私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

青島より済南-216

2014-03-05 11:16:46 | Weblog

青島より済南-216

青島より済南‐216      №.215より続き青島より済南への旅です。上海より青島へ飛行するにトラブルをへて、夜中に青島に到着し遅い夕食を終え翌日一路青島内の縫製工場等・旧日本人街を見学。写真の日本人街は海岸沿いの小高い処に位置し大変過っては風光明媚な処であったと思われます。近くには蒋介石の別邸が在り観光名所になっていました。因みに蒋介石の親衛隊は山東省民で後に台湾の外省人となったようです。日本人街の家に現在は中国人が住まいしているそうです。昼食をして一路高速道路等を経て済南へ向かいます。此の高速道路の乗車状況は過去に一部記載しております。この済南ご存知のごとく山東省の省都であり、古くは春秋戦国時代には濼邑と呼ばれ、済の国と都として栄えたところです。別名水の都と言われ水が豊富に湧き出ていたそうですが現在は工業用水確保の為公園の水を制限しているそうで有名な公園の庭の池も干上がったりし汚れていました。詳しくは当ブログ№99~105に過去に記載済みです。先日中国重慶での一大事件の裁判が行われた地方です。済南の有名な公園は写真にある趵突泉公園です。此の当時は中国も発展途上でこの地より研修生の派遣・蜂蜜の輸出を打診され当地を訪問しました。此の当時宿泊したホテルは過って毛沢東をも宿泊したと言われたホテルで、入口に銃剣をもったガードマンと思われる人物が監視をしたホテルで門の外は庶民が多く自転車(この当時は自転車が主流)で往来をしておりました。塀で囲われたホテルは低層階建てで長い広い赤絨毯敷きの廊下には所々詰め所が在り従業員が配されて監視をしていました。静寂で気持ちが悪いような雰囲気でした。この『南郊賓館』は現在改装改築変名されているようです。過ってはホテルの中に多くは外人向けの売店があり、此の当時は人民幣に比較し割高な『外換券』と称する貨幣に替えてのみ使用可能でした。その後、外人も『元』(人民幣)にても使用できように替わり『外換券』はなくなりました。私は其の売店での掛け軸を購入しましたが、其の購入した軸に描かれたのは虎です。虎の掛け軸は多く見られますが気に入るのはなかなかで此の軸は気に入り、帰国後日本式に表表装替えを致しました。中国の掛け軸は文化の違いで表装が違います。もう一方後方より描いた後ろ向きの虎は最近瀋陽で購入し表装替えをした物です。写真はアナログをスキャンしたものです。        

http://www.obea.or.jp/avail  吉 匠 苑


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