今日は新宿中央公園に行って、「久遠の像」の写真を撮ってきました。
これが、太田道灌の山吹のお話の銅像です。銅像の周りに山吹が植えられていたので、花咲く頃に行けばよかったのですが・・・^^;
本当は扇の上に山吹の花が乗せられていたらしいのですが、不心得者が・・(-_-;)
6月1日発売の「山吹」東京ふるさと切手(^.^)
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山吹伝説
江戸城を作ったのは、戦国時代前期の武将「大田道灌」です。
その、大田道灌の文武両道の名将となるきっかけをつくったのが、
山吹の花なのです。いわゆる「山吹伝説」です。
「山吹伝説」とは、ある日、道灌が放鷹に興じていたところ、にわかに雨が降ってきたので、近くの農家に立ち寄り、蓑を借りようとしました。しかし、その家の少女が道灌に捧げたのは、蓑ではなく一輪の山吹と「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」(後捨遺集・中務郷兼明親王)の和歌。道灌が怒って、近臣にそのことを告げたところ、「娘は、蓑一つないことを花と歌とに託したのだろう」と答えたそうです。
蓑すら持ち合わせが無いことを山吹の八重の花には実がつかないことに例えたわけですね。
道灌は、己の不明を恥じ、それからは和歌の道にも励むようになったと言われています。
これが、太田道灌の山吹のお話の銅像です。銅像の周りに山吹が植えられていたので、花咲く頃に行けばよかったのですが・・・^^;
本当は扇の上に山吹の花が乗せられていたらしいのですが、不心得者が・・(-_-;)
6月1日発売の「山吹」東京ふるさと切手(^.^)
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山吹伝説
江戸城を作ったのは、戦国時代前期の武将「大田道灌」です。
その、大田道灌の文武両道の名将となるきっかけをつくったのが、
山吹の花なのです。いわゆる「山吹伝説」です。
「山吹伝説」とは、ある日、道灌が放鷹に興じていたところ、にわかに雨が降ってきたので、近くの農家に立ち寄り、蓑を借りようとしました。しかし、その家の少女が道灌に捧げたのは、蓑ではなく一輪の山吹と「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」(後捨遺集・中務郷兼明親王)の和歌。道灌が怒って、近臣にそのことを告げたところ、「娘は、蓑一つないことを花と歌とに託したのだろう」と答えたそうです。
蓑すら持ち合わせが無いことを山吹の八重の花には実がつかないことに例えたわけですね。
道灌は、己の不明を恥じ、それからは和歌の道にも励むようになったと言われています。