6/15「季節外れの菜の花」
今日は福島事故関係の集会が3つあった。
一つは「フタバから方遠くはなれて」のトークイベント。
そして「市民と科学者の内部被曝研究会」
「私達の様にならない為に、、」というものだ。
そのうち
「フタバ、、」と「私たちの、、、」に共通する話題があった。
それは
「セイタカアワダチソウ」だ。
「フタバ、、」の映画には
田んぼに茂った「セイタカアワダチソウ」が出てくる。
この試写会を最初に見た、現地の方々は
ため息をついた。と言う話を船橋監督から聞いた時
私は絶句した。
しかし
今日の福井での話の中では
「セイタカアワダチソウ」の事を
「季節外れの菜の花」と新聞社が報じたと言う事である。
「セイタカアワダチソウ」は荒廃した土地真っ先に茂る。
私も去年、近所のセイタカアワダチソウを見た時
「双葉町といっしょだぁ。」としみじみと見た。
更に良く見ると
その生態にかなりの異常と思われるものがあって、
その傍で保育園の子ども達が電車を見ている光景を
ぞっとした気持ちで見ていたのを思い出す。
今日の配信ではその
「セイタカアワダチソウ」を
「季節外れの菜の花」と報じた新聞社があると聞いて、
私自身がっくりとした。
多分、新聞社は
その土地の
「復興」
を印象付ける為に記事にしたのだろう。
しかし、
それでは余りにもその土地の住民感情を逆なでするものではないか。
と考えてしまう。
また、
記事にする前に
なぜ,そこに「セイタカアワダチソウ」が群生しているのか?
と言う疑問がなかったのであろうかと考えてしまう。
それとも、
そうゆう疑問があったとしても、
「復興」の名の下に無視されてしまったのだろうかと考えてしまう。
福井での配信の中で
「春の雲など見た事がなかった」
と避難された住民の方が言ったそうだ。
春は農民にとって最も忙しく、
空を見上げる余裕などないと言う事の
現れの言葉だと思う。
そのような農民の感情を逆なでする様な
「季節外れの菜の花」記事は
私たち都会に住む感情と農地に生きる方々との
落差を象徴しているのではないかと
思った。