軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今回は島内に残る、なんかの杭を打ち込んだ痕跡についてです。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は、島南部の岩礁部分に残る、
規則正しくあけられた穴の痕跡です。
直径は30cm位でしょうか。
穴の中には、相当朽ちていますが、木部の残骸がしっかり残っています。
この画像は今回の探索の時に撮影したものですが、
前回の探索時にも、沢山の<杭穴>を発見しました。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は、島北部の階段近く(【特集】中ノ島 #07の最下段)の岩礁一面に残る<杭穴>の一つです。
この一帯には、かなり多くの穴が確認できます。
※画像はクリックすると拡大します。
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またこの画像は、南部岩礁のかなり高い位置に残存する、
なにかの受け口とおもわれる構造物です。
中ノ島の操業時の写真をみると、
いずれの場所にも木造とおもわれる建物が建っています。
それらは、築堤された護岸によって作られた、
現在よりも遥かに高い位置の人口地盤に建てられていたと思われますが、
これらの穴は、人工地盤に不安を抱いた明治の人たちがとった、
安心の痕跡なのかもしれませんね。
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【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
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