雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

海野宿と白鳥神社

2014年04月29日 19時11分54秒 | グルメ
こんばーんは、まごーんよ。
昨日に予告したように、今日は海野宿と白鳥神社をあげるで。海野宿は元々、滋野嫡流の海野氏が本貫地としていたところで近くには海野氏の館だったとされる場所があります。

こちらが海野宿。宿自体が保存地区的なやつになっております。
ここの「福島屋」という蕎麦屋さんが美味しいですよ。

こちらがその美味しい蕎麦。メニュー名わすれたけど胡桃ナントカカントカセットやった気がする←

次に海野・真田氏の氏神の白鳥神社
海野氏の氏神は私の氏神になるのでせうか?ここは木曽義仲が挙兵した地でもあります。

神社本殿の注連縄の奥には海野氏の家紋である「洲浜」があります。
さて、まごーんは昨日の小宮山城訪問の後、城のジオラマみたいなのを作ってみようと思いまして、とりあえず、原型?みたいなの作ってみました。

原型。一応、小宮山氏の城館です。
これから色とか塗ってみたいと思います…ジオラマなんて初めて作るので上手くはできないと思いますが。
建物とかはどうしようか悩んでます。何かアドバイス、情報等あれば是非お願いします。(^^)

ご先祖様の城へいってきたで

2014年04月28日 14時19分08秒 | 歴史
ども、まごーんよ。今日はご先祖様のお城へ行ってきました。
まえに「先祖の同僚の墓参りしてきた」でいいました先祖です。
私の先祖の1人は小宮山氏といい、信濃国佐久郡小宮山村(小宮山郷)を発祥とする一族でした。その始祖は藤原氏とも源氏とも言われてますが、これは甲斐へ渡った小宮山友晴の一族(私は勝手に甲斐小宮山氏と言ってます)の由来書に記してあることです。
私の先祖は信濃小宮山氏(これも甲斐の一族と区別するために勝手に言ってるだけで、元々同族です)で、祖父や親戚から聞いた話では、小宮山村で段々分家が増えてきたので本家が小宮山村を離れることとなり、北へと移動して今に至るそうです。その移動した本家はのちに海野家臣となり、海野家より滋野姓を賜り、滋野姓小宮山氏として頭角を徐々に表し、ついには上田代官にまで務めたようです。この頃には小宮山氏は”幸”のつく名前が当時の書状にでてきており、海野家一族になったことが伺えます(海野家は幸の通字が多い)。
そして、その先祖が1480年ごろに築城したのが小宮山城で、現在は砥石・米山城として県指定史跡になってます。
その後は村上義清によって攻められ、小宮山氏は没落し帰農し庄屋となって現在に至ります。かつては古文書なども沢山蔵にあったようですが、戦後になって散逸したようです。今は蔵には何も残ってません。ですが、「地元ではかなり古い家」と地元の方もおっしゃていました。
まぁ、旧家の肩書きだけ残ったんですわ。

さて、米山城の登り口です(指入ってますが勘弁)。碑には米山城と書いてありますが、パンフレットにはちゃんと小宮山氏が築いた城と載っています。

↑パンフレット
さて、いざ小宮山城へ!と登ったのは良いけれど、キツイです。一端の登山装備した方がええです。滑るし、危ない。
行きは25分かかるので、水筒を忘れないように。
そして登ると…
このように桜がまだ咲いてて、綺麗でした。眺めも良かったです。
ちなみに、小宮山城の近くにはかつて小宮山氏の居館がありました。今は果樹園になっているので入れませんが道から見渡せます。

小宮山氏居館跡(通称・長島ノ館)
村上義清が米山城を手に入れた後は金剛寺に城代屋敷を築いたので、こちらの館は廃棄されました。
明日はこの後に行った白鳥神社と海野宿のことを書きます。

第32回真田祭りに行って来たで

2014年04月27日 13時53分36秒 | 歴史
やーほー、こんにちは。まごーんや!今日は帰省で長野へ来たから、真田祭りいったやで~

というわけで上田城へ来た!
上田城といえば、真田昌幸、信幸(のち信之)の居城として有名やね。
今年は真田幸村が大坂城入城400年の記念すべき年やし、かなり人混みがあったんよ。

櫓に入れた(有料)ので写真をあげておく~。

反対側の櫓には火縄銃が2挺置いてあったで(箱は当時のもの)
さて、今回のメーンイベントは真田の鉄砲隊!某鑑定番組でもお馴染みの澤田先生が指揮を務められました。

澤田先生曰く、真田流砲術はつるべ打ちをするとのこと。かなり音は大きかったですわ。鳥が一斉に飛んでいった程。
また、馬上筒もでましたが、これは雑賀衆が仙台の伊達に教えたものなので、仙台真田家に伝わったのかな?
ちなみに、この後、仮装した真田武将隊が来たのですが、真田昌幸役を仙台真田家当主の真田徹氏がやられました。
…うちも一応、先祖は真田家の本家筋にあたる(滋野姓海野一族)ので、こういうのに出てみたいなぁ。なんて思ったり(ジェラシーですな)

収集品をネット展示してみる~満州國赤十字社正賛助会員章~

2014年04月25日 16時42分21秒 | 収集品
ども、まごーんや。
今日は満洲國赤十字社正賛助会員章を展示するで~

これは日本赤十字社章と比べて、章(メダル)が厚く、また綬(リボン)は柔らかいです。
章のデザインは十字を蘭花(満洲帝國皇室の紋章)が囲むようなデザインになっています。

裏には満洲國赤十字社の設立年月日である康徳五年十月一日の文字が刻まれています。


収集品をネット展示してみる~大満洲國建國功労章~

2014年04月21日 19時53分09秒 | 収集品
ども!どもども!まごーんよ。
今日は満州国(満州帝国)の勲章(正しくは功労章)を紹介するで~。
なんでも、満州帝国発行の勲章等は少ないようですわ。

今回はこちら、大満洲國建國功労章や。これは大同元年(1932年)3月1日に建国された満州国の建国に功労のあったものに授与されたもので、警備にあたった兵隊などにも普通に授与されている。

メダルには稲穂?的な意匠がされており、また功労章の箱は通常の日本勲章よりも大きい。これはほぼ完品で、留め金も外れておらず、ピカピカである。

章の裏。裏には「大満洲國 建國功労章 大同元年」とはいっている。また功労章の留め金も、曲げられてはいるがオリジナルである。一部の功労章には赤十字章みたいに縫い付け式のに代用されているのがある。