今年の憲法記念日は、町議選があったため特に何もできなかった。今年は拳法施行62周年の年だ。町議選の差し入れの1つに、「日本国憲法前文」があった。歌にもなっているので、ほぼ全文記憶にあるが、しみじみと読み返す機会はみなさんもさほどないのではないだろうか?
前文には、太平洋戦争の反省に立った基調ではあるが、その戦争に限定したものではない。もちろん、個々の条文には天皇から始まる具体的事項がある。前文は、それらを解釈する時の基準となるべきものと考えるのが普通だ。
今の政治家や社会は、日本がめざすべき方向性を忘れているのではないかとも思える。もちろん、理想と現実のギャップはいつも付物だが、理想と真逆の方向に進むことは許されないのではないか。生駒山の頂上をめざすのに、奈良側から登るのか大阪側から挑戦するのかという違いは許されると思うが、若草山をめざすというのは筋違いである。
戦後60年以上が経過をしているが、基本的人権・国民主権・平和主義などの各分野では、いまだにそれらを認めない主張が幅を利かせている。
先日の町議選で、ある自治会が特定候補を推薦するということを勝手に決めて全戸配布した。この候補を支持しない自治会員の人権はどうなったのであろうか?全員参加の総会で異議なしならともかく、そうではなかったらしい。個々の住民の思想信条は自由なので個々の責任で支援する・しないは自由だ。しかし、それをいろんな考え方を持っている地域で、自治会組織を使って全戸配布することは、許容範囲を超えていると思うが、読者の皆さん・住民の皆さんはどうお考えだろうか。
前文には、太平洋戦争の反省に立った基調ではあるが、その戦争に限定したものではない。もちろん、個々の条文には天皇から始まる具体的事項がある。前文は、それらを解釈する時の基準となるべきものと考えるのが普通だ。
今の政治家や社会は、日本がめざすべき方向性を忘れているのではないかとも思える。もちろん、理想と現実のギャップはいつも付物だが、理想と真逆の方向に進むことは許されないのではないか。生駒山の頂上をめざすのに、奈良側から登るのか大阪側から挑戦するのかという違いは許されると思うが、若草山をめざすというのは筋違いである。
戦後60年以上が経過をしているが、基本的人権・国民主権・平和主義などの各分野では、いまだにそれらを認めない主張が幅を利かせている。
先日の町議選で、ある自治会が特定候補を推薦するということを勝手に決めて全戸配布した。この候補を支持しない自治会員の人権はどうなったのであろうか?全員参加の総会で異議なしならともかく、そうではなかったらしい。個々の住民の思想信条は自由なので個々の責任で支援する・しないは自由だ。しかし、それをいろんな考え方を持っている地域で、自治会組織を使って全戸配布することは、許容範囲を超えていると思うが、読者の皆さん・住民の皆さんはどうお考えだろうか。