雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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報徳会堂・桃山報徳学校跡地

2020年12月31日 00時23分00秒 | 収集品
2020年も差し迫って参りました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
今年最後は、所蔵の絵葉書と現地見学で締めたいと思います。

なんの絵葉書かというと、京都の桃山にあった道徳教科団体報徳会のものです。

報徳会は、鹿児島出身の陸軍中佐(陸士旧6期)・花田仲之助(万延元〔1860〕年〜昭和20〔1945〕年)が創設した会で、大正11年には、会堂建設のため、乃木神社前の土地約700坪の永代無償で貸付を許されていました(青枠で囲んだ場所)。

アプリ「昔の航空写真地図」(1947年)からの写真を元に作成。

まず大正14年5月に大林組のもと、会堂(青枠1番右)が建設着手され、翌年4月に落成します。
会堂の正面には陸士同期の閑院宮載仁親王の手による「知恩報徳」の扁額がかけられてました。


落成した報徳会堂(絵葉書)

次に昭和3年12月、報徳会は学校経営に着手します。昭和4年4月に伏見の校舎を借りて設置したのち、昭和6年4月に会堂西側に独自の校舎を建設することになりました(青枠左下)。


報徳学校(昭和6年11月完成)

これらは1947年まで残っていましたが、1965年時点で会堂は解体、1976年には学校のほか、総務所、報徳寮などの附設施設すべて解体されたようです(前掲アプリによる航空写真を元に推測)。

2020年現在は石垣のみが、報徳会の施設があったことを忍ばせます。


報徳学校正門(青枠左下から右へ見る)。
写真のようにかなりの坂に学校は存在してました。いまは宮内庁に還り、植林されたのか鬱蒼としています。


この石垣の上には乃木希典の長府旧邸があったと推測されます。報徳会は乃木に関して顕彰しており、長府旧邸の復元した建物が、会堂の西横にあった報徳会総務所の正面に建てられてたのが絵葉書(未所蔵)から確認できます。


上の写真から少し乃木神社へ向けて歩いたところが報徳会堂跡地です。奥は堀になっているので、こじんまりした建物であったと推測されます。いまは跡地に便所と消防分団があります。




かつて報徳会にあった乃木の長府旧邸は乃木神社に移築されています。これが唯一の報徳会の遺構といえます。

最後に、この報徳会で漢文を教えていた清田研三について知ってる方、関係者がおられたらご一報くださると幸いです(現在調べているのですが手がかりが薄いです)。


報徳会教師の清田研三と思われる人物(まごーん所蔵)。

それではみなさん良い年末を


参考文献
報徳会総務所『報徳会綱要』1934年、国立国会図書館デジタルアーカイブ(2020/12/30閲覧)
井竿富雄「報徳会の日常的組織活動」「山口県立大学学術情報第11号(国際文化学部紀要24号)』2018年2月、1-14頁。