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「歩く」がどれだけ体に効くか知っていますか

2021-09-26 12:00:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

1. ウォーキングは比較的負荷の少ない有酸素運動である
2. 日本で競技人口が最も多いスポーツはウォーキング、2位ボウリング、3位水泳
3. 日本のウォーキング人口はおよそ4000万人
4. 下半身には体全体の筋肉の約70%が集まっている
5. 歩くときは大腿四頭筋(大腿直筋・広筋)、大腿二頭筋、前脛骨筋、下腿三頭筋(腓腹筋、ヒラメ筋)など大きな筋肉をいちどに使い、同時に腹筋や腰、腕の筋肉も使っている
6. 「歩く」とは、どちらか片足が常に地面に着いている状態。「走る」とは、両足が宙に浮く瞬間がある状態
7. ランニングでは体重の3倍の衝撃が、ウォーキングでは体重の約1.5倍の衝撃がかかる
8. 競歩には「常にどちらかの足が地面に接していること」「前脚は着地から地面と垂直になるまで膝を伸ばすこと」という厳密なルールがある。
9. 競歩の最高速度は時速14㎞にも達する
10. 速度が速くなると、歩くより走るほうが疲れにくい。秒速2mでは歩くより走るほうが脚の主要な筋肉をうまく使用でき、身体のエネルギー使用効率が向上するため
11. ウォーキングなどの運動で酸素を取り入れ運動の効果を高めようという「有酸素運動」の考え方は、米国の運動生理学者のケネス・クーパー博士が1960年代に提唱した
今後やってみたい運動として人気
12. 内閣府の調査で「今後やってみたい運動はウォーキング」と答えた人が平成3年以来不動の第1位
モノ・マガジン4月16日号(4月1日発売)。特集は『違いのわかる大人の傑作品』などです。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
13. 「この1年間に行なった運動」も平成6年から「ウォーキング」がトップの座を守り続けている
14. ウォーキングの適正な歩幅の計算式として最も簡単なものが「身長-100センチメートル」。身長165センチメートルの人なら「165センチメートル-100センチメートル」で65㎝が適正なウォーキングの歩幅ということになる
15. 日本人の平均的な歩行スピードは分速70~90メートル程度、歩幅は70~80センチメートル程度
16. 一般的な成人の歩行ピッチは、個人差はあるが1分あたり100歩程度(タニタ社内実験データより)
17. 厚労省「健康づくりのための身体活動基準2013」では18~65才の人で「歩行又はそれと同等以上の強度の身体活動を毎日60分以上行う」ことが望ましいとされている
18. 厚労省の「健康日本21」では、1日の歩数の目標値を男性9000歩、女性8500歩以上(65歳以上の場合は男性7000歩、女性6000歩)としている
19. 東京都健康長寿医療センター研究所の研究では病気予防ウォーキングに最適な歩数は速歩き20分を含め1日平均8000歩とし、歩き過ぎには注意を促してもいる
20. 厚生労働省「国民健康・栄養調査」(平成27年)によれば成人の1 日の平均歩数は男性7194歩、女性6227歩
21. 江戸時代、庶民は1日3万歩歩いていたとされている
江戸時代の飛脚は…(イラスト:hiro / PIXTA)
22. 江戸時代の飛脚は江戸から京都まで約5日で踏破した
23. 身長160㎝の人が速歩で1万歩歩く距離はおよそ6キロメートル
24. ウォーキングの消費カロリーは、条件によっても変わるが60キログラムの人が普通の速さで1時間歩いて200kcal程度
25. 1日1万歩歩くと300~400kcalが消費される
26. 1日平均9000~1万歩のウォーキングを2週間続けると1キログラムの脂肪を減少させることになる
27. 1日平均1万歩歩く人の割合は男性30%、女性で20%
地位が上がるほど歩数が減る? 高年収の人は?
28. ある調査ではサラリーマンは地位が上がるほど歩数が減る傾向にあり、課長・部長級の1日平均歩数7000歩、部長クラス5000歩、重役クラス3000歩程度との結果が出た
29. 一方でドコモヘルスケア社「からだデータ」白書2015では高年収の人ほどよく歩く傾向にあるというデータも
30. 主婦のケースでは1日中家で家事をしている場合でおよそ2500歩、買い物をした場合は5000歩程度
31. 「国民健康・栄養調査」(平成22年)によると、都道府県別で1日平均歩数が最も多いのは男女とも兵庫県
32. 1日平均歩数が最も少ない県は男性は鳥取、女性は山梨
33. 給水は歩き出す30分前、300~500mlが推奨される
34. 脱水作用があるため飲酒後のウォーキングは厳禁
35. ウォーキング直後のアルコール摂取も危険。ウォーキング後はまず水を1杯飲むことが勧められている
36. ウォーキングには身体に蓄積した脂肪を効率よく燃焼させる効果がある
37. これは体脂肪・内臓脂肪との関係が強い血中脂質や血圧、糖代謝、肝機能の指標を改善させることにもつながる
38. 1日30分のウォーキングを継続した結果、心疾患や脳卒中、糖尿病の発症が約30~40%減少したという報告も
39. ウォーキングによって心拍数が増大すると体内に酸素を取り込む能力が高まり、心肺機能を高めることができる
40. 心臓の筋肉のエネルギー源として欠かせない乳酸は運動により作られる。乳酸エネルギーを安定供給するには激しい運動よりウォーキングのような適度な運動が効果的
41. ウォーキングで鍛えられるのは持久力用の筋肉。持久力用の筋肉は瞬発力用の筋肉と違って肥大化しない
メタボリック症候群が気になる方にも(撮影:高橋孫一郎)
42. 「まったく歩かない人」「1日15分歩く人」「同30分」「同1時間」のグループに分けて行った大規模な研究では、「1日1時間歩く人」が最も長生きした
43. ウォーキング継続は動脈硬化予防にも効果がみられる
44. 「足は第二の心臓」と呼ばれ、筋肉を動かすと血液をポンプのように循環させ、血流をスムーズにする効果がある
45. 血液の循環が良くなると新陳代謝が活発になり、冷え性の緩和など体質改善にもつながる
46. ウォーキングには骨粗しょう症など骨の老化防止効果も。骨はカルシウムの摂取だけでなく刺激を与えられることで筋肉とともに強化される。日光を浴びるのも有効
47. 毎日30分歩く習慣は大腿骨骨折リスクを40%下げる
48. 厚生労働省のメタボリックシンドローム対策として出されている運動指針では「速歩」が薦められている
49. 速歩は、一般にいう「普通歩行」を時速4キロメートルとすると時
速5~6キロメートル程度の歩行を指すことが多い
歩くスピードが速い人は寿命が長い?
50. 最新の運動生理学で、歩くスピードが速い人は、スピードが遅い人よりも寿命が長い傾向が明らかになった
51. ウォーキングには脳を活性化させる効果が期待できる
52. 40分のウォーキングを週3回行なったところ脳の記憶をつかさどる海馬が1年で2%増量したとの報告もある
53. 米国のアルツハイマー協会は「脳を守る10の方法」のひとつに「1 日30分以上の散歩」をあげている
54. ウォーキングは、メンタルヘルス分野での効果も注目され、「うつ病」予防にも効果的といわれる
55. 20~30分ウォーキングを続けると快楽ホルモンのβエンドルフィンやセロトニンが分泌され始めるといわれる
56. 禅には心を無にして10~20分歩く「歩行禅」があり、脳内の情報が整理される効果が期待できるとしている
57. 古代ギリシャの医学の祖ヒポクラテスは「歩くことが最良の薬」という言葉を残したと伝えられる
58. アリストテレスの時代は回廊を歩きながら講義することが哲学者のステータスとなり「逍遥(しょうよう)学派」と呼ばれた
59. これはアリストテレスの師であるプラトンがオリーブの樹の下を遊歩しながら講義した習慣を受け継いだもの
60. さらにプラトンの師ソクラテスも歩いて問答したことで知られ、ギリシャ哲学は歩きながら生まれた
61. 作曲家のベートーヴェンは散歩好きで知られ、五線譜と筆記用具を携行し、楽想が湧くと歩きながらメモした
62. ダーウィンは自宅に考えごと用の散歩道を作り、一周するごとに石を数え、問題の難易度を石の数で表現した
63. 小説家ディケンズは日に30マイル(約48キロメートル)も歩き、そのなかで小説の登場人物たちを生み出した
64. アップル創業者スティーブ・ジョブズは「ウォーキングミーティング」を実践していた
65. フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグ、ツイッター創業者ジャック・ドーシーもウォーキング会議を導入
66. ウォーキングは「正しい姿勢」「腹式呼吸」を意識することでより消費カロリーが増え、健康効果が高まる
67. 1週間に1回程度まとめてウォーキングをするのは効果が少なく、3日以上ブランクを作らないことが理想
68. 早朝は、体内の血糖値が低いためウォーキング前に糖分の補給を心がけたい時間帯。また関節や心臓に負担がかかりやすいためウォーミングアップするなど注意が必要
関節への負担が気になる方には
69. 水中ウォーキングは、関節への負担が少なく水の抵抗で運動消費量が多い効率のよい運動
通常のウォーキングに比べ足の負担を約10~20%軽減(写真:michelangeloop / PIXTA)
70. ノルディックウォーキングは2本のポール(杖)を使って歩くスタイル。通常のウォーキングに比べ足の負担を約10~20%、膝の関節や脊椎にかかる負担を約5キログラム軽減

(文:森谷 美香/モノ・マガジン2017年2月16日号より転載)


眞子さまが小室圭さんとの「結婚会見」で涙を流されたら世論は変わるか

2021-09-26 11:00:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です。

秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)が結婚を進めている問題で、名古屋大大学院の河西秀哉准教授に取材したものだ。
 河西准教授は、眞子さまのお気持ちを《「私は彼が好きだから結婚する」と仰りたいのだと思います》と分析。
 一方で、《「滅私奉公」とも言うべき姿勢が国民の信頼》を得てきた皇室が、今回の騒動で《秋篠宮家の「私」を優先する姿勢が皇嗣の威厳を傷つける結果》になったと懸念を示した。
 だが、識者の懸念をよそに、結婚話は進む。共同通信が9月16日の正午過ぎに配信した記事は、「小室圭さん、米国から帰国へ 眞子さまと10月にも結婚」としてYAHOO!ニュースのトピックスに転載された。
 記事には《10月にも婚姻届を提出する方向で準備が進んで》いるとある。世論のことなどお構いなしと言っていい。SNSなどでは結婚反対の投稿が再燃するなど、記事の余波は極めて大きかった。
 週刊新潮9月23日号は「『秋篠宮ご夫妻』が招いた『皇室』危機」という特集記事を掲載。3人の識者コメントを紹介した。
 その中の一つが、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さんによる「『海の王子』に重ねた『ちょい悪パパ』の気風」だった。
チャラいマザコン!?
 改めて辛酸さんに取材を依頼すると、共同通信などの報道を通じて「眞子さまの積極性」に関心があるという。
「最近の報道を見ていると、眞子さまのほうが結婚に向けて積極的に動いておられる印象です。実際、『30歳までに結婚する』と強い決心をお持ちだとの報道もありました。『このチャンスを逃すと、一生独身で終わってしまう』という危機感すら覚えておられるのではないか、と考えてしまいます。多様化している今の時代、結婚にこだわらなくても良いように思いますし、30歳はまだまだ若いと思うのですが……。」
 デイリー新潮は9月16日、「『君はいつでも可愛いね』小室圭さんと眞子さまのスカイプの内容 佳代さんが知人に自慢」の記事を配信した。
 辛酸さんは「小室さんがどれだけ女性に慣れているか、改めて強い印象に残りました」と言う。
「記事によると、小室さんは眞子さまとスカイプを使ってやり取りしており、『君はいつでも可愛いね』と話しかけているそうです。恋人にそう言われて嫌な女性はいないでしょう。ただ、引っかかる点がないわけではありません」
 小室さんが眞子さまに愛の言葉を囁く。それ自体は普通のことでも、エピソードを吹聴しているのは母親の佳代さん(55)なのだ。
異性に対する“免疫”
「少なくとも私は、恋人に『君はいつでもかわいいね』と言われたら嬉しいです。ただし、そうした会話を恋人が母親に“報告”していることを知れば、私はドン引きします」(同・辛酸さん)
 国民の間には、特に年齢層が高くなるにつれ、“皇族の結婚相手”には、ある種のイメージがある。それに比べると小室さんのキャラクターは、やはり“規格外”と言えるだろう。
「黒田清子さん(52)のご主人である黒田慶樹さん(56)も、奥さまに『かわいいね』と仰ったことがあるのかもしれません。ただし、そういうイメージと無縁なのは言うまでもありません。一方の小室さんは、やはり“チャラい”印象があります。大学生時代に撮られた、お腹を丸出しにした写真が流布したこともありました。ICU(国際基督教大学)も名門校ですが、学習院の方がやはり堅実な印象です」(同・辛酸さん)
 眞子さまは学習院の初等科から、学習院女子中・高等科に進んだ。辛酸さんも女子学院中学校・高等学校と、共に女子校のOGだ。
「やはり中学、高校が女子校だと、共学に通う女性に比べ、異性に対する“免疫”が少なくなります。その結果として、男性を見る目がなくなる卒業生も珍しくありません。有り体に言えば、イケメン志向が強くなるわけです」(同・辛酸さん)
結婚を急ぐ理由
「実際、最初にテレビで小室さんを拝見した時、さわやかで素敵な男性と、私も思ってしまいました。まして眞子さまは皇族です。一般的な女性より、様々な意味で社会的経験が乏しいのは間違いないでしょう」(同・辛酸さん)
 秋篠宮さま(55)と紀子さま(55)は大学時代に知り合い、紀子さまが学習院大学を卒業し、大学院に進まれてから婚約内定が報じられた。
 当時であっても、大学を卒業してすぐに結婚するというのは早婚という受けとめもあった。まして今の日本は、更に晩婚化が進んでいるわけだ。
 眞子さまも「30歳」という節目にこだわりを見せていると言われているが、辛酸さんは眞子さまの結婚観に両親の“早婚”が影響を与えている可能性を指摘する。
「特に秋篠宮さまと眞子さまは、一般的な親と娘より仲が良い印象がありました。ひょっとすると、眞子さまは大好きな両親と同じように、なるべく早く結婚したいとお考えなのかもしれません。ただ残念なことに、国民の理解は得られていません。会見が開かれるとの報道もありますが、事実であれば、眞子さまも小室さんも対応を練りに練って臨まれるのではないでしょうか」
王太子妃と麻薬
 辛酸さんが思い出すのは、ノルウェーのメッテ=マリット王太子妃(48)だ。名門オスロ大学でホーコン王太子(48)と知り合い、程なくして同棲がスタートする。
 それだけでもノルウェー国民は驚いたが、その後、マリット王太子妃がシングルマザーであり、父親が麻薬常習者で服役していることや、彼女自身も麻薬パーティーに参加していた過去などが次々と明らかになった。
 国民は2人の結婚に猛反対したが、2000年12月の記者会見でマリット王太子妃は涙を浮かべながら国民に謝罪。結婚への理解を求めると、世論は一転して結婚に賛意を示した。
「眞子さまが涙ながらに、国民が怒り心頭であることに対し謝罪の意を示し、『反対の声が多いのは承知しているが、それでも小室さんと結婚したい』と理解を求めれば、日本の世論は変わるのかなど、今後に何が起こるのか強い関心を持ってしまいます。私のような人は少なくないはずで、眞子さまと小室さんがどんな会見を開くのか、国民が注視するのは間違いないでしょう」(同・辛酸さん)
 ただし、世論がどう反応しようとも、長期的に見ると皇室の“権威失墜”は避けられないと辛酸さんは考える。
「ネット上で話題になっているのですが、占星術ではこれまでの200年は『土の時代』とされ、権威に価値を置く人が多数を占めたとそうです。ところが、2020年からの200年は『風の時代』に代わり、個人の自由が尊ばれ、権威が失墜する時代になるというのです。眞子さまの“公より私”という結婚観や、世論の皇室に対する失望など、まさにその通りになっているように思われます」
デイリー新潮取材班


絶対に10月までに小室さんと結婚したい」眞子さまが30歳の誕生日までの結婚を急ぐワケ

2021-09-26 10:00:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

眞子さまの結婚時期を巡るスクープ合戦
秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚へ向けた加速が目覚ましい。
「年内に結婚する方向で調整」という9月1日のニュースが始まりで、結婚に関する儀式はせず、1億円を超す一時金も辞退、ニューヨークで暮らすというインパクトも大きかった。翌週(8日)に「10月にも婚姻届を出す方向」と報じられたと思ったら、その翌週(16日)には「小室さんが9月末までに帰国する見通し」というビッグニュース。10月にも眞子さまと記者会見などをするという。
最初は読売新聞、次が共同通信、最後がNHKのスクープで、水面下で事態は着実に動いているのだろう。21日には日本テレビが「小室圭さん、来週早々に帰国」というニュースを打ち、元新聞記者としては「宮内記者会のみなさんは、さぞや大変だろう」と勝手に同情している。
加速の背景には、小室さんの就職事情がある。NHKがこのあたりはリードしていて、就職の内定しているニューヨーク州の法律事務所は、日本人を弁護士として採用するのは初めての大手事務所だと16日に伝えていた。眞子さまとの生活基盤が整い、次に打つべき手は世論対策。だから「帰国→記者会見」。これがスクープの肝だろう。
そしてもう一つ、背景にあるのが10月23日に迫っている眞子さまのお誕生日のようだ。その日、眞子さまは30歳になる。
本当に30歳の誕生日を意識しているのか
例えば朝日新聞(9月17日朝刊)はNHKのスクープを追いかけ、小室さん帰国後の眞子さまの日程(10月中に婚姻届提出、皇籍離脱など)を示し、こう書いた。「10月23日の眞子さまの30歳の誕生日や、コロナの状況などをみながら日程を検討していくという」。スポニチアネックス(9月17日配信)は、「眞子さま30歳までの結婚を意識」と見出しではっきり打ち出している。本文には、「『30歳までの結婚』を意識する眞子さまの誕生日前日となる10月22日までに婚姻届を提出し、結婚会見を開くとみられている」とある。
眞子さまは、30歳までに結婚したい――以前から報じられていたことだ。読むたび「そんなものなのかなー」と思ってはいたが、最近のスクープ合戦がまるで眞子さまの必死さの表れのようで、「そこまで切実だったかー」と不思議な気持ちになる。
「女はクリスマスケーキ」などと言われたのは、バブル真っ盛りの頃だったと記憶する。マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が主題歌のドラマ「29歳のクリスマス」がヒットしたのは1994年。24歳が限界か、29歳か。いずれにしても20世紀の話で、とっくに21世紀になり、令和になった。なのに眞子さまはなぜ「29歳での結婚」にこだわるのだろう。
1980年代以降は30代で結婚した女性皇族もいる
人口動態統計によれば、2020年の女性の平均初婚年齢は29.4歳。それより遅くなりたくないという心境もあるかもしれないが、都道府県別を見ると東京都の妻の平均初婚年齢は30.4歳。過去の女性皇族の結婚年齢は、宮内庁ホームページ「ご結婚により,皇族の身分を離れられた内親王及び女王」という一覧表でチェックした。
7人のお名前がある。うち4人は昭和に結婚している。3人(1952年と1960年と1966年)は21歳または22歳での結婚だが、1983年の結婚は31歳。平成最初は2005年、秋篠宮さまの妹の清子さまの結婚で、36歳。次が高円宮家の次女典子さま(2014年)で26歳、続いてが三女絢子さま(2018年)で28歳。1980年代以降は20代での結婚と30代での結婚が同数だ。
高市早苗さんの著書に思わぬヒントがあった
つまり国民全体のデータからも、皇室の記録からも、眞子さまを「29歳での結婚」に駆り立てる理由は見当たらない。眞子さまと同学年の女性に聞いてみたら、「子どもを産みたいと考える人は、20代の結婚にこだわるかも」と教えてくれた。なるほど、それはわかる。とはいえ、29歳と30歳がそれほど違うとは思えず、どうもすっきりはしない。と思っていたら、ごく最近、思わぬところからヒントを得た。
それは、高市早苗さんの著書『30歳のバースディ その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)。そう、あの、自民党総裁選に立候補した、サナエノミクスの高市さん。彼女が政治評論家時代に書いたエッセーを読んだのだ。
92年6月発行で、当時31歳。大学時代(下宿を許されず、奈良から往復6時間かけ神戸大学に通学)から始まり、自分探しの時(松下政経塾→米国の民主党女性下院議員事務所でのインターン)を経て、政治評論家としての活躍までが描かれる。節目節目に、赤裸々な恋愛話がはさまるのが特徴だ。「男かペットがいなくちゃダメな私」という見出しもあったが、高市さん=寂しがり屋だ。
男社会への違和感も抱えていた。朝のニュース番組のキャスターに抜擢されるなどテレビの世界で活躍してからも、セクハラパワハラ的なことは日常だ。女性評論家ならもっと感情的にコメントせよと言われた時は、「思想を曲げてでも、女として与えられた役割に従わなくてはならないのか」と怒る。彼女の原点は、まっとうで明確な上昇志向を持つ女性だとわかった。
「30歳っていうのはすごい重みがある」
そんな高市さんだが、30歳の誕生日に過剰に反応する。10日前、「刻一刻とその日が近づく中で、私はもう、パニック状態」になり、「来る日も来る日も自分でパーティを企画して、友だちに電話をかけまくって」パーティーを次々開く。何軒もはしごし、24時間酒臭く、「ああ、これはちょうどいい。このノリで悲しみの三〇代に突入し、三〇歳のバースディを迎えるのもちょうどいいと思った」。
30年前、「結婚適齢期」をめぐる圧は今よりずっと強かった。高市さんは「どうにも結婚できない私」と書き、10回目のお見合いをしようかどうか迷っていると明かしたりする。が、一方で、こんな論も展開している。
「三〇歳っていうのはすごい重みがある。もはや、のんきに『経験ないからわかんないですぅ』とは口がさけても言えない。恥ずかしくてプライドが許さない(中略)。いままではテレビからお呼びがかかればホイホイ顔出して、タレントでも何でもないふわふわした存在だけど、チャラチャラやっていればそれで済んだ。でも、三〇代になると、『私はだれ? 高市早苗って何なの?』っていう問題を突きつけられるような気がした。それにきちっと答えられなければ、三〇代を乗り切れないゾと」
30歳になるのは大変だけど早く30歳になりたい
高市さんは、「仕事の上ではずーっと年をとりたい、とりたいと思っていたのに」とも書いていた。現在の高市さんに共感することは少ないのだが、その文章を読み、私も早く30歳になりたいと思っていたことを思い出した。
実は私、高市さんと同じ1961年の早生まれ。今年還暦を迎えた同級生として、当時の彼女を解説させていただくなら、「仕事」というものが骨身に染みてきたのだと思う。「少年少女のノリの恋愛がもうできなくなるんじゃないかという、危機感もあった」とも書いていた。
気軽な恋愛を惜しむ気持ちの裏側に、恋愛も仕事も自分で責任を取るしかないという大変さ(と楽しさ)を実感していたのだと思う。この本を出版した翌月、高市さんは地元奈良県から参院選に無所属で立候補、落選。翌93年に無所属で衆院選(奈良全県区)に立候補、初当選している。
「私はだれ? 高市早苗って何なの?」と書きながら、もう高市さんは政治の道を見据えていた。少なくとも、どこに行けば答えがあるか、わかっていた。「私はだれ?」は30歳を前にした女性共通の思いで、実は答えが見えかけているのがその頃なのだと思う。振り返れば、私もそうだった。さて、眞子さまはどうなのだろう。
眞子さまが小室さんとの結婚を熱望する真意は
眞子さまはずっと、徹底して小室さんとの結婚を望んでいた。愛あってのことだが、同時に「皇室を出て、自由になりたい」という思いがあったと思う。それは「自由に外出したい」程度の反発心ではなく、「私はだれ?」という根源的な疑問だったのではないだろうか。
そして眞子さまは、その答えを得るには結婚するしかないと思った。皇室という枠組みにいては見つからない答え。結婚すれば、枠組みから外れられる。「皇族女子は、天皇及び皇族以外と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と皇室典範で決められているからだ。だから結婚を求める気持ちに、こだわりにこだわった。
眞子さまにとって結婚が、「私はだれ?」への答えを探す旅の始まりだ。旅のパートナーが見つかったのに、パートナーの母の「金銭トラブル」が公になり、足止めを食った。その期間が長くなる中、当初はさほど意識していなかった「30歳」への思いが強くなったのではないだろうか。強い心を保つためには、目標が必要だ。それが、30歳。そこまでに結婚するという思いが、眞子さまを支えてきた。そう思うと、すごく腑に落ちる。
目標達成はもう目の前。これからが眞子さまの、「私はだれ?」を見つける本当の旅が始まる。そこから先の人生は眞子さまのもので、その成り行きを他人がとやかく言う筋合いではないと思っている。だけど早く30歳になりたかった元女子として、こう思っている。眞子さまの旅が、幸多いことを。心からの願いだ。

矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。


摂りにくい栄養素の代表ビタミンD サプリも活用を

2021-09-26 08:30:00 | 日記
下記の記事は日経ウーマンオンラインからの借用(コピー)です。  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

ビタミンDが病気の予防になる可能性
 感染症、糖尿病、がん、心臓病、うつ、認知症……。骨の発育や筋力増強を促すことで知られるビタミンDが、病気予防にも働くことが最新の研究でわかってきた。特に注目は、2人に1人がかかる、がんの発症リスクを減らす作用だ。
 日本人男女約3万4000人を対象にした研究では、血液中のビタミンD濃度(25水酸化ビタミンD濃度)が高い人は、最も欠乏している人に比べて、がんのリスクが約20%低かった(下グラフ)。
ビタミンDはがんのリスクを低減させる
40~69歳の日本人約3万4000人を16~19年追跡調査した結果。血中ビタミンD濃度が最も低い欠乏群(41.2nmol/L(16.5ng/ml)以下)に比べて、43.9nmol/L(約18ng/ml)以上の群はがんの罹患率が約20%低かった。
(データ:国立がん研究センター・多目的コホート研究より。BMJ;360: k671, 2018)
 「ビタミンDが足りているとがんのリスクが下がるメカニズムは、はっきりとは解明されていない。ビタミンDが充足すると、免疫システムが調整され、がん細胞を排除する方向へ働く可能性がある」と東京慈恵会医科大学附属柏病院院長の秋葉直志さんは話す。
 秋葉さんらの研究では、Dが欠乏していた早期の肺腺がん患者が、手術後1年間Dサプリ1日30μgを摂取した群の5年生存率は91%で、非摂取群(48%)より明らかに高かった。
サプリでのD補充がインフルエンザを予防
 さらに注目すべきは、インフルエンザなど急性呼吸器感染症への感染リスクを減らす効果もあることだ。日本の小中学生を対象にした研究では、Dサプリを1日30μg摂取した群のインフルエンザ発症率が、非摂取群の約半分だった(下グラフ)。
ビタミンDは感染症の罹患リスクを下げる
小中学生334人を2群に分け、ビタミンDサプリ摂取群(1日30μgを4カ月間)と非摂取群のインフルエンザ発症率を比較。サプリ摂取群の発症率は10.8%(167人中18人)で、非摂取群の半分近かった。
(データ:Am J Clin Nutr. 91,5,1255-60, 2010)
 「新型コロナウイルスへの効果は不明だが、ビタミンDの働きで、細胞の中に入り込んだ病原体などを排除するオートファジーという仕組みが誘導される。Dが糖尿病や認知症、心臓病などを予防するという研究結果も出てきているので、血中ビタミンD濃度を高めておくことに越したことはない」と秋葉さん。
 血中ビタミンD濃度を高める方法は、鮭や青魚などの魚介類、天日干しキノコなどの“食品ルート”と、紫外線に当たって皮膚で生成する“紫外線ルート”がある。ビタミンDは肝臓と腎臓で代謝されて活性型ビタミンDになり、骨、筋肉、免疫細胞などに作用する。
 「日本人の食事摂取基準2020年版」では、15歳以上の女性のDの1日摂取目安量は8.5μg。紅鮭(100gで33μg※)、サバ水煮缶(同11μg※)などが代表的な供給源だ。
 「食事摂取基準は紫外線ルートでビタミンDが合成されることを前提にしているが、過度なUVカットで女性のD不足が加速している」と指摘するのは、杉山産婦人科新宿・難治性不妊診療部長の黒田恵司さんだ。
 10代後半~40代の日本人女性(非妊婦)の血中ビタミンD濃度を調べた過去50年の文献を分析した研究では、22グループ中10グループの血中D濃度の平均は、「D欠乏」の基準である20ng/ml未満。残り12のうち11グループの平均は20~30ng/ml未満で「D不足」だった。
 「ビタミンDは受精卵の着床と妊娠の維持にも重要な役割を果たすことが国内外の研究でわかってきた」(黒田さん)。
ビタミンDが充足していると妊娠率が上がる
提供卵子による体外受精を受けた99人の女性を対象にした米国の研究結果。ビタミンD 充足群(血中ビタミンD濃度30ng/ml以上)の妊娠率は78%、出産率は59%で、欠乏群(同20ng/ml未満)より明らかに高かった。
(データ:Fertil Steril. ;101,2,447-52,2014)
※ 日本食品標準成分表2015年版(7訂)
免疫を調整して妊娠を維持する働きも
 黒田さんによると、妊娠・出産にも、ビタミンDによる免疫システムの調整機能が関わっている。
 体を守る免疫細胞のヘルパーT細胞には、病原体を排除するTh1細胞と、異物である胎児を拒絶せず受け入れる方向に働くTh2細胞がある。Dはそのバランスを取っているというのだ。
 「現代人は食事だけでDを充足させるのは難しいので、妊活や病気の予防のためにも、サプリも活用して血中ビタミンD濃度を30ng/ml以上に上げておくことが大切」と黒田さんは強調する。
 ただし、過剰摂取すると高カルシウム血症などになる弊害があり、厚生労働省は健康被害の出ない上限量を1日100μgに設定している。
 「医師の処方薬のD製剤は活性型なので過剰摂取は禁物だが、サプリは天然型なので食品と同じ。肝臓が必要量だけ代謝して活性型に変えるので、過剰摂取の心配は少ない。魚を積極的に食べると同時に、サプリで1日25~50μgくらいとってもいいのでは」と秋葉さんもサプリの活用を薦める。
 UVカットをする女性にとっては特に、ビタミンDサプリは必須アイテムになりそうだ。
取材・文/福島安紀


ビタミンDは身体の救世主
吉田貴子
介護福祉士

    * 感染症、糖尿病、がん、心臓病、うつ、認知症……。骨の発育や筋力増強を促すことで知られるビタミンDが、病気予防にも働くことが最新の研究でわかってきた。特に注目は、2人に1人がかかる、がんの発症リスクを減らす作用があるなんて凄いです。

血中ビタミンD濃度を高める方法は、鮭や青魚などの魚介類、天日干しキノコなどの“食品ルート”と、紫外線に当たって皮膚で生成する“紫外線ルート”がある。ビタミンDは肝臓と腎臓で代謝されて活性型ビタミンDになり、骨、筋肉、免疫細胞などに作用する。

 「日本人の食事摂取基準2020年版」では、15歳以上の女性のDの1日摂取目安量は8.5μg。紅鮭(100gで33μg※)、サバ水煮缶(同11μg※)などが代表的な供給源だ。

 食事摂取基準は紫外線ルートでビタミンDが合成されることを前提にしているが、過度なUVカットで女性のD不足が加速している

妊娠・出産にも、ビタミンDによる免疫システムの調整機能が関わっている。

 体を守る免疫細胞のヘルパーT細胞には、病原体を排除するTh1細胞と、異物である胎児を拒絶せず受け入れる方向に働くTh2細胞がある。Dはそのバランスを取っているというのだ。

 UVカットをする女性にとっては特に、ビタミンDサプリは必須アイテムになりそうだ。わたしも紫外線カットは必須ですがサプリなどを取り入れて上手くビタミンDを摂取したいです。

 


最期は家に帰りたい」6年間のがん闘病の末に帰宅した70歳女性は、家族に囲まれ、笑顔で逝った

2021-09-25 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です。

あなたは、どこで死にたいだろうか。多くの人は「自宅」と回答する。特に医療従事者ほどその傾向が強い。しかし現実は異なる。現在、日本では8割の人が病院で最期を迎える。「家で死ぬ」にはどうすればいいのか。そのとき、どのような最期を迎えることになり、家族はなにを思うのだろうか。
※編集部註:厚生労働省の「人生の最終段階における医療に関する意識調査」(平成29年度)によると、末期がんと診断され、人生の最終段階の状況において過ごす場所について、一般国民の47.4%が「自宅」と回答した。医師は66.5%、看護師は69.3%、介護職員は61.8%で、医療従事者は一般国民より自宅を希望する割合が高かった。
末期がん特有のだるさや痛みが相当あったはずなのに
「もう十分生きたわ。幸せだった」
看護師の小畑雅子さんが訪問看護をしている様子。
6年間がんと闘病した柿谷厚子さん(70歳)は、自宅の、玄関が見える位置に置いたベッドの上でそうつぶやいた。亡くなる前々日、訪問看護師の小畑雅子さんが厚子さんの体をさすっている時のことだった。
「幸せ」という言葉が、小畑さんの胸に響く。
「厚子さんは自分がこの世からいなくなることを理解されていました。しかも末期がん特有のだるさや痛みが相当あり、どんなに苦しいだろうっていう時です。私だったらそこで『幸せ』って思えるだろうか、言えるだろうか。すごい人だと思いました。恨み言も不安も口にせず、最後まで笑顔いっぱいだったんです」
次男の柿谷徹治さんは、身の回りの世話をしていた際、横たわる厚子さんから「ありがとう」と声をかけられた。
「いや、特別なことじゃないから。ありがとうなんて言わなくていいよ」
徹治さんは母親の顔を見ずに、そう答えるのが精いっぱいだったという。
その翌日の2016年10月2日が、厚子さんの命日になった。
担当医から「治療しても余命3年」と告げられた
厚子さんががんと診断されたのは、2011年11月。「腰が痛い」と、地域にある大病院を受診した。CTには肝臓に4つのがん、尿管に大きながんが映し出された。がんが尿管を圧迫していて、一つの腎臓が機能していない状態だったのだ。肺にも小さなかげがあった。入院し、時間をかけて原発がん(最初に発生したがん)を調べると、大腸がんであることが判明。肺や肝臓にあるがんは、大腸がんからの転移であり、がんがかなり進行した「ステージ4」という診断が下された。その時点で、担当医から「治療しても余命3年」と告げられた。厚子さんの夫、柿谷嘉規さんは悔しそうに振り返る。
「その年の6月にも『腰が痛い』と、以前大腸ポリープを切除した診療所にかかったんです。でも診療所の先生は『お年だから』と。女房はその時、65歳でした。あの時もっとちゃんと病歴などを調べてもらったらって……」
担当医は厚子さんに病名と病状を告げた。家族の心配をよそに、厚子さんは自分の体ががんに冒されていることをしっかり受け入れたという。
「母の姪は、30歳の時に胃がんで亡くなっているんです。それに比べて自分は、僕も兄も大きくなるまで生きることができた。兄夫婦の子供、つまり自分の孫にも出会えた。だから仕方ない、と思ったようです」(次男の徹治さん)
まもなく抗がん剤治療が始まった。
息子の徹治さんは病院に「休薬」を申し出た
家族は病院での治療だけでは心もとないと感じ、厚子さんに都心の免疫療法や温熱療法などを勧め、その治療も平行して行われることになった。
当時は、周囲が「本当にがんなんだろうか」と疑うほど厚子さんは元気だったという。さまざまな治療に通うのに、厚子さん自ら車を運転するぐらいなのである。
ところが新しい抗がん剤を試しはじめると、副作用で体調が悪化していった。
「髪の毛は抜けるし、上の血圧が200ぐらいまであがるし、全身も湿疹だらけで……。食欲も出なくなっていったんです」と、嘉規さん。「大病院の医者は女房の顔を見ずに、パソコンばっかり見ておったから」と怒る。
徹治さんは病院に「休薬」を申し出て、セカンドオピニオン(担当医以外に「第2の意見」を求めること)のために都心の病院を訪ねた。
「当時は僕も東京にいたし、兄も都会に住んでいましたから、実家のある田舎の病院で受ける治療に不安がありました。都会みたいにいろんな病院を選べるわけじゃないですから。もちろん選べないからこそ、かえってここで頑張ろうと、決断しやすい面もあるかもしれません。でも、あの時は簡単に割り切れませんでした。東京なら病院を選べるのにと思って、『僕の家に来て治療を受けないか』と提案したこともあります。でも、母は『うん』とは言わなかった」
厚子さんにしてみれば、夫を一人で残すことに不安があったのだろう。
抗がん剤を変更すると、たちまち元気になった
セカンドオピニオンでは、現在の治療方針でも問題ないといわれた。地元の病院での抗がん剤治療が再開された。
「ただし副作用の強かった抗がん剤は変えてもらいました。たとえ抗がん剤が効いたとしても、ひどい副作用に悩まされるようでは、生活の質が維持できません。そこは本人だけでなく家族が判断し、医師に伝えていく必要があるのではないでしょうか。実際に母は抗がん剤を変更してたちまち元気になったんです」(徹治さん)
70歳で亡くなった柿谷厚子さん。この写真が遺影にも使われている。
その後も抗がん剤の種類を変えながら、それなりに効果が続いていった。
4年後の2016年、腫瘍マーカーの値が下がらなくなり、食欲が急激に低下した。
柿谷家にとって、いつもケタケタと笑う厚子さんは、太陽のような存在だ。夫の嘉規さんも、次男の徹治さんも、言葉の端々に「絶対に失いたくなかった」という思いがにじむ。「がん末期にラドン温泉がいい」と聞けば、家族で湯治に出かけた。「がんに効くという水」があれば、片道4時間かけて徹治さんが何十リットルもの水をくみにいった。
しかし——2016年8月、ついに抗がん剤が効かなくなった。
厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えた
「もって2カ月でしょう」
担当医は家族にそう告げた。そして「この後はどうしますか?」と問いかけた。治らない患者を前に、もう熱心に治療する気がないようだった。
「(抗がん剤が)効かないから、次は緩和治療のために緩和病棟に移ってください、と流れ作業のように言われたんです」。徹治さんは当時を振り返り、「もっと向き合ってもらいたかった」とつぶやく。
夫の嘉規さんは抗がん剤が効かなくなったことだけを妻に伝えると、厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えたため、家族は担当医に「在宅診療に切り替えたい」と申し出た。
「女房の母親がずっと病気のため入院していて、手術が終わった後に目が覚めないまま帰らぬ人になってしまったんです。それが本人はすごく悲しかったみたいですね。家族が立ち会えないこともそうだし、最後の瞬間に自分の意識がないまま逝く、というのが嫌だったようです。そういう意味で在宅を希望したんでしょう。女房は介護ヘルパーをしていたんで、在宅の状況も、自分の死期もよくわかっていたと思います。本人は緩和治療に否定的だったのですが、元同僚のケアマネジャーさんに説得されて訪問看護師の方を紹介してもらい、訪問医にも来てもらう体制を整えました」
「小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」
この時に出会ったのが、のちに厚子さんの心を支える訪問看護師の小畑雅子さんだ。小畑さんはいつも笑顔を忘れず、時にユーモアをまじえて周囲を和ませながら、キビキビと働く。だが陰では、患者や家族のことを案じて、たびたび涙を流す細やかな人でもある。
徹治さんも「親しみやすくて、小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」と言う。
筆者撮影
柿谷徹治さん夫妻。厚子さんのことを振り返ると自然に笑顔となる。
「母が頼りにしているのがわかりました。ケアマネジャーさんもさまざまな手続きを進めてくれて、車いすや介護ベッドをすぐに用意してくれました。私たちを遠慮なく呼んでください、使ってくださいと言ってくれたんです」
厚子さんはここから2カ月間、自宅で寝たきりの生活になった。
母親っ子だった徹治さんは、兄嫁から「もって2カ月」という医師の診断を電話で聞いた時、とても受け入れられないと思ったという。その日のうちに長年勤めていた会社の上司に状況を話し、休職を申し出て実家に戻った。
「家族みんなが無理なく支えられた」
「変な話ですが、あの時は家族みんながいいタイミングだったんです」と、徹治さんは言う。
訪問看護師の小畑雅子さんがマッサージに使っていたマルチグローブ。(筆者撮影)
「その一年前でしたら仕事が忙しくて休職は厳しかった。当時は仕事が一区切りつき、ある程度蓄えもあって仕事を休んでも辞めてもいいという状況だったんです。独身だったから身軽でしたしね。兄も転職して実家近くに帰ってきていて、父も独立して自営業だったので母親をサポートできました。『家にいたい』という母の希望を、みんなが無理なく支えられる状況だったと思います」
末期がんの患者が家で過ごす場合、疼痛管理が大切になる。看護師の小畑さんが説明してくれた。
「厚子さんは腹水で体がぱんぱんで、横を向くこともつらかったと思います。それで『マルチグローブ』を使って、厚子さんの体をずっとマッサージしました。体をさすりながら、生きること、死ぬこと、家族のこと、いろんな話をして……。痛みを緩和する医療用麻薬も使いましたが、それ以外にマッサージしたり、気分が変わる話をしたりすることも重要です。そして家族みんなが厚子さんに気持ちが向いてケアを頑張れるようにサポートするのも、私たちの務めだと思っています」
自宅で過ごせて、とても嬉しそうだった
夜は徹治さんが厚子さんの隣に寝て、寝返りがうてない厚子さんの体にクッションをはさんであげたり、痛みでうんうんうなっている時は足をさすったりした。
排泄は、徹治さんの兄の妻を含む3人がかりで車いすに乗せ、厚子さんをトイレに運んだ。
「私がオムツを提案したこともあります。でも厚子さんは本当に最後まで『トイレに行きたい』とがんばっていました」と小畑さん。
「自宅で過ごせて、とても嬉しそうでした。厚子さんの寝ているベッドから、玄関が見えるんです。だから誰が来たか、すぐわかる。孫がバタバタと帰ってくると『帰ってきたー』と喜んで、『こけないでね』と心配する。玄関からさーっと風が入ってきて、私が『いい風』と口にすると、ニコッと笑う。表情がころころ変わるんです。何度も『幸せ』と言って、でもだからこそ家族とお別れしたくないんだな、死にたくないんだなと感じる時もありました」
亡くなる1週間前から小畑さんは「そろそろ覚悟したほうがいいかもしれない」と家族に伝えた。
「まるで仏様みたいに安らかな顔でしたよ」
「ずっと看護をしていると、死が近いかもしれない……という兆候を感じるんです。血圧が下がる、尿量が減るなどといった経過とあわせてサインをつかみとったら、家族の反応をみて心が乱れないように配慮しながらお話をしていきます」
亡くなる前日、厚子さんは途中まで一言、二言の会話ができたが、やがて目をかっと見開いて苦しそうな様子に変わっていったという。
「寝ていても目が開いていて……薄目ではなくギョロ目で目が合うんです。でももう意識がないようでした」(徹治さん)
日付が変わって午前0時半頃。顎で呼吸する下顎呼吸が始まった。厚子さんの隣で寝ていた徹治さんは、ひとつ屋根の下に眠る父親の嘉規さん、兄夫婦を起こしにいく。4人が見守るなか、それから30分程度で厚子さんは眠るように息を引き取った。「人間死ぬ時は穏やかな顔になるんだ」と、嘉規さんは思ったという。
「まるで仏様みたいに安らかな顔でしたよ」

笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。