富士塚No.39
所在地:江戸川区南篠崎町2-54-15
南篠崎天祖神社の由緒
当神社は御祭神天照皇太御神を祀り、鎮座年 度は不詳でありますが、伊勢神宮の東葛西領 上鎌田村の御厨として鎮座されました。 御神殿秘蔵の記録によりますと、文化14年9 月(1817)に奉納再建し、社名を鎮守神明大 神宮と称され、西光寺(当地)住職権大僧都 智賢により御遷宮奉斎されたとあります。又 古文書には安政4年9月、時の領主源朝臣松平 家宗公御代官竹垣三右衛門の時代に武州国葛 飾郡上鎌田村名主芦田一右衛門、嶋村藤左衛 門等により社殿を再興したとあります。 明治3年の改正により歴代の神耺は、明治5年 11月、宇喜田村の彦沢詞掌、高橋喜尚社掌高 橋安太郎社掌の親子三代と続き、その後、香 取茂世、昭和25年10月から西小松川道ヶ嶋香 取神社(新小岩香取神社)亀井宮司に至りま した。 明治6年1月太政官布告により、社号を天祖神 社(村社)と改正されました。百六十有余年 を経た御神殿でありましたが、老朽甚だし く、昭和40年10月東京オリンピックを記念に 氏子崇敬者の総意により、鉄筋コンクリート 神明造りの社殿に改築いたしました。厳かに 遷座祭を斎行し、広く町内の崇敬を仰ぐ御社 として現在に至りました。昭和54年3月吉日 南篠崎天祖神社(境内の掲示より)
南篠崎天祖神社鳥居
南篠崎天祖神社拝殿
あれっ?なんか狛犬が凄いことになっていますが???
でも非常に斬新ですな。
拝殿右側に三つの境内社。左から三峰神社・日枝神社・稲荷神社
拝殿左側には水神社
上鎌田の富士
左側には力石が置かれています。
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人 たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあ げた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ 霊験が得られるようにと願って築かれました。 上鎌田の富士塚は、明治19年(1886)に、旧鎌田村の丸星講の人々が築造しました。 塚の高さは、約1.5mで、面積は広く、円墳に 近い形をしています。頂上には、「浅間神社」の石祠がまつられています。区内の民間 信仰、社会、文化、生活を知る上で、貴重な資料です。(江戸川区教育委員会掲示より)
浅間神社裏手より境内を撮影。
石碑も幾つかありました。