黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

【特集】中ノ島 #19

2005-10-29 00:52:16 | ・特集 中ノ島


軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクト
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。

かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
今日は北部海岸線に残る人工路盤跡です。


※画像はクリックすると拡大します。

画像は、中ノ島の最北部の海岸線にある人工通路らしき跡です。
海の向こうに見えるのは高島です。
波打ち際には、殆ど岩礁と同じ色ですが、
明らかに人工的に作ったと思われる構造物があります。
中ノ島の特集では、何度となく海岸レベルより遥かに高く作られた、
人工地盤の話をしてきましたが、
この遺構はほぼ海面レベルで作られています。
更に人工通路の一部は、その作りが海の方向へ向かって
延びていたのではないかと思われる部分もあります。

ここで思い出すのは端島の旧船着場のことです。(このページの最下段の解説
かつて端島には、島の最北端にも船着場がありましたが、
同様に中ノ島も、その昔、この最北端の場所に船着場があったのではないでしょうか?
高島の石炭資料館の中にある中ノ島の昔の写真を見る限り、
この付近に船着場と思われるようなものは確認できませんが、
あったとしても、恐らく岩礁の一部と見間違えるような構造だと思います。
(船が停泊していたりすればそれとわかりますが)
可成りの高さに構築した人工地盤に比べて、
この遺構のあまりの低さに、何らかの意味があるのではないかと思いました。






※画像はクリックすると拡大します。

また画像は、すこし外海側へ進んだ所に残る、
これも人工路盤の一部と思われる遺構です。
かなり崩れていますが、逆にその崩れた断面から、
当時どのようにして路盤を作っていたかがわかります。
かなり大きめの石を詰め、回りをコンクリで固めただけの、
極めてシンプルなものです。
鉄筋もなにも入っていないので、時間とともに崩壊したのでしょう。
そしてこの先の外海側には、人工路盤的なものはみあたりませんでした。

船着場の話は別にしても、
この2つの地点は、まだ中ノ島が岩礁だった時代、
切り立った岩に海が鋭く入り込み。
人が行き来できない状態になっていたのではないかと思います。
この路盤をつくることによって初めて
島を一周できるようになったのではないでしょうか。

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【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場

元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
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