下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です。
無力だった親心
前代未聞の“駆け落ち婚”を成就させようとしている眞子さま(29)と小室圭さん(29)。一途に意思を通されたプリンセスのお振る舞いが、より自由闊達な妹宮に引き継がれることはもはや避けられない。結果、秋篠宮家の威厳は失墜。将来の皇位継承すら危ぶまれているのだ。
***
今月11日のお誕生日にあたり、紀子さまは記者会からの質問に「ご回答」を寄せられた。だが、宮内庁担当記者によれば、
「国民的関心事となっている眞子さまと小室さんとのご結婚については“長女の気持ちをできるだけ尊重したい”と述べるに留められました。一方、昨年のお誕生日会見で“結婚を認める”と発言された秋篠宮さまも小室さんへの不信感は払拭されていません。直接対面して金銭トラブルの解決を強く求められたものの、小室さんは身勝手な言い分に終始するばかり。小室さんが事前の相談なくアメリカ留学を決めてからは、眞子さまが自ら身を引くよう心を砕いてこられました」
そんな親心も、一途な恋心の前では無力だったというべきか――。
眞子さまと小室さんは、一般の結納にあたる「納采の儀」や、天皇皇后両陛下にお別れの挨拶をする「朝見(ちょうけん)の儀」といった儀式を一切行わずに結婚される見通しで、その後はニューヨークで新婚生活を始められるとみられている。
「私とお姉ちゃんは生まれた時からここしか知らない」
小室圭さん、眞子さま(他の写真を見る)
皇室には異例ずくめの展開が待ち受けるが、実は、今回のご結婚を機に、眞子さまの妹・佳子さま(26)を巡る難題も浮上している。
「今月6日、共同通信が〈天皇ご一家と4宮家存続の構想〉という記事を配信しました。そこでは、皇族数の確保策として〈天皇陛下の長女愛子さまが天皇ご一家に残り、秋篠宮家の次女佳子さまが秋篠宮家を継ぐ〉構想があると報じられた。眞子さまの皇籍離脱を受けて、皇族数の確保が喫緊(きっきん)の課題となっているのは事実。このままでは、皇室会議における皇族代表の議員2名をはじめ、ご公務の担い手がいなくなってしまう。ただ、佳子さまは姉宮以上に“一般の方々と同じでありたい”というお気持ちが強いとされます。政府や有識者会議が、佳子さまの意向に沿った結論を出せるか懸念されているのです」(同)
紀子さまは先の「ご回答」のなかで、佳子さまの今後にも触れられている。
〈結婚や将来につきましては、次女の意見をよく聞いて、家族の語らいを大事にしていきたいと思います〉
しかし、ご家族の間では、穏やかならざる“語らい”も見受けられるようだ。
かつて秋篠宮家に仕えた関係者が打ち明ける。
「紀子さまはお子さま方に厳しい物言いで干渉されていた印象があります。年頃になられたお子さま方にすれば、口うるさく感じられた面もあったのではないでしょうか。実際、紀子さまと佳子さまとのやり取りが、口論に発展することも珍しくありませんでした。それこそ、佳子さまが“お母さんは結婚するときに納得した上で皇室に入ったのでしょう。でも、私とお姉ちゃんはちがう。生まれた時からここしか知らないのよ”と強い口調で仰ったこともあったほど。佳子さまは、ご自身が“籠の鳥”も同然ではないかと仰りたかった。紀子さまはそれを覚悟された上で相思相愛となられた秋篠宮さまと結ばれました。しかし、宮家に生を享(う)けたご自分たちは、そもそも人生を選ぶことさえできない、と。佳子さまのお言葉を耳にした紀子さまは、それ以上反論なさることはなく、黙ってしまわれました」
眞子さまご結婚騒動が幕引きを見る前から、秋篠宮家には新たな暗雲が垂れ込め始めていたのである。
いざ付き合いそうになると……」
かねてより佳子さまは、「気丈なご性格で、ご両親にもはっきりと意見される」(同)ことで知られていたという。20歳のお誕生日を迎えられた際の会見でも、記者からご自身の性格について問われ、こう答えられた。
〈短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます〉
先の関係者が続ける。
「姉宮想いの佳子さまとしては、ご結婚に際して眞子さまがバッシングを浴び、ご両親からも賛同を得られないまま孤立していくことに胸を痛めておられた。“お姉さんをひとりにしてはいけない”とお考えなのでしょう。そうしたお気持ちが、ご両親への反発という形で表面化してしまうのは致し方ない部分もある」
佳子さまは姉宮と同じICU(国際基督教大学)を卒業された一昨年3月に文書を発表し、次のような言葉を綴られている。
〈私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています〉
これはご自身の結婚観にも繋がる内容であろう。佳子さまも自由恋愛を経てのご結婚を望まれていることは間違いなさそうだ。
佳子さまのご学友のひとりが振り返るには、
「佳子さまは学生時代から自由闊達な方で、世間知らずな印象はありません。時には、気になる異性の話を口にされることも。よく仰っていたのは“私がいいなと思う人がいても、いざ付き合いそうになると、いつのまにかいなくなってしまうの”ということでした」
佳子さまと交際するとなれば、畏れ多いと感じた相手が距離を置くのも当然の反応と言える。自ら眞子さまに近づき、甘い言葉を囁いた小室さんが異様というわけだ。
脱「学習院」の教育方針が与えた影響
「お姉さまの場合は、ごく普通の女性として接してくれた小室さんに魅力を感じられたのでしょう。でも、それはかなり異例なことです。佳子さまは、ご自身が周囲にどう見られているかについてあまり理解されていないのではないか、と感じることはありました」(同)
その意味で、秋篠宮家に顕著な脱「学習院」の教育方針もお子さま方に影を落としている。
「学習院女子中・高等科では、私の1学年上に紀子さま、2学年下に黒田清子さんがおられ、大学の同じ学科には秋篠宮さまが在籍されていました。それが当たり前の環境だったので周囲の生徒が騒ぐこともありませんでした」
と語るのは、学習院OGでジャーナリスト・藤澤志穂子氏である。
「ただ、警備の面を含め、学習院側の皇族方への気遣いは並大抵ではありません。率直に申し上げて、秋篠宮家の方々はそれを当たり前の特権として享受しながら、さらなる自由を主張されているように映ってしまうのです。中高が女子校で“純粋培養”だっただけに、眞子さまも男女交際の“免疫”がなく、進学先のICUで出会われた小室さんと純愛を貫いてご結婚されるのでしょう。もちろん、誰にでも幸せな人生を送る権利はありますが、特殊な環境に支えられているご自身の立場を理解することもまた大事だと思います」
下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です。
洗って使える布製のマスクだったが
9月16日、NHKが≪小室圭さん近く帰国の見通し 宮内庁 眞子さまと結婚発表準備≫と報じて以来、眞子さまと小室圭さんの結婚はカウントダウンに入った様相だ。そんな中の翌17日、上皇ご夫妻は高輪仙洞仮御所から皇居に出かけられた。
***
「上皇さまはライフワークのために皇居内の生物学研究所、上皇后さまは宮内庁病院にお入りになりました。8月20日にも宮内庁病院で検診を受けられています。美智子さまは原因不明の微熱がずっと続いていらっしゃる。この日は歯科を受診されたようです」(皇室担当記者)
美智子さまは白地に黒く細いボーダーの服をお召しになって、シルバーのキラキラ光るネックレスとイヤリングをつけられていたのだが、この日は別のものに注目が集まった。
「マスクが気になりましたね。美智子さまといえば、コロナ禍の最初の段階から洗って使える布製のマスクを使用されていて、手作りされていることも話題になりました。が、この日は不織布のサージカルマスクをお使いだったので、意外に思ったんです。予防効果が高いのは布製よりも不織布のマスクのほうだと、専門家が再三アナウンスしているので、それを意識されたのかもしれません」(上皇ご夫妻が皇居に入る際に居合わせた人)
美智子上皇后さまは、眞子さまの結婚は祝福されつつ、これまでの経緯や今後について悩まれてきたという(他の写真を見る)
もっぱらのお楽しみは“待ち合わせ”
コロナ禍のもと、上皇ご夫妻にお仕えする上皇職は定期的に簡易PCR検査を行っているという。春先には擬陽性を示したケースもあり(のちに陰性と判明)、新型コロナ感染症の感染対策に関して、上皇職は宮内庁の中でももっとも細心の注意を払っているようだ。
人と面会するときは大きなテーブルをはさんだり、職員との連絡にはメモを渡したりなど、入念に密を避ける対策を講じているという。
「娘である黒田清子さんともお会いになっていないようです。黒田さんもこのご時世で上皇ご夫妻を高輪に訪ねることを遠慮されているのでしょう。上皇ご夫妻はお庭のお散歩を日課としていらっしゃいますが、美智子さまのもっぱらのお楽しみは“待ち合わせ”。高輪仙洞仮御所の近くには学生時代のご友人が数人お住まいで、ご友人はマンションのベランダ、美智子さまは仙洞仮御所のお庭のあるポイントでタイミングを合わせ、手を振りあうことが楽しみなのだそうです」(宮内庁関係者)
バリアフリー化の改修工事を経て
コロナ禍によって引き起こされた分断など、ともすると殺伐とした雰囲気が漂う中、なんとも微笑ましく、一服の清涼剤のようなエピソードだ。
すでに報じられたようにさる9月6日、天皇皇后両陛下と愛子さまは住み慣れた赤坂御所から仮住まいである皇居・宮殿に移られ、20日には引っ越しを終えた御所に入られた。今後、赤坂御所は手すりをつけたり、エレベーターを設置したりするなど、バリアフリー化の改修工事を経て、上皇ご夫妻が高輪から移り住まれる。
お代替わりに伴う引っ越しは完了へと向かっているが、眞子さまと小室圭さんの儀式をしない前代未聞の“駆け落ち婚”はこれからが山場。小室さんが来週早々にも帰国するという報道もあり、しばらくは皇室をめぐって騒然とした空気に包まれることだろう。上皇さまも美智子さまも少しでも穏やかにお過ごしになれればいいのだが──。
デイリー新潮取材班
下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です
レビュー
「ストレスはありますか?」という質問には、ほぼ100%の人が「YES」と答えるのではないだろうか。ストレスはあまりに身近な存在で、私たちは常に「ウィズ・ストレス」な生活を送っている。
『ストレスの9割はコントロールできる』 鎌田 敏著 明日香出版社刊行 1650円(税込)
適度なストレスは脳を活性化する、という学術的見解もあるが、あまりに増えすぎたらどうなるか。本書『ストレスの9割はコントロールできる』の著者である鎌田敏氏は、バブル経済の崩壊によるリストラ、阪神・淡路大震災など、数々の「想定外の出来事」に襲われる中、パニック障害を発症して長く苦しんだ経験を持つ。しかしその後「人生は心のあり方ひとつでガラリと変わる」ことに気づき、今ではメンタルヘルス講師として全国各地で講演・研修活動を行っている。
長引くコロナ禍において、ゴールの見えないマラソンを延々と走らされているような状況に、心身ともに疲弊している人は多いだろう。しかし、それでも前を向いていかなければならないのが人生だ。ならばできるだけ楽しみながら、ポジティブに生きたいと思うのが人情だろう。
本書では、ストレスを溜めないための考え方や行動習慣、心身を整えるコツなどが、テンポよく紹介されている。著者は、コントロールできることにフォーカスすることが、ストレス管理のポイントであると説く。「想定外の出来事」や「他者」はコントロールできなくても、自分の心持ちはコントロールできる。日々の生活が少しでも楽しいものになるように、ストレスフルな毎日を送るすべての方に届いてほしい一冊である。(矢羽野晶子)
本書の要点
(1)ストレスは日常のちょっとした行動や気持ちに紛れている。小さなストレスサインを見逃さず、早めに対処していくことが重要だ。
(2)苦しみや悲しみの感情を手放すためには、「『今、ここ』に集中する」「目標に集中し、行動する」「ポジティブな宣言をする」の3つの方法が効果的である。
(3)相手をコントロールすることはできないが、関係性は変えられる。人間関係に悩んだら、相手との距離感にフォーカスしてみよう。
要約本文
◆ストレスサインを見逃すな!
◇心と身体の声に耳を傾ける
著者は、パニック障害による発作に襲われて、救急車で病院に運ばれたことがある。身体からの「小さな悲鳴」が聞こえていたのに、「ちょっと疲れているだけ」「栄養ドリンクを飲めば大丈夫」と無視しているうちに、発作という「大きな悲鳴」になってしまった。
朝目覚めたときから疲れを感じる、イライラすることが多くなった、なぜか涙が出る、お酒の量が増えた、動悸がする、人と会うのが億劫になった……このように、身体の小さな悲鳴は、日常のちょっとした行動や気持ちの中に紛れている。心と身体の声に耳を傾け、早めにキャッチして対処するようにしてほしい。
◇ストレスの段階的反応と対処法
ストレス反応には段階があり、それぞれに応じた対処が必要である。
たとえば、人前でスピーチをすることになったとしよう。スピーチは、ストレスを引き起こす原因、「ストレッサー」になりえる。だが、スピーチをすると聞いて「目立つチャンスだ」とワクワクする人もいれば、「緊張する」と憂鬱に感じる人もいるはずだ。同じストレッサーでも、それを受け止める「認知」は人によって違う。
スピーチを憂鬱に感じた人は、スピーチの時間が近づくとドキドキし、手のひらに汗をかき、ソワソワしてウロウロしはじめ、ますます憂鬱になって逃げだしたくなるかもしれない。この場合、スピーチが近づいてドキドキすることを「情動的興奮」、その後、手のひらに汗をかいたりウロウロしたりすることを「身体的興奮」という。ストレス反応は、ストレッサー→認知→情動的興奮→身体的興奮という段階を経る。
「ストレッサー」の対処法は「改善」だ。ここでは、「スピーチの練習をする」「他の人に代わってもらう」などが該当する。
次の「認知」では、「受け止め方を変える」というアプローチが有効だ。スピーチを「上達する機会」「多くの人に自分を知ってもらうチャンス」などと、前向きに受け止める。
続いての「情動的興奮」や「身体的興奮」には、リラクゼーションがいい。深呼吸やストレッチなどを行い、ストレス反応に対処する。
ストレッサーには、コントロールできるものとできないものがある。取引先の相手にミスを何度も指摘されて怖くなり、苦痛を感じているとしよう。「改善」としては、ベテランの先輩に同行訪問してもらう、ミスを繰り返さないように丁寧に仕事をする、場合によっては担当を代えてもらうことなどが挙げられる。一方で、取引先の相手に、ミスを指摘しないようにお願いすることはできない。
まずは対処できるものを明確することが大切だ。
◇ストレスの正体
あなたが何かにストレスを感じたとき、本当の原因は別にあるかもしれない。
営業担当者であるAさんは、上司から設定された営業数字目標に対してストレスを感じ、「こんなの無理だ」「全然やる気が起きない」と思っている。一方Bさんは、数字を自分で設定して、「これを達成したら、地域一番店になれる」と目を輝かせている。Cさんは「営業スキルの向上になるし、お客様とのつながりも広く持てる」と、上司から与えられた営業数字目標の達成に意欲的だ。
Aさん、Bさん、Cさんの目標数字が同じでも、その数字にストレスを感じているのはAさんだけだ。その原因は、数字ではなく「納得感のなさ」にある。このような場合は、納得できる数字目標を設定できるように上司にかけあったり、達成して得たいことと得られることを一致させたりすることが改善のカギとなる。
何がストレスの原因となっているかを、正確に把握しよう。
◆ストレスを溜めやすい人の特徴
◇承認欲求が強い人
誰しも「人に良く思われたい」という欲求を持っているものだ。しかしその気持ちが大きすぎると、見栄を張ったり、人の目ばかりを気にしたりして、ストレスが溜まってしまう。必要以上に時間やお金を費やしたり、ウソをついてしまったりして、後悔や自己嫌悪に陥ることもあるだろう。
人目を気にしすぎないようにするコツは、他者に感謝したり、「いいね」したりすることだ。「俺が」「私が」の「が」(我)を捨てて、相手を受け止めてみる。すると、あなたも自然と相手から受け止めてもらえるようになるだろう。誰かからの「いいね」を待つのではなく、自分で自分に「いいね」してあげることも大切だ。
◇自己主張をしない人
人に合わせられる人は、気遣いができて心の優しい人だ。しかし、空気を読みすぎて、自分の本心を押し込めるあまり、ストレスが溜まってしまっていないだろうか。
そんなあなたには、「アサーティブ・コミュニケーション」を身につけてほしい。アサーティブ・コミュニケーションとは、相手を傷付けず、かつ自己主張もしっかりするコミュニケーションをいう。その手法のひとつである「DESC法」は、D(Describe:事実を客観的に描写して伝える)→E(Express:相手の気持ちを尊重しながら、自分の気持ちを伝える)→S(Specify:相手に望むことを丁寧に提案する)→C(Choose:選択肢や代替案を示す)の順番で、自分の考えや状況を伝えていく方法だ。
たとえば、仕事が山積みなのに、上司に突然「今日の16時までにこの資料を仕上げてほしい」と言われたとしよう。DESC法を使うと、次のように対応できる。
「16時までに仕上げないといけないのですね。実は私も急ぎの仕事を抱えています(D)。お手伝いしたいのですが今は時間が取れないので、どうしたらいいか困りました(E)。今私が抱えている仕事が明日でよければ対応できますが(S)。もしくは、他に対応できる人を探しましょうか(C)?」
これなら、相手も自分も傷つかず、かつ建設的なコミュニケーションができる。
◆ストレスを溜めない思考法
◇自分をほめる
ストレスを溜めないために、自分をほめることを心がけよう。人生は楽しいばかりでなく、辛く悲しいときもあるし、ときには誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。それでも前に進むために、まずは懸命に生きる自分をほめるのだ。
自分で自分をほめるコツは、「いいところ探し」をすることだ。今日はこんなことをがんばった、Aさんに喜んでもらえた………と、自分のいいところを探してほめれば、自己肯定感が高まる。一日を振り返って、自分の行動を3つ、ほめてみよう。
◇ネガティブな感情を手放す
苦しみや悲しみの感情を手放すのは難しいかもしれない。だが、そうした感情にとらわれすぎず、目指す方向に動き出すことが、ストレスを溜めないコツだ。
とらわれすぎている状態を手放す方法は、3つある。まずは「今、ここ」に集中すること。不安が襲ってきたときは「掃除に励む」「漫画を読む」「呼吸に意識を向ける」など、不安以外のものに集中する。
2つ目は、目標に集中し、行動すること。著者が営業の仕事をしていたとき、目標が達成できず、焦りと不安に襲われていた。そこで、数字ではなく成約の本数を目標にし、目標に向けて努力することにした。すると、小さな数字でも1本は1本として、ひとつひとつのつながりを大切にすることができ、顧客が増えて、目標数字も達成できた。望ましい未来の実現に向けて集中することで、焦りや不安を手放すことができたのだ。
3つ目は、ポジティブな宣言をすること。自ら宣言することでネガティブな思い込みを手放し、願いを叶えるべく潜在意識に働きかけることを「アファーメーション」という。受験勉強のときに「必ず合格するぞ!」「やればできる!」などと言葉にしたり、書いた紙を机の前に貼って眺めたりするのも、アファーメーションの一つだ。
◇相手に期待しすぎない
ストレスを溜めないためには、相手に期待しすぎないことも大事だ。その上で、「してくれなかったこと」ではなく「してくれたこと」に意識を向けて、相手に感謝することを心がける。
とはいえ、あなたがリーダーなら、部下には期待通り動いてもらわないと困るだろう。実際、リーダー研修では、「部下が思うように動いてくれない」という意見が多くあがる。しかし研修で対話を進めていくと、「これくらい言わなくてもわかるだろう」「私の依頼から手をつけるのは当然だろう」などという、無意識の思い込みがあったことに気づく。無意識の思い込みがあるために、自分が考えていることを相手に伝えられておらず、部下は「そんなこと聞いていない……」と理不尽に感じるのだ。
相手に多くを求めすぎず、期待している内容をきちんと言語化して伝えよう。お互いにストレスが減るはずだ。
【必読ポイント!】
◆ストレスを溜めない行動習慣
◇コントロールできることに集中する
ストレスと上手に付き合うためには、モヤモヤ・イライラしていることを紙に書いて「見える化」するといい。紙に書き出すことで、「コントロールできるストレス」と「コントロールできないストレス」に仕分けられるからだ。また、雑然としていた心の状態をきちんと整えて、眺め直せるというメリットもある。
未来がどうなるかは、誰にもわからない。わかっているのは「今と違う」ということだけだ。未来はコントロールできないのだから、とらわれすぎないようにしよう。
これはもちろん、未来を考えるなということではない。望ましい未来を思い描き、そのために今できることに力を注ぐのは、大切なことだ。コントロールできる今の行動が、未来をつくっていくのである。
◇人間関係の距離を整える
人間関係には、いいときもあれば悪いときもある。このことを知っていれば、悪いときはコミュニケーションの量を減らしたり、心理的距離を遠ざけたりして、ストレスを減らすことができる。
また、相手を変えることはできないが、「関係性」はコントロールできることも覚えておきたい。人間関係に不快を感じるときは、相手ではなく、相手との「距離感」にフォーカスしよう。
著者は以前、会社に中途入社したての頃、よく上司に誘われて2人でお酒を飲みに行っていた。しかし、上司の話題は会社への不平不満ばかりで、だんだん苦痛になってしまった。そこで著者は、次のような行動にでた。
(1)グチが始まったらお店のマスターと話す「共感しません作戦」
(2)仕事の話にすり替える「話題変更作戦」
(3)忙しい振りをして誘いを断る「嘘も方便作戦」
(4)上司が不満を持つ相手と仲良くして、誘いづらくする「脱派閥作戦」
距離感の変化を相手に悟られても構わない。相手にどう思われるかよりも、自分のストレスラインを超えない程度に、自分から相手との距離を整えることのほうがもっと大切だ。
一読のすすめ
心が疲れて折れそうになることは、誰しもあるだろう。しかし、そこから再び顔を上げて、前を向いて歩くことができるかどうかで人生は変わってくる。本書は、疲れてしまったときにそっと手を差し伸べてくれるような一冊だ。
本書は、第1章の「心と身体の声に耳を傾ける」にはじまり、「ストレスを溜めやすい人」の10の特徴、「ストレスを溜めない」10の思考法、「ストレスを溜めない」11の行動習慣、「ストレスが溜まったとき」の7つの解消法と、ストレスを予防したり、溜まってしまったストレスを解消したりするための情報が満載だ。特に要約者の心に残ったのは、ストレス解消のための行動として紹介されている「人に優しくする」である。人はいくつになってもあたたかい言葉をかけられるとうれしくなり、安心し、心のエネルギーが高まるものだ。誰かに優しくし、優しくされれば、折れそうになっている心も持ち直すのではないだろうか。
評点(5点満点)
総合3.5点(革新性3.0点、明瞭性3.5点、応用性4.0点)
*評点基準について
著者情報
鎌田 敏(かまた びん)
こころ元気研究所所長
(株)エンパワーコミュニケーション代表取締役
産業カウンセラー、心理相談員、認定コーチ
日本産業カウンセラー協会正会員
下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。
高齢となった親の心身が衰えていくのを近くで見るのはつらい。現在53歳の和栗葵さんも6年前から80代の父親と同居を始めて以来、ストレスがたまり、ちょっとした行き違いですぐ口論に。一触即発の険悪な空気の中、どんなに献身的に介護をしても感謝の言葉は返ってこない。在宅介護の限界を思い知った和栗さんが起こした行動とは――。
【前編のあらすじ】
関東在住の和栗葵さん(仮名・53歳・独身※バツ2)は10歳の頃、あることがきっかけで母親と絶縁状態に。高校卒業後に家を出て以来ほぼ音信不通状態だったが、アラフォーとなった自分の元に母親ががんになったと連絡が入った。余命2カ月を宣告されると悲しみを実感。タクシー運転手になって「母を車に乗せ、生きているうちにいろんなところに連れて行ってあげたい」と思った矢先、母は73歳で他界。葬儀を終えて落ち着いた頃、大学に進学するひとり息子とともに、80代の父親と同居することを決意。だが、親子孫三世代の暮らしは苦痛に満ちたものだった――。
急激に衰えていく父親
和栗葵さん(仮名・現在53歳)はバツ2の独身だ。47歳の頃から、大学生の息子と父親とともに関東地方の賃貸マンションで暮らしている。
70代までは友人知人と旅行や外食などで家を空けることも多かった父親だが、80代になると旅行に行っても日帰り。外食も減った。
80歳になるまで車を運転していた父親だが、仕事で腰を痛めた和栗さんが父親に迎えを頼んだところ、父親の運転が荒く、無駄にキョロキョロして落ち着きがなかったため、免許の返納を勧める。ちょうど車検の時期だったため、これを機に廃車に出し、次の更新時に免許を返納。
2015年、父親が「お腹が痛い」と言い始め、自分であちこちの病院にかかるが、原因がはっきりわからない。2カ月ほどして、ようやく胆のうが炎症を起こしていると判明。腹腔鏡手術をしたが、思いのほか、病状が重かったのか、途中で開腹手術に。胆のうを摘出し、無事手術は終了。父親は4週間で退院した。
2016年末、父親は「(2009年に他界した)母さんが大好きだった大学芋を買って来るから」と言って友人とどじょうを食べに出かけ、夜、ご機嫌で帰宅。宣言通りに大学芋は買ってきたが、「カバン忘れてきちゃったんだよねぇ」とヘラヘラ顔だ。
高齢の病み上がりで持病持ちなのに、と一気に頭に血がのぼる和栗さん、「レシート見せて! 財布は? 携帯は? ポケットの中全部出して!」と質問攻めにするが、酔っ払った父親は全く答えられない。
かろうじて帰りに使ったタクシーの領収書があったため、タクシー会社に連絡すると、カバンはタクシーの中で発見。有料だが持って来てもらうと、タクシーの運転手が、「あなた娘さん? お父さん、だいぶボケてるよ」と一言。
また、スケジュール管理が大好きな父親。もらったカレンダーがいっぱいあるからと、自分の部屋やリビング、トイレに玄関、廊下やキッチンにまでカレンダーを貼っていた。
和栗さんがふと気づくと、12月なのに11月のまま。父親に言っても「ああ、そう?」と言うだけ。
同年9月、高血圧と糖尿病のある父親をたまたま病院に送り、和栗さんが診察室まで付き添ったところ、主治医に、「そろそろ1人で病院に行くのは難しいのでは?」と言われる。
さらに処方箋をもらいに薬局へ行くと、「お父様、お元気とはいえ、検査などの難しいお話や病名などは、私たちだって覚えられません。検査などでお疲れの上のお話では、なおさら頭に入りませんよ」と、薬剤師からも言われ、和栗さんは「これからは極力付いて行こうと思います。ありがとうございます」と答えた。
その帰り、父親は、診察室では医師に、待合室では看護師に、受付では事務員に、薬局では薬剤師に片っ端から話しかけ、相手の状況も構わず、長々と自分の話をしようとする。
そんな父親を見ていると、和栗さんは次第に悲しくなり、泣きたくなってきた。
「父は、昔(印刷会社を経営)はそんな人ではありませんでした。親戚からも紳士的で素敵な人だと思われていたのに、まるでかまってちゃんオーラプンプンの面倒くさい年寄り。私はいたたまれなくなって、『仕事に戻るから』と言ってそのまま別れましたが、悲しさと疲れとあきれで、もう口も聞きたくない気分でした。これから父は、介護や支援を受けないといけない事態になっていくんだな。本当に介護生活が始まるんだな。そう再認識させられました」
父親との仲が険悪に
2016年12月、49歳になった和栗さんは、同居する父親にイライラしすぎてしまうことを気にして自身の更年期障害を疑い、市販の薬を飲み始めた。
父親に対するイライラは、そのまま5歳上の長女、4歳上の次女(いずれも結婚し独立)にLINEで愚痴として流していたため、ある日、同じマンションに住む長女から「話をしましょう」と提案される。
長女の家へ行くと、「昔が立派で自慢できる父親だったから、できなくなってるのを認められないっていうか、『なんでできない?』ってイライラするのよね、きっと。それと、あなた最近、自営で介護タクシー始めて、家にいる時間も増えたから、余計に目につくのかもね」と長女。
和栗さんは2016年、一人で介護タクシー会社を立ち上げたのだ。
「だから家にいる時間を減らそうと思って、空き時間にアルバイトも始めたんだよ。でも帰ってくるとイライラするの。施設に入れたい!」と和栗さんが言うと、長女は「でも、ここはお父さんの家だし、ここにいたいと思ってる。みんなには言わないけどね」と返した。
この日の話は、父親が家にいない時間を増やすために、できるだけ長女と次女が休日に連れ出し長時間出かけるようにする、ということで終了した。
「私は不満でした。三姉妹なんだから、父の世話も3分の1ずつではないのか。そうでないなら、施設に入れてしまいたい。ずっとそう思っていました」
和栗さんは、「来年こそはこの家を出ていこう」と固く決意した。
83歳の父親は、認知症外来で検査を受けたが、結果は「年相応の物忘れ」だった。
2018年、和栗さんは、父親に毎日家にいられて嫌だったため、つい感情的になって「ボケてるからデイサービスに行け!」とせっつき、父親に介護認定を受けさせたところ、結果は要介護1。それでも父親はデイサービスを嫌がった。
2019年2月、胆のう摘出後から続けている通院後、自宅近くの薬局まで父親を車に乗せて行く際に、思い詰めたように「施設に入りたくない」と言い始める父親。運転する和栗さんは、思わず声を荒げてストレートに言ってしまった。
「入らないってことは、私がこの先もずっと面倒をみなきゃならないってことだよね? 嫌なんですけど! あんたの後始末ばかりの毎日でこのまま年取っていくの、うんざりなんですよ! おんなじ事何回も言うのも、大声で話すのも、嫌なんですけど!」
「じゃあどうしたらいい?」と父親が言うと、「施設に入ってくださいよ!」と和栗さんは絶叫。和栗さんは、精神的に限界に来ていた。
毎日、父親のできなくなっていくさまを目の当たりにするたびにイライラして、「老人ホーム行け!」などと罵倒する。父親も負けてはおらず、大声で「もう俺は死んでもいいんだな?」と開き直るようにすごんでくるので、「じゃあ死ねば?」と言い返す。そんな殺伐として日々が流れていった。
「父は背が160cmしかなく、体は私のほうが大きいので、怖いと思ったことはありません。お互い口だけ。後は家の建具に当たるくらいで、暴力は振るっていません。ケガなどしたら自分の負担が増えるだけですから」
そんな状況を姉たちは心配し、同じ月に、家族会議を設け、次女が「父をサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入れたらどうか?」と提案。
すると、長女は「あと4年で私が定年退職なので、退職後なら同居してもいいよ」と。それを聞いた和栗さんは、「なら、それまでは我慢して同居する」と言った。そのときは、頑張れると思ったのだ。
圧迫骨折
ところが2019年3月、事件は起きた。この頃、父親は深酒をすることが増えたため、深夜に何度もトイレに行き、酔いと寝ぼけでつまずいたり転んだりすることが多くなった。
ある日、和栗さんは深夜に壁を叩くような音がどこかから聞こえ、おかしいと思って父親の部屋へ行くと、父親は、下半身はベッドから落ちている状態で、仰向けに倒れ、壁を叩いていた。和栗さんが駆け寄り、落ちている下半身をベッドに上げようとすると、父親は失禁しており、「腰が痛い。動けない」とうめく。
和栗さんは救急車を呼び、運ばれた病院で「腰椎圧迫骨折」と診断される。骨を固める手術を受け、そのまま入院し、4週間で退院した。
退院時はヨロヨロとなら歩行できたが、骨が弱くなっているため、和栗さんは「また転倒して骨折したらいけない」と思い、用心のため外出時は車椅子を使用するように。
その後、室内でよろけることが増えたため、アクティブシニアカーという歩行器かつえを使い始めたが、コルセットは「硬くて痛い」と言って嫌がった。退院後の父親は、何かあるとすぐに和栗さんに頼るようになっていった。
「『お酒がないから買ってきて』『病院行きたいから乗せて行って』と、当たり前のように使われることが増え、ストレスが爆発し、普通に会話ができないほど憎しみを持ちました。私は、介護タクシーや福祉のバイトでは人のお世話をしていますが、“できるのに自分でしない人の世話はしたくない”がモットーです。近隣に住みながら、父親の介護を私に押しつける無責任な姉たちや、父親が夜中に立てる物音にどんどん神経がすり減っていき、実の父親ですが『私は一生こいつの面倒をみるのか?』と思うとやっていられませんでした」
次女は夫が長男で、義母が病気のため、「お手伝いくらいはするよ」と言い、夫の運転で父親をあちこちに連れ出してくれていたが、先の家族会議で、「定年後に父親を引き取る」と発言していた長女は、父親の圧迫骨折後、「介護はよくわからないから、やっぱり同居できない」と言い出し、関係がギクシャクしてきていた。
2019年夏、父親は、長女の付き添いで通院する日の前日、和栗さんに明日の予定を聞いてきた。途端、「姉との予定なんだから本人に聞けば?」とイライラ。ちょうどそのとき、和栗さんのLINEに、姉から明日の通院の予定が入ってきた。
「一度しか言いませんから紙に書いてください! 明日の出発は12時、お昼ご飯は病院で。以上!」。和栗さんがそう言うと、父親は和栗さんをにらみつけた。
「何、にらんでるの? あんたに関わりたくないって言ってるのに、わざわざ間に入ってやりとりしてやってるんだよ! にらまれる筋合いないね!」。そう和栗さんが言うと、「はい、もう一度お願いします。書きますから」と父親。
和栗さんがもう一度予定を言い、父親が書き終わると、「そんな言い方しなくたっていいじゃない」とぽつり。それを聞いた和栗さんは、「私、あなたのことが嫌いなので!」と一蹴。父親は憤怒と悲しみが混じった表情をする。
「気に入らなければどうぞ、残り2人の娘に頼ってくださいませ」。和栗さんは自分の部屋へ去った。
8月、和栗さんの父親への態度の悪さが徐々に周囲の人に伝わり、それを耳にした姉たちが「このままでは最悪の事態になるかもしれない」と心配。次女が園長を務める保育園の敷地内に、同じ会社が運営する老人介護施設があったことから、その施設への入所を父親に勧める。
その頃には父親も、和栗さんの自分に対する接し方を問題視しており、「もう自分が施設に入るしかない」と考えていたようで、すんなりOKした。
ストレス過剰による体調不良に
9月、和栗さんはまぶたのけいれんや動悸など、さまざまな不調を感じていた。父親が施設に入る日の午前3時。マンションの下階の住人の物音で目が覚め、窓を閉めようと起き上がろうとした時、体がぐらっと揺れる。目をつぶっても頭がグルグルし、手の平や体から嫌な汗がにじむ。
いっこうにグルグルがおさまらないため、財布に入れていた安定剤を飲んだ。20代の頃、不安神経症(今で言うパニック障害)と診断され、今も年に2〜3回クリニックで頓服をもらっている薬を、お守り代わりに持っていたのだ。
翌日、無事めまいはおさまり、父親の引っ越し作業を決行。長女とその息子、次女夫婦、和栗さんとその息子、そして和栗さんのパートナーの8人が手伝った。
その後、仕事へ行くと、同僚の元看護師から「帰宅後、副交感神経が優位になると現れるのは、ストレス性のめまいです。もうお父さんいないんですから、のんびりしたほうがいいですよ」と心配される。
念のため、メンタルクリニックへ行き、「父の施設入所のための忙しさでめまいを発症してから、何となく頭の真ん中のぼんやりした感じが取れなくて……」と相談。すると、「まだ何か悩みがありますか?」と医師。
実は和栗さんには、10年近く付き合い、再婚まで考えたパートナーがいた。しかしそのパートナーが浮気していたことがわかり、別れ話をしている最中だったのだ。だが、恥ずかしくて言えなかった。
医師は「お父さんの件は、良いタイミングだったと思いますよ。1人で仕事と介護は難しい。施設に預けることは、悪い選択だとは思いません」と言うと、「私もそう思う反面、施設に追い出したような気持ちになります」と和栗さん。「その葛藤がストレスになってるのかもしれませんね。ちょうど更年期のタイミングでもありますし。フワフワするのは自律神経系のめまいです」。そう医師は言うと、いつもの安定剤を処方してくれた。
自慢の父親
父親の入所後、険悪な頃の罪滅ぼしをするかのように、和栗さんは週2回以上面会に行き、父親を外へ連れ出しては、買い物や食事をした。コロナの影響でなかなか会えないが、今年の春先に少し会えたときは、大好きだった喫煙も夕食後の飲酒の習慣も忘れてしまうほど、認知症が進んでいた。
「差し入れのお菓子を喜んで食べ、同じ話を何回もし、穏やかで子どものような父になってきました。今は、自分の名前がやっと書けるくらいです。歩行訓練はしていますが、以前のように車椅子から立ち上がるような行動はなくなったようで、転倒リスクが減り、ホームからの電話にびくびくするようなことがなくなりました」
コロナの影響で介護タクシーの仕事も減ってしまった。和栗さんは、空いた時間で何かできないかと思い、介護福祉士の資格取得のため、実務経験を積みに介護施設でパートを始めたほか、知り合いから勧められた障害児童支援の仕事にも携わり始めた。
「覇気がなくなった父を見て、長女はさみしいと言いますが、すでに平均寿命を5年も超え食事制限もなく、それだけでも幸せな年の取り方だと私は思っています。あとは、けがすることなく穏やかに過ごしてもらえたら……。面会緩和になったら車いすごと私の車に乗せ、入所した頃のように大好物の餃子だ、お寿司だと食べ歩きに行きたいです。そういう気持ちに戻れたのも、施設入所のおかげだと思っています」
父親が施設に入所したあと、父親からも姉たちからも、和栗さんへの感謝もねぎらいもなかった。しかし和栗さんは、「施設に入所できただけで十分」と話す。
「もともと私はお父さん子でした。基本『ダメ』と言わない優しい父。甘やかす父を母は嫌だったらしく、母からはとても厳しくされ、授業参観も父に来てもらっていました。人当たりがよく、紳士でハーフっぽい顔立ちをしていた父は、私の自慢でした。父は、入所の少し前から異常なほど寝汗をかくようになっていたのですが、もしかしたら、入所が不安だったのかもしれません。でも、その頃の私は父の引っ越し準備や断捨離に毎日くたくたで、父のことを心配する心の余裕は皆無でした」
介護施設でパートを始めてから和栗さんは、「私の父も施設に入っています」と言うと、他の職員や利用者の家族などと、施設話に花が咲くようになったという。
「介護には、適度な距離が必要だと思っています。施設に入れている方の多くは、施設しか道がなかった状況の方が多く、みなさん罪悪感でいっぱいのようです。でも、罪悪感を抱く必要はなくて、できることをできる量だけやればいい。後はプロにお任せして、肩の荷を下ろすのは悪いことだとは思いません。他人だから優しくできるということもあります。私も仕事でなら、認知の方に100回同じことを言われても笑顔で聞けますが、父だったら2回目で罵倒していると思います」
そう言って笑う和栗さんは、最後にこう言った。
「言い方が悪いですが、どんどん親のレベルが下がる一方で、兄弟姉妹の役割分担、パートナーの理解、金銭的な問題など、乗り越えないといけないハードルがたくさんあると思います。私は、幸いにも父にわりと年金や預金があり、金銭的な問題はなくてラッキーでした。同居していた頃は不満もありましたが、タオルを投げてくれた姉たちと、入所を決断してくれた父には感謝しています。あと少し一緒に住んでいたら、私は今頃刑務所に入っていたかもしれません」
筆者も義母と同居したことがあるが、数日で後悔した。始める前はできると思っても、実際にしてみるとできないとわかることはある。
ここで重要なのは、「安請け合いをする人がいけない」と被介護者を責めることではなく、「これ以上頑張れない」とわかった被介護者を救う受け皿が十分に整備されていないことだ。和栗さんの父親は入所する資金があったから、本人の意思次第で施設入所できたが、金銭的に余裕がない家族の場合はそうもいかない。
さらに、和栗さんが介護タクシーのドライバーで、次女が保育園の園長、長女が会社員だったように、多くの被介護者は何かの道のプロだ。愛する家族を介護のプロに預けることは、経済を回す上でも、最期まで家族を愛する存在とする意味でも、理にかなったこと。罪悪感を持つ必要は全くないと、声を大にして言いたい。
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。
下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です
実は、食料は十分に足りているという事実
持続可能な開発目標、SDGsが掲げる17の目標の2つめ「飢餓をゼロに」にもあるように、世界の食糧危機問題はいまだ深刻だ。しかしながら実際には世界の穀物生産量だけを見てもそれは足りており、“きちんと行き渡ることさえできれば”世界中の人が食べられる十分な量が毎年つくられているのだ。
そうであるにもかかわらず、誰もが知っているとおり世界にはその日食べるものに困っている人が約7億人存在するといわれている。過去50年間で最悪の食糧危機に陥っていることも国連は警告した。一方で国際社会は、SDGsの中で2030年までに飢餓をゼロにすることを目標と設定している。
世界のどこかで誰かが困窮していることは知っていたとしても、実はわが国日本にも“その日の食事に困っている”人々がいるのをあなたはご存じだろうか? 生活水準の高い国だからこそ、その豊かさに隠れて、実は食糧難に陥っている人が身近にいるとしたら、あなたは何を思うだろうか。
豊かさに覆われて、気づかれない貧困層がいる
実際に住んでいる私たちでも日々実感するように、日本はどこに行っても清潔で、サービスが行き届き、公共の乗り物は発達し、道路もきちんと整備されている。普段の暮らしを見渡してみれば、自分も含め多くの人がスマホや携帯電話を所持し、きちんとした身なりで職場に通い、コロナ禍にある今はひとり一台パソコンを所持し当たり前にリモートワークを行っている。
食料廃棄量は年間600万トンを超え、足りないどころかあり余っている印象さえあるわが国日本。ゆえに、貧困について考える機会もあまりないといえる。けれど、だからこそ見逃してしまいがちなのが身近に潜む貧困層の存在なのだ。
事実、“貧困”という言葉から連想するのは、着るものや住むところがなく、いつもお腹をすかせている様子を想像してしまうのではないだろうか? しかしながら日本のように豊かな国に存在する貧困層は、きちんとした身なりに関わる被服費や、昨今のコロナ禍で急速に整える必要があった通信関連費などに費用がかかり、食事を削ってでもそれらを優先している“隠れ貧困層”をいう。生活水準が高い国だからこそ、そこに見合っていない格好をしていると社会的に認められない側面があるため、さらに食にかける予算が圧迫されるというわけだ。
この場合、当然見た目には貧しいということがわからないため、自ら声を上げない限り助けは来ない。つまり食料不安を抱えたまま暮らす可能性が大いにあるのだ。ちなみにその国や地域の水準内で比較したときに、大多数よりも貧しい状態のことを「相対的貧困」というが、そのような家庭が2015年当時で日本では15.6%存在し、7世帯のうち1世帯がそれに当たるとされる(出典:内閣府「国における子供の貧困対策の取組について」)。これは、国や地域の水準とは関係なく、生きるうえで必要最低限の基準が満たされていない「絶対的貧困」とはまた異なるものだが、それでも予想以上に多く、驚くべき数字ではないだろうか。
食糧飢餓問題において私たちができること
前述したように、今はまさに飽食の時代。飢餓というのは遠い国の話と捉えがちだが、社会の一般的なレベルに追いつこうと、食以外の環境を優先した結果、さらに深刻化しがちなのが先進国の飢餓問題だ。このため本人が自身を相対的貧困層だと自覚していない場合もあり、適切な支援が受けられなかったり、徐々に体調不良に陥ったりするという問題も起きているのだそう。
では、私たちに何かできることはあるのだろうか? いちばん身近なのは、NPOやNGO団体を通じて援助をすること。ありがたいことに、貧困層を助ける活動をしている団体は数多くあるので、そこを通じて困っている人たちを支援することができる。
団体によっては直接お金で支援できるところもあれば、未開封・消費期限内の食品を募っているところに食べ物を持ち込むフードバンク型、また、子どもたちに食事をふるまう子ども食堂などもある。団体に所属しなくともサポートできるところが多いので、ぜひ一度はトライしてみたいところだ。
「もうお腹いっぱい」「おいしくない」「余っちゃった」……そういって私たちが日々捨てている食べ物は、どこかの誰かが食べたくても食べられなかったかもしれない大切ないのちの糧。食品ロスをなくすことと同様に、身近な飢餓問題についても真剣に考える必要がありそうだ。
追記:今の時代にスマホがなければ生活できない。購入しないとスマホを持てない。毎月の維持費は馬鹿にならない。そこで政府は必要最低限必要の装置を付けたスマホを小学生以上の国民に無償貸与する。維持費は無料。5年間ごとに更新貸与。それ以上の機能が欲しい人は自費で購入する。豊かでない中東の国の人々が皆スマホを持っている。彼らは維持費をどのようにしているか疑問。