16~17日の2日間、伊勢の神宮へ参詣して参りました。
(財)修養団 伊勢道場・伊勢青少年研修センターが会場です。
到着してすぐに開講心得(礼法作法の実習)と開講式の為、大講堂に集まりました。
180畳の大きな畳敷きの講堂です。
そして真正面に掲げられた『日の丸』…
体育会系のお兄さんから、礼法作法の説明を受けます。
いちいち大きな声で「こんにちは!」深々と一礼。
なんだかしらじらしい程のはりぼてのような爽やかさです。
体育会味にちょっと右翼風味も小さじ1杯ほど感じられます…
う、受け付けん・・・拒否反応出まくりのさなたろう。
どん引きな気分にて1泊2日の禊の旅の始まりです。
(※ちなみに修養団は、右翼団体でも宗教団体でもありません。念の為)
引き続き『童心行』です。
“素直な自分にたちかえる”為の「行」です。
これも、あやしげな自己啓発セミナーを彷彿とさせ、まだ引き気味のさなたろうです。
「えらい所来たな、おい」って思ってました。
その後、修道団相談役 中山靖雄先生の講話がありました。
朴訥とした語り口でお話されますが、あちこちにユーモアも散りばめられ、決して厭きさせません。
ぐいぐい引き込まれていきます。
そんな講話の中で、体に障害を持つ女の子とのエピソードをお話されました。
体が不自由なある女の子は、排泄の世話を始め、一切の面倒を母親に看てもらっています。
ある時、中山先生が七夕飾りに飾る短冊に書くお願いは無いかと、問うたところ、
「何も無い」とその子は答えます。
例えば『体が動きますように』というような願いもないのか?と尋ねても
願い事は無いと答えます。
母親はなんて可愛げのない!と叱りましたが、それでも、何も願いは無いと
かたくなにその子は答えます。
そんな彼女がしばらく後、中山先生に短冊の代筆を依頼します。
『お母さんより1日、早く死ねますように』
母親に先立たれた場合、自分はその後どう生きていけばよいのか分からない彼女の不安からの願いか、
それとも、ずっと彼女の世話に献身している母親より1日だけ先に死んで、
母親に自分を心配する事のない「1日」を贈りたいのか、真意は分かりません。
あとから母親はその短冊を見て、涙を流し、自分も短冊を1枚したためました。
『娘より1日だけ後に死にますように』
会場からは鼻をすする音があちこちに響いています。
さなたろうもウルウルっときましたが、
同時に他のエピソードを思い出していました。
数年前、祖父が亡くなった時、所用の為父と車で出かけた際に、
会話の中で私が言った何か他愛も無い一言を受け、父が言いました。
『(さなたろうが)いつ死んでもいいけど、俺より1日だけでも後にしてくれ』
普段、感傷的なことは言わない父がぽつりと言ったひとことでした。
なのでより印象深く、心の奥に留まっていますが、
素直に子供に親より1日でも後から死んでくれと言える
さなたろうと父の、ごく当たり前の環境の幸せを想うと同時に、
子供が親より1日先に死にたいと言わねばならない、
その女の子とお母さんの環境に思いを馳せるにつけ、
いっそう胸が痛くなります。
・・・ちょっと感動したところで、その2に続きます。
ごきげんよう