
鍋心(なべごころ)なんて古い言葉は、
現代ではもう死語に近いだろうと
思いつつも、
また、書いてみたくなった。
ただ鍋を磨くのではなく
このお鍋のお陰で、
美味しいお料理ができるのよ。
ありがとうの心を込めて、
自分の心を磨く事。
今では 、時折、丹念に?
磨くようになったお鍋も、
以前はそれなりに面倒くさいと感じて
いたから、
この事を知った時はかなりの衝撃だった
今まで何をしていたんだろうと、
鍋を磨きあげた後、
いつもキリキリと胸が痛くなる。
磨くと言うことは、
自分の心を美しくなるように磨く
過ごす時間と場所を美しくしてゆく事。
悩み事は自分を磨く砥石と言うけれど、
最近はつくづくそう思う。
昆布巻きを煮ながら、
自分の未熟さを痛感しました。
生きている。
命があるだけでも有り難いと
そう思うこの頃。
夢や希望が見れなくても、
🌈生きている
それだけで充分素晴らしい🌹🍃
さて、これから一番痛いところから、
目をそらさずに歩んでいこうかな?
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