saddamさんの農作業日記を記録したいと思います

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今日からはんげしょう

2020-07-01 | 日記

        ***半夏生***

どなたかの記事です。転載させていただきました。

2020年の半夏生は7月1日から

夏至から数えて11日目頃からの5日間が半夏生。毎年同じではなく太陽の位置によってその日が決まるのですが、2020年の場合は7月1日から始まります。

昔から、農作業の目安として「田植えは夏至の後、半夏生の前までに終わらせる」という言い伝えがあります。これは「半夏半作」とも呼ばれ、半夏生よりも後になると、秋の収穫量が減ってしまうとされてきました。

心身を休める「物忌みの日」

半夏生は「物忌みの日」とも呼ばれ、「天から毒が降る」と言われてきました。そこから、「働くことを控える」「井戸に蓋をする」「この日に収穫した野菜は食べない」などの習慣が生まれたのだとか。

地域によって「竹林に入ってはいけない(埼玉県)」や「妖怪がうろつく(三重県)」などさまざまな話がありますが、いずれにせよ「たくさん働いた農家の人たちが、休息を取るように」という意味が込められているようです。

また、半夏生はその直前に行われる「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」という神事とも関係している、という説があります。これは、一年の半分を健やかに過ごせたことに感謝するとともに、罪や穢れをお祓いして、残り半分も健やかに過ごせるように願うというもの。

私の地元の神社でも、この時期になると茅の輪(ちのわ)や人形(ひとがた)が置かれるようになります。全国的にも多くの神社で神事が行われていますので、気になる方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

さだむさんが現役時代勤めていたのは人形町、近くに小網神社があった。今の時期茅の輪が設けられさだむさんも何度か潜った。懐かしいね。

植物に半夏生があります。

半分化粧してますね。


今日はスキヤキ(^^♪

2020-07-01 | 日記

   ***彼岸について考える***

5時15分起床、天気は曇り。雨は落ちていないがまだ風が強い。

早朝血圧は134/84/83とまあまあ(^^♪。

朝食はベーコン・チンゲンサイ・インゲンを野菜スープにする。

7時スクールガードに行く。風が強い。harukaさん元気に登校する。

7時35分スクールガード終了。帰宅して野良着に着かえ畑に行く。

今日のスイカ。スイカ畑にまだ1個しか確認できていない。受粉失敗ばかりだ。

インゲンの支柱が倒れかけている。とりあえず補強する。

キュウリ、ナス、トマト、インゲン、チンゲンサイを収穫して帰宅する。ご近所にキュウリをもらってもらう。

ヒマワリが西風にいじめられている。東側に傾きかけた・・・・

ちょっと紅茶で休憩(^^♪。

彼岸に行く前に

さだむさんも彼岸(春秋の彼岸の日の事ではない。あの世の事)が近くなってきたのでご先祖様にお願いすることが多くなってきた。家内の七回忌を記に過去帳を書きなおした。29日はさだむさんご先祖初代芳蔵の月命日。二代目万太郎さんも同じ29日。明日2日は三代目芳蔵の月命日。16日が五代目芳朗(さだむさんの長兄さだむさんも一応五代目)、26日が四代目芳男(さだむさんの父親)の月命日。

さだむさんの家系は1830年に初代芳蔵が生まれた時から始まった。現在2020年だから117年続いていることになる。さだむさん長兄の芳朗の娘が五代目山本家を継でくれた。長男には娘二人がいる。長女は嫁に行き、次女はまだ結婚していない。山本家本家は次女が養子でも迎えない限りおしまいになる。本家の長女は現在墓守をしてくれているけれどたぶん山本家本家はここでおしまい。さだむさんは山本家分家の初代になる。(さだむさん4人兄弟。長兄は山本家を継いだ長女は嫁に行った次兄は養子に行った)分家二代目は今のところ長男芳久が継ぐことになっている。芳久に一人娘がいる。結婚して山本家を継いでくれれば三代目になる。それから先のことはさだむさんにはもうわからないだろう。ひょっとしたら四代目(^^♪(ひ孫)の顔が見られるかな(^^♪。その時はさだむさん100才を超えている・・・・。

初代は1903年に73歳で亡くなった。生まれたのは1830年かな?さだむさんの生まれる113年前に生まれた。四代目の芳男はさだむさんの父親。1952年に42歳で亡くなっている。生まれは1910年。さだむさんは父親33歳の時の四人目の子供です。父親は終戦後満州から帰った。北支で衛生兵だったようだ。1830アルバムの写真で見た。戦地で結核にかかり終戦後4年目で42歳で亡くなった。さだむさんは8歳の時の事だった。父親は結核のため敷地北側の2階の部屋で日々を過ごし療養した。さだむさん達はなかなか合わせてもらえなかった。したがって一緒に過ごした記憶は全くない。父親が亡くなって葬式の時学校の友達が大勢お参りに来てくれた葬式の光景は今でも鮮明に思い出す。丸い棺桶(座棺)を長男が頭に白い三角をつけ4人で担ぎ墓の前の広場で確か左回りで回っていた。1月の寒い日だった。長い葬式行列も記憶にある。

今日は珍しく少し頭を使ってブログを書いている。頭の中の記憶装置を動かすと疲れる。さあお昼ご飯を作らなくては。

冷やし中華です。美味しい。

tetsukuraさんから久子さんにチョコレートのお供物を頂きました。さだむさんは仏さまからのおさがりを頂きます。

韓国との対立、暗礁に=日本メーカーのシェア低下も―輸出管理厳格化から1年 

2020/07/01 08:00 

 日本が韓国に対し、半導体材料などの輸出管理の厳格化を打ち出してから1日で1年。日本が問題視した韓国側の管理体制の不備は依然解消されない一方で、韓国では国産品製造や日本以外から調達する「脱日本化」が加速。日本メーカーのシェアが低下する懸念も出ている。元徴用工問題で両国関係が冷え込む中、韓国は輸出管理でも態度を硬化させ、問題は暗礁に乗り上げている。日本は昨年7月、韓国に輸出した物資が軍事転用される懸念が拭えないとして、フッ化水素をはじめとする半導体材料3品目などについて管理を厳格化。韓国は猛反発し、世界貿易機関(WTO)提訴といった対抗措置を相次ぎ発動した。経済産業省が安全保障上問題がないと判断した案件は個別に許可しているが、フッ化水素の対韓輸出額は現在も厳格化前の2割程度に落ち込んだままだ。韓国はこの間、半導体材料の国産化や欧州など他の輸入先の開拓を進めている。日本総合研究所の向山英彦上席主任研究員は、高品質の素材は現在も日本の方が優れていると指摘しながらも「韓国の日本依存は弱まるため、より高品質な製品を作ることで対抗するしかない」と指摘する。
 韓国は、米国の仲介で昨年11月に軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を撤回したのを機に対話路線に転じ、貿易管理でも法整備の改善を進めたと主張。にもかかわらず、日本が措置撤回に応じないとして今年6月、WTOへの紛争処理小委員会(パネル)設置要請に踏み切った。
 梶山弘志経産相は30日の記者会見で「これまでの合意をほごにしかねない」と懸念を示し、対話への復帰を促した。しかし、韓国が態度を軟化させる兆しはない。

自国で生産できるのでしょ。もうほおっておこうよ隣国は(さだむさん)

夕食はスキヤキです。

ご馳走様でした(^^♪

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