ちぎれた雲が、まるで何かを
追いかけるようにして、
ぐんぐん流れていくのが見えた。
地上はこんなに穏やかなのに、
天上にはあんなにも、強い風が
吹いている、
“思い出すのはあなたのことばかり”
と、少女は思った。
ちぎれた雲が、まるで何かを
追いかけるようにして、
ぐんぐん流れていくのが見えた。
地上はこんなに穏やかなのに、
天上にはあんなにも、強い風が
吹いている、
“思い出すのはあなたのことばかり”
と、少女は思った。
大人になった、今でも。
大人になって、どんなに好きで、
どんなに会いたい人がいて、
どんなに一生懸命その人のこと
を想っていても、
その人が夢の中に出てきたり、
自分のもとへ飛んできてくれ
たりすることは―――
ない、と、
わかっている今でも。
進歩のない者は決して勝たない。
負けて目覚めることが最上の
道だ。
日本は進歩ということを
軽んじ過ぎた。
私的な潔癖や徳義にこだ
わって、
真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。
それ以外にどうして日本は
救われるか。
今日覚めしていつ救われるか。
俺たちはその先導になるのだ。
日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望じゃないか。
/ 白洲磐 大尉の言葉
【すぐれた人と凡庸な人の違い
は受け入れ姿勢の違いにある】
ある職業を喜んで、さらに心から、
受け入れた場合と、その同じ職業
をいやいやながら甘受した場合とで
は、実際に大きな違いがある。
すぐれた会計係と凡庸な会計係、
すぐれた大工と凡庸な大工との
違いはすべてこれである。
「自分のような人間でも、ひろっ
て使ってくれる会社があった。
嬉しい」といって働く人と
「本来はオレのような才能のある
人間が働くような職場ではないが、
しょうがない、勤めてやっている」
と考えて働く人と比べたらどうだ
ろうか。
仕事の取組み姿勢も、仕事のでき
ばえも違っていて当然のことでは
ないだろうか。
職業や職場に対するこうした意識
の違いは、新入社員のうちはあま
り大きな差にならない。
しかし五年、十年たつと取り返し
のつかないほど大きな差になる。
どんな仕事にも奥行があるもので、
一つのことをマスターするとまた
自分の知的収穫に刺激されて
次のことを覚えたり、試したく
なるというようにできている。
誰かが「仕事の報酬は仕事だ」
とうまいことをいっていたが、
そのとおりである。
やっているうちに面白くてたま
らなくなる。
こうやって楽しんで、そのうえ
月給をもらうのだから悪くない。
この人は二重に報酬をもらって
いることになる。
これをくりかえして何年もたつと、
当然明らかに違いがでてくる。
仕事を楽しんでいる人にはいつの
まにか豊富な知識や技術、経験が
身につく。
上司からも仲間からも頼られる
人間になっている。
仕事を心から喜んで受け入れた
結果である。
これに対して平凡なビジネスマン
はこんなふうにいう。「オレは月給
ぐらいの働きはしている」。「会社
の体制をもっと良くしてくれなきゃ
仕事がやりにくくて困る。おまけに
「オレはプロだ」などとうそぶく。
なにがプロなものか。他の仕事は
できないというだけのことではない
か。
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人は
相手の自分に似ているとこ
ろ 好きなところを
選択的に見て近づき
似てないところ 嫌いなとこ
ろを
選択的に見て 離れていく
どちらの時も相手は同じだ
ったのに
好きになるために自分をだまし
嫌いになるために自分をだまし
ている
恋をしないように努めることも
できるし
恋をするように自分をしむける
こともできる
そのことがわかっていて
どうして
才能を
見つけてくれる人に、
人は動かされる。
自分の部下を「あいつはダメだ」と
言う上司は、人を動かすことが
できません。
上司の仕事は、自分の部下がダメ
かダメでないかを判断することで
はありません。
ほかの人がダメだと言ったとして
も、その部下の才能を何か見つけ
てあげるのが仕事です。
これは、プライベートでも、恋愛
関係でも、まったく同じです。
人間は自分の才能を見つけてくれ
てもらう喜びが、やる気になりま
す。
その見つけられた才能を使う喜び
が、人を動かしていくのです。