アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

4/23はお花見気分 その3 日和山頂上付近

2013年04月28日 | 日常生活
「酒田の桜は日和山」と(他人から)言われる日和山公園は,文化10年(1813年),酒田湊近くの丘に常夜灯を設置したことから,やがて酒田のシンボルとなり長く親しまれてきた。
その始まりを,日和山初代常夜灯の銘↓が物語っている。
今から考えれば「ボンヤリした明かり」でしょうけれど「なんにもなかった」従前と比較すれば,それはそれは画期的なことだったでしょう。

常夜灯から方角石(展望台)への通路(方角石側より見る)
両側の桜が回廊となり,色合いはボンボリとマッチしている(気がする)

大事な方角石の写真は忘れたが,それのある日和山展望台より酒田港本港・六角灯台方面を眺む。
この六角灯台は,木製では日本最古のもの。
ポイントの先は「酒田甚句」にある「今町・舟場町・興屋(こや)の浜~♪」の「興屋の浜」のあった方向と思われる(現在は南・北の突堤がコンクリで固められているが,古では砂浜だったため,正確な場所の特定は不可能)

酒田市は最上川が日本海に注ぎ込む港湾都市で,古くは「西回り航路」による日本海水運に県内を流れる最上川水運を加え,地元産品を大阪や江戸との交易で結ぶことで”西の堺,東の酒田”と称された。実際に,堺の「三十六人衆」と同じものが酒田にも存在した(現在の酒田市役所前の本町通辺り)

少しだけ視点を変えて,同じく日和山展望台より本港やや上流側を撮る。

「日和山」という単語で必ず思い出すのが,隣県で,同じく県内第二都市として栄えてきた石巻市。
同じ日和山があり,同じような河口部の港湾都市で歴史を重ねた両市。
けれど,あの東日本大震災で,あちらは完全に状況が激変してしまった。
仕事柄,2,3度は訪れ「冬を除けばそっくりな環境だな」などと親近感を持った潮風薫る町。
けれども,あちらは筆舌に尽くしがたい有りよう。
細くとも,長く支援していきたいと思う。

こちらは↓日和山頂上より公園風景(前述に対して能天気ですみませんが)

この程度の露店が普通に存在することだけでも,ありがたいことだと思います。

4/23はお花見気分 その2 工業用水脇~堤町「さくらばし」界わい

2013年04月28日 | 日常生活
町内の桜は撮影中心でササッと流し,最上川沿いを5kmほど上った県工業用水脇で観桜。
日本海~最上川の強風にさらされているが,逆に風情を感じさせる桜。

さらに数百mの距離の「明治天皇御野立所址」の桜。
こちらも同様に強風のせいで「やっと咲いている」風情。
にしても,毎度思うのが某市役所による「しっかり照らしてます」感のある外灯。
せっかくの桜と石碑をたがい,かならずカメラの邪魔になってしまう(そこは右側だろ!と見るたびに突っ込む自分)

「明治天皇御野立所址」(どう調べても碑文の「址」は誤字と思われ)とあるが,

鶴岡南高校OBの庄司英樹氏の●明治天皇の県内巡幸と三島通庸によれば,慶応4年/明治元年の戊辰戦争の後,明治9年(1876)以降,山形県への天皇巡幸請願が何度か出され,明治14年(1881)9月22日,明治天皇は秋田県境雄勝峠を越して山形県に入られ,翌9月23日には庄内に向けて出発,新庄の本合海では最上川に特設した船橋を渡り馬車,板輿で清川,狩川,鶴岡と下られ,さらには最上川を越えて酒田を巡幸されたようです。
今の酒田市中心部ほどの町がなかった時代,最上川沿いの「遊摺部」の石碑の所で輿を下りられ,野立てをされたのではないでしょうか。

さらに私は「きびすを返して」日和山公園に行く途中,市内堤町,小牧川「さくらばし」よりの観桜写真です(橋の名が良いですね)

観光スポットや賑わい,露店の数などで「酒田市の桜は日和山公園」と言われますが,実際に愛でて嬉しいのは,小牧川沿いを延々と枝垂れて咲く,このあたりだと思います。
別に書きますが,さらに上流に向けて若木も花を咲かせてくれています。

ちなみに,この写真は,留守宅となった友人の奥さん(も後輩ですが)の実家の前で「桜咲いてるよ」と写メール用に撮ったしたものです。


4/23はお花見気分 その1 自宅脇・母の愛でた桜~町内界わい

2013年04月28日 | 日常生活
晴れと花冷えが入れ替わるこの頃(晴れても「放射冷却のときも多い」)やっと満開モードになってきたので,車やら自転車,徒歩とかいろいろと,花見モードで出かけている。
最初はタイトル写真。自宅から出てすぐの丁字路にある,亡き「母の愛でた三本桜」(と勝手に命名)
満開寸前.という趣だが,昨年より少し花数に勢いない様子。嫁の話では「昨年末に伐採したのでは?」と,全く知らない私。

そこから町内を東に沿って流れる新小牧川に並行する緑道(遊歩道)には,ずっと桜が植えられている。
と言っても,最初に建った当時の日本海病院(現・日本海総合病院)が平成5年春,我が家が平成6年春で大スーパーのJUSC●(ほとんどバレバレなので,次回からは実名)が同年秋の開業なので,せいぜい「ティーンエイジ」の若い桜なのである。

以下,お気に入りプラスマイナス位のスナップ。

・日本海病院VSジャスコ桜北向き

・日本海病院脇with嫁

・日本海病院脇with鳥海山
 ちなみに,我が家は団地入居1軒目だったので,初期は鳥海山も「目の前」という絶景でした。

・日本海病院VSジャスコ桜南向き