佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

「人生いちばんの“妙味”はここにある」

2023-12-31 13:28:37 | 日記
生まれたくて生まれてきた
人もいなければ、いくら永
遠に生きたいと思ってかな
った人もいません。

そして確かなことは、この世
には自分と全く同じ人は二人
といないということです。
ということは、それぞれが
他人と同じではない。

自分ならではの存在価値=
役割を与えられて、天から
この世に遣わさらのだと思
います。

では「生きる」ということ
は何か?
人は、どんな厭世的(えんせい)
な生活をしようとも、自分
一人では生きていけません。

「人」という字は、人と人と
が支え合って生きている、い
や、生かされている姿です。

また、この世に何十億の人が
いようとも、一人ひとりが違
った能力を持っています。

その違いを見つけ出して磨き
をかけ、自分の存在価値を明
確にいて、それによって多少
なりとも世の中たために尽く
すことが、「生きる」という
ことではないでしょうか?

私だけの利得はなく、あなた
利得はないとしたら、
人生の絶妙は、あなたと私を
捨てた、二人三脚の助け合い
にある。

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「私、彼がいるのよ」

2023-12-31 13:26:34 | 日記
当たり前だ。

彼がいると言われたく
らいで、ひるんでいては、
彼がいる女がかわいそうだ。

「何人いる?」
いい女なら彼が複数いても、
罪じゃない。

一人くらい、
増えたって、
かまわないよね。

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「無言のことば」

2023-12-31 12:10:38 | 日記
人間は、心に思ったこと感じた
ことのすべてを、口に出して
言うわけではない。

むしろ、明確な言葉にされない
まま、「思い」のまま沈んでゆく
感情のほうが、多いだろう。

とすれば、もともと言葉を持た
ない者たちにも、そんな「思い」
のほうだけ、やはりあるのでは
ないだろうか。

目に見えない、耳から聞こえない、
それらの無言の言葉を感じたとき、
人の心に歌は生まれる。

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「手紙の歌」

2023-12-31 12:08:24 | 日記
手紙を受けとるとき、いつも
ちょっとした違和感を覚える。
違和感といってもそれは、ほ
どよく心地よい違和感である。

モノとしての手紙は、今、この
私の日常の風景の中に存在して
る。

けれどコトとしての手紙は、
それをしたためた人のその
ときの風景なのだ。

二つの風景が重なりあう。
一瞬を演出してくれるもの。
それが手紙なのだと思う


YouTube

トムクルーズ コラテラルの好きなシーン Collateral favorite scene.

https://www.youtube.com/watch?v=5xEFepxc_gc

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「心が言葉になる時」

2023-12-31 12:03:45 | 日記
心と言葉は、必ずしも、一対一の
対応をするとは限らない。

心より多くの言葉が出てしまう
こともあれば、
言葉にならない心を抱えてもど
かしい思いをすることもある。

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言葉にて言葉を語る透明のガラスの檻に育つ植物

2023-12-31 12:00:31 | 日記
落としたるガラス器床に砕け散り
失いしものの輝きを見す“

砕け散ったガラスは、もう役に立つ
「器」ではない。しかしその破片の、
キラキラと、なんと美しいことか。

器であった時に見えなかった輝き。

それは、内側に秘められていた
輝きなのか、あるいは、壊れた
からこそ感じられる輝きなのか。

人間は、生きていく途中で、何度
も何度も大切な器を落として、割
ってしまう。

友情の器、恋愛の器、信頼の器・・
・・・・。失ってしまってから
気づいても、もうとり返しのつ
かない輝きは、

私たちの胸をせつなく痛ませる。
まるでガラスの破片が、突き刺
さるように。



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本心

2023-12-31 11:58:06 | 日記
「ふとした言い間違い
が、じつは本心をあらわしてい
るいる】

ふとした「言い間違い」に
注意してみると、カレの
本音を知ることができる。

人は無意識下で何かを
拒絶しようという力が働く
ものなのだ。

 言い間違えは単なる
うっかりではなく、人間の
言わんとするホンネが
隠されている。


こうした言い間違えなどを
「失錯行為」と呼び、無意
識の願望などを抑圧する
ことに失敗した結果である
と考えられる。

例えば

義会の議長が、
開会を宣言しようとしたとき
に「これを閉会します」と
言ってしまったという
エピソードなど。

フロイトは、これは彼の
「会議を開きたくたくない」
という願望が、つい本音とし
てあらわれてしまったものだ

解釈した。

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