BSで【月光の夏】を見た。
「月光の夏」は1993年の作品。毛利恒之の小説。実話などを元に創作したドキュメンタリーノーベル。この作品をもとに帰還特攻隊員の収容施設【振武寮】の存在が明らかになった。・・ウイキペデイア・・
物語は、鳥栖小学校(元鳥栖国民学校)の元教師吉岡公子が、学校に残されていた古びたドイツ製ピアノが廃棄処分されると聞き、保存を嘆願するために鳥栖小学校を訪れる場面から始まる。彼女には、このグランドピアノをどうしても残しておきたい理由があった。
太平洋戦争末期、鳥栖国民学校に陸軍軍人二人が訪れた。彼らは、特攻隊員。彼らには、鹿児島知覧の特攻基地へ行く命令が下されていた。特攻出撃の命令が下っていた。隊員の一人海野光彦は音楽学校学生。今生の思い出にグランドピアノが弾きたいと願い、彼らが訓練していた基地(現在の吉野ケ里遺跡の近く)から、線路伝いに走って訪れたのである。海野は、学校のグランドピアノで、ベートーベンのピアノソナタ第14番【月光】を弾き去って行った。
当時、吉岡公子は、そのピアノを管理し、二人の最後の演奏をその場で聞いていた。彼女には、グランドピアノが廃棄処分されると言う事は、戦争の記憶そのものが失われる事のように思われ、耐えられなかったのである。彼女の頼みを聞いた校長は、彼女に当時の話を子供たちにしてくれるように依頼、彼女は子供たちに二人の思い出を語った。この話は、新聞に大々的に報道され、ピアノは多数の人々の援助を受けて、修復される事になった。
ところが、この話が報道された事によって思わぬ事態が巻き起こった。当時、彼女は、二人の特攻隊員の名前を聞いていなかった。彼女は、二人とも戦死したものとばかり思っていた。ところが、この話が大きくなるとともに、二人の特攻隊員が誰か、という捜索が始まり、一人は海野光彦で間違いないと確認された。(知覧の特攻記念館の写真)
ところが、もう一人の隊員だと目された風間森介は、生きていたのだが、頑なに自分が当事者であることを認めなかった。その為、吉岡公子の話は虚偽ではないか、という声さえ上がり始めた。
何故、風間は、特攻隊の生き残りであることを頑として認めなかったのか。ここには、世間一般の人が知らなかった苛酷な事実があった。
当時、特攻隊は、出撃はしたけれど、エンジンの不調などで、引き返したり不時着した機が数多くいた。当然と言えば当然で、特攻出撃といえば聞こえはいいが、当時の日本では物資は不足、ミッドウエイなどで歴戦の航空操縦士の多くは戦死。空中戦で米国に太刀打ちできなかった。完全に制空権を米国に握られていた。だから、特攻攻撃だった。250kg爆弾を戦闘機の胴体に付けて飛ぶのだから、当然空中戦は不可能。敵戦闘機に見つかれば、100%撃墜されるに決まっている無謀な作戦。それを精神論で強行したのが特攻攻撃。
大本営内部の意識では、特攻攻撃の戦果より、一身を賭して、お国のために戦う姿を喧伝し、戦意高揚を図るというプロパガンダの方が大きかったと想像される。
風間もエンジン不調のため、やむなく基地に引き返した生き残りの一人だった。彼は福岡の司令部に呼び出され、【振武寮】に入れられた。特攻隊員は【神】である。【神】というのは、死んでこそ意味がある。それがおめおめ生き残って帰ったら、【神】の存在が穢れる。だから、特攻帰還兵は一目に触れさせてはならない。【振武寮】はその為の施設で、体の好い軟禁施設だった。帰還兵の多くは、そこで終戦を迎えた。
彼らは、戦後精神的に荒れた生活を送った人も少なからずいた。【仲間を死なせ、自分だけは生き残った】という負い目が彼らを苦しめたであろうことは、想像に難くない。
わたしも中学時代、特攻生き残りの教師に教えられた。クラスの悪ども彼には一目も二目も置いていた。腕力が強いというのではなく、【俺の人生は余禄】という彼の凄みに圧倒されたと言ってよい。常識を超えた何かが彼の姿から匂っていた。
おそらく、特攻帰還兵の精神は、軍幹部への怒りと仲間への自責の念がない混じり、自暴自棄の精神状態を紙一重のところで辛うじて保っていたと思われる。
風間森介の頑なな拒否は、彼の心の奥に棲みついた精神の困難さを示していた。
吉岡公子は、風間森介へ手紙を送り、思わぬ騒ぎへ発展した経緯を説明し、風間への迷惑を謝罪した。風間はこの手紙を読み、頑なに拒否してきた自らの過去を清算する機会が来たと思ったのか、鳥栖小学校へ出かける決心をした。彼は鳥栖小学校で吉岡公子と会い、ピアノに向かった。実は、彼も小学校の音楽教師になるのが夢で、戦後ピアノを教えてきた。彼の妻は、ここで【月光】を弾いた海野光介の妹。彼の頑なな拒否には、個人的な事情をあったのである。
ピアノに向かった風間は、想い出の【月光】を弾き、脳裏に焼きついた親友海野を思い出しながら、静かに映画は終わる。
今や、特攻を賛美する作者が、NHKの経営委員になる時代。この映画は、特攻の持つ裏の側面と生き残ってもなお苦しみ続ける酷さを、柔らかなタッチで描き出した秀逸な作品だと思う。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
「月光の夏」は1993年の作品。毛利恒之の小説。実話などを元に創作したドキュメンタリーノーベル。この作品をもとに帰還特攻隊員の収容施設【振武寮】の存在が明らかになった。・・ウイキペデイア・・
物語は、鳥栖小学校(元鳥栖国民学校)の元教師吉岡公子が、学校に残されていた古びたドイツ製ピアノが廃棄処分されると聞き、保存を嘆願するために鳥栖小学校を訪れる場面から始まる。彼女には、このグランドピアノをどうしても残しておきたい理由があった。
太平洋戦争末期、鳥栖国民学校に陸軍軍人二人が訪れた。彼らは、特攻隊員。彼らには、鹿児島知覧の特攻基地へ行く命令が下されていた。特攻出撃の命令が下っていた。隊員の一人海野光彦は音楽学校学生。今生の思い出にグランドピアノが弾きたいと願い、彼らが訓練していた基地(現在の吉野ケ里遺跡の近く)から、線路伝いに走って訪れたのである。海野は、学校のグランドピアノで、ベートーベンのピアノソナタ第14番【月光】を弾き去って行った。
当時、吉岡公子は、そのピアノを管理し、二人の最後の演奏をその場で聞いていた。彼女には、グランドピアノが廃棄処分されると言う事は、戦争の記憶そのものが失われる事のように思われ、耐えられなかったのである。彼女の頼みを聞いた校長は、彼女に当時の話を子供たちにしてくれるように依頼、彼女は子供たちに二人の思い出を語った。この話は、新聞に大々的に報道され、ピアノは多数の人々の援助を受けて、修復される事になった。
ところが、この話が報道された事によって思わぬ事態が巻き起こった。当時、彼女は、二人の特攻隊員の名前を聞いていなかった。彼女は、二人とも戦死したものとばかり思っていた。ところが、この話が大きくなるとともに、二人の特攻隊員が誰か、という捜索が始まり、一人は海野光彦で間違いないと確認された。(知覧の特攻記念館の写真)
ところが、もう一人の隊員だと目された風間森介は、生きていたのだが、頑なに自分が当事者であることを認めなかった。その為、吉岡公子の話は虚偽ではないか、という声さえ上がり始めた。
何故、風間は、特攻隊の生き残りであることを頑として認めなかったのか。ここには、世間一般の人が知らなかった苛酷な事実があった。
当時、特攻隊は、出撃はしたけれど、エンジンの不調などで、引き返したり不時着した機が数多くいた。当然と言えば当然で、特攻出撃といえば聞こえはいいが、当時の日本では物資は不足、ミッドウエイなどで歴戦の航空操縦士の多くは戦死。空中戦で米国に太刀打ちできなかった。完全に制空権を米国に握られていた。だから、特攻攻撃だった。250kg爆弾を戦闘機の胴体に付けて飛ぶのだから、当然空中戦は不可能。敵戦闘機に見つかれば、100%撃墜されるに決まっている無謀な作戦。それを精神論で強行したのが特攻攻撃。
大本営内部の意識では、特攻攻撃の戦果より、一身を賭して、お国のために戦う姿を喧伝し、戦意高揚を図るというプロパガンダの方が大きかったと想像される。
風間もエンジン不調のため、やむなく基地に引き返した生き残りの一人だった。彼は福岡の司令部に呼び出され、【振武寮】に入れられた。特攻隊員は【神】である。【神】というのは、死んでこそ意味がある。それがおめおめ生き残って帰ったら、【神】の存在が穢れる。だから、特攻帰還兵は一目に触れさせてはならない。【振武寮】はその為の施設で、体の好い軟禁施設だった。帰還兵の多くは、そこで終戦を迎えた。
彼らは、戦後精神的に荒れた生活を送った人も少なからずいた。【仲間を死なせ、自分だけは生き残った】という負い目が彼らを苦しめたであろうことは、想像に難くない。
わたしも中学時代、特攻生き残りの教師に教えられた。クラスの悪ども彼には一目も二目も置いていた。腕力が強いというのではなく、【俺の人生は余禄】という彼の凄みに圧倒されたと言ってよい。常識を超えた何かが彼の姿から匂っていた。
おそらく、特攻帰還兵の精神は、軍幹部への怒りと仲間への自責の念がない混じり、自暴自棄の精神状態を紙一重のところで辛うじて保っていたと思われる。
風間森介の頑なな拒否は、彼の心の奥に棲みついた精神の困難さを示していた。
吉岡公子は、風間森介へ手紙を送り、思わぬ騒ぎへ発展した経緯を説明し、風間への迷惑を謝罪した。風間はこの手紙を読み、頑なに拒否してきた自らの過去を清算する機会が来たと思ったのか、鳥栖小学校へ出かける決心をした。彼は鳥栖小学校で吉岡公子と会い、ピアノに向かった。実は、彼も小学校の音楽教師になるのが夢で、戦後ピアノを教えてきた。彼の妻は、ここで【月光】を弾いた海野光介の妹。彼の頑なな拒否には、個人的な事情をあったのである。
ピアノに向かった風間は、想い出の【月光】を弾き、脳裏に焼きついた親友海野を思い出しながら、静かに映画は終わる。
今や、特攻を賛美する作者が、NHKの経営委員になる時代。この映画は、特攻の持つ裏の側面と生き残ってもなお苦しみ続ける酷さを、柔らかなタッチで描き出した秀逸な作品だと思う。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
