急に寒くなりましたね~
今日は翻訳に時間がかかり遅くなりました
雰囲気だけでも分かるといいですが・・・
ゆっくり読んでください
<過去記事>
既存と違ったスタイルの映画をしたかった<チョンウチ>チェ・ドンフン監督
2009年12月24日 翻訳サイト使用
http://www.movist.com/article/read.asp?id=17255&type=32
もう三番目の作品だ。 デビューから着々と順調にうまく進んだようだ。
デビューする時から考えてみればそのようだ。 それでも着々というわけではない。 <犯罪の再構成>の時キャスティングが決まらなくて8ヶ月くらい休んだりした。 もし<犯罪の再構成>が失敗したら、(笑い)恐らく違う状況になっただろう。 <いかさま師>もしなかっただろうし、それでも他のものを書いていただろう。
シナリオをはやく書くほうなのか? 一つ終わればすぐ次を書く。
違う。 <犯罪の再構成>は2年かかったし、<いかさま師>は14ヶ月、<チョンウチ>も1年かかった。 他の人は、はやく書く。(笑い)たくさん直す方だ<チョンウチ>は7シーンまで書いて撮影を始めたし、撮影をしながらも直した。 ある場合は三シーンを相次いで撮ることもあった。 撮影をしながら現場の状況を見て感じるままに変えたりもする。 前に書いたものがあるから、誤っているようならすぐ未練なしに直す。 ところで映画はおもしろく見ましたか?
正直、期待が大きくて残念な感じもあった。
私は別に悪いことをしていないのに、人々の期待がどうして高いのだろうか。(笑い)分からない。 いつも前作から抜け出すことができないようだ。 どうしようもない監督のさがなのだろう。 謙虚に受け入れている。
スタイルは少し変わった。 緻密なシナリオよりは奮い立つひと勝負の遊びのような雰囲気で、それでさらに見慣れなく感じたようだ。
ところで笑ったのは、前作もそのように好んだのに見るとそうでもないということだ。 評が良かったが前作を嫌う人も多い。 <犯罪の再構成>でも<いかさま師>のように常にそのような映画だけとることはできないから変化を与えた。 個人的には以前からこのようなものが好きだった。 もし<犯罪の再構成>’でデビューできなかったらこういうジャンルでデビューをしただろう。 ところで本当に人々は前作が好きだったのか? 違うようだったのに。(笑い)
映画アカデミー時代にも三国志のエピソードで短編を作ろうとしたと聞いた。
ところが金がなくてできなかった。(笑い)私は本来そういうのが好きだが、人々が見るには社会性があまりないので、子供たちの映画を撮ったのがめずらしかったようだ。 四角い映画をとらないで丸い映画を作ったので期待と違ったようだ。
若干の背信のようなこと?
(笑い)そうだろうか?
映画の性格上、後半作業量が多かった、事実時間とお金をかけただけ結果が出るのがその部分であるから。
知らず知らずCGカットがとても多い。 朝鮮時代も多くて、大部分がワイヤーとワイヤー消すのも多い。 初めにはワイヤーを消すのが簡単なことだと思った。 そんなことなかったよ。 あるところはクレーンで囲まれていてみな消して新しい背景も入れなければならなかった。 また、3Dキャラクターを作るのにも時間がたくさんかかった。
妖怪が十二支神を象徴したことだけで毛が多い動物だ。 CGは毛が大変なんだけど。
毛のようなのが一番難しいといった。 それで<トランスフォーマー>と<チョンウチ>中で何が難しいかと尋ねたりもした。(笑い) <チョンウチ>する方式で<トランスフォーマー>を作るのはそんなに難しくないが、まだCG技術力が<トランスフォーマー>を作るにはちょっと難しいそうだ。 とにかくCGチームは最善を尽くした。
満足でないのは当然だが、CGに対して自評をするならば?
CGに満足するバカはいない。(笑い)本来コンセプトのとおりはできた。 ところでもしこの映画が来年完成されたらCGがより良くなったし、再来年にしたらもう少し良くなった。 ところでCGが全面に出てくる映画ではないから。 うまくいったのか誤ったのかわからないが、<チョンウチ>はCGが全面に出る映画にならないように願った。 CG映画を撮りたくはなかったから。 どのようにすれば他の人々がやらないCGができるのかは悩んだが、巨大なCGが集まるような映画ではない。
封切り時期が<アバター>と近くて心配になる。
ただ、まあ、行くんだね。(笑い)ところで<アバター>が途方もなく独占だ。 若干笑わせたのが、韓国映画がそれくらい劇場を持ったら独占だと悪口をたくさん言われたのに、不思議と<アバター>は悪口を言う雰囲気ではなかったよ。 人々は<アバター>に対して新しい記録とかそんな課題を願っているのかもしれない。 でもどうせ映画は敵と共に行くのだから。 誰を恨むこともできない。
<チョンウチ>はキャラクターが中心の映画だ。 ‘チョンウチ伝’の主人公を映画的に置き換えた結果か?
‘チョンウチ伝’はとても短い話だ。 それでも‘遊ぶ人間’というキャラクターの原形のようなものはある。 大変なことをしないで大義名分に包まれない人間型なのに、それが当時の人々が作り出した嘘のようなことだから。 ‘チョンウチ伝’は‘ホンギルドン’以後に出てきたが、これはやはりホ・ギュンが作ったのではないかとの話があった。 ホン・ギルドンも実存の人物か違うのかという話もあるが、国家に対抗して栗島(ユルド)国に逃げるホン・ギルドンの話が好きな人もいて、人々をこらしめて世の中を掻き回すチョンウチがまた、当時の人々を楽しくさせる面もあってそうしたのだ。 違う二種類の考えがあったことで、個人的にはチョンウチにさらに引かれた。
チョンウチというキャラクターがよかった。
カン・ドンウォンという俳優の演技がとても上手だった。 初めからカン・ドンウォンという俳優の他に考えた俳優がいない。
キャラクターに関して特別に注文したり要求した部分があるか?
自ら自由に思う存分やるように言った。 演技を上手にしようとしないでくれと言った。 上手にしようとすればかえって逆効果になったりするから。 そうしたこと気を遣わずにそのまま状況を楽しめといった。 ところで話はそのようにしても俳優自らはキャラクターをつかむのが難しかったようだ。 ところが宮廷場面を撮ったら、このキャラクターが何か分かるといったよ。 それでその後は簡単にいった。
カン・ドンウォンという俳優は格式をきちんと整えた固定したイメージが強くて思う存分遊ぶ有閑知識人とはまた違う感じもするけれど。
例えば本来はとても活気に満ちてよく遊ぶ俳優がいるとしよう。 ところがそのような俳優と仕事をすればとても適役なのでつまらない。 どんなイメージを持った俳優かと考えたが、よく見ればその中にまた別の性格がある、そんなことがはるかに良い。 とてもぴったり当てはまればつまらなくはないか。 若干思いがけない部分もあってそうしなくちゃ。 よく人々がコメディ俳優と考える俳優が真剣なことをとることがさらにおもしろくて、真剣だった俳優を連れてきて壊れるコメディをするのがさらにおもしろい。 数多くの俳優がいるが、アカデミー、カンヌ、ベニス、ベルリンで全部主演男優賞を受けた俳優は全世界にただ1人いる。 ジャック レイモンというコメディ俳優なのに、二つはコメディで、二つは正劇で受けた。 若干よじれたキャスティングがさらにおもしろかったり、観客が見てもおもしろい。
カン・ドンウォンだけでなく他のキャスティングも派手だ。 もう俳優がチェ・ドンフン監督のコールマン待つ雰囲気ではないのか?(笑い)それで良いですが。(笑い)監督も俳優にラブコールを送るが、俳優がしないといえば何.(笑い)俳優もみな自分がしたい役があるから。 人々の誤解はあの人はメローをしたからメローを与えるべきであるいは刑事に似合うから刑事を与えるべきだとするのに、俳優の内心はまた分からない。 俳優自らがどんな映画をしたいか、そこに合うシナリオが入ってくればするということだ。 それが合わなければならないということだ。 次のシナリオはまだ一行も考えてないからよく分からないが、いつも書く時は誰がこれをすれば上手くいくかを考える。 本当にその俳優が必要ならば説得もしなければならなくて。 俳優も恐れがある。 本人がこれをしてさらに発展できなければどうしようか、これのためにCFが入ってこなければどうしようかそんな悩みなど. そのような心配をさせないことこそキャスティングになるということで。
<チョンウチ>には小さい配役まで皆が知っている俳優が出てくる。
個人的にメインプロットよりサブプロットが強い。 メインプロットという(のは)話だけぴったり聞いた時おもしろいように見えたのだが、それだけで長くすることはできないから。 それでその下にサブプロットをたくさん作って動くほうだ。 もちろんどこかを振ったり勝負をするような話ではないが、<チョンウチ>も同じだ。 ところで<チョンウチ>をそのような形で作ると変でないか。 <チョンウチ>を<犯罪の再構成>でも<いかさま師>のように構成したくて悩みもした。 ところがキャラクターが出てきて遊ぶ、キャラクターの饗宴だという形で見れば<チョンウチ>のキャラクターがさらに光る。
<チョンウチ>にはキャラクターが多くいるが、皆それなりの比重でバランスを取っている。
それが難しいながらもおもしろい部分だ。 次もこういう映画を撮れないだろうか? 大勢が出てきてそれぞれのキャラクターで話を作るスタイルが好きだから。(笑い)たった三人出てきてする映画があるだろうか? そのような映画をすればどうなるだろうか? 観客がさらに背信を感じるといわないだろうか?(笑い)ところでとにかく後にはそういうのをすることもあるが、今は多数が出てくるスタイルが良い。
チョンウチとともにいる犬人間というキャラクターは本当に独特でおもしろいキャラクターだ。 ユ・ヘジンの演技もおもしろくて。
本当に演技がうまい。 コメディをするために別に努めることもない。 そのままずうずうしかったり愉快に演技をするだけなのに、人々がそれを見て好んでくれる。 他の見方をすれば本当に幸せな俳優だ。 自分は自然にするのにそれを見ていれば笑わせるから。 年齢40で。(笑い)その上キスシーンもある. 毎度ユ・ヘジン氏にキスシーンを与える。(笑い)内容がある俳優だ。
アドリブが多いほうなのか? でなければ俳優らのアドリブを統制するほうなのか?
アドリブよりあるセリフを笑わせて愉快にするほうだ。 ヘジン氏がするのを見てセリフを誤って書いたんだなと感じる時もある。 もう少し愉快になりえると思えばその場で口に合うようにセリフを変える。 セリフを食べさせることだね。(笑い)監督がそのまま机の前でシナリオを書く時と俳優が言葉でそのセリフを言う時と感じがとても違う。 最終的に俳優がセリフを言った時にこそシナリオをうまく書いたのか書けなかったのか知ることになる。
シナリオ リーディングをし終えて変わる部分もたくさんある。
リーディングをしてみれば明らかなセリフが明らかでなくなる時が一番うれしい。 反対に明らかでないと力を込めて書いておいたセリフが明らかだということが分かる時はちょっとそうで。(笑い)俳優がセリフを打つ方式を熱心に書いておく。 あの俳優には調査や語尾を違うように与えなければならないとか、笑いながらするのがより良いというような形で。 他の見方をすれば私の映画は監督と俳優が一緒に作っていく。
それで一緒にした俳優らとずっと一緒にしながら良い結果を出すようだ。
そんなことが強い方だ。 ところで考えてみればどんな監督でもキム・ユンソク、ユ・ヘジン、キム・サンホ、チュ・ジンモ先輩、こういう俳優らとしたくないか? 見ていれば演技をとても上手にする。 皆演劇で磨きあげた方々だと内面が強い。 ある時は私が尋ねる。 このようにするほうが合うんですか? そのように書いたのではないですか? いや書いたのは書いたことで、大丈夫でしょうか? 大丈夫なのですが。 それではセリフ一行だけ変えますね。 このような形.(笑い)こうしながらおもしろくとった。 苦労も多かったが面白味もあった。
つづく