母(93歳)11月初めの肺炎発症、この1月半で、命の階段を10段くらい転げ落ちている気がする。
18日の寒くてふぶいている日に退院。
在宅酸素で帰宅した。
酸素を産生する医療器具(レンタル)をもって鼻に酸素のカニューラをつけて、だ。
猫だって酸素室に入る子がいるのに、いわんや、人間をや。
低酸素がわかっているのに、使わない、という選択肢はない。
肺胞低換気症候群
これ、難病指定されていて、障碍者手帳の発給を受けることができる。
どういう病気かといえば、酸素の産生が落ちていて不全になる一方で、二酸化炭素が排出されにくい。
まあ、肺が機能低下している、、老衰が始まったということだ。
と私は理解した。
本人のうちに帰りたい気持ちはぶれず、うちで最後までいたい、という気持ちもぶれず。
ケアマネさんと相談して、1日に3回くらいは私が通うようになるのだが、それ以外にヘルパーさんに入っていただく回数をうんと増やし、デイサービスも酸素をつかっている身体に対応するような形でやっていただくようにし、最終的に訪問診療も受けられるよう、呼吸器内科の先生にかかりつけ医になってもらい。
退院した日の夕方まで、総勢5人の福祉関係の人たちと実家で話し合った。
その後、今までのかかりつけ医へ報告と御礼、新しいかかりつけ医(日赤の紹介)へのご挨拶。
今日は、その新しいかかりつけ医へ本人を連れて診察を受けに行ったが、冷たい雨の降る中、さらに携帯酸素を私が持ち、さらにさらに本人が転ばないように歩行器にも目配りして…疲れ果てた。
来月は、来てくださるようなので、雪の中の心配がなくなってよかったが。
新しいかかりつけ医は、私があいさつ伺ったときに「心臓がどこまで持つかだね」といわれたが。
私は・・・・2年は持たないと思う…
母の弟(亡くなっている/私の叔父)も、最後は在宅酸素であったらしい。従姉の話では。
叔父の最後は老衰、83歳であったが。そんなに頻繁に会ってはいないが、優しい叔父だった。
要するに、そういう家系なんだろうな…呼吸器系が弱いという・・・
さて、どこまで母の思いにこたえられるのか未知数だか、淡々とやり進めるしかない。
福祉サービスをフルに活用するつもりでいる。
また適宜ここに書きます。
多分、他人ごとではない方が今やたくさんおられると思うので。