
しろ、チャンスにしろ、諸々の物
質にしろ、棚からボタモチ式に手
に入るなどと思ったこともなけれ
ば、
事実、これまでのところ棚ボタ式
に手に入ったものなどひとつも
ない。
私たちは出逢いたいと欲する人物
に出逢っていくものだし、欲しい
と切に望むものを結局は入手する
ものなのだ。
その切なる激しい渇望ゆえに。
「その日から、わたしたちは
いっしょに暮らし始めた」。
朝がカーテンの隙間から洩れ
横たわるきみを優しく包む
白い壁に光は遊び なんて
眠りはきみを綺麗にするんだ
今ぼくのなかを朝が通りすぎる
顔をそむけひとりで生きて来た
何も見なかった何も聞かなかっ
たそんな今までが
昔のような気がする
もう起きてるの眠そうな声
眼を薄くあけて微笑みかける
何も言わずに息を吸いこむ
窓の外は晩夏
「幸せになるには必ずなにかがな
くてはいけなくて、それがあるか
ら幸せなのだ。つまり、外界から
に依存した感情だ。
喜びにはそんなものはいらない。
目に見える理由がなにひとつなく
てもわたしたちをつつみ、まるで
太陽みたいに、自分自身の核を燃
やしながら燃えつづける」
幸せと喜びとの違い。幸せには
「○○だから」というような、
ある程度客観的な理由が存在し、
他人もそういうものさしで人の
幸せを見ている。
が、喜びというのは、人それぞれ
で、何をもって喜びとするか、ど
ういうときに喜びを感じるか、に
客観的な理由というのは存在しな
い。
せつなさと淋しさとの違い。これも
また、幸せと喜びとの違いに似てい
るような気がする。
淋しさには、客観的な理由がある。
この人は淋しそうだなあと、他人
でも想像がつく。でも、せつなさ
は人はそれぞれだ。
そして幸せよりも喜びを――
と同じように考えると、淋しさ
よりせつなさを、たくさん感じる
ことのできる恋愛のほうが、より
素敵かもしれない。
たとえばクリスマスイブに、何ら
かの理由で恋人に会えない場合。
淋しさではなく、せつなさ感じる
恋を、私はしたいと思う。
淋しさというのは、他人の目を
気にしたり、自分を中心にして
生まれる感情だろう。みんなは
デートしているのに、とか。
でも、せつなさは、違う。会え
なくても、相手のことを思うから
こそ、生まれる感情だ。
“せつなさと淋しさの違い問う
きみに口づけをせり
これはせつなさ“