雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

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『大正14年度陸軍大学校初審試験問題答解』

2019年08月31日 23時32分22秒 | 収集品
こんばんは。結局月末も忙しくてやっつけではありますが、収集品展示をします。

今回はこちら、陸軍大学校の初審試験問題です。

陸軍大学校は1883(明治16)年に開校し、1945(昭和20)年8月4日に最後の60期生を送り出した陸軍の最高教育機関です。62年の中で卒業生は約3000人(専科等除く)でした。

陸大生は師団長などの高級指揮官・幕僚としての教育を受け、卒業後、各々師団の参謀などに散って行きました。
陸軍大学校の入学試験は初審が筆記試験、再審は面接です。

さて大正14年度の初審の試験内容ですが以下のようになります。
初級戦術(甲)、(乙)、(丙)
軍政学
兵器学
築城学
地形及交通学
歴史学
支那語学
数学
露語学
独語学
仏語学
英語学
の15項目よりなって居ます。

それでは初級戦術(甲)から問題を少し見てみましょう。







所持者の小野寺実中尉はおそらく連隊長から推薦されたので勉強し始めたのでしょう。合格していれば陸軍大学校第41期生ぐらいで卒業しました。

小野寺氏は岩手出身の陸士30期。同期には今田新太郎(陸大37期)、岩畔豪雄(陸大38期)、中川州男(陸大専科)、今井武夫(陸大40期)、野口進(陸大42期)が居ます。
(なのに手元にある陸士30期の卒業写真には載ってない…なぜ?、なので写真も見つかりませんでした)

小野寺氏の経歴
1895(明治28).12.20 生まれる
1918(大正7).5 .25陸軍士官学校卒業/見習士官
大正7.12.25 歩兵少尉/歩兵59連隊付
大正11.3.6 歩兵中尉
大正15.9.21 歩兵59連隊大隊副官
1927(昭和2).7.26 歩兵大尉
昭和4.8.1 歩兵59連隊付(栃木商業学校服務)
昭和10.8.1 少佐
昭和18.6.6 大佐として中支那方面にて戦死/正五位

ご覧のように小野寺氏は陸大に入れず、その後は配属将校というドサ廻りを経てついに大陸で戦死し、48歳の生涯を閉じたのです。

それにしても、陸軍大学校生は海軍大学校と違い、最後まで卒業生を輩出していたので、まだご健在の方がおられると思いますが、どなたか引き合わせてくれないものか…手元に陸大60期生のノートや指導用史料原本とかあるので伺いたいものです。

それでは、また来月に

参考文献
『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』

告知(コミケ96と花園天皇日記展示)

2019年08月05日 12時04分39秒 | 日記

こんばんは。7月は忙しくてついにあげられませんでした。申し訳ありません。

今月は2回あげようと思ってます。

さて、今回は告知を2つあげます。
1つは、8月9日から12日コミックマーケット96で、まごーんの書いたものが3日目(8月11日)に頒布されます。
満洲研究会さん(西区D67b)の広報誌『嚝々満洲』10号に掲載されています。

(表紙画像は満洲研究[会‪@Manchuria_WS] ‬さんの呟きより)


表紙もプロの方が担当したそうで、ジャケ買いしても大いに満足できるものだと思います。

ぜひ皆さま、お手に取っていただければと思います。

もう一つは、私の出身校である奈良大学の図書館展示で現在、9月まで『「花園院宸記」の世界-鎌倉末期の激動を直視した天皇の証言-』(あいさつ)を開催中です。
花園天皇という、鎌倉時代の天皇の、日記の原本を忠実に複製した史料を展示しております。
私も会場設営を手伝いましたので、こちらも見に来ていただければと思います。

以上、二つの告知です。
今月も末ごろに記事をあげますので、よろしくお願いします。

それでは、皆さま熱中症には気をつけてください。