Nonsection Radical

撮影と本の空間

キムチ探し

2010年12月30日 | Weblog
連日探し物で歩き回っている。
というのも、そろそろ家の食事に飽き飽きしてきたからだ。
適当に野菜を煮たものなどは全然平気なのだが、「へんな」加工食品を食べさせられるのには閉口する。
「へんな」というのはsatoboの個人的意見で、世間では普段「おいしいおいしい」と食べているものらしい。
実際に今日も各地のスーパーをまわったのだが、年末の買い物に集まる人でごった返していた。
本日の探し物はカナモト食品のキムチである。
まだ食べた事がないのだが、一度食べてみようと思っていた。
年末年始はキムチでごはんをあっさり食べようと計画していたのだ。
お腹の具合も良くないのでキムチで体調を整えようと。
伊勢丹で扱っているというので京都駅の伊勢丹を探したがなかった。
かわりにキムチ専門店があったが、100g200円と高すぎる値づけ。
100g100円が相場でしょう(satoboにとっては)。

西武百貨店でも取り扱っているというので別の街へ。
しかし見当たらず。
できれば近場で見つけて普段も買い付けられるようにしたいので、家からあまり遠いところは却下。
美味しくても高いものは却下。
100g100円が譲れない線。

しかし、「へんな」商品は巷にあふれている。
戦中戦後の物資不足の時におこなわれた「改悪」がそのまま続いて、もの余りの今でも改悪されたものが安くするためという理由で作られているのは、たとえ合法的であっても中国のトンデモ食品を笑えたものではない。
たとえば醤油、味噌、酒など。
普通に作れば必要ないものを入れて「水増し」しているのが多い。
アルコール添加だが。
あとアミノ酸系化学調味料。
家で加えても手間もかからないのにそれをしない「ダシ入り~」。味噌とか醤油とか・・・

それよりも美味しく思えないのが有名どころとうたい文句の加工食品で、苦手だ。
今夜出された夕食を例にすると、「有名なところで作った豆腐やて」・・・「うまくない・・・」・・・「それはアンタが本物の味を知らんからや」。
「熊本の高い馬刺しやて」・・・「脂が多くて口に合いません!」・・・「なんで?こんな軟らかいのに」。
老母と交わされる会話だ。
老爺と老母とはいつも「これはどこそこのなになに」とまず飾り言葉が先に出て、だからウマいマズいと話をしている。
satoboにとっては「どこそこの」というのは無用である。
口に入れて美味しければ美味しいし、マズければマズい。
ただ黙って食べるだけである。
できれば薄味であればありがたいだけだ。
残念ながら化学調味料入りだと味がクドくなるのでイヤなのだ。

そこで「普通の味」を出す為に神奈川の家ではコンブや鰹節で簡単にダシをとって、普通のワカメや豆腐や麩、味噌で味噌汁を作ったり、トマト缶でソースを作ってスパゲッティ(パスタなどとは呼ばない)を作ったりしていたのだ。
失業後2ヶ月間は夕食をsatoboが作ったりしていた。
化学調味料など使わなくても普通の味が出せる。
幸いな事にそんな普通の食材を「赤い生協」が取り扱っていたおかげで出来たのだが、こちらにはそのような生協はない。
そこで普通の食材探しをしているのだが、驚く事に普通の食材をスーパーで探すと生協より高いのだ。
だいたい1.5倍ぐらいの値段がする。
普通の当たり前の食材がだよ!
麦と塩で作った味噌が700円ぐらい(生協のは500円ぐらい)、醤油が350円(同270)、ソース380円(同260円)とか。
もちろん特売品などビックリするぐらい安いが、そういうものは当然「普通」ではない。
薄めて、そのかわりに何かを添加して、味を整えている(あえてごまかしているとはいわない)。

そんなものを普段食べているくせに、テレビ番組などを見て、あそこは美味しいなどと言って、わざわざ出かけて行って、並んでまで食べたりする。
satoboはそういう事には無頓着で、外食券食堂やソ連を思わせるので並ぶのはイヤなのだが、味にうるさいわけでもない。
ただただ普通のものを食べれば美味しいと思えるだけなのだ。
その普通な事を老親に理解させるのはなかなか困難であるようだ。
神奈川の家では今でも赤い生協を利用し続けているらしい。
普通の味に慣れているのだろう。
コメント (2)
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