軍艦島の中でもよく知られた場所や有名なエピソードの数々は、
軍艦島関係の老舗サイトさんを初め、私たちオープロジェクトや
端島出身の方のサイトもで、沢山アップされているので、
このブログでは、あまり知られていない所を取り上げていきたいと思います。
かつて明治年間の僅かな期間に炭鉱として栄え、
その後軍艦島の姉妹島的な役割を担ってきた中ノ島の特集。
第2回探索レポートの最終回です。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は岩礁頂上部付近から撮影した軍艦島です。
軍艦島の創業時の写真に、
おそらく中ノ島のこのあたりから撮影したと思われる写真があります。
その写真も画像のように右上に木の枝が写り込んでいます。
この光景を見た時にここから撮影したのだと思いシャッターを切りました。
しかし帰ってからその写真を見ると、
もっと低い位置から撮影し、右上に写る木も松でした。
この画像以外にも
昔の写真はここから撮ったんだなと思って撮ってみたものの、
実際見るとかなりずれてることが多く、
次回探索の時はコピーを持参で、ちゃんと同じ位置から撮影してみようと思います。
※画像はクリックすると拡大します。
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画像は小さな岩礁の上から大きな岩礁の方をみた光景です。
画像下に見えるのが、
何度となくとりあげてきた遺構が沢山ある高台平坦地で、
右寄りの茂みの中に旧井坑跡や仏像群があります。
※画像はクリックすると拡大します。
細長いひょうたん島のような形をした中ノ島。
結局今回の探索は、前回より一層謎を残して終わりました。
南部の岩場に残るケーブルと石畳は、果たしてなんのためのものだったのか?
島内に残存する煉瓦遺構は、果たして総て火葬施設だったのか?
蒟蒻煉瓦と豆腐煉瓦は、果たして同じ時期に作られていたのか?
謎の新井坑は、果たして内海側の海岸線の窪みの位置にあったのか?
岩礁の至る所にあけられた杭穴らしきものは、果たしてなんだったのか?
それら沢山の謎を含めて、
また今回も、中ノ島の強烈な時間旅行に乗っかってしまいました。
前回もそうでしたが、中ノ島の記事をアップしている間は、
現実を生きている感じがしません。
今最終回をアップして、やっと日常に戻ってきた気がします。
それ程この島は強烈に時間旅行をさせてくれると思います。
今回も最高の時間旅行が楽しめました。
(楽しめたのはわたしだけかもしれませんが ^^;)
>この特集を最初から読む
■シリーズ:中ノ島■ INDEX
【参考】蒟蒻煉瓦:小菅修船場
元軍艦島の島民の方々のブログ及びサイト
★現役時代の中ノ島:炭鉱操業時と綺麗に整備されている緑地公園
★究極の軍艦島サイト!:軍艦島や中ノ島の事を詳しく知りたい方はまずこちらへ!
通常見られない数々の操業時の写真は圧巻!
奈良原一高さんの「人間の土地」にある中の島の写真を見ると、地蔵3体の箇所から、直接端島が見えておりますが、上記写真を見ますと、端島と地蔵様の間に赤い施設が建っているようですし、土砂崩れも有っているみたいです。
アル中の幻想でしょうか。
中の島に行かれた日は、かなりの引き潮の時ではなかったのでしょうか、細長いひょうたん島のような形をした中ノ島の写真のように瀬が出ているのは初めて見ました。
『人間の土地』の写真については
【特集】中ノ島 #06 の地蔵尊
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/09516ef76b3952d598e5d497c358f125
のところで触れましたが、
一番上の画像に写る赤煉瓦の遺構の裏に、
低木に隠れてコンクリ製のトイレがありますので、
そのトイレは明らかに写る位置にあります。
トイレに気を取られて、
この煉瓦遺構が写り込む位置にあるかないかまで検証するのを忘れていました。
もし写り込む位置にあるとすれば、
この煉瓦遺構は昭和31年以降建てられたことになりますね!
ところで今気がついたのですが、
この煉瓦遺構を画像でアップしていませんでしたので、
【特集】中ノ島 #20 点在する謎の遺構
に追加アップしました。
それから潮の引きですが、
さすが!お気づきになりましたね(^ ^)
今回の探索の日は大潮だったので、
船が迎えにきた時はかなり海面が低く、
船底がすらないか心配したくらいでした。
もしかしたら【特集】中ノ島 #13でアップした人工石畳は、
普段は海中に没している遺構なのでしょうか?
今回の特集をアップしながら、
かなり潮が引いていたのを思い出したので、
もっと海岸線をいろいろ見てみればよかったと思っていたところです。