トリニティセラピスト早苗の日々是好日

健やかに美しく♡使命を生きて運を開くホロスコープ鑑定、アロマ音叉セラピー、アロマ温石セラピー、体質改善ヨガ教室、レイキ

伊勢禊行の旅~その2

2007年12月19日 | Weblog
続きです。

中山先生の講和でひとしきり鼻をすすった後は、
夕食、そして・・・水行です。

男性は白いふんどし一丁。女性は白い帷子一枚です。
五十鈴川の川辺に整列し、『流汗鍛錬』の声と共に一斉に肩まで水に入ります。
『流汗』つって、汗は出んだろ~と思いつつ掛け声をかけます。
12月の川の水は冷たく、身を削ぐようです。
だから禊は『みそぎ(身削ぎ)』なんですね。

後ろの方からやたらと浅く早い呼吸音が聞こえます。
『大丈夫かいな?』と思いつつ、さなたろうはウジャイ呼吸を意識します。
・・・そう、アシュタンガヨガ名物のウジャイ呼吸です。
ムラバンダとウディヤナバンダで、丹田から下の気がロックされます。
喉も締めるので全身がしっかりとロックされて水の冷たさに耐えやすいようです。
とは言え、ウジャイ呼吸もまだ下手っぴなので、まあ気休めですが(笑)
秋から習い始めたアシュタンガヨガが、こんな所で役に立つとは・・・
りく兄先生ありがとう
(りく兄先生のウジャイ呼吸はダースベーダー並の音です。どこからあの音が出てるのか不明)

そして一斉に和歌朗詠。
『五十鈴川 清き流れの 末汲みて 心を洗え 秋津島人』
明治天皇御製です。
おおっレイキやってる皆さんは頑張って詠わなきゃですよ。
とは言え、水が冷たいので、さなたろうもついドスの効いた声で朗詠します。
ちょっとしたオッサン並。
そして、無事水行を終え、皆で「おめでとうございます」と声を掛け合います。


その後は着替えて、内宮で行われる『月次祭』の特別奉観です。
暗い参道に並んで待ちますと、闇の中から松明や提灯を携えた
白い衣冠束帯姿の神官達が現れ、静かに歩んで行きます。
全ては闇の中、微かな灯りに照らされて行われます。
厳かで神聖な儀式の中、見学の我々は全くの異分子です。
それでも、このように昼夜分かたず多くの神事が行われ、
日本の平和や繁栄が祈られている事実を
私をはじめ、ほとんどの日本人は知ることなく日々過ごしています。
今回、この神事を奉観する機会を得られて良かったです。
この旅を紹介して下さった吉祥天先生に感謝です

月と星がとても美しく大きく輝く中、奉観を終え、
宿舎へ戻り、就寝です。
(宿舎へ帰ってから、体が冷えたせいか、激しい腹痛に襲われ、
ホッカイロを当てつつ、レイキヒーリングに励んださなたろうです)

翌朝、再度参拝そして御神楽奉納です。
太陽がキラキラと眩しく、夜空の星の輝きを観た時も思いましたが、
さすが天照大神を御祭りする神宮の空です。澄み渡ってます
そして吉祥天先生から、よく効くお参りの仕方を教えて頂きました

その後、閉講式、解散となり、
皆でおかげ横丁で昼食後金沢へ帰りました。

最初はすわ宗教か右翼かあやしい自己啓発セミナーか状態でどん引きして始まった、この旅でしたが、
最後は来て良かったな~で終了。めでたしめでたし


おまけ

朝、神宮へ向かう前に、今回の企画の主催者である
赤塚建設(株)の赤塚氏より『エンジェルカード』を引かせて頂きました。

メッセージは
『なまけ者よ、アリのところへ行き そのすることを見て知恵を得よ』です。
なまけ者よ~?なまけ者よ~?なまけ者よ~?
「アリによろしくね」と言い残して、ナイスミドル赤塚氏は去って行きました。

アリによろしくね~~って・・・・

伊勢禊行の旅~その1

2007年12月19日 | Weblog
16~17日の2日間、伊勢の神宮へ参詣して参りました。

(財)修養団 伊勢道場・伊勢青少年研修センターが会場です。

到着してすぐに開講心得(礼法作法の実習)と開講式の為、大講堂に集まりました。
180畳の大きな畳敷きの講堂です。
そして真正面に掲げられた『日の丸』…
体育会系のお兄さんから、礼法作法の説明を受けます。
いちいち大きな声で「こんにちは!」深々と一礼。
なんだかしらじらしい程のはりぼてのような爽やかさです。
体育会味にちょっと右翼風味も小さじ1杯ほど感じられます…
う、受け付けん・・・拒否反応出まくりのさなたろう。
どん引きな気分にて1泊2日の禊の旅の始まりです。
(※ちなみに修養団は、右翼団体でも宗教団体でもありません。念の為)


引き続き『童心行』です。
“素直な自分にたちかえる”為の「行」です。
これも、あやしげな自己啓発セミナーを彷彿とさせ、まだ引き気味のさなたろうです。
「えらい所来たな、おい」って思ってました。


その後、修道団相談役 中山靖雄先生の講話がありました。
朴訥とした語り口でお話されますが、あちこちにユーモアも散りばめられ、決して厭きさせません。
ぐいぐい引き込まれていきます。

そんな講話の中で、体に障害を持つ女の子とのエピソードをお話されました。

体が不自由なある女の子は、排泄の世話を始め、一切の面倒を母親に看てもらっています。
ある時、中山先生が七夕飾りに飾る短冊に書くお願いは無いかと、問うたところ、
「何も無い」とその子は答えます。
例えば『体が動きますように』というような願いもないのか?と尋ねても
願い事は無いと答えます。
母親はなんて可愛げのない!と叱りましたが、それでも、何も願いは無いと
かたくなにその子は答えます。

そんな彼女がしばらく後、中山先生に短冊の代筆を依頼します。
『お母さんより1日、早く死ねますように』
母親に先立たれた場合、自分はその後どう生きていけばよいのか分からない彼女の不安からの願いか、
それとも、ずっと彼女の世話に献身している母親より1日だけ先に死んで、
母親に自分を心配する事のない「1日」を贈りたいのか、真意は分かりません。
あとから母親はその短冊を見て、涙を流し、自分も短冊を1枚したためました。
『娘より1日だけ後に死にますように』

会場からは鼻をすする音があちこちに響いています。
さなたろうもウルウルっときましたが、
同時に他のエピソードを思い出していました。

数年前、祖父が亡くなった時、所用の為父と車で出かけた際に、
会話の中で私が言った何か他愛も無い一言を受け、父が言いました。
『(さなたろうが)いつ死んでもいいけど、俺より1日だけでも後にしてくれ』

普段、感傷的なことは言わない父がぽつりと言ったひとことでした。
なのでより印象深く、心の奥に留まっていますが、
素直に子供に親より1日でも後から死んでくれと言える
さなたろうと父の、ごく当たり前の環境の幸せを想うと同時に、
子供が親より1日先に死にたいと言わねばならない、
その女の子とお母さんの環境に思いを馳せるにつけ、
いっそう胸が痛くなります。

・・・ちょっと感動したところで、その2に続きます。

ごきげんよう