パソコンあるいはスマホ、タブレットなどネット機器から目が離せなくなるのは、現在進行形の“リアル”を追っていたいという気持ちが大きいのではないか。
今まさに起きている事、今から起きるかもしれない事を逃さないでいることが“リアル”な体験であると感じるのだ。
一方、本のページをめくり、文字を追いかけているのは、すでに文字が印刷された時点では過去の事であり”リアルタイム”ではないのだが、その中味はまた“リアル”に感じるのである。
今まさに自分がその場に居合わせているかのように興奮し、思い描きページを進めていく。
この”リアル感”に違いはあるのだろうか?
ふとそんな事を思った。
現実は自分の「目の前」で起きているわけではない。
目の前にある本で、ネット端末で起きている事を見ているだけなのだ。
そういう点で、どちらもバーチャルなリアル世界を体験していると言えないか。
シミュレーションやRPGでどんなに格闘したり、金儲けをしても、現実にそれらをやっているわけではない。
そういうゲームが好きなら、”実践”してみたらもっと実力を試す事が出来ると思うのは野暮なのかもしれない。
でも、現実とネットと読書は、リアル体験とバーチャル体験との違いがある事をつい忘れがちになってしまい、現実の場に自分を置くという行為をせずに“リアル”を体験しているのだと”勘違い”しているのではないかと自問する。
姫路港フェリー乗り場 兵庫県姫路市
平城京朱雀門から大極殿へ 奈良市佐紀町
今まさに起きている事、今から起きるかもしれない事を逃さないでいることが“リアル”な体験であると感じるのだ。
一方、本のページをめくり、文字を追いかけているのは、すでに文字が印刷された時点では過去の事であり”リアルタイム”ではないのだが、その中味はまた“リアル”に感じるのである。
今まさに自分がその場に居合わせているかのように興奮し、思い描きページを進めていく。
この”リアル感”に違いはあるのだろうか?
ふとそんな事を思った。
現実は自分の「目の前」で起きているわけではない。
目の前にある本で、ネット端末で起きている事を見ているだけなのだ。
そういう点で、どちらもバーチャルなリアル世界を体験していると言えないか。
シミュレーションやRPGでどんなに格闘したり、金儲けをしても、現実にそれらをやっているわけではない。
そういうゲームが好きなら、”実践”してみたらもっと実力を試す事が出来ると思うのは野暮なのかもしれない。
でも、現実とネットと読書は、リアル体験とバーチャル体験との違いがある事をつい忘れがちになってしまい、現実の場に自分を置くという行為をせずに“リアル”を体験しているのだと”勘違い”しているのではないかと自問する。
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平城京朱雀門から大極殿へ 奈良市佐紀町