PRESSな時間

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PREESSな時間

2013-06-10 20:36:14 | 社会

 6/10「カビの生えた設計図」(1)
(小倉志郎氏の投稿を支持する)          
――はじめに――
 小倉志郎氏は1967-2002まで原発技術者として
原発のポンプ及び熱交換器の設計に従事されました。
 今回小倉氏は
「地震に対する原発の安全確保のための規制は無きに等しい」
と題して
「リベラル21」に投稿されましたが、
筆者はそれに答える形で
更なる原発安全神話の盲点を指摘したいと思います。

1原発設計は日本独自の物ではない。
 原子力発電設計図の原本は
米国GE社が所有しており、
当初、
日本は原発の導入段階で
その原本を直訳した図面が使用された。
それは,
とりもなおさず,
日米原子力協定に沿って
日本が「ウランの再処理を進める」為であり、
早期の導入を図りたいが為であった。
そのため、
誤訳も多く見受けられたが、
そのまま使用され、
今日に至っている。
また、
この設計図は米国仕様に作られている為、
日本の地震,津波などの考慮が
全くされていないと言う欠点を持つ。
更に、
米国版設計図は
何度も版を重ねられていながら、
日本国内では改訂版が発行されておらず
図面は初版をそのまま使用している
と言う事実もある。
今日、
安倍政権は
「原発トップセールス」と銘打って、
海外に原発技術を輸出ようとしてるが、
このような
「カビの生えた設計図」
を基礎にした技術を、
海外に輸出して良いのだろうか。
常識的に見るならば、例えば
その商品が
「欠陥商品」
を承知の上で販売したら、
消費者側から
その商品がリコールされる運命にある。
それを見抜けない、
また、その事実を黙認しながら
売り込みをかける日本企業や、
それを安易に輸入する海外の政府,企業は
どこを見て、この「欠陥商品」を売買しようとしているのだろうか。
同じ日本人として全く恥ずかしい限りである。


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2013-06-09 20:38:38 | 社会
6/9「失われた2年」
今日新宿区では
「緊急 集団避難プロジェクト」キックオフ会が
あった。
登壇者には
「チェルノブイリの架け橋」の野呂美香さん、
北海道から松崎道幸医師(スカイプ)
福島から避難された長谷川克己さん東京に避難していらっしゃる二瓶さん、
高知県で移住の実現を目指す方、
埼玉県で被曝問題に関わっている方、
など、
大勢の方々の参加があった。
この中で
まず、野呂美香さんが、
日本政府,笹川財団が高額な援助で行った
「チェルノブイリ調査」の全貌を示し,
この調査がいかに隠蔽、改ざんされたかの経過を報告。
次に、
保養の大切さをデータを元に語った。
次に
アワープラネットTVが制作した
県民健康調査の杜撰さを映像化した
ドキュメンタリーが放映され、
松崎医師のスカイプによる健康調査の解説があった。
第2部では、
柳原弁護士の福島での市民インタビューが流され、
第3部ではパネルディスカッションで
「子供の健康に生きる為の緊急避難実現に向け、今,私達が成すべき事」
と題し、
会場を交えて討議が行われた。
ーーここから私見ーー
今日の集会は皆真剣に
福島そして、首都圏から子供を避難させ、
尿と血液検査を含む健康調査実施してほしいと願っている。
そして、
「避難する事は自分の命を守る事」であり、
一日も早い疎開を
国が実施してほしいと願っている人々である。
私達
国民は
皆被曝している自覚が不足していると思う。
しかし、ここに集まった人々は
少しでも被曝線量の低い土地に
避難を実現する事が
実現してほしいと感じている
人々でもある。
この人々が
隣の人に語る事こそ
もっと
このプロジェクト成功の
秘訣ではないかと思っている。

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2013-06-08 21:39:52 | 社会

6/8「現実を見よ」
今日外国特派員協会では自由報道協会と共催記者会見があり、
私も公式に特派員協会質問でビューを飾った。
(しかし、とても恥ずかしく出せません。)
それはそれとして、、、
中野では
「球美の里」の1周年記念イベントがあった。
さすがに私は
明日の福島疎開裁判保養集会があるので急ぎ帰宅したが、
西尾先生の話はかなりショッキングなものだった。
ICRP,
IAEAの
誤摩化しから始まり、
バンダジェンスキー博士の報告、
などなど、
聞かなければよかった話が
続々と出て来たので
最初の方はバスから降りて
音声を中くらいにしたまま、
道を歩いた。
しかし、
対抗から小学生くらいの子供が走って来るのを見ると
思わず、
胸が苦しくなるのを覚えた。
「この子は一体どれくらい被曝しているのだろうか?」
多分
ゼロベクレルのはずのない子供が
何の警戒もないままで生活しているのだろう。
そう思うと
この配信の一部でも良いから
その子の親と本人に聞かせてあげたくなる。
そう思うと
全くどうしようもない寂寥感に悩まされてくる。
会場の話はほとんど、
「こうゆう話はほとんどマスコミに流れない」
と言う言葉で終わる。
今日配信していた横川けいきサンなど
ほぼ全国ネットで配信をしているにもかかわらず、
彼の事を知っているのはほんの一部だ。
皆現実を見てほしい。
そうだ、隣の貴方もだ。

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2013-06-07 20:26:56 | 社会

6/7「安全文化とサブカルチャー」
今日私のメールに
「原子力委員会」からのメールマガジンが届いていた。
このメルマガには毎回、
委員長である近藤駿介氏と委員長代理の鈴木達二郎氏のどちらかのエッセイ風コメントが載せられている。
今回は
近藤委員長の番であるらしく
表題は「安全文化、、、」
であった。
要するに彼の趣旨は
「原発はどんな事故を起こしても安全第一でやれば大丈夫だ」
と主張したいらしい。
何故、
このような文章を公表しなければならなくなってしまったかと言うと、
高速増殖炉「もんじゅ」の実験が点検不備で中止になってしまったので、
直ぐにでも
原発の安全神話を
新しく確立しなければ、
安倍首相の
「原発輸出トップセールス」
を後押しする事が出来ないからである。
この
「新安全神話」
とも言える
近藤委員長の言葉を
私はある映画で見た事がある。
それは,
オーストリアで制作された
「プリピァチ」と言う映画だ。
この映画の中で
原発作業員がしきりに言う言葉が
「安全第一」でやってます。」
と言う言葉だ.
つまり、
チェルノブイリ事故の原因は
運転員の運転ミスだった事が自明なので
彼らはしきりに
「安全第一」と言っているのである。
しかし、
日本の原発の場合は
この問題に加えて、
自然災害に対する装備が需要な問題になる。
近藤委員長の今回の発言は
この「
自然災害」
の事には一切触れず、
組織のニュケーションが万全ならば
「原発は安全だ」
と言う事を言っている。
また、
「リーダーや組織の人間がサブカルチャーと協調しつつ、、」
と書いてある事は注目すべき点だと思う。
しかし、
この「サブカルチャー」

一体何を指しているのかが理解出来ず、
困ってしまった。
(これは個人的意見だが)
この「サブカルチャー」とは
いわゆる
「反,脱原発」の事
を指しているのではないだろうか?
と思っている。
つまり、
「安全文化」の
「もう一つの文化」
として
「反,脱原発文化」が存在すると言う事なのか?
と思っている。
しかし、
私は
彼の考えている
「原発の安全文化」
と言う発想が
まず理解出来ないし、
「リーダーや組織があり、
その機関がきっちりと機能したとしても
原発は事故を起こすし、
自然災害、その他の理由によって事故を起こす。」
と思うのである。
又、
私はそんな思いをしてまで
原発を推進しなければならない程
日本の電力は不足しているとは
思わない。
以上の理由から、
近藤委員長には
この「安全文化」と言う言葉を

発言を再考して頂きたいと思う位である。
そして、
人間が操作する機械を
「文化」と言い換え、
「組織が機能すれば原発の安全は保たれる。」
と言い切った近藤氏に対して、
事故現場や福島の住民の前で
この話をしてほしいと願ってやまない。

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2013-06-06 20:25:06 | 社会

6/6「悲劇」
今日議員会館では、
「生業を返せ、地域を返せ福島原発事故被害弁護団」の
東電および、政府各省庁との院内集会および、交渉があった。
この団体の特徴的な事は
何故か,毎回東電が交渉相手となる事だ。
前回での東電交渉では
東電側から拒否され録画配信となったが、
今回は生で配信になった。
しかし、IWJでの朝の告知がなく、
突如の配信だったにもかかわらず、
ソーシャルストリームににも
私にとっては常連組が一部揃って結構楽しい番組になった。
交渉の成果としては
相変わらずの
「役人こけし」揃い踏みだったので、
全く進展しなかったのだが、
福島の現状と避難住民、原発作業員のコメントが聞けて
よかったと思っている。
須賀川市の現役農民の方は
「畑の作物は100ベクレル/kを超えている。
しかし、農作物は100ベクレル以下なら出荷している。
でも、私は食べない。
他方から買って食べている。
除染も、自分の畑を自分が作業員としてやっているが
(線量は)下がらない。」
また、
沖縄に避難している女性は
「自分の子供3人から尿検査でセシウムが出た、
嚢胞もある。
自分も(放射能が原因かどうか不明だが)卵巣に異常がある。
子供は誰が守るのか?
親しかいないでしょう?」
と訴えた。
警戒区域の住民は
メッセージで「
家の中はネズミが柱をかじり、糞をまき散らす。
その死骸を持って帰ったら
東電の職員が「役所に行ってくれ」と
笑って言ったと言う。
原発作業員のメッセージでは
「配線など誰がどうやったのか記録がない。
作業員の多くが被曝線量が限界に来ているので、
多分
その先この工事を誰が
どのようにやったのか判らなくなるだろう。」
と綴った文を読み上げた。
しかし、
東電や政府側は
「それは他の部署の事」
「賠償に関しては紛争解決センタ―があるので。」
「子ども被災者支援法は検討中。」
など、
相変わらずの答えしかなかった。
今日の交渉で一番気になったのは
相馬市の農民のことば
「私は野菜を買って食べている。」と言う言葉だ。
東京では
時々
「野菜にも一言言わせてデモ」と言うデモがある。
そのデモは
参加者が台所用品か野菜を持ってデモをすると言う
決まりになっている。
無論、野菜,果物は放射能について一言も言わない。
しかし、
彼らも好むと好まざるとに関わらず
、放射性物質を吸い上げている。
そして、その多くは「奇形」と言う形でその植物に出現する。
つまり、
植物は植物なりに自分の言い分を主張しているのである。
その農作物を
我が息子,我が娘の様に
育てている農民が
自分の育てた作物を食べられないと言う
事実を
東電、政府関係者はどう捉えたであろうか?
まさにそれは
現代の「アウシュビッツ」
であり、
拷問にも似た行為ではないかと思うと、
心が張り裂けんばかりである。