赤穂事件と云えば、映画で何回も観たものである
1703年1月30日、大石内蔵助良隆ら旧暦赤穂藩士47人が
吉良上野介義久邸に討ち入りし、吉良を討った
<元禄15年12月14日>
それまでも𠮷原がちょくちょくモラハラまがいの事をされていた
赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が我慢に我慢が出来ずに
高家旗本の吉良上野介義久を江戸城の松之大廊下できりつけてしまう
事件が発生 折りも悪くその日江戸城内では
幕府が朝廷の使者を接待している真っ最中で
場所柄もわきまえず刀を抜いた浅野に対し
時の江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は大激怒し
浅野側は即日藩主切腹 吉良側はおとめなし
として浅野側だけに重い処分がくだされました。
この判断に対して浅野家家臣達は反発
筆頭家老だった大石内蔵助を中心に、主君の滴である吉良を
討ち取るべく吉良邸に押し入り吉良上野介を討ちとった
それまで、赤穂にいた大石内蔵助が家臣を集め
寒い冬に24人で吉良邸に入り仇討ちを果たした
その後は主君・浅野内匠頭の死に自らの死をもって
忠義を尽くした
12月14日は「忠臣蔵の日」として記念日の一つに制定されている。
今尚何回も観ただけに記憶に残る想い出である
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