続きです。
今日の講義の際、第2シンボルについての説明の中で、
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」という言葉が出てきました。
この言葉、実は私にとっては大学時代の講義の中で一番心に残った講義での言葉であり、レイキを学び始めて、ここ最近再び記憶から蘇ってきていた言葉です。
「善人ですら往生できるのだから、どうして悪人が往生できないわけがあるだろうか」というこの言葉。阿弥陀仏のあらゆる衆生を救済する、本願を表す言葉と解釈されることが多いようです。遍く衆生を救済される阿弥陀さま…みたいな。
が、実際にはただただ全てを阿弥陀仏にゆだねて念仏する『他力本願』の大切さを説いた言葉です。
「善人」は、日々往生の為に善行を積みます。極楽に行けて当然と思いますよね。
でも、その心は「極楽に行く為に、善行を積む」という「下心」であり、これは『自力本願』であり、阿弥陀仏の求められる『他力本願』ではないのです。
そして「悪人」は悪行を行い、もはや極楽に往生することなど不可能と思います。
しかし、そんな悪人でも阿弥陀仏はもちろん救済なさいますよ、と言っているように思えますが、実は「自分は悪行の限りを尽くした。もちろん極楽へなど行けないであろう。後は仏に自分の全てをただゆだねるのみ」という、全てを手放した心こそ『他力本願』であり、その心持ちによってこそ、極楽へ往生すべきものであるということです。
『他力本願』って、一般の口語としては、あまりいい意味に使われませんが、
実はとても大切な言葉なのです。
全てを手放しゆだねきってしまう、心です。
『人事を尽くして天命を待つ』という言葉。良い言葉ですよね。
でも「人事を尽くして」「天命を待つ」のはあくまで自力本願であり、他力本願ではありません。
ただただ無心に、仏に全てをゆだねきってしまうべし。
…てな事を、講義されましてですね、多感なお年頃だったさなたろうは深~く考え込んだ訳ですよ。
もちろん悪人つって、あくまで心持を表すための方便で、皆さんもれなく悪人になれっちゅう話ではありません。それは分かってはおりますが…
だってそんな事無理じゃん。草や石じゃあるまいし。
それに、そんなガチで他力本願してゆだねちゃったら、現代社会は成り立ちませんやん。
そんな訳で、大学時代で一番印象に残った講義だった訳ですが、まあ、早10年以上前の話なので、概ね忘れておりました。
でも最近、レイキを学んでいると、あちこちで見かける「ゆだねる」という言葉。
古い記憶が蘇って、漠然と咀嚼している内に、今日またレイキの先生の口からこの言葉が…
深いな、レイキ。
今日の講義の際、第2シンボルについての説明の中で、
「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」という言葉が出てきました。
この言葉、実は私にとっては大学時代の講義の中で一番心に残った講義での言葉であり、レイキを学び始めて、ここ最近再び記憶から蘇ってきていた言葉です。
「善人ですら往生できるのだから、どうして悪人が往生できないわけがあるだろうか」というこの言葉。阿弥陀仏のあらゆる衆生を救済する、本願を表す言葉と解釈されることが多いようです。遍く衆生を救済される阿弥陀さま…みたいな。
が、実際にはただただ全てを阿弥陀仏にゆだねて念仏する『他力本願』の大切さを説いた言葉です。
「善人」は、日々往生の為に善行を積みます。極楽に行けて当然と思いますよね。
でも、その心は「極楽に行く為に、善行を積む」という「下心」であり、これは『自力本願』であり、阿弥陀仏の求められる『他力本願』ではないのです。
そして「悪人」は悪行を行い、もはや極楽に往生することなど不可能と思います。
しかし、そんな悪人でも阿弥陀仏はもちろん救済なさいますよ、と言っているように思えますが、実は「自分は悪行の限りを尽くした。もちろん極楽へなど行けないであろう。後は仏に自分の全てをただゆだねるのみ」という、全てを手放した心こそ『他力本願』であり、その心持ちによってこそ、極楽へ往生すべきものであるということです。
『他力本願』って、一般の口語としては、あまりいい意味に使われませんが、
実はとても大切な言葉なのです。
全てを手放しゆだねきってしまう、心です。
『人事を尽くして天命を待つ』という言葉。良い言葉ですよね。
でも「人事を尽くして」「天命を待つ」のはあくまで自力本願であり、他力本願ではありません。
ただただ無心に、仏に全てをゆだねきってしまうべし。
…てな事を、講義されましてですね、多感なお年頃だったさなたろうは深~く考え込んだ訳ですよ。
もちろん悪人つって、あくまで心持を表すための方便で、皆さんもれなく悪人になれっちゅう話ではありません。それは分かってはおりますが…
だってそんな事無理じゃん。草や石じゃあるまいし。
それに、そんなガチで他力本願してゆだねちゃったら、現代社会は成り立ちませんやん。
そんな訳で、大学時代で一番印象に残った講義だった訳ですが、まあ、早10年以上前の話なので、概ね忘れておりました。
でも最近、レイキを学んでいると、あちこちで見かける「ゆだねる」という言葉。
古い記憶が蘇って、漠然と咀嚼している内に、今日またレイキの先生の口からこの言葉が…
深いな、レイキ。