佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

水は揺れる、人は動く  Ⅱ

2023-12-23 14:07:26 | 日記
「私が」を後回しにすれば
よく見える

誰しも善心は持っています。善心を
発揮することは、決して努力して
会得するものでも苦しいことでも
ありません。

悪心でいるよりはずっと楽しい
ことであり、喜ばしい気持にな
るものです。

誰でも善を行ないたい気持は持っ
ているはずです。

それができないのは、あまるにも
小さな我にとらわれて、「私が、
私が」と自己中心の考え方をして
いるからです。

その結果、全体が見えなくなり、
真実が見えなくなってしまいま
す。

真実が見えなくなれば、正しい
対応の取りようがありません。
そうして、他への感謝の心を失
い不満ばかりを募らせるように
なります。

病気になってはじめて日頃の
健康のありがたさがわかり、
職を失ってはじめて仕事に
打ち込めるありがたさがわかり、

海外旅行をして、はじめて米飯
のありがたさがわかります。

自分の立場ばかり物事を考えないで、
ちょっと自分を離れて見ると、いろ
んなものが見えてきて、感謝の心が
湧いてくるはずです。

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ぬくもり   序章

2023-12-23 14:05:25 | 日記
彼の指は男にしては細く長い。
それすら、いとしかった。

・・・どうして、このひとは、
こんなにせつないのだろう。

私は? 彼にとって私は?
はぐれている同類?

せめて「愛している」のひとこ
とが欲しい、たとえ刹那でも・・

・・・

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それは、寄せては返す、喜びの波だった。

2023-12-23 14:03:24 | 日記
忘れないように
息を止めて
忘れないように
君を見た

この時と
今のこと

波と海
地球は青い真珠で
白く雲のマーブル模様

時間を忘れて
時間を失くして
僕たちが こうしていること
いたこと

あれはただそれだけで
そのものだった

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「覚えていますか」

2023-12-23 14:01:28 | 日記
覚えていますか?
あなたは、あの日のことを。
覚えていますか?わたしのことを。

わたしたちが出会って、ぶつかって、
ふたつの心がばらばらと音を立てて
砕け散った、あの場所のことを。

わたしは覚えている。たとえあなた
が忘れ去っていても、死ぬまで
二度と思い出しもしなくても、

わたしだけは、忘れない。忘れる
ことなどできない。なぜなら、
あなたという人はあの日、あの
場所で、わたしに刻まれた痕跡
だから。

わたしという女に、この人生に
標された、あなたはマイルスト
ーンだから。

あなたは古い地図。
あなたは壊れた方位磁石。
そしてあなたは、牙を剥いて荒れ
狂う、真冬の海辺に立つ灯台の
明かり。

あなたはわたしを迷わせ、わたし
を引き寄せる。希望なのか絶望
なのか、救いなのか破壊なのか、
わからない―――それらのどれで
もない、

それらのすべてを孕(はら)んだ
光を放ちながら。

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寝転んで空を流れてゆく雲を、ふたりで見つめた。

2023-12-23 13:56:31 | 日記
他愛ない会話がピンポン玉
のように行き交った。

くすりと笑う
あなたが
まぶしくなる
本当に
現実なのに
夢の中のようにかなしい

あなたをさらえたらいいのに


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「優しい人」―女の予感―

2023-12-23 13:54:04 | 日記
「もう行かなきゃ、遅れてしまう」
と、言うのはいつもわたしのほう
だった。優しい人が上りの最終電
車に乗り遅れてしまうことを、心
配していたわけではなかった。

「もう行かなきゃ、遅れてしまう」
台詞(せりふ)を、わたしは優しい
人の口からは、聞きたくなかった
のだ。

それから、玄関のドアが開いて、
ドアが閉まる。駐車場で、優しい
人がバイクのエンジンをかける
音がする。今夜は絶対に見送る
まい、と、心に決めていても、
バイクのエンジン音を聞くと、

わたしは転がるようにベラン
ダに出て、バイクに乗って去
ってゆく優しい人の姿を見送っ
てしまう。優しい人は二階を
見上げ、ベランダに立っている
わたしに向かって、手を上げる。

優しい人はそのとき、どんな顔
をしていたのだろう。わたしの
目は涙で曇っていたから、優しい
人の表情は見えなかった。

優しいに人に、わたしの顔は、
見えていたのだろうか。

その夜、いつものように打ち捨
てられたわたしは、いつもと違
った行動に出た。
裸の上にコートを羽織り、財布と
鍵だけをポケットに入れ、素足を
ブーツに突っ込んで、部屋を飛び
出した。

川を渡る前から、わたしは車を
捕まえるために手を上げていた。
急ブレーキの音がして、個人タク
シーが止まった。わたしの目の
前で、ドアが開いた。

「山科駅まで。急いで下さい
ますか」
「はい」

駅の構内にはまだ、優しい人が
いるはずだ。ゆっくりとホーム
に入ってくる最終電車を、優しい
人は待っている。優しい人が電
車に乗ってしまう前に、

どうしても会いたい。一瞬だけで
も会えたら、それでいい。会って
「おやすみ」と言えたら、それで
いい。そうしても、そうしなくて
はならない。今夜は。
「このへんでええすか?」
「はい、ここでいいです」

わたしは走った。死に物狂いで
走った。

優しい人は売店のそばに立って
いた。見えたのはうしろ姿だった。
わたしに背中を向けて、優しい人
は電話をかけていた。黄緑色の
公衆電話だ。

優しいが
電話をかけている!
どこへ?
どこへ?
どこへ?
心臓が止まりそうになった。

「これから帰るよ。今、電車が
来たから」
そんな声が今にも聞こえてきそう
で、わたしは思わず両手で耳を
塞いだ。

「あなた」
「お、どーした。何があったか」
優しい人はそう言った。思わず口
をついて出た、というような言い方
だった。
優しい人はそう言った。思わず口
をついて出た、というような言い方
だった。

「会いたかったから」
と、わたしは言った。
「もう一度、会いたかった――。
もう一度会って――――」
わたしの声はかすれていた。呼吸
も荒かった。頬には乾いた涙が
こびりついていた。

「おやすみなさいが言いたくて」
優しい人が何かを言おうとする
よりも先に、電車のドアが開いた。
反射的に、優しい人は電車に乗って
しまった。

電車のドアが閉まった。
優しい人を乗せた電車は走り出した。
わたしはホームに取り残された。

何も変わらないのだ、と、わたしは
思った。優しい人の世界のなかにお
いて、わたしはその一部に過ぎず、

わたしの世界のなかにおいて、優しい
人はすべてだった。
永遠に重なりあうことのないふたつ
の世界。

世界と世界を切り分けて、渺
々(びょうびょう)と横たわる桟橋
のない海。深夜の駅で、胸の奥から
大量の血を流しながら、わたしが
目にしたものはそれだった。

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「隠せぬ背中」

2023-12-23 13:47:11 | 日記
正面は堂々とした態度に見え
ても、背中が弱点をあらわして
いる人がある。どんな人間も裏
は隠せない。

吉川栄治に『背中哲学』という
随筆がある。そのなかで、次の
ように書いている(『われ意外
みなわが師―私の人生観』)。

「前から見ると、くしゃくしゃ
な顔をしているけれど、背中から
見ると、円光の輝いている人は、

私の知己の中では、菊池寛氏だと
思う。一緒に歩いている時など、
後からあの背中を見ていると、

ただまるっこく肥えているだけだ
が、縹渺(ひょうびょう)として、
何か味がある。その味はどんなもの

かというと、『後の安心』とう相だ。
背中には、家庭がそっくり描いて
ある。

いかにも、搦手の木戸は安心して、
大手に向かって床几をすえている
城将の趣だといつも思う」

さらに、
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』
がたくさんに酒の灯の下をうろついて

いることだろう。あの酔っぱらい
達の背中には、脆さや、不安定や、
空虚だらけだ。この人達が、安定の

後光を負ったら、みんな倍も仕事を
するだろうと思う」
と続け、手厳しい。

「人の背中は見ゆるけれど我が背中
は見えぬ」という。自分には見えぬ
背中が、他人には隠せないのでつ
らい。



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「不幸のシナリオ」

2023-12-23 13:33:18 | 日記
『知らないうちに「不幸の
シナリオ」を書いてしまう
パターン』
恋愛でも同じことがいえます。
「アイムノットOK」という
人は、恋をするたびに、最後は
やはりフラれるのではないかと

思ってしまいますから、相手が
別の女性とちょっと話をしてい
るだけでも、「あなた、私と別れ
ようと思ってるでしょう?」な
どと、つい口にしてしまいます。

そして、その次の日も、「やっぱ
り私のこと、もう飽きたんじゃ
ない?」などと言うものですから、

「君みたいなしつこい人とはもう
つき合いたくない」と、本当に
フラれることになる。

どれほど自分が愛していても、
また相手が献身的であって
も、最後は自分をフるように
しむける、そんなシナリオに

自分で変えていってしまうの
です。まさかと思うかもしれ
ませんが、現実には、こうした
タイプの人はけっこう多いので
す。

仕事でも勉強でも、成功体験の
乏しい人は、「やっぱりダメだわ」
といって途中であきらめてしまう
ので、成功からますます遠の
いていきます。成功しないか
らまた自信を失う。結局、悪
環境におちいってしまうわけ
です。

逆に言うと、そうした悪環境
を途中で断ち切る“武器”が
ないということになります。

子どもの頃どんな育てられ方
をしたかが、この悪環境を
断ち切る強力武器=

「自分も捨てたもんじゃない」
という自信の核になると私は
思っています。

たとえば、雛祭りや端午の節
句のときに決まった“行事”
を家族でいとなんだ、などと

いう一見ささいなことが、
意外のそうした自信の土台に
なっています。

「その日はかならず、雛壇の
前で甘酒と雛あられを食べた」
でも、「家族でファミレスに
行った」でもいいのです。

こうした経験のある人は、心
の底に「自分は愛されている、
愛されるに足る存在である」と

いう自信がしっかり育っている
ので、何かを始めたとき途中
で苦しい状況におちいっても、
投げたりすることはないので
す。



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