雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

第三師団司令部、愛知県庁と名古屋市庁へ

2015年07月30日 21時38分32秒 | 旅行
こんばんはー
今日は愛知県の名古屋市へ行ってきました。
目的は

これです。

これ。
これは何?と思われるでしょう。
これは名古屋におかれた陸軍の第三師団の煉瓦塀です。
第三師団の建物は明治村に衛戍(陸軍)病院や師団隷下の第六連隊兵舎が移築保存されています。こちらで兵舎の写真がみれます。
さて、この師団の煉瓦塀はイギリス積みではなさそうです。フランス積みかな?
あとは愛知県庁と名古屋市庁も見ました。
この並びは圧巻…!
建物めぐりは楽しかったです。

オマケ

かつて県庁前にあった名古屋海軍事務所。現在は県庁分舎となってます。

収集品をネット展示してみる~鳥井喜英少佐のノート~

2015年07月30日 00時51分15秒 | 収集品
こんばんは。まごーんびーむ(びびび

うん。今日はノートを紹介します。

こちら「奉天会戦ノ回想」と……

こちら「露国小史」です。
これらのかつての所持者は輜重兵の鳥井喜英で、少佐・陸大学生時代の持ち物です。
しかし、この鳥井少佐、一切情報がなく、全く足取りがつかめません。
鳥井は陸士39期生で同期は高山信武などがおり、陸軍大学校専科学生第8期というのが『陸軍大学校』(芙蓉書房)で確認できます。
輜重兵は本流の陸大学生にいくのは至難で60期までのうち輜重兵で学生になれたのは少ないです。
鳥井が入った専科学生も1期~12期で480名。そのうち輜重兵は19人でした。
ので、鳥井が如何に輜重兵で優秀だったかわかると思います。
しかし、情報がない。アジ歴や国立公文書館にも見当たらない。少なくとも順調にいけば陸軍大佐。そして参謀職も経験しているはずですが……。

鳥井喜英少佐、あなたは陸軍大学校専科学生を出たあと、なにをしていたのか。

収集品をネット展示してみる~(伝)野口進少将着用上衣~

2015年07月24日 14時06分51秒 | 収集品
やほー、今回は軍服を紹介します。
階級は昭和13年制の陸軍少将です。
野口のネームが左胸裏についてます。

この軍服は(伝)野口進陸軍少将の所蔵軍服です。
なぜ、伝かといったら売り手がそう言ったから。本人に聞けない以上、本物かどうか判断するのは長年の経験と売り手側の情報くらいでしょう。
一応、偕行社軍需部製の佐官時代の軍服に少将の襟章をつけたとの説明でした(少将襟章は売り手は複製と説明してましたが私は本物とみてますが、どうでしょうか?)
野口進少将は陸士30期・陸大42期でフィリピンの第81旅団長として活躍し終戦を迎えています。
野口が少将に任官したのは昭和18年制が導入されて以降の昭和19年8月1日となります。ただ、これに関しては13年制の襟章を使用している写真も多数見かけますので確定的な証拠にならないはずです。
現地で進級したら管理部か酒保部で階級章を購入して(または自作か改造)、その後、軍司令官などに申請したりしますので、管理部にたまたま有ったのが13年制かもしれません。それか、別の将官のお古をもらったりしたかもしれません。本人に聞かない限り無理です。

ので、紹介に際して「伝」をつけさせていただきました。

(まぁ売り手からしたら、これは野口少将のです!と言い切っても良かったと思う。故にちょっと野口進少将のじゃないかなとも思ったりしてる)



海軍燃料廠採炭部の部歌

2015年07月17日 17時22分28秒 | 収集品
台風それて良かったまごーんよ。
今日は歌を紹介します。
(写真は絵葉書の袋)
それは福岡にあった海軍燃料廠採炭部の部歌です。
この採炭部はのちに第四海軍燃料廠に改組されます。
では、その部歌を見てみましょう。
こちらが海軍燃料廠採炭部歌です。
下記に歌詞を記します。
一、筑紫の国に名を得たる
宝満山の麓原
黒煙天に漲りて
機械の響地に震ふ
これぞ光栄ある海軍の
動力の源たる採炭部

二、幾千尺の地底にて
長幼男女隔てなく
汗と臓脂にまみれつつ
晝夜を棄てぬ労働に
つきせぬ宝庫開かれて
黒きダイヤは生れなん

三、その往昔を回顧をば
創業既に40年
苦心経営今ここに
此壮大をかち得たり
聞けよ誇りと喜に
我等の胸の高鳴るを

四、たとへ職は異るも
つくす赤誠は一筋に
協力一致の旗じるし
高くかざして国の為
世界の為に働かん
働かんかなああ我等

個人的には三番目の「苦心経営」の部分が好きです。

私事ですが、以前だした同人誌『第二海軍燃料廠 軍都・四日市市の中心として活躍した日本最大の海軍燃料廠』の続編にコレを載せようかと考えています。
資料足りないけど


「サマーウォーズ」と小宮山城

2015年07月03日 23時00分57秒 | アニメとか
どーも、まごーんです。
今日は金曜ロードショーで「サマーウォーズ」が放送されましたね。今回はそれに絡めてのお話。
まず、小宮山城は大分前にお話しましたね。→こちら
この小宮山城、なんとサマーウォーズにも登場します。
それは陣内家のある場所としてです。
漫画とかでも描かれてますが、駅から物凄い遠いうえに、ハイキング気分で登るものではないです(真顔)。
あとあんな上田城の門や上田藩主の屋敷はないです(真顔)。
陣内家は真田氏がモデルです。真田氏と小宮山氏は海野家内では同僚でした(真田は海野家の分家ですが、小宮山も後でほぼ同族格になります)。
真田は信之本家の場合、のちのち徳川から養子をもらい、幸村の仙台真田家は片倉の血を引きますね。いやー武家の名門は凄い。
ちなみに。私の祖母も大正生まれです。
もちろん、一族も集まります、人数もあんなくらい。(だからなんやねん)
そして私は東大で旧家でも留学もないです。まさに主人公と同じです。違うところはあんな良い顔ではないです(あたりまえですが)。
個人的には(漫画版では)三段になってる曲輪の形がちゃんと描かれていて嬉しいですね。
前にも見せた覚えてませんが、自作の小宮山城復元模型(建物配置は推測)。
>来年は大河ドラマ真田丸の放送もあり、上田に来る機会がみなさん絶対あるでしょうから、その際は是非小宮山城へも行ってみて下さいね。