早朝6時から、慰霊碑の前で慰霊祭がある。
私は、それが終わったあと、7時前くらいに参拝する。
先ず、平潟神社を参り慰霊碑へ。
平潟神社境内は、亡くなられた方々を火葬した場所だ。
長岡に帰郷したばかりのころは、言い方は悪いが、気持ち悪くて近づけなかった。
怨念のような何かが漂っていて、晴れた明るい日でもどんよりしている感じが終始して、ある意味恐いところだった。
しかし、あるとき、慰霊碑周辺の「気」が変わった。
あ、これなら行ける、大丈夫。
慰霊に行くべし。
となったのは、5,6年前からだったか。
何が、といわれてもうまくいえないが近寄れそうな「気」になったのだ。
で、今朝も実家へ母の介護に行く前に行った。
お水をお供えして、お線香を灯す。
市の慰霊祭の大きな蝋燭はまだ燃えている。
数珠を正しく持って、いつも般若心経を1巻。
手を合わせてよみながら、涙がこぼれるときもあるし、胸の奥からあついものが突き上げてくるときもありで。
一種の「憑依」現象。
この地で亡くなられた方々の御霊の憑依。
まだすべて昇華されたわけではない・・・ってこと。
私はそのように理解している。
今年は、昨年より、「憑依」きつかった気がする。
励め、初心忘るな長岡市、祈ろう長岡市民、なのかな。
私がさわやかに経をよめる時がきたら、それが「慰霊の終わりの日」なのかも知れない。
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ところで
朔日(おついたち)は忙しい・・
朝起きてすぐに、自宅の榊・お供えを取り替える。
毎月お世話させていただいているお稲荷様へ、榊とお水を持って参拝。
帰郷直後にその近くを通ると車を引っ張られるようになってハンドルが曲がる、何で?
と思ってみたら、あまりかまわれていない感じのお稲荷さんの祠。で、毎月榊やお水取りかえ、冬が来る前にお狐さんにマント・傘をおつけするなどをして、じきに20年。
おいなりさんって、始めたらずっとしないと恐い、と母親に言われたことがあって、覚悟を持ってささやかだがさせていただいている。
実家の神棚の榊取り替え(無神論の甥はしません)
氏神さんにおついたち参り。
1日は、朝のうちにこれをささっと行います。おかげさま。
明日から2日間長岡花火、天気は良さそうだ。
会場で事故がないことを祈ろう。
私・・・今年はYouTubeで見ようかな。
歩いて20分の水道公園まで行く元気がない・・・・
なんか、とても疲れているので。
ま、外から音は聞こえるし、臨場感はある( ^^)