうことか、戦時中の東条内閣の閣僚であった岸信介を首相に就けて、第二次安保条約を締結したのである。

この急転直下の「憲法」の事実上の「改正」は謎と言わなくして、なんと呼べばよいのか。

2.そういう憲法制定後の世界情勢の激震を受けての、アメリカ主導による、憲法9条の事実上の改正である「自衛隊法の制定」があった。そして、今回の重要な争点となる、米軍の日本在留である「米軍基地の創設」があった。

これが「謎」ではないという憲法学者の日本アカデミーであるが、彼らの憲法テキストには「米軍基地」のきの字もない。(これはジョークだと思うが。)

そうこうして私が悪戦苦闘しているときに、1冊の本が飛び込んできた。矢部宏治(以下矢部氏と言う)著『日本はなぜ、「戦争が出来る国」になったのか』(集英社インターナショナル)という著書である。

3.この矢部氏の本で、私の前述したミステリー;「謎」(疑問)は一気に氷塊した。
矢部氏の言わんとする要点は次のことである。(以下この本の見出しと著者の執筆動機と主張を、冒頭だけ引用します。まだ読み始めたばかりで、コラム投稿には間に合いませんでした。)

『「日本の超エリートも知らない「日米密約」の謎』
「たしかに日米間の軍事上の取り決めには、オモテに出ない闇の部分もあるのだろう、でも、外務省など国家の中枢にはそういう問題も全部わかっている本当のエリートたちがいて、国家の方針を間違わないようアメリカとギリギリの交渉をしてくれているのだろうと。
ところが、全くそうではなかったのです。
現在の日本のエスタブリッシュメントたちは、戦後アメリカとの間に結んできた様々な軍事上の密約を、歴史的に正しく検証することが全くできなくなっている。というのも、過去半世紀にわたって外務省は、そうした密約に関しては体系的に保管・分析・継承することもせず、特定のポストにいるごく少数の人間の個人的なチェックに、その対応を任せてきてしまったからです。
そのため、特に2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、ただ資料を破棄して、隠蔽するしかないという、まさに末期的な症状になっているのです。」

(次の見出しがこの本の真髄の、)
『「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約がある』
「この「日米密約」の世界に一歩でも足を踏み入れてしまうと、世の中の出来事を見る目が、すっかり変わってしまうことになるのです。
例えば、2015年に大きな社会問題となった、安保関連法についてです。(投稿者注記;中略 あの安倍政権で「閣議決定」された集団的自衛権の行使容認問題の案件です。)
けれども、すでにアメリカの公文書で確認されている一つの密約の存在を知れば、あの時起きていた出来事の本質は、あっけないほど簡単に理解できるのです。
その密約は、簡単に言うと、「戦争になったら日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約のことです。
1952年7月と、1954年2月に当時の吉田首相が口頭で結んだこの密約が、その後の自衛隊の創設から今回の安保関連法の成立にまでつながる日米の軍事的一体化の法的根拠となっているのです。
けれども、これまでそれは、あくまで日本とその周辺だけの話だった。
ところが、今後はそこから地理的なしばりを外して、戦争が必要と米軍司令官が判断したら自衛隊は世界中どこでも米軍の指揮下に入って戦えるようにする。
そのために必要な「国内法の整備」が、昨年;1916年:ついに行われて」しまった。それがあの安保関連法の本質だったということです。

『日本の戦後史に隠された「最後の秘密」とは?』
「私は今回、この戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮下に入る」という密約の行方を追いかけるうちに、これが日本戦後史の「最後の秘密」だろうと思われる、軍事面での「大きな構造」にたどり着くことができました。」
「なぜならそこでは日本の現状が「占領体制の継続」ではなく、それよりもさらに悪いものだということが公文書によって完全に明らかに証明されてしまうからです。」

引用を終わります。

矢部氏は上記の結論を冒頭で述べています。確かに、「本文」を読めば、安保条約が、日米政府のトップではなく、日米合同委員会という、いわば、日本の官僚と在留している米軍のトップ同士の「取り決め」で決定されている素気ないものにすぎません。しかし、これが「日米密約」として、日本の法令と政府も拘束する法制度になっているのです。

次回も、矢部氏の超撃の著書を、ポイントを絞り解読していきます。矢部氏は、真相を知って、悲観的にならないように読者に訴えています。米軍とアメリカ政府の言いなりになっている自民党政権というマスコミ論調ですが、そうではないと矢部氏は主張しています。米軍の日本再占領を強く働き掛けてきたのは政府であると。

トランプ政権時にトランプさんは、米軍基地はそれほど要らないだろうと発言していたこともありました。状況は変わるのだと矢部氏は力説しています。

(次回も続きから、次回は占領下の真実に迫ります。)

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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東日本大震災から13年、自衛隊の果たす役割は?

2024-03-11 11:59:36 | 災害
今日は3月11日。2011年の東日本大震災発生から13年が経ちました。

地震、津波、火災等により2万人を超える死者、行方不明者を出し、原発事故を引き起こした未曾有の大規模災害に、当時私たちは衝撃を受け、被災地はどうしたら立ち直れるのか、自分に何かできることはあるのか、政治は被災者救済と被災地復興に迅速適切に動けるのかと、息をこらしながら見つめる日々が続きました。

そんな当時の状況で、今も強く印象に残っていることのひとつが、自衛隊による献身的な救助活動でした。

震災発生後ほどなくして現地に入った自衛隊は、福島第一原発周辺のがれきの撤去やインフラ整備、被災者への食糧支援や風呂の提供、更には泥にまみれたアルバムの回収や、床の拭き掃除、仏壇の整備等々、被災者の心に寄り添う多岐に亘る支援を行い、その利他的献身と、訓練・組織力に裏打ちされた救援能力に、私たちは強い信頼と共感を抱くようになりました。

こうした国民の間に広がった自衛隊に対する信頼、肯定的評価は、3.11東日本大震災の貴重なプラスの置き土産だったと、今でも思います。

しかし、その一方で、震災後の政治の動きを見ると、野田民主党政権、それに続く安倍自民党政権、共に、安全保障政策の強化に傾斜。「積極的平和主義」と称して、自衛隊の海外派遣を断行するに至りました。

そんな状況下の2016年1月に、「自衛隊は戦場に行くの?」という毎日新聞社主催のシンポジウムがあり、そのシンポジウムのレジュメに、(見習い期間さんのコラム「積極的平和の意味するもの」とも通じる)瀧野隆浩さん(現毎日新聞編集委員)の以下のような印象深い言葉がありました。

「自衛隊には①いわゆる「普通の軍隊」になろうとする新しい流れと②60年かけて培ってきた「軍隊らしくない」「利他性組織」としての本流』がある。『相反する二つの流れをよく理解し、なんとか生かしていけば、安倍首相がいうのとは別の「積極的平和主義」の道が築いていける。』
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/0971579a34329e2702d43bbb99375ceb

現在の岸田政権は、安倍政権の路線を踏襲し、「厳しい安全保障環境」を強調し、「防衛能力」「反撃能力」の強化を全面に打ち出しています。

その一方で、今年1月に起きた能登半島地震に際しては、(3月4日の参議院予算委員会で山本太郎氏が指摘したように、)災害救助に自衛隊を投入することには極端に消極的な姿勢を示しています。

岸田政権の対応から、政府は東日本大震災時に示された自衛隊の「国民の命を救う」能力を活用するのではなく、「敵を殺す軍隊」の強化を重視していく方針だとしか思えません。

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃、喧伝される中国や北朝鮮の脅威、等々、世界中に戦争の火種が存在し緊張が高まる中、「平和的生存権」を掲げる「日本国憲法」を持つ私たちは、自衛隊の「災害救助隊」としての機能を強化し、「国際災害救助隊」として世界に貢献することこそが、「真の平和構築」に繋がることを、今一度思い起こす必要があるのではないでしょうか。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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(目にとまった記事の紹介)そしてその情報をもとに「人々」の立場から試みにSPGsの具体的目標を考えてみる

2024-03-06 12:55:09 | 社会問題
(目にとまった記事の紹介)そしてその情報をもとに「人々」の立場から試みにSPGs(Sustainable People Goals)の具体的目標を考えてみる。

「人々」の発想から浮かぶSPG(農耕)、SPG(食べ物と栄養)、SPG(暮らしと生計)にまつわる目標を「目にとまった記事の情報」をもとに考えてみたい。SOGsも提案していますが、両方を表記すると煩雑になるので、SPGsを代表して今回は使用しております。

今回のニュース記事は、The Lancetに発表された「世界の肥満と低栄養」に関する研究を紹介しているDeutsche Welleの記事です。

『世界的な栄養失調の様相:8人に1人が肥満』(Deutsche Welle,2024年3月1日 Tapatrisha Dasさん記す)
***
医学雑誌ランセットの最近の報告によると、栄養失調が原因となる飢餓人口は世界的には減少しているが、しかし栄養失調の別の形態である肥満は爆発的に拡大している、と指摘されている。

世界の肥満率の実態をみると、1990年以降子供の肥満率は4倍化、成人のそれは2倍化している、との研究結果が3月1日の医学雑誌The Lancetに発表されている。

世界の10億人(8人に1人)が、BMI(Body Mass Index)が30以上の肥満状態にある。
BMIとは個々人の体重と身長の数値をもとに計算できる簡便な過体重や肥満状態がわかる数値であり、kgで表した体重を、メートルで表した身長の二乗で割って得られる数値。

WHOの栄養と食品安全局代表のFrancesco Brancaさんは、肥満率30以上の人が世界で10億人を越えるのは、以前は2030年と予測していた、と語る。しかし、この予測が8年も早い2022年に到達し、破られてしまったことになる。

Lancetの報文の共著者であり、インペリアルカレッジロンドン教授のMajid Ezzatiさんは、肥満率の上昇のスピードがこの様に早いことに「驚いている」と語っている。

そして、この急速な上昇が、世界が想像する地域即ち富裕諸国で起こっているのではない。

今回の新たなデータによると、多くの富裕諸国では肥満率が頭打ちになり始めている状況が一般化してきているのに対して、エジプトやイラク、リビアや南ア、チリのような低所得国から中所得国では、成人と共に子供達の間で肥満が急速に進行していることが認められている。そしてシリアやトルコやメキシコ等の国もそれに遅れることなく追随しているとされている。

「米国を除くと、全ての伝統的な先進国は、肥満率の点では世界のトップグループに入っている国はなく、低所得から中所得の国々がトップグループをほぼ独占している状況だ。」とEzzatiさんは指摘している。

今回のデータは、飢餓に苦しむ人々の数の低減化が世界規模である程度進んでいることも示している。
過去30年間で、痩せすぎの成人の人数は世界規模で半減している。18才以下で見ると、痩せすぎの女性は5分の1に、男性は3分に1に低下している。

しかし、状況が改善されていない、いくつかの国の存在も浮かび上がっている。
例えば、エチオピアやウガンダの様な国々では、痩せすぎの成人の割合はほとんど変わっていない。

インドやバングラデシュやパキスタンの様な他の国々では、痩せすぎの成人の割合は急速に低下している。

しかし、パキスタンでは、一つの栄養失調の形態が、別の栄養失調の形態に置き換わっているように見える状況があるという。即ち、痩せすぎの成人の割合が1990年以降に27%から7%へ低下した一方で、肥満の成人の割合が3%から24%へと同時期に上昇している。パキスタンにおける肥満率の上昇スピードは、欧州諸国の大半の国より大きいのである。
そして、サハラ砂漠以南のアフリカの国々にも同様な痩せすぎが減少する一方で肥満の人が増大するという交差性が、殊に女性の中に見られているという。

低所得から中所得国の国々で肥満率が急増している理由は何なのであろうか?
富裕諸国に比べて低所得から中所得諸国の間で急増しているのには、いくつかの理由があるとBrancaさんは指摘し、次のような理由を挙げている。

一点目は、エジプトやメキシコの様な国で急速な工業国化が最近の30年程で起こったこと。それにより、それらの国では特に都市部に置いて食ベ物のシステムが変化しており、「加工食品と加工飲料の売り上げやスーパーマーケットの数やアウトレット販売店の数が大きく拡大した」とBrancaさんは指摘する。「それらの変化は非常に早く、そしてその向かう先が良い方向ではないのである」と付け加えている。

二点目は、2倍化する負担の生物学(the biology of the double burden)の存在であると、Brancaさんは指摘する。2倍化する負担の生物学とは、低体重で生まれた子供や、あるいは子供のころに充分に食べ物を摂取できなかった子供らは、往々にして過体重な成人や肥満成人になりやすい、ということを指す。サハラ砂漠以南の国々で見られる状況も、この考え方で説明できるとされる。

そして三つ目として、これらの背景に政府の無策が存在している、と指摘している。その結果市民に対して健康に良い食べ物を提供するという活動が欠如する状況が生まれる。
そして、富裕諸国とは異なり、低所得から中所得諸国の多くは、脂肪分が多い・砂糖が多い、そして塩分が多い加工食品を過剰に供給するマーケットの巨大な圧力から市民を守るために必要な、政府当局の政策がほぼ無いか、あるいは全く無いとBrancaさんは語る。

「重要なことは、従来は、肥満が富裕諸国の中の問題と思われていたのが、今や肥満が世界全体の課題となって来た、ということだ」とBrancaさんは指摘している。
***
【2倍化する負担の生物学(the biology of the double burden)との言葉は判りにくい。補足的に説明する文献が同じくBrancaさんの2019年ランセット誌にあり、内容を紹介すると、「栄養失調の2重の負担(ここでは生物学という言葉でなく栄養失調を使っている)は、国・都市・地域・世帯・個人などあらゆるレベルでの栄養過多(過体重と肥満)と栄誉不足(発育阻害と消耗)という2つの栄養失調の共存状態を指す。従来は様々な形態の栄養失調を個別の問題として理解し、対応を考えてきていた。ここに新たに出現した栄養失調の2重の負担という現実は栄養不足と栄養過剰とが相互に関連し共存しており、従って複数の側面に同時に対処する2重の責務を負った行動と政策を実施する必要があることになる。」と説明している。】

以上のランセットのニュース記事を参考にして、日本社会では、ややもすると脇に置かれて視界から消され勝ちな状況ではあるが、「人々」の立場に立てば見えてくる具体的な「市民の目標案」を、試みにいくつか提案してみたい。

今回はSPG(農耕)やSPG(食べ物と栄養)やSPG(暮らしと生計)を取り上げてみたい。ここでは全てを網羅して厳密に議論することはせずに、容易に思い浮かぶ項目のみを挙げるに留めます。

ランセットの研究結果のポイントの一つは、飢餓や低体重の問題は世界的に改善されてきている、一方でBMI30以上の肥満者は急増しており、その急増している地域が先進富裕国ではなく、低所得から中所得国の国々で起こっていることの問題を指摘している。即ち、所得の格差が肥満を助長している、という関係性がハッキリと示されたと言え、換言すれば、人々の健康状態が、所得の格差により左右されている、というのである。

まず、大前提として、わが国でも「所得の格差」と「人々の肥満や健康状態」との間に相関性があるかどうか、を確認することが必要である。 興味あるデータが、大和総研の行った調査(「人々の所得や雇用から見る健康格差」2023年4月27日)にあり、紹介すると、

年収200万円未満世帯の肥満率:男性38%、女性26%
年収600万円以上世帯の肥満率:男性25%、女性22-23%
(いずれも2014年厚労省発表の国民健康・栄養調査結果の概要を基にしている)

即ち日本でも、世帯年収が低いと肥満度が高くなる傾向がある、と確認できる。

また大和総研の資料によると、食材ごとの摂食量にも違いがあるとしており、即ち、年収200万未満の男性は600万円以上の男性に比べてコストが安く、カロリーの取れる穀類(米や小麦等)を9%程度多く摂食しており、反対に肉類は20%近く少なく、野菜類は30%程少なく摂食しているという。世帯年収が低いと健康に良い食生活を送りにくい状況が見て取れるのである。

こうした実態を見ると、所得格差の問題を解決する策を「人々」の立場から打ち立てる必要があると思う。SPG(暮らしと生計)の具体的な目標案を提示したいと思う理由です。

そしてもう一つの視点は、日本でも戦後の復興と成長を期待して工業偏重の急拡大が起こり、その潮流にはじき飛ばされるように農業は衰退していき、結果として農業従事者数の激減とともに自給率の悲惨な低下がもたらされ、その状況が今も継続しているのは言うまでもなく、戦後の農業人口の推移に明らかに現れています。

即ち、農業従事者は1960年ごろ850万人だったのが、2015年に187万人へ、そして現在は130万人にも満たない。日本の人口約1.2億人とすると率にして約1.1%であり、その間の人口推移を加味すると農業人口の割合は日本では10分の1に低下してしまっている。

食糧自給率の状況は、農水省発表の2022年度のデータによると、カロリーベースで前年と同じ38%で依然として低い水準で推移している。因みに1965年ごろは70%を越している。

妥当な農業従事者数がどの位が良いかの判断としては、世界の農業従事者数と世界人口との関係が使えるのでは、との考えから調べると、現在約9億人が農業に従事しているという。世界人口は80億人であるので、率にすると約11%。これは1960年当時の日本の状況ともかぶる数字で、目標の目安としては妥当ではないかと思う。

そして現在の日本の状況は、世界の10分の1である。

「人々」の立場から浮かび上がるSPG(農耕)の目標として、日本の農業従事者を2050年までに倍増する(130万人から260万人へ)というのはどうであろうか。2050年の人口予測が9500万人とされており、これを使うと3%弱への農業従事者の拡大を目指すことになる。

この方向の目標を採用すれば、130万人の職が新たに農村地域で生まれること、食料自給率が改善されること、そして農村地域の生活水準の向上という暮らし向きの改善が期待される。農村地域の過疎化の解消の方向そして農村地域の人の増大による自然環境へ人の手がより多く入ることになり、里山の回復も期待できるのではないか、と思う。

◎SPG(農耕)の目標:日本の農業従事者を2050年までに倍増する(130万人から260万人へ)

この目標はSPG(暮らしと生計)の目標とも言えるものである。

SPG(食べ物と栄養)については、ランセットで触れられている「脂肪分過多・砂糖過多、そして塩分過多の加工食品、殊に超加工食品の過剰圧力から市民を守るのに必要な政策の弱さ、政府の怠慢を論じている部分に対して、我々「人々」の立ち場からどういう目標を考えるか、が一つのポイントと思います。

加工食品、ことに超加工食品は、それらに依存する状況が生まれるような嗜好性の高い食べ物である点が一つの困った特徴である。従ってそれらの健康への悪い影響と共に、その中毒性とも言える特徴から、成人だけでなく、殊に児童らに対する健康上のリスクの配慮が極めて高く為される必要があるものだと言える。

現在、かかる観点での啓蒙活動は、ほとんど我々の視界には入って来ていない状況と考える。

◎「人々」の発想から浮かぶSPG(食べ物と栄養)の目標:児童らに対する加工食品、ことに超加工食品が持つ健康上のリスクを判り易く児童に伝える啓蒙活動、即ち「健康上のリスクを訴える漫画」の作成を早急に行う

このような、「人々」の発想から浮かぶSPGを今後も提示していければと思っています。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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現下のガザ地区「人道上の大惨事」を停止、停戦する為に

2024-03-05 14:16:05 | イスラエル・パレスチナ
現下のガザ地区「人道上の大惨事」を停止、停戦する為に、
我々は、宗教対立に、参戦しない。手を貸さない。基本、戦争は、放棄、止めるべし。

パレスチナは、耐え切れないほどの犠牲と惨禍を味わってきた…非人道の分離壁も…70年、80年と。
地球も諸々の紛争、開発、戦争で随分と傷んできている…もう、地球に、負荷、負担をかけるべきではないのではないかと。

序に言わせて貰うと、米大統領選挙、もっと前向きな選択、競争にしようではないか。
率直に言って、なぜ大統領候補、トランプなのか、バイデンじゃないといけないのか、わからない。過去に足を取られず、一つ飛び越して、前に進めてもいいのではないかと思う。

米 副大統領 ガザ地区の戦闘休止など 合意の早期実現呼びかけ 3月4日 19時34分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240304/k10014379001000.html
 『ガザ地区での戦闘休止などをめぐる交渉の先行きが見えない中、アメリカのハリス副大統領は「ガザ地区の人々のはかりしれない苦しみを考えると、すみやかに停戦しなければならない」と述べ、合意の早期実現を呼びかけました。

エジプトのカイロには3日、ハマスの代表団や仲介役のカタールなどが到着して、ガザ地区での戦闘休止や人質の解放などをめぐる交渉が行われているとみられます。

ただイスラエルのメディアは、ハマス側が生存している人質のリストを示さなかったことなどを理由にこれまでにイスラエルは代表団を派遣していないと報じていて、交渉の先行きは見えていません。

こうした中、アメリカのハリス副大統領は3日南部アラバマ州で行った演説で「ガザ地区の人々のはかりしれない苦しみを考えると、すみやかに停戦しなければならない」と述べ、イスラエルとハマスの双方に対してアメリカも関わっている交渉での合意を強く求めました。

また、ガザ地区の状況について「人道上の大惨事だ」としたうえで「イスラエル政府はガザ地区への人道物資を大幅に増やすためにもっと多くのことをしなければならない。言い訳は不要だ」と述べ、これまでにない強い表現でイスラエル側の対応を求めました。

イスラエル軍は3日も、ガザ地区への空爆でハマスの主要メンバーの1人を殺害したと発表するなど軍事的な圧力を強めていて、これまでの一連の衝突によるガザ地区での死者は3万534人に上っています。

イスラム教の断食月ラマダンが始まるまでに、戦闘の休止が実現しガザ地区の人道状況に一時的でも改善の兆しが見えるのか、見通せない状況が続いています。』


パレスチナ問題 (パレスチナ子供のキャンペーン TOP)
https://ccp-ngo.jp/palestine/

Wikipediaカマラ・ハリス カマラ・デヴィ・ハリス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9

Wikipediaベンヤミン・ネタニヤフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%A4%E3%83%95


【1分で分かる】パレスチナ問題を分かりやすく解説。ハマスとイスラエル対立の背景は?
https://gooddo.jp/magazine/peace-justice/dispute/31728/

パレスチナ問題がわかる ハマスとイスラエル 対立のわけ
https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

【解説】 イスラエル・ガザ戦争 対立の歴史をさかのぼる
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67123651

オスロ合意(世界史の窓)
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-036.html

イスラエルとパレスチナ…外交の失敗が招いた悲劇
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/790472

今も根深い、オスロがもたらしたパレスチナの亀裂
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_22501/

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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(目にとまった記事の紹介)『太陽光を遮断して地球を冷やす提案が撤回された』

2024-03-03 09:58:23 | 環境問題
(目にとまった記事の紹介) 『太陽光を遮断して地球を冷やす提案が撤回された』(Deutsche Welle,2024年3月1日)

ナイロビ:この木曜、国連代表団は地球温暖化対策として太陽光を宇宙に跳ね返すという技術を更に推進していくことを求める決議議案を撤回した。本技術が健康と環境上のリスクに影響が出ることを懸念しての動きである。

国連環境総会(UN Environment Assembly,UNEA)で、この決議草案に反対する人々は、太陽光修正技術(solar radiation modification,SRM)の利用が、巨大な汚染事業者らに対して彼らの責任が免責されてしまうことに繋がるのではないか、と懸念していると会議を傍聴していた団体らが発言している。

スイスとモロッコとが12月に初めてこの地球工学的技術の検討を要請する決議を上程しており、今週ナイロビの総会でこの問題について協議されていた。

当初の草案では専門家らの招集が要望され、彼らの手になるリスクと倫理上の考察を加えたSRMの、可能性があり、そして妥当な利用法に関する報告書が作成されることが要望される、ということが念頭に置かれていた。

この技術を使っての最も知られている利用法の一つが、冷却用反射材としてSO2を用いて、それを大気圏のかなりの上層に噴霧するというものである。
わずか数件の小規模SRMプロジェクトが実施されているだけの状況である。
そして研究者の中には、気候変動の臨界点越えを避けることが必要となった際にSRMは運用可能だと指摘している人もいる。

批判的立場の人たちは、天候と農業とに悪影響が起こり得るとし、殊に貧困国にその影響が大きく生じるだろうことを懸念している。
彼らはSRMが温室効果ガス排出削減活動のスピードを遅らせる言い訳・方便に利用されることもまた懸念している。

直近の2週間にわたる6回の改訂版作成の後、木曜日にこの決議案は撤回された。

スイス連邦環境局のRobin Poll報道官は、「SRMに関する情報への利用しやすさ改善という議案に各国が反対している。そして収集する情報にSRMのリスクと不確実性に焦点を当てるべきかどうかという点、あるいは潜在的な利点をも同様に含めるべきかどうかという点で、各国は反対している。」
「UNEAが、この重要な議題に結論を出せられなかったことは残念なことである。しかし、ここで行われた議論には多くの、そして有益な情報が含まれており、この重要な課題に関する国際的な討議を我々は開始したのである。」とPoll報道官は指摘している。

ケニアの気候問題代表のAli Mohamedさんは、アフリカ諸国がこの決議に反対している、としている。
「この科学技術はまだ開発の黎明期であり、潜在するリスクは充分解明されてはいない」とMohamedさんは語る。

「現時点で、温室効果ガス規制には数多くの解決策がある」

国際環境法センター(The Centre for International Environmental Law,CIEL)によれば、EUと太平洋島嶼諸国とコロンビアそしてメキシコが決議に反対しているという。

「これらの技術は気候危機の根本の原因を解決していくことには繋がらず、反対に主要なGHG排出事業者らが化石燃料の段階的廃止という緊急の必要性を遅らせるような目的でこの技術が使われることになるだろう」とCIELの上級地球工学キャンペーン担当のMary Churchさんは指摘している。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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SDGsからSPGs、SOGsへ

2024-03-02 11:51:41 | 環境問題
今のSDGsが描く望ましい「未来の社会と自然の景観」は企業論理からのみ見ている修正だと感じる。SDGsをSPGsやSOGsに読み換えると企業論理とは異なる「人々」の論理が発する「別の」目標設定の必要性が見えてきて、それらを今のSDGsに持ち込むことの大切さと面白さが見えてくると思う。

現在のSDGsには企業が差配し、企業に都合のよい目標だけが注入される仕組みが社会に埋め込まれているように感じている。そして社会はそれを受け入れて、その方向にしゃにむに動かされているように感じる。そこには我々という「人々」の存在が抜け落ちているように思う。そんな危機意識を以前から持っている。

危機意識の根元の一つに、SDGsのD(Development)という言葉に違和感を覚える事がある。

Developmentは「開発」とか「発展」に直結する言葉と、普通受け取られている。
そして「開発」や「発展」という言葉が真っ先に結び付く先は「企業」であり、「企業の存在理由」のなかにこのDが強く組み込まれていると、人々も安易に納得しているように思う。

従って企業が差配し、企業に都合のよい目標が優先されている現在のSDGs が違和感なく社会に受け入れられている背景には、DevelopmentのDが挿入され、ある意味強制的に企業の存在感を世界に周知させようとして、Dが使われているというネーミングの妙にも理由があるのではないかと邪推している。

社会を構成するのは「人々」と「企業」。決して「企業」だけで成り立っている訳ではない。現状のSDGsが「企業」の論理を中心として動いており、一方の「人々」が抜け落ちている状況は困ったものだと常々感じております。

そこで命名の妙が一つの原因であるのなら、SDGsに代わる別のスローガンを提起するのも意義があるのではとの思いから、SPGsとSOGsというスローガンを敢えて提示してみます。

SPGsはSustainable People Goalsの略、SOGsはSustainable Other Goalsの略です。
SPGs中のPは申すまでもなく、ハッキリと「人々」が主体だというスローガンとしたいという思いからの造語です。
SOGs中のO(Other)は現状の「企業中心の論理」から出てくる目標設定とは異なる、それらとは別の「他の」目標の設定が重要だ、ということを強調したいが為に作った造語です。

SDGsを敢えてSPGsとかSOGsに読み換えることで、現在は脇に置かれがちな我々という「人々」が希望する未来の目標の設定をSDGsに組み込んで行くチャンネルが生まれるのではないかと考えております。

企業の論理とは異なる人々の持つ別の論理から生まれる目標をSDGsに組み込むことは、「今世紀半ばの世の中はこんな風であって欲しい」というSDGsの本来の目標をより健全にする作業であり、視野をより広げる上で必要とされる作業であると考えております。

「人々」という言葉を繰り返して使用していますが、ここで使っている「人々」には我々人間だけでなく共に暮らしている動物・植物そして微生物、即ち全ての生命あるものを含めております。そして生命あるものだけでなく、我々の周りに共に存在している大地河川や大気といった自然環境をも含めて考えていきたいと考えております。即ち命のあるなしに関わらず全ての我々の周りにあるものを代表して代弁する存在として、我々という「人々」が存在している、という立場を取りたいと考えています。

この様な視点の考えを推し進めていく上で役立つ情報を今後紹介していきたいと考えており、今回は先ずAlJazeeraの情報から始めてみます。そこではアフリカが抱える諸課題は、企業利益を優先する思考から手掛けていくのではなく、諸課題解決の中心に「人々」を据えて取り組むことの重要性を訴える視点が打ち出されております。

AlJazeeraの2月28日の記事『アフリカの気候変動の真の解決は人々に関することの追求から可能であり、利益を追求することでは決して解決できない』(アフリカOxfam所属のHassaneさんの手になる記事)
***
2月17-18日アディスアベバで今年度のアフリカ連合サミットが開催され、各国指導者らが「気候変動に関するナイロビ宣言」を採択。

アフリカでは、干ばつと洪水が交互に繰り返されており、農作物は枯れ、流され、そして多くの家畜が死亡している。
アフリカ東部だけでも74億ドルに相当する家畜と数十万haに及ぶ農作物が失われ、その結果数百万人の人々が無収入、または食べ物のない状況に昨年置かれていたという。

アフリカ東部では井戸掘削の際、5か所に1ヵ所はカラ井戸であったり、浄化処理なしでは飲めない水が出るといった状況である。井戸掘削はより深く掘る必要があり、費用がかさむことになり、維持も困難なことになる。

ナイロビ宣言は、地球温暖化に対するアフリカの寄与度合いは歴史的に極わずかであるのに対して、アフリカの人々の生命と生計そして経済面は温暖化による悪影響をより大きく受けており、過大な負担をアフリカは強いられている、という指摘の点では市民社会の思いとおおむね一致している。

この宣言では「地域共同体」の果たす役割が、気候変動対策活動において鍵となる、との認識が指摘されており、注目すべき視点である。
気候変動への対処に必要となる適切な資源と支援を、役割が期待される「地域共同体」に確実に到達させていくことが、当然ながら求められるのである。残念ながら、この点の明確なシナリオの提示が正にナイロビ宣言では欠けている部分である。

アフリカ各国は「グリーン成長」戦略の地域規模への、地方規模への、そして国家規模・世界規模への拡大を目指す政策・規制そして奨励金制度の実施に取り組んでいる。

ここで問題となるのが「グリーン成長」とは、ではどんなものか、という条件についての透明性が無い状況が存在していることである。現状では無数の成長策が提示され、妥当なものと判断されており、その結果優先されるべきは「人々」を中心に据えるとの尺度が薄められて、「利益」思考が優先されてしまうという事態がたびたび発生することになっている。

例えば海外でのCO2排出を相殺する目的で企業は広大な土地を購入することが可能となっており、結果として企業の石油とガスのくみ上げは継続され、その為にアフリカや他の地域が出汁として利用されるという状況が発生しているのである。そしてこのような状況により、アフリカ大陸の小規模農家そして大陸の環境に不利益がもたらされているのである。

富裕国に対し、彼らの約束の履行を促すこと、そして気候予算の拡大を要求することは大切ではあるが、提供される資金の性格を見極めることも重要である。
富裕国側は2020年度に833億ドルを拠出したというが、Oxfamの計算では実質上は高めに見積もっても245億ドルだったとしている。富裕国側の根拠には気候変動目標案件に含めるには、評価基準を過大に甘くする必要のあるプロジェクトが混じっていたり、ローンとして拠出している案件も含まれているとしている。債務が既に重くのしかかっている国にとって、ローン案件は受給国にとっては反対に有害な支援となる恐れがある。

また、現在利用可能な気候変動向け資金のメカニズムには、利用のしやすさの点での課題と包括性・一体性の無さの課題を指摘する市民社会の組織や団体が多く存在している。
事実、Oxfamの調査では西アフリカ/Sahel地域で国際的気候変動資金を直接利用できた団体のなかで、「地域的組織・団体」だと認定できたのはわずか0.8%だったとされる。

気候変動資金がどの程度地域レベルに到達し、プロセスに地域社会がどのように参加しているかについて、不透明な情報提供が依然として続いている。この点の改善が求められる。

そして地元住民が利用しやすく、管理しやすい少額の助成金の創設が求められる。

ナイロビ宣言では女性が直面する多面的な課題に対する包括的であり一体的な取り組みが為されていない。食べ物が足りない時、女性は食べる量をへらしたり、最後に食べるということを行うものである。そして学校をやめるのは女児が優先され、そして口減らし目的で女性は早婚化となる。日々の水を求めて女性は炎天下子供を抱えて数km歩くことになり、危険にさらされている。家庭内暴力の傾向は貧困状況と密接に関連しているとの研究が東アフリカで確認されており、貧困状況の改善が早急に求められる。

ナイロビ宣言では輸送に対する炭素税の創設を世界に要請している。
しかし適切な緩和戦略を併せて取り入れることなく進めると炭素税は脆弱な人々に悪影響を過大に与えることとなり、食料・医薬品やその他生活必需品のコストを更に上昇させる恐れがある。

我々の希望は投資が真に「人々」に広く行きわたり、気候変動への対処が可能となり、それにより「人々」は食物を生産することが出来るように繋がっていくシステムの構築である。

国際農業開発基金(the International Fund for Agricultural Development,IFAD)によるとアフリカ大陸には推定3300万世帯の小規模農家があり、大陸の食糧供給力の70%程を生産しているという。この様な状況でも、FAOによるとサハラ以南の地域に住む貧困状態にある90%の住民は農村地域に暮らしているという。

給水システムと衛生システムに向けての投資が必要とされる。アフリカ南部地域では飲用可能な水を利用できる人の割合は高々61%とされ、適切な衛生環境下で暮らしている人は5人に2人という。最近のマラウィ・モザンビーク・ザンビアやジンバブエにおけるコレラの蔓延が拡大している原因はかかる衛生環境の劣悪さである。事実1月以降これらの地域では新規感染者が数千人にのぼり、死者は数百人発生している。

現在アフリカは決定的な岐路に立っていると言える。

アフリカ大陸の指導者らは自由貿易市場から要請される拙速な取り繕い策、そして致命的になる恐れのある罠とも言える策を回避すべきであり、気候変動活動の中心に「人々」を据えることに注力すべきである。そうすることによって「包摂的・一体的な成長と持続可能な発展に基づく豊かなアフリカ」を目指すというアジェンダ2063がその目標に向けて一歩を踏み出すことになることが期待できるのである。

資源とチャンスへの利用可能性が公平であり、そして利用しやすさを支援することで、全ての個人が生き残るだけでなく、自然界と調和して繁栄するアフリカ大陸の構築が可能となるのである。
***

アフリカの気候変動に対応する現在の状況や水資源・衛生状況の課題と疾病との関係やジェンダーをも含めての貧困問題等と通して、結局は市場の論理が優先されている形の支援が横行していることをOxfamアフリカの担当者が指摘していると思います。

Oxfamが指摘している「利益」を中心に据えるのではなく、「人々」を中心に据えてアフリカの今後の課題に対処していくことが大切とする姿勢は、冒頭述べた現在のSDGsが企業の論理が中心となっており、それをより健全にするには企業の論理とは異なる「人々」が持つ別の論理から生まれる、今までとは異なる「他の」目標をSDGsに組み込むことが大切であり、必要な作業だとする思いと相通ずる認識だと思います。

「今世紀半ばの世の中はこんな風であって欲しい」というSDGsの本来の健全な目標を作っていくには、企業の論理だけでなく、それとは異なる別の論理からの検討が必要であり、それを行えるのは我々「人々」が求められていると思うのです。

次回は我々の農耕と病害虫とのかかわりに関連する問題を取り上げる形で、ともすると企業の「利益」が偏重されすぎてきた歴史と、そこから生じた「人々」の不利益の問題を取り上げてみます。そして企業からの課題解決策が優先され、それとは異なる「他の」良い解決策があるにも関わらずに、何故かそれが見落とされてしまった歴史の例を名著とされるカーソンの「沈黙の春」に焦点を当てることで振り返ってみたいと考えています。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
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