今日はタイトなダブルヘッダー。
イースター恒例、バッハコレギウムジャパンのマタイ受難曲をサントリーホールで聴いたあと、武蔵小杉で夏祭クラシック2021の初回練習でした。
鈴木御大が優人氏にマエストロを譲っての今回のマタイは、聖書のドラマがずっしりと聴き手に迫ってくるようだった、とでも言えばいいのかしら。
昨年8月に延期となった公演は、悲劇的なストーリーでなく、復活に向かう明るい兆しで終わった印象が残っている。
それは、何ヶ月も演奏することが出来なかった音楽家たちに、喜びが溢れていたからだろう。
いや否定しているのではない。昨年の演奏にはとっても感動したのだから。
だが今日は今日で、グッときた場面がたくさんあった。
あなたの乳で大きくなった子が育ての親を殺そうとする蛇になった、という松井さんの絶望感。
森さんが12曲や13曲でイエスを称えたときの官能的な表情。
久保さんの51曲、52曲。わたしの心をとりあげろ、の怒りや嘆き。
極め付けは、櫻田さんと加耒さんだが、素晴らしすぎて何から書いて良いのやら。
まだコロナ禍から抜け出せる光明が見えない中で聴いた今日のマタイには、彼ら音楽家と、ぼくら聴衆の、不安や恐怖や倦怠感が反映している。
来年彼ら音楽家はどんなマタイを演奏するのだろう。
そしてぼくら聴衆は、それをどう聴くのか。
それはつまり、来年がどんな年になっているかによる。