今日もブラブラ徘徊したのだけど、大きな神社とお寺のある街だった。
神社ではお百度を踏む人々が後をたたず、お寺にも参拝に来る人が後をたたず。
まあ信心深い国民だなと思うのだけど、当の本人たちはそうは思っていないようで、無宗教だと自認する率が非常に高いと言う。
それだけ身にしみているから自覚がないのだと思うのだが、キリスト教徒が毎週教会へ行くように、日本人は神社へ寺へ「お参り」に行っている。
ただキリスト教徒と違うのは、自発的でも自覚的ではないという面か。
神仏習合から廃仏毀釈へと明治になって分離された結果、明治以前の宗教観が消滅してしまった現在、どんな認識で神道と仏教をとらえているのか、明治以前と比較出来るのだろうか。
何千年の歴史といっても、現在の宗教形態が明治以降のものである”自覚”を持ってみている人がどれだけいるのだろう。
それは神社仏閣に属する宗教人にとってもだが。
その辺は、satoboには想像もつかないものなので興味がある。
もちろんお参りするという個人的気持ちは何千年経っても変わらない事は理解しているけれど。
だったら別の宗教、たとえばキリスト教であっても構わないと思うんだけどね。
大阪に高槻市という街があるけど、そこは昔キリシタン大名高山右近の城下で、最盛期には住んでいた人の8割がキリスト教に帰依していた時代もあったんだから。
それがどうして神社、仏閣が大多数になったんだろうなぁ。
京阪枚方市駅前 大阪府枚方市
滋賀県大津市梅林1丁目1から
神社ではお百度を踏む人々が後をたたず、お寺にも参拝に来る人が後をたたず。
まあ信心深い国民だなと思うのだけど、当の本人たちはそうは思っていないようで、無宗教だと自認する率が非常に高いと言う。
それだけ身にしみているから自覚がないのだと思うのだが、キリスト教徒が毎週教会へ行くように、日本人は神社へ寺へ「お参り」に行っている。
ただキリスト教徒と違うのは、自発的でも自覚的ではないという面か。
神仏習合から廃仏毀釈へと明治になって分離された結果、明治以前の宗教観が消滅してしまった現在、どんな認識で神道と仏教をとらえているのか、明治以前と比較出来るのだろうか。
何千年の歴史といっても、現在の宗教形態が明治以降のものである”自覚”を持ってみている人がどれだけいるのだろう。
それは神社仏閣に属する宗教人にとってもだが。
その辺は、satoboには想像もつかないものなので興味がある。
もちろんお参りするという個人的気持ちは何千年経っても変わらない事は理解しているけれど。
だったら別の宗教、たとえばキリスト教であっても構わないと思うんだけどね。
大阪に高槻市という街があるけど、そこは昔キリシタン大名高山右近の城下で、最盛期には住んでいた人の8割がキリスト教に帰依していた時代もあったんだから。
それがどうして神社、仏閣が大多数になったんだろうなぁ。
京阪枚方市駅前 大阪府枚方市
滋賀県大津市梅林1丁目1から