「桜美林大×町田市民文学館プロデュース合唱物語 沈黙の声」の公演がいよいよ迫ってきた。この日々のことをわたしは書いておきたい。
連日楽譜を開いて自主練習しながら、わたしは遠藤周作の「沈黙」「沈黙の声」「イエスに生涯」などを読んだ。
それでやっと、脚本作詞演出の能祖將夫先生と作曲の長生淳先生が、遠藤周作とこの作品に込めた思いを理解できた。歌詞の意味がわかった、気がした。
遠藤周作は沈黙を脱稿したとき、大げさなタイトルは嫌いなので”ひなたの匂い“というタイトルをつけたのだが。
出版社はこれは「沈黙」とすべきだと主張しこのタイトルになった。
そして多くの人たちは「これは神の沈黙を描いた作品」だと錯覚した。しかしそれは違う。「沈黙」とは「神は沈黙しているのではなく語っている」という意味なのだ。
わたしはこれまで聖書を読んでいたが、イエスや聖書についての、この遠藤周作の理解はとても合点がいく、と思った。
ユダの自殺もペテロの裏切りも民衆の怒りも、イエスの死も復活のことも、理解が深まったと思う。
わたしは”第三の新人“と言われた遠藤周作のよい読者ではなかったが、読むべき作家だった。
この公演を素晴らしい内容にできるかどうかはかわからないが、参加したことはわたしにとって大きな意義があった。
この公演を実現してくださったみなさんに感謝します。
さあいよいよ明日はゲネプロ。