文学賞が乱立して、出版社から地方から、本当に様々な新人賞がある。
その賞から売れっ子の作家が誕生しないと、その賞も長続きしない。
(性質上、地方は関係ないが)
なまじ小さな賞を射止めるぐらいなら……と、思わないではない。
一度受賞してもまた投稿生活に舞い戻って他の新人賞にチャレンジする、いわばセミプロみたいな人たちが大勢いるから。
とはいえ、下手な鉄砲なんとやらで送り続けても、うんともすんとも。
応募歴を記録し続けていると、そのさんざんな記録にうんざりとする。
初めのころは長いものが書けなくて、童話から入ったが、それらも含めるといつの間にやら応募回数は100回を超えていた。
もちろん、今じゃ、くだらなくて使えないネタもあるし、使いまわしているのもあるので、アイディアが100個あるわけじゃない。
それに、ほとんどが短編で長いものでも200枚程度のものしか書いてみたことがない。
よく言われるのは、長編が書けないと駄目だってこと。
主要な文芸賞をザッと見渡すと、ほとんどが長編。
長編と明言していなくても250枚以上なら長編と考えるべきで、連作の短編を送るのはまれだと思う。
今から来年の早春までに応募してみたいと思うめぼしい賞は4つほどあるが、どれも長編の長さなのだ。
全部に応募できるわけはないので、書ければ一番近い締切ってことになる。
果たして長編が書けるだろうか。
ときどき自分がやっていることの意味を深く考えすぎて嫌になる。
たとえば、ブログやホームページで公開するために書き続けるってのもありじゃないかとか。
自分が1/1000になれる日がくるとは、とうてい思えないのだ。
思えないのに応募するのも変な話しだけど。
ひとつの門をくぐっても次がなければしょうがない。
結局はその中の頂点に立たないことには、あとはすべて一緒なのだから。
その賞から売れっ子の作家が誕生しないと、その賞も長続きしない。
(性質上、地方は関係ないが)
なまじ小さな賞を射止めるぐらいなら……と、思わないではない。
一度受賞してもまた投稿生活に舞い戻って他の新人賞にチャレンジする、いわばセミプロみたいな人たちが大勢いるから。
とはいえ、下手な鉄砲なんとやらで送り続けても、うんともすんとも。
応募歴を記録し続けていると、そのさんざんな記録にうんざりとする。
初めのころは長いものが書けなくて、童話から入ったが、それらも含めるといつの間にやら応募回数は100回を超えていた。
もちろん、今じゃ、くだらなくて使えないネタもあるし、使いまわしているのもあるので、アイディアが100個あるわけじゃない。
それに、ほとんどが短編で長いものでも200枚程度のものしか書いてみたことがない。
よく言われるのは、長編が書けないと駄目だってこと。
主要な文芸賞をザッと見渡すと、ほとんどが長編。
長編と明言していなくても250枚以上なら長編と考えるべきで、連作の短編を送るのはまれだと思う。
今から来年の早春までに応募してみたいと思うめぼしい賞は4つほどあるが、どれも長編の長さなのだ。
全部に応募できるわけはないので、書ければ一番近い締切ってことになる。
果たして長編が書けるだろうか。
ときどき自分がやっていることの意味を深く考えすぎて嫌になる。
たとえば、ブログやホームページで公開するために書き続けるってのもありじゃないかとか。
自分が1/1000になれる日がくるとは、とうてい思えないのだ。
思えないのに応募するのも変な話しだけど。
ひとつの門をくぐっても次がなければしょうがない。
結局はその中の頂点に立たないことには、あとはすべて一緒なのだから。
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