アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

沈丁花(ジンチョウゲ)が開花,そして百合(ユリ)の芽が出た。

2013年04月20日 | 日常生活
桜も開花し(まだ五分咲き以下)色々と変化もありつつ「花曇り」な今日この頃。
タイトル写真のとおり,沈丁花(ジンチョウゲ)が開花した。
この花は,匂いが独特,まるで香水のようだ。

また,夏に大きく目立って咲く百合が,やっと大きな芽をだしていた。

チューリップも一つ二つ,つぼみがふくらみ出してきて,既に咲き始めた水仙やクロッカス,ヒヤシンスなどとともに「ゴールデン・ウィーク間近」を思わせるメンバーがそろってきている。

思い出のアルバムその5,平成3年(1991)年10月19-20日・44th合唱コンクール東北大会(金賞)in山形

2013年04月20日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
平成62年の夏,ちょうど「仙台を100万都市に!」「今月地下鉄が開業!」という時に仙台へ転勤,「好きな合唱してみれば?」などと友人に軽く勧められて加入した会社の男声合唱団。
「随分な状態(ハーモニーとは言えない)」の社内コーラスで,さすがに最初は大して口出しせず...ところが,流れが「あれよあれよ」で,現在では国内トップレベルとなった「グリーンウッドハーモニー」の今井先生を指揮者に迎え,合唱コンクールにも出場するようになった。
もちろん,事態はそれほど簡単ではなく,東北に君臨する福島県を打倒するには程遠く,東北では銀賞どまり。
少しずつレベルは上げたものの,結果として平成3年度,東北+αの県を回ってジョイントコンサートなどして,やっと東北金賞。初めての全国大会in岡山への出場となった。

その頃,私は団内でトレーナー兼副指揮者として認められていて...と言いつつ,月火木土の昼はパートの上から順にパート練習,真ん中の水曜日は今井先生にお渡しして夜の全体練習,という「残業手当」と関係のない「業務」をほぼエンドレスで続けていた。

曲は,課題曲が「月下の一群」より,海よ。
自由曲は「草野心平の詩」より,天。

東北大会場所は地元(というより仙台に近い)山形県民会館。
大っきくて全く響かない,素晴らしい?ホール。
でも,そこには,いつものメンバーでない「運命の女神」が...当時,合唱団「六月の歌声」にも所属しておられた「S・M」さん。
いわゆる「ツテ」で譜めくりをお願いしたのだが,リハーサル前あたりから,当日のポイントをボソボソ...演奏終了時には「神が降りたよう」と言われたけれど,実は彼女自身が女神だったのかも知れない。

ということで東北大会は金賞受賞となり,初めて岡山市の全国大会に歩を進めることとなったのであった(話がうますぎ)

思い出のアルバムその4,昭和60年度? S混声合唱団第14回定期演奏会リハーサルでの指揮光景

2013年04月19日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
写真は昭和59か60年度(たぶん60年度)、地元の山形県酒田市をリードしてきたと言われるS混声合唱団の定期演奏会があり、定期では初指揮の頃…直前のリハーサルでのひとこま。
曲としては、高校時代に満足いかなかった、大中恩(めぐみ)の混声合唱曲「島よ」(6章編成)を、親の仇でも討つかのように演奏したころだった。
撮影者は、当日、酒田市民会館の向かい角にあった(今は会館が近所に移転)喫茶店「さざんか」のマスターのY氏。
モノトーンが瞬間の深みを捉えていて、真に好きな一枚で今も変わらず、リビングの客の視線の延長線上に掲額しています。
高校から指揮はしていたものの、常任の田中先生から昭和57年に初めて若くして指揮者に氏名されたときは、責任の重さを痛感、寝る間を惜しんで合唱漬けだったように思います(一生懸命さが故にアンチも多いですが)
さて、直後に高卒で「理系で事務職」の私は、パソコンを使い、必要な法律も学び、業務の圧倒的合理化を図り、嘱望していただいた先生に背を向けて昭和62年の夏に仙台へ赴任したのでした。
数年後、新たな土地である仙台で圧倒的に力を発揮?するのですが、それはまた、別に記事にいたします。

[追記]
当時のカセットテープがあり聴いてみました。
恐ろしいくらいに音楽が緩く動きがないものです。
それは音楽的にも「時勢」だったのでしょうが,もう現代の我々は,その音楽には戻りたくないと思います。
その前の世代は緩いよりも薄いというのもあるでしょうか。
ともかく,聴いてしまったすぐさま,それは「消したい過去」に変わっていました。
ピアノの恩師でもあり伴奏をしていただいた田中先生(前記「田中先生」夫人)には,いろいろとお導きをいただくばかりで,本当にご迷惑さまでした。
今なら理解できますが,ピアノは他団体の上でしたが「指揮者がついて行っていない」ということだったと思います(表現がおかしいのですが,要は「指揮者をするべきレベルでない」との意味です)
常任でもコントロールが難しかった団体で,冷静に当時の私にはかなり大変。
ましてや代替わりしないメンバー中心で,その団体は現在の指揮者でギリギリやっている状況なのでしょうね。

思い出のアルバムその3,昭和60年度合唱コンクール東北大会に指揮者で出るも大惨敗(涙)

2013年04月19日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
昭和60年10月は合唱コンクールに指揮者で出て、混戦の県大会は銀賞でギリギリ抜けたが、東北大会もやはり指揮者、見事に大惨敗を喫した(木っ端微塵っていう感じ)
課題曲は、中田喜直「午後の庭園」より、野に出でよ。
中田喜直あまり高校の頃から得意ではないんです。なーんて...
未消化でした。拍は4/4だったが、今なら2/2のように流れるような曲作りをするだろう。ともかく指揮者(私)が悪かった。
同曲で圧巻だったのは、まだ東北では銀賞(絶対王者の福島FMC全盛の頃)だった思うが、後にお世話になる今井邦男先生のグリーンウッドハーモニー(仙台市)。
非常に滑らかで、ブレスを感じさせないフレージングと曲の構成。
当時、鶴岡土曜会も後塵を拝しつつ頭角を現した頃だが、グリーンウッドの「野に出でよ」はともかく絶品で、課題曲では一番だと思った。
そして直後から、グリーンウッドは全国大会上位の常連となり、最近では一度の全国制覇を挟んで平成22,23年度には全国大会を2連覇している。
にしても、いつもかなり多い(はず)の女声がいつになく少く(普段6:4位だが、当日だけ逆転している位)バランスは悪く聴こえていただろう。
ま実際には「それ以前」の演奏だったと思うが、ともかく、このメンバーを見ると、今だったら東北大会は入賞させなくては、な感じです(どうもすみません)
後に今井先生の代理で(以前書いた)全国大会レベルの団体を招待演奏する「東日本合唱祭」で指揮した時も肩がこったが、このコンクール東北大会もハンパなくテンパっていた。
まあ、今考えれば、これも私なりの現在に続く「この道」なのであろう(たぶん)

某スーパーほかにて,森永ドライミルク「はぐくみ」を下見

2013年04月18日 | 日常生活
最近,少しだけ「じいさん業務」が出てきたので,息子夫婦から「某スーパーの4/20の感謝デーで森永ドライミルク「はぐくみ」を買うように!との指令をもらった。
さすがに嫁は知っていたようたが,私はサッパリなので,町内の大手スーパー(イニシャルがJ)やらドラッグストアやらを,自転車並べて下見してきた。
結局,某スーパーJの1缶で1980円,2缶3960円と,堂々の最安値。
ただ,2缶でも金額2倍そのまま,ってのは気に入らなかったが,2缶用のビニール製透明バッグとかついているので「微妙(無駄)に便利」って感じだ。

20日ってのには感覚が無かったけれど,開店時から元々安い日だしし,嫁はなぜか「オーナーズカード」を持つ身分(私は何も無し)なので,さあて,何パーセントの割引となるのでしょうか(苦笑)

伊藤久男「イヨマンテの夜1975」を視聴..冒頭より尊敬する古関裕而先生の指揮に感動

2013年04月16日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
懐かしのメロディ系の再放送番組があり,何となく流していたら,知っているけれど斬新な「イヨマンテの夜」という曲に聴きほれ,ハマッています。

作詞が菊田一夫で作曲が古関裕而,歌は伊藤久男
という明治末生まれの同世代,私の父などからすれば「黄金のトリオ」であろう(偶然にも,3人はそれぞれ1歳ずつ違い。後の世界的ヒットメーカー「六・八・九」ともちょっと違いますが)

「イヨマンテ」とは,アイヌの神に豊穣祈願を捧げる,熊送り(葬送)の火祭り。
イントロの太鼓の音がいきなり郷愁を誘う。
レコードの伊藤久男の声は,もっと若々しく,強さを感じるのだが,この動画には,特に作曲した古関裕而先生の指揮が,今や指揮者となった私の心にしみる。
私が真に音楽に目覚めたのは,幼稚園時,6歳でテレビにかじりついた古関先生の音楽が流れる東京オリンピックに感激していたから。

「イヨマンテの夜」は後に色んな人が「カバー」しているが,伊藤の為に作曲された歌の前で,それらは「模倣」にすぎない。
時代ってのもあるけれど,彼は明治男でもあり,格好良すぎる。
リリック(叙情的)であって,相反するように勇壮だ。
藤山一郎とかもすごかったが,伊藤は帝国音楽学校にも在籍した,生半可でないイタリア式の職業歌手で,どう見ても彼の前にマイクは邪魔だった。

余談だが,仙台在勤時の平成3年に,初めて福島市でのジョイントコンサート(ファンタジーコーラスの夕べ)で東北最大級のオルガンを有する福島市音楽堂を訪れ,併設する「古関裕而記念館」に入館した時は,体が震えるほど感動したのを覚えている(たぶん33歳の頃と思うが)
今でも,あのオリンピックの入場行進,ギリシャから始まり日本選手団が行進した,延々と続く,いつまでも終わらないであろうか,否,終わってほしくなかった古関先生の「オリンピックマーチ」が心に焼き付いている。

以下,Wiki先生による曲紹介の一部です。
>日本全体に向けた壮大な鎮魂歌『長崎の鐘』。
>戦災孤児の救済がテーマのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』。
>戦後日本の発展の象徴でもある1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた
>『オリンピック・マーチ』。
>現在も毎年夏の甲子園に流れている高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』。
>その他にも『フランチェスカの鐘』、『君の名は』、『高原列車は行く』などの格調高い
>曲を多く創作した。
>クラシックの香り溢れる流行歌や、勇壮で清潔感のあるスポーツ音楽が大衆の心を捉えた。

■伊藤久男 イヨマンテの夜1975..いきなり古関先生の指揮からスタートです


■イヨマンテの夜(ステレオ)...若き伊藤久男の声

玄関先にスイセンも咲く

2013年04月16日 | 日常生活
実は,この「日常生活」のカテゴリーへの投稿が多いのは,私の心身面での調子が良好な証拠。
んで,今年も,いつもの「サルスベリの根元」あたりに,みるみるスイセンが咲いてきた。
先に書いたように,桜も「開花宣言」しているので,もう「春は爛漫」な時期となりました。

4/15現在の,大根の首,その後

2013年04月15日 | 日常生活
前に,いつもどおり大根の「不要な首」と捨てられかけたのを,元ペット用の皿で育てようと大根には根性が必要などと書きましたが...

その後は,タイトル写真のとおり,根っこは無いものの,なかなかに育ってくれて...食べても良いかと思っていたら,花芽が出てきてしまい,またまた食べられなくなりそうです。

それにしても,こんな程度で「緑の鑑賞」ができるのですから,大根を食す家庭なら,誰でもできるのではないでしょうか(たぶん)


春の訪れ 4/14,私の中では開花宣言(三角公園で開花を確認)

2013年04月15日 | 日常生活
先日,春の訪れ その8 そろそろ桜、咲くかという日記を書きつつ,開花予定を過ぎてしまった我が酒田市...

その山形県酒田市の標準木のある港南公園(通称「三角公園」)でまたまた桜をチェック。
標準木よく分かりませんが,おかげさまでちらほら,というか2本に1本位の割合で,開花しているのを確認しました。
山形気象台は4/15に山形市の開花宣言(やはり4/14にはチラホラだったそう)をしたそうですが,私の中では,この4/14時点で酒田市は「開花宣言」と勝手宣言いたします(笑)
てことで,次の週末は花見のピークとなるでしょう。
好天に恵まれるといいな!

↓見づらいですが,真ん中の上のほうで咲いてます。

↓見た目どおり,真ん中あたりで咲いてます。

春の訪れ その9 その他いろいろ

2013年04月14日 | 日常生活
春の訪れ,として紹介していますが,それも「桜が咲くまで」のイメージでいます。
で,今回のは「その他いろいろ」です。
タイトル写真は,最寄りの丁字路向こうの緑道(遊歩道)沿いに咲くレンギョウで,桜より前に咲きますが,今年は「ギリギリ前」となりました。

■次に,本来は,レンギョウよく咲くはずの,まだ咲いていないユキヤナギ(涙)

一番気候の厳しい北西向きなので,後咲きなのでした。

■最後は..低木だけでなく,ハナミズキの新芽も出てきました。

あ,スイセンもつぼみが大きくなり,もう少しで咲きそうです。

親父の道具袋

2013年04月14日 | 日常生活
親父の道具袋..幼少時,よく酒田の町に連れられて行った,駅前近くの道具屋さんのものです。
腰袋も別に持っています。

転勤暮らしだったので,残念ながら父のプロ用の道具は既になく,写真のゲンノウ(両側トンカチ),ノコギリ,カンナは,転勤先の仙台やらで買ったりしたものです。
ほかに,キリ,曲がりがね(尺),なども買い足しました。
釘とかいろいろ種類あります。
あ,割れたけど,大きな研ぎ石は「遺産」(半分半分)があります。

父のまねして,小学校頃までは,トンテンカンテン,あるいはノコギリ引いたり,カンナでけずったりして..指は青あざ,ノコで血だらけとか,結構ヤバい経験をしたぶん,北欧あたりで使っていそうな子供用の家ぐらいまでは作れそうかも(笑)

それにしても袋に書かれた「酒田市戸野町」(とのまち)中屋源助商店,懐かしいですね(現在の酒田市相生町付近)
もう,吸収合併された某信用金庫の戸野町支店とか,名残りは少なくなってきました。



春の訪れ その8 そろそろ桜、咲くか

2013年04月10日 | 日常生活
我が山形県酒田市の標準木のある港南公園(と言われても殆ど不知,というか通称「三角公園」で知られる)で桜をチェック。
おかげさまで「あと一息」という位,つぼみが大きくピンクになっている。
もう2日も暖かければ確実に咲きそうなのだけれど,明日からまた冷え込みそうな気配。

週末に咲くかギリギリか?花見のピークは来週くらいかな!?
ということで,開花宣言が待たれる今日この頃である。

春の訪れ その7 門扉前の萩がたくさん芽吹く

2013年04月10日 | 日常生活
見えにくいかも知れませんが、根っこギリギリまで刈り込んだ萩に、無数の芽が出てきました(イボイボっぽいものが,全部「芽」)

初冬にザッと刈り込んでおいて,春を感じる最近になって「根こそぎ」というか「株のみ」に刈っておいたら,こうなった。
萩は非常に強いので,これだけ刈っても,夏頃から我が家の門あたりは「ジャングル」である。
しかも,ちゃんと刈り込まないと,イモムシ類がとんでもないことになる。

山形新聞4/9「トップコンサート 7個人団体 全国レベルの演奏披露」の記事からの連想(妄想?)

2013年04月10日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
3/20山形県民会館で行われた鶴岡土曜会混声合唱団を含む,全国レベルの大会で入賞したした方々による「トップコンサート」が行われた,と山形新聞が報じていた。
上記,全国常連となった「土曜会」のほか,おかあさんコーラス,子ども合唱団,独唱や器楽関連など,いろいろなジャンルの共演となったそう。
まことに素晴らしく思う。

ところで,これを読んで更に思ったのが,隣りの「合唱王国・福島県」である(この「王国」の表現に公の場でケチをつけたアホな音楽家(?)というか審査員もいたが...)
昨年秋に,郡山市まで「合唱コンクール東北大会」を郡山五中の混声合唱を聴きたいがため「だけ」に行ってきて,結果,中学校・高校の半分近い数(イメージです)が福島県であり,そのうちかなりの数の福島勢が全国大会に出場した。

そして,彼らは合唱のみの「全国大会壮行会」でさらなる力試しというか,披露をして,全国に出発している(おかあさん合唱の方々は,全国大会の時期が早いため「報告会」?のタイミングとなるそう)
数も「7団体」などというものでなく(たぶん)半日は私のような「合唱バカ」や一般の「合唱ヲタク」を十分に楽しませてくれる陣容だ(ああ羨ましい,というより素晴らしい)

全国トップとしては,戦後早くの「国鉄郡山」男声合唱団を皮切りに,一般合唱のFMC混声や,安積女子高校(現・安積黎明)などで知られる高校勢,最近は全国でも圧倒的に強い郡山市を中心とした中学校勢など(数えはじめるとキリがない),私などは「老後は福島に」などと妄想しているし,合唱結婚?の嫁も「そうなればいいね」などと,リップサービスかは知らないが,言ってくれてはいるくらいだ。
その後,大震災があって忌まわしい事故があり「あの子達は今年もNコンに出てくるのか,出て来られるのか」と心配していたが,実際にかなりのご苦労があったとは聞いたものの,東北ブロックで福島の子らは懸命に歌い,一昨年は郡山の子らが,昨年は会津若松の子らが,Nコンを制覇(金賞)した(しかも,昨年は惜しくも銀賞だったのが同じ福島県の郡山の子らだった)

話を山形県に戻すと,前述の「土曜会」が一昨年に初めて「全国金賞」だったのには驚いたが,全国銀賞となった昨年の,酒田で行われた県大会では「?」がついた。
遊佐町の「サボー先生の合唱セミナー」でご一緒した「県トップで,東北で上のほう」と言われる鶴岡の某校も「?」だったりした。
他人を言うのは簡単だが,私のところの団というか「アンサンブル」も,全国の審査には落ちた(ここは,当然,と言われそう)

それでもまだ「鶴岡」は県内では良いほう(というよりトップ)で,わが酒田などは,合唱で人前に出てくる高校はゼロになってしまった。
私は母校の混声合唱の継続を願い,10年ほど母校に通っていたけれど,転勤で不在のうちにだんだん活動もフェイドアウト,そして,かつて酒田・鶴岡を含む庄内地方で最強と言われた酒田W高校など,今は部があるかどうかも知らない。

良く聞くのは「中学校で合唱を体験しても,高校に受け皿がない」と地元の人は言う。
私自身も母校に赴き「部活を見たい」と申し出たが,勉学優先やらセキュリティやらで,断られてている(人はこれを門前払いという)
バカな私が,個人的に中20年を空けて騒いでも,既に手遅れなのかもしれないが,長い期間を費やして,活発だった音楽部・合唱部の活動が,地域において皆無に等しい状態を憂うばかりだ。
もちろん,教員は情熱有無以前に多忙を極め,学校と父母の環境変化もあるだろうけれど「皆無」というのは,いささか...である。

得に福島においてだが,県内での鶴岡もまた,隆盛の理由は「指導者のたゆまぬ努力と横の連携」だと言われるし,そのとおりだと私も思う。
連携を持ちたい,と思える指導者は,1,2名という感じであるが。